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2015/10/22

東京新聞「大衆食堂ランチ」36回目、巣鴨・巣鴨ときわ食堂庚申塚店。

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あれやこれや「年内」という言葉が聞かれ、そこはかとなく年末のあわただしさが迫っている。

先週16日は第3金曜日で、東京新聞に連載の大衆食堂ランチが掲載になった。今回は、巣鴨ときわ食堂庚申塚店。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015101602000177.html

そこにも書いたが、巣鴨地蔵通り商店街には二つのときわ食堂がある。商店街の中央部、とげぬき地蔵に近いところにある店は、10数年前に大衆食の会をやったことがある。初参加のカンナさんが、毛糸の赤いパンツを買った衣料店は、いまでは専門の赤パンツ屋になった。

そのころは、庚申塚店のほうが本店だった。その後、とげぬき地蔵に近い方が、隣の店にも拡張し店舗を広げ改装(上の写真)、こちらが本店になり、前の本店は庚申塚店になった(下の写真)。ほかにも赤羽の西口のイトーヨーカドーの裏のほうにも一店あったのだが閉店、新たに駒込に出店した。

以前に一度、社長さんに会ったことがあるが、若く意欲のある方だった。そのときすでに会社組織になっていたが、ほかにも野方食堂など、若い経営者が「会社組織」で活躍する食堂がある。ビジネス手法やビジネスモデルを取り入れ、「脱家業」とでもいえるか。

会社組織で、ビジネス手法やビジネスモデルを導入することにより、厳しくなる経営環境で生き抜こうという方向でもあるだろう。必ずしも、「脱家業」イコール「脱生業」とは限らない。会社組織にしながら、生業的にビジネス手法やビジネスモデルを導入することは、いくらでもある。

会社組織にする利点は、経済的にいろいろあるが、社長の立場では、自己評価がより客観的に行われることがあるだろう。組織や集団のなかで人間は鍛えら成長する、ってことで、これは従業員も同じ。ただ、経営手法というのは、ハサミと同じで使い方によるから、必ずプラスに働くとはかぎらない。

バブルのころの若い飲食店経営者は、意欲というより「野心」であり、会社組織で客観的な自己評価をやれるはずの利点やチャンスを自ら潰し、王様女王様気取りで自分の好きなように金や人を動かして「有能」と思い込んでいた人が少なくなかった。

経営というものは、5年10年ぐらいではわからないことが多いのに、2年か3年続いたぐらいで、わかった気になってしまう。それを持ちあげる人たちがいる。とくに「成功事例」ばかりを追うメディアの存在などがそれで、自分が載ったメディアを見ては、自分は成功者の仲間に入ったと思い込む。

まわりに持ち上げる人間だけをおきたくなるのは、人間のサガかも知れないが、そのサガに自分がふりまわされていることに気づかず、チヤホヤの泥沼にはまる。

ようするに「上ずった生き方」である。これは経営能力以前の、人間としての問題だろう。たいがいバブル末期から崩壊にかけて、姿を消した。

では、バブル崩壊後は、そういう「上ずった生き方」は減少したかというと、そうでもないのだな。

確かに、バブル崩壊後は、失われた何十年ってことで、経営環境は厳しい。とくに参入が容易な飲食店経営は競争も激しく大変だ。「上ずった生き方」が入りこむ余地はなさそうだ。しかし、やはりチヤホヤ持ち上げる人たちはいる。そういうことで食べている人たちはいるのであり、とくに「コンテンツ産業化」したメディアまわりの、そういう人たちは減ってはいない。

だけど、大衆食堂というのは地味な分野だから、「上ずった生き方」の人たちが、この分野に参入して意欲を燃やすことはほとんどないようだ。

そういう話はともかく、ここの定食は、800円台以上が多いが、メニュー構成はなかなか考えられていて、おもしろい。飲食の値段というのは、実際の数値以上に、「値ごろ感」が大きな比重を占める。そのあたりを、よく読んでいるようだ。

今日は忙しいので、その話は、またの機会に。

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