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2015/08/05

もっと野暮に、もっとラクチンに。

ときどき、「丁寧な暮らし」やら「丁寧な仕事」やら「選良主義」をちゃかしたりしてきたが、ほんと、もう考え直した方がよいと思うことがたびたびある。

この2、3日にネットで見かけた二つのことも、一見ちがう話だけど、同じ根の問題だと思う。

一つは、この投稿。
「なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ」
2015.08.03 Monday 05:30
http://izoomi-momo.jugem.jp/?eid=1243670

「暮らしの旅あるき 暮らすように旅をして、旅するように暮らす~コラムニストももせいづみのつづれ書き~」というブログなのだが、こんなことが書いてあった。もちろん細部については、疑問符もあるけど、大事な指摘があると思う。


いや、とにかくこっちのごはんづくりラクです。
ほんとーよ。ほんとなのよ。
ラクで楽でもう、日本でごはんなんか作りたくないって思うぐらい。

こっちに住んでもう長い今日会ったお友達は、いられるまでこっちにいたいって。

「日本が一番おいしいなんてうそ。食材はこっちのほうが断然おいしくて安いし、何より外食が日本はおかしなことになっていると思うの。290円で食べられる牛丼とか、700円で食べられるちらし寿司とか、それね、もう農業や漁業をしてくれている人へのリスペクトが感じられないの。こっちは外食は高いけれど、それは食材を作ってくれた人、料理をしている人へのリスペクトでもあるのよ」って。

あれ、こんなこと思ってるのは私だけで、みんなはそうでもないのかな。日本でごはん作ってるかあちゃんたちは、さほど苦ではないのかな。
だからクックパッドとか大流行りなのかな。暮しの手帖の編集長さんがクックパッドに移って、また「キホン」とか言い出して高度化して「ていねいな暮らし」になっていくのかな。


もう一つは、五十嵐泰正さんのツイート。

7~8年前には「原案の労働開国路線で劣悪な国内労働条件の温存に繋がると結局外国人労働者のためにもならない」みたいなことを話してたが、今はもう「労働規制強化等で国内労働条件を改善しないと外国人は呼べず産業そのものが破綻する」業界が増えた、と、とある研究会に出て痛感したと……このように続ける。

五十嵐泰正
‏@yas_igarashi

とにかくこの20年のデフレ&超低成長、非正規化&賃金現象に昨今の円安を加えて、日本は全てがえらくやっすい国になってる。その前提なくマクロには旧態依然たる経済大国意識で制度設計・戦略立案したり、ミクロには「頑張り」「おもてなし」を深掘りするのはホントやばいよね。

8:04 - 2015年8月5日
https://twitter.com/yas_igarashi/status/628703046936035328

五十嵐泰正
‏@yas_igarashi

物流・ヘルスケアなど、労働条件劣悪で外国人含む人が集まらずに破綻するかもな業界は、ほぼすべてラストワンマイルの「国外移転不可能な業種」、言い換えれば「破綻されたら国民=生活者が困る」業種ばかりなので、消費者が要求水準下げることも含めて何とかサステナブルにしなきゃあかんよ…マジで…

8:12 - 2015年8月5日
https://twitter.com/yas_igarashi/status/628705198626635777


「丁寧」や「選良」が重荷になっているし、無理がきているのではないか。と、おれは思っている。

「丁寧」や「選良」は、否定しようのない普遍的な価値と思っているひともいるようだけど、そんなことはないんだよな。精神主義でなければ、割と相対的なことだというのが実態だろう。

それは、暮らしも仕事も、カネと時間それにニンゲンが関係していることを考えれば、すぐわかりそうなものだと思うのだが、それがそうでもないのは、高度経済成長期からバブル期にかけて、暮らしや仕事やサービスに対し、限りなく高度な質を求める考え方が、一本調子で育ち、経済状況が大きく変わっても、そのまま惰性的に続いているからじゃないかという気がしている。

「高品位」「本物志向」「ワンランク上の生活」「無欠点運動」……そんな類の言葉がたくさん踊った、あの時代の品質についての考え方が、そのまま続いているかのような。

しかし、そのバブル期に、すでに「アンビテンデンツ」ということが指摘されていた。それは当時の日本を覆っていた「自らは本当に望まない生き方を、洗練し、効率よく人々に提供する矛盾した感情傾向」のことで、野田正彰さんは「これをエネルギーとして動く社会をつくり上げてきた私たちは、今これに頼らない別の生き方」を考えてみようと提案していた。

だけど、バブル崩壊後のデフレ下の厳しい経済状態のなかで、競争に勝ち抜くためにと、お互いに無理なことを求めあいながら続けてきた。

そして、硬直化した価値観のもと、少しのキズもゆるさないような、不機嫌が広がる。「クレームモンスター」だの「ブラック企業」だの、長時間労働低賃金の恒常化など。「丁寧」だの「選良」が「深堀され」もてはやされる一方で、労働の負担は増えるばかり。人格もなにもあったもんじゃない。

そこまでして、その品質が欲しいのか、必要なのか。それって、自己愛や自己陶酔のためじゃないのか。と、言ってみたくなる。

それに、もう、そういうことはやめよう、なにか「洗練」といった一本調子のことではなく、もっと多様な生活や仕事の「質」の在り方を考えてみよう、野暮でもいい、ラクチンにやってみよう、そのほうが新たな活力と経済成長への道だ、なーんて、なかなか言い出せない状況。そんなことを言うと、低レベルで意識の低い、手抜きな生活や仕事を肯定する者として、丁寧さんや選良さんたちに見下され否定されそうな雰囲気。ほんと、サスティナブルどころか、どん詰まり感のほうが強い。

これは、ヤバイと思うけど、こんなこと書いても、どうにもならないんだよな、と思いながら、気になるから書いてしまった。

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