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2015/10/31

『雲遊天下』122号に、南陀楼綾繁『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター)について書いた。

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一昨日、『雲遊天下』122号が届いた。南陀楼綾繁『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター)について書いているのだが、編集の五十嵐さんから、この本の書評を書いてくれとメールをいただいたときは、一瞬ウロタエタ。

なにしろ、南陀楼さんは、書評のプロだ。やりにくい。とは思ったが、この本については、いい本だなと思っていた。だから、その読後感ぐらいに書こうと、引き受けた。

約千字で1ページ、タイトルは「著者の外れぐあいに学べ」。

いい本だなと思ったのは、本とまちについて、けっこう大事なことを、大上段にではなく、南陀楼さん自身の本と旅の体験から語っているからだ。そこのところを、この原稿で十分紹介できたかどうかは、わからない。ほんとうは、もっと書きたかった。

「まちづくり」とやらにしても「本」についても、近頃は「外れる」ことを恐れすぎているのではないかと思うことが多い。もしかすると、「外れる」のは悪いこと、という価値観がのさばっているのではないか。

「外れる」ことは活力のもとであることを、忘れているのか、気づいていないのか。そんなことを考えることが多いところに、この本が届いたのだ。

南陀楼さんはツイッターに、「遠藤哲夫さんの『ほんほん本の旅あるき』書評は嬉しい。最後の2行でビシッと叱咤された気持ちに」と書いていた。

最後の2行。うふふふふ。

ま、読んでください。

『雲遊天下』の特集は「New Morning」。誌面がリニューアルされ、新しい連載も始まり、グッと充実した。ますますよい「外れぐあい」。どなたかが言っていたが、まさに「徘徊誌」という感じだ。

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歌舞伎町から六本木・森美術館のち新橋で泥酔。

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チョイと忙しいので、昨日のこと、メモ。

042昨日の夜は、森美術館で今日オープンの「村上隆の五百羅漢図展」の内覧会へ行き、そのあと飲む予定だった。ところが編集さんから、おれが原稿を書くことになっていたお店の取材を午後にやるという連絡があった。取材しないで書いてもよい原稿なのだが、写真を担当するのがケイゴさんとあっては、これは是非とも行きたい。行って、一緒に酒も飲みたい。ということで、14時半に歌舞伎町に着いた。

取材は無事に進行。まずはその店で一杯。混雑が始まる17時近くに店を出て、編集さんとわかれ、ケイゴさんと思い出横丁の鳥園へ。森美術館の受付は19時までだから18時半ぐらいに六本木に着けばよいだろうと思って飲んでいるうちに、もっと一緒に飲みたい。なにしろ、めったに飲む機会がない。ちょうど一年ぶりぐらいだ。では、ついでに一緒に内覧会を見て、飲もうではないかということになった。

猥雑な歌舞伎町からスカした六本木へ。

おれは招待状を持っていても、同行者が入場できるかどうかわからなかったが、そこはまあ、同行者だけを追い返すということは実際にはできないわけで、一緒に入場。そうとう混雑するだろうと思っていたが、混雑のピークは過ぎていたらしく、思っていたより空いていて、するすると見ることができた。

つい、以前この会場で開催の会田誠展と比べてしまうのだが、会田誠展のときは若い学生ぐらいの感じのひとが多かったが、こちらはドレッシーな大人、それも外国人が多い。なるほどねえと思いながら、なるほどナルホドの作品を見る。

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途中でH岡さんと連絡をとり、会場外で待ち合わせ。同じ会場にいたS木さんもすぐに合流。さあ、どこへ行こう。渋谷はハロウィン騒ぎで大渋滞らしいから、新橋へ行こう。新橋ならハロウィンは関係ナシだろう。その想像通りで、ハロウィンの気配もない、正しい大人の町。だが、給料あとの週末とあって、どこも大混雑。それでも大箱の多い新橋のことだから、座れる店はある。

ケイゴさんとほかの2人は初対面であるが、なにかと共通の知り合いも多く、あれやこれや話がはずむ。H岡さん、S木さんとは春の大船鎌倉以来だし、楽しい。それで、ようするに、泥酔帰宅だった。

ケイゴさんとは、いつものことだが、なかなかよい仕事だったし、よい酒だった。

森美術館「村上隆の五百羅漢図展」の案内はこちら。
http://www.mori.art.museum/jp/index.html

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2015/10/29

味覚の許容度は人間の寛容の幅であるか。豊橋土産のみそだれとあんかけスパゲティ。

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「そこになにがどうあるのか、なぜそこにそれがそのようにあるのか」。これは、おれの方法の基本であることは、何度も述べた。相手がひとだろうが、食べ物だろうが、本だろうが、なんだろうが、そういうアプローチだ。

こういうことであれば、自分の好みによって簡単にダメをだすことはないし、立場や見解が異なるからといって切り捨てることはない。検討を加え、ときには批判を加えつつも、排除にいたることはない。なにより、短絡を避けられる。

リアリティというのは、ひとそれぞれで異なるものだ。そこをどう理解していくかであり、そのために異なるリアルを生きるひとの本を読んだりもする。

いろいろなものを食べてみることも、いろいろな本を読むのに似ている。すでにわかっている、自分好みのものばかり好んで食べたり、読んだりしていても、世間にたくさんあるところの異なるリアルを、理解はおろか知ることすらできない。

とか、もったいぶった書き出しをしてみたが、なんのことはない、チョイと大げさに書くと、「うーむ、これは奇怪な」という味に出あったのだ。それからというもの、そのことを断続的に考えている。

それは、去る10月10日、野暮酒場で72歳の誕生祝いにもらった、まりりんの豊橋土産だ。まりりんの豊橋土産は、これまでも何度かもらって試食しているが、ま、これは、ほら、なんとなく「中京」の味だよねという範囲に収まっていた。おれの体験でいえば、コーミソースや八丁味噌に通じるような。

ところが、今回の「みそだれ」と「あんかけソース付スパゲティ」であるオーギ亭の「チャオ」は、そういう枠をぶちやぶったのだ。この味をうまく表現することすら、まだできない状態だ。

001002「みそだれ」は、豊橋市の小田商店の製品であり、使い方は書いてないが、ラベルには鍋や奴やフライややきとりに使っているイラストがある。豊橋のひとには、それで通じるのだろう。

もしかすると、おれはその用い方の根本が間違っていたかもしれない。というのも、これで納豆をとき、ぶっかけめしにして食べたのだ。

順序からいうと、まず「みそだれ」をなめてみたとき、これをこのままめしにかけて食べたらどうだろうと思いついた。味噌おにぎりがあるぐらいだから、いいかも、と思った。気分は、ぶっかけめしだ。

そのとき、冷蔵庫をあけたら、たまたま納豆があった。

おお、いっそのこと、納豆も一緒にと思った。そのとき、まて、納豆を味噌でとくことはあるのか、と考えてみればよかったかもしれない。

とにかく、やってしまった。

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もう、色からして、すごい。なにやら、濃い。

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これは、あれだ、あの神田森莉さんの「不味そう飯」(http://poor-foodj.blogspot.jp/)の世界ではないかと思った。しかし、食べ物は、食べてみなくてはわからない。

食べてみた。ちょっと、これまでにない世界だ。味噌味も独特の濃さだし、その濃さに負けない甘みの濃さ。なんて濃いいいいいいい、んだ。

そして、「チャオ」だ、「あんかけスパゲティ」だ。これは、太さ2.2ミリの麺と、レトルトパウチに入った「あんかけソース」が一緒の袋にセットになっている。袋にある作り方にしたがって、作った。

作る前から想像はできたが、食べてみると、想像以上で、やはり、これまでにない世界。味は、コーミソース的な範囲かと思われたが、その味と太い麺とあんかけのまったりな食感が一緒になると、これはもう「異世界」。

そうして、これらの味覚について、よい表現が見つからないまま、考えている。

豊橋の味を詳しくは知らないが、以前に、在来線豊橋駅の改札のなかにある立ち食いのきしめんを、評判だからと、わざわざ新幹線を途中下車して食べたことがある。それは、少し濃いめの味だったが、「異なる世界」を感じることはなかった。

その味と、この「みそだれ」や「あんかけスパゲティ」が豊橋人の日常に同居しているとなると、豊橋人の味覚を許容する範囲は、そうとう幅があるのではないか。そう考えると、なかなか寝付くこともできず、天空をにらむのだった。

豊橋といえば、愛知県でも尾張名古屋のほうではなく、東の三河である。あの徳川タヌキオヤジも、そういう味覚で育ったのだろうか。それゆえ、タヌキオヤジといわれるようになったのか。だとすると、タヌキではなく、「寛容」のひとになりそうだが、ま、権力を昇りつめた男だから、どうだかなあ。

あらぬ妄想が湧くのだった。

とにかく、豊橋の味覚のリアルは、幅があるようで、楽しい。そういえば、まりりんの個性、色の好みなどは、この豊橋的なのかもしれない。

なぜそこにそれがそのようにあるのか。とりあえず、そういうことで、豊橋の味覚が気になっている。

東京は、日本中世界中の味覚が集まっているといわれるけれど、たいがい東京好みにして受け入れられている。東京の味覚の幅は、あんがい、広くないように思う。

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2015/10/28

ひさしぶりに、高尾山へ登ったこと。

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今月14日は朝から陽気がよく、10時ごろに、突発的に「山へ行こう」ということになった。わが家で「山へ行こう」は「日光へ行こう、戦場ヶ原へ行こう」と同じ意味だが、いくらなんでも思いついたのが遅すぎる。どうしても、少し山歩きをしたい、だけど疲れるほどは歩きたくない。この時間から行けるところを調べたら、高尾山があるではないか。高尾山口駅まで2時間あれば十分、さらにケーブルカーを利用すれば楽勝まちがいなし。行くぞ。

京王線がトラブルで電車の遅れもあったが、高尾山口に着いたのは13時すぎ。高尾山に登るのは20数年ぶりぐらいだろう。この間に、この山は、ミシュランのなんたらで有名になり人気急増、駅まで建て替わり、すごいことになっていた。平日なのに、人が多い。外国人も多い。これから登る人も多い。

015まずはコンビニでおにぎりを買って、清滝のケーブルカー乗り場へ。高尾山は、1960年代から80年代に、20回以上は登っていると思うが、ケーブルカーに乗るのは初めて。

なにしろ修験道の山だ。山容は、けっこう険しく、急傾斜のケーブルカーだ。森林のなかをウンウン走り登る。標高472mの高尾山駅に到着は、13時40分すぎ。599mの山頂までは約1時間の歩き。

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舗装された都道でもある「1号路」を歩き、高尾山薬王院を経て頂上へ。お手手つないでのカップルから、シッカリ登山装備の山ガールや老若男女。善男善女かどうかはわからない。途中で休憩しコンビニおにぎりを食べる。

043薬王院をすぎ、舗装がなくなっても、よく整備された広い登山道。ところどころキツイ登りがあり、息がゼイゼイ、アゴがあがる。展望が開ける頂上に着いたのは、14時40分ごろ。丹沢方面は見えたが、富士山は雲の中だった。

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頂上は、展望は変わらなくても、まるで様子が違っていた。以前は普通の山頂で、いささか土が露出している面積が広かったとはいえ、土だった。それが全面舗装なのだ。缶ビール、レギュラーの値段が380円だか90円で、いくらなんでも飲む気がしない。

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よく登っていたころは、最も登山道らしい、沢沿いの「6号路」を登り、下りは4号路から蛇滝を経由して高尾山口へ出るコースを利用した。

このまま舗装道ばかり歩いても、山歩きをした気がしない。そこで4号路を通り、ケーブルカー高尾山駅の少し上で1号路に出て、そのまま歩いて下ることにした。

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4号路は、昔のまま山の中の登山道という感じであった。ここは野鳥観察によいコースだったのだが、いまは人通りも多いから、どうかわからない。前はなかったと思う吊り橋を渡る。

069001舗装の1号路にもどり高尾山駅を過ぎると、初めて歩く下りだが、これが急な下りで、けっこう足にくるので疲れた。1時間少々歩き、清滝に着くと、ただちにベンチに腰かけるアリサマ。ケーブルカーの駅の時計を見たら、16時10分ごろだった。

073ラッシュに巻き込まれたくなかったので、ビールをがまんし、東大宮に着いてから飲んだ。筋肉痛がひどくなるかと思ったが、それほどでもなく、ちょうどよい運動になった。その後、快調。やはり、息が切れるほど歩いた方がよいのかな。

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2015/10/27

出張「円盤」レコード寄席@北浦和クークーバード。

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昨日は発作的に、北浦和クークーバードのライブ、出張「円盤」レコード寄席というものに行った。これは、高円寺の「円盤」という店、どう説明したらよいだろう、「中古レコード店」ということになるのか、その店主の田口史人さんが、レコードをまわしながら語るものなのだ。

とくに予定していたわけではなく、ここのところ、けっこう根をつめた仕事が続き、もともと根が続かないおれの脳ミソは煮詰まり腐り気味だったので、一丁リフレッシュするかと、北浦和クークーバードのライブ・スケジュールを見たら、ちょうどいいあんばいに、これだったのだ。早速予約。

夕方早目に出て、まずは軽く一杯入れて体制を整えようと、地元のキッチンガルプのカウンター。酒豪のK女さんがすでに飲んでいて、おしゃべりしながら、生ビールと白ワイン。おしゃべりがはずみ、19時オープン20時スタートだったのだが、19時40分ごろ着いた。

カウンターにはハニカミ王子さんの姿があるではないか。先日、鬼子母神御会式のわめぞ桟敷で一緒だったばかり。お互い埼玉の人間だし、彼は、クークーバードに古本棚を持っているから、会っても不思議ではない。

で、彼の古本棚を見たら、辻征夫の『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』が300円だったので即買い。ここのところ、辻征夫の『辻征夫詩集』(岩波文庫)も買って読んでいる。

なぜならば、小沢信男さんの、アノ、アレで知ってから、気になって読みだしたのだと、王子さんに話すと、彼はスラスラと『本の立ち話』と『通り過ぎた人々』をあげた。だが違う、それを読んだときはそれほど気にならなかった、そうではなく一昨年の末に発行になったアレだよ、というのだが、その本の名前が出てこない。いとカナシ。おれが、今世紀になって最も痛快でおもしろいと思った本なのに。ボケだなあ。王子さんは読んでないらしく、本の名前が出ない。

帰って本を見たら、『捨身なひと』だ。晶文社の編集者、中川六平さん最後の仕事というか、中川さんが小沢さんに持ちかけ、「初校がかたづいたころおいに、その六平氏が急逝の報!」と、小沢さんが「あとがき」に書いている。カバーの絵が、四月と十月同人のミロコマチコさん。

この本は、出版と同時ぐらいに著者の小沢さんからいただいて、もう何度も何度も読んでいる。そして、辻征夫のことが、ずいぶん気になって、今年の2月に岩波文庫から『辻征夫詩集』が出ると、すぐ買ったのだった。これも、もう何度も読んでいる。

王子さんと話すとき、「辻征夫」を「つじまさお」と読んでいたら、「ゆきお」ですと訂正された。おお、そうだ、おれは「征夫」を「まさお」と読むのがクセになっている。辻征夫は、おれより4歳早い、1939(昭和14)年生まれ。生まれたときは、たしか、父は戦地で家にいない。おそらく出征前につけた名前だろうかと思う。

おれは1943(昭和18)年生まれで、同じ齢のイトコが「征子(せいこ)」、同じ齢で同じ町内の友人が「征夫(まさお)」、この2人の父親は名前を言い残して出征し、戦死した。辻征夫の父は、無事に復員した。

それはともかく、かねがね、おもしろいと評判の「レコード寄席は」、ほんとうにおもしろかった、いや、すごくよかった。脳ミソがリフレッシュされた。同時に酒で濁った感じもあるが。

毎回テーマを決めてやっているらしいんだが、今回は、とくにそういうものではなく、田口さんの『レコードと暮らし』(夏葉社)の発刊記念出張販売寄席という感じのものだった。

レコードといえば「音楽」だ。「レコードと暮らし」とあれば「音楽と暮らし」。そう考えるのが一般的だろう。ところが、違うのだ。「音楽を売るために作られたのではないレコード」というのがある。それは、とくに「ポターブル・プレイヤー」と「ソノシート」なるものが出回るころに盛況となり、アナログからデジタルになったいまでも続いている、「自主制作盤」だ。

田口さんは『レコードと暮らし』のなかで、「レコードが、もし「音楽を伝えるメディア」としての機能でしかなかったら、CDの普及によって消えてもおかしくないはずです。実際、音楽メディアの主流がCDに移行したころ「レコードは消える」と思われていました。しかし、そうならなかったのは、レコードには「音楽を伝えるメディア」だけではない割り切れない、なにかがあったからなのだと思います」と書く。

そのことを、田口さんが、実際に例となるレコードをまわしながら(もちろんCDもある)、語った。

それは、「生々しく、その時代の、その地域の、その文化に属していた人々の、「当たり前の暮らし」や、「作り手の気持」が感じられます。そこを聞いてみよう」というものだった。

なんとまあ、おれの考える「大衆食的」なことか。音楽的、文学的、芸術的、科学的、技術的、表現的、に、「上質」であるとか、「上等」であるとか、とは違う「よさ」がある。

聞きながら「いいねえ」と思った。思わず、「いいねえ」と声も出た。

最近、「いい町」や「いい店」を考えるキッカケがあり、あれこれ考えた。「いい」ってなんだろう、どういうことなのだろう。おれなりに一つの解はあるのだが。とにかく、いいレコード寄席だったし、いま読みはじめている『レコードと暮らし』は、まれにみる「いい本」だ。

2200円で、これなら一回は、酒を酔うほど飲めるなと思いながら買ったが、買ってよかった。

カバー絵、見たことがある感じだなと思ったら、四月と十月同人の加藤休ミさんだった。ご活躍で、なにより。

田口さんは、始めるときは途中で休憩を入れるようなことを言っていたが、始まったら怒涛のレコードまわしと語りが、おもしろい初体験的な連続で、終わって気がついたら、22時50分。

とてもよい光明を得た。このトシになって。このトシだからこそ。

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2015/10/26

熊本日日新聞の記事に載っているよ、高岡さんからメール。

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今月で、ここ東大宮に引っ越してから7年たったが、生来の無精者で住所変更の知らせを出してなかった。年賀状も出してないから、おれの連絡先がわからなくなってしまった方もいる。熊本県は三角の高岡オレンジ園の高岡さんも、その一人で、すごくお世話になった方なのに、連絡をしてなかった。ほんと、失礼ばかりで、申しわけない。

と言いながら、無精は改まらない。なんでも、自ら反省し改めることは、20歳代ぐらいまでに身につけないとダメだそうで、そのあとは、加齢と共に柔軟性を失い、反省ができないガンコでゴウマンな動物になっていくらしいのだ。ということが、最近読んだ本のどこかに書いてあった。はあ、もう手遅れだ。

それはともかく、その高岡さんから、メールをいただいた。去る10月11日のこと。おれはザ大衆食のサイトに公開しているメールアドレスがあるから、それをご覧になったのだろう。

その日の熊本日日新聞の1面のコラムに、おれの書籍からの記事があったので添付しますと、画像まで付いていた。

ありがたいことだ。不義理ばかりを重ねているのに、うれしいやら、すまないやら。

高岡さんとの出会いは、忘れられないし、その年のみかんシーズンに、高岡さんのみかん畑を訪ねたり、一緒にみかんの販売をしたことも、忘れられない。

あれは1990年ごろ。まだ「無農薬有機栽培」は、ほんの一部のことで(いまでも、メディアで騒がれる割には、一部のことなのだけど)、高岡さんも取り組みだして、たしか5年ほどだったか。

土壌から変えて、せっかくうまくできたみかんを「見た目が悪いから」と農協は引き取ってくれないし、たいがいの消費者にも相手にされないという状況だった。いまからは想像つかないほど、困難なころ。

高岡さんと初めて会ったとき、高岡さんは、こんなにちゃんと作っているのにと、やりばのない怒りのようなものを込めながら、虫除けに使う自家製の木作液を、おれの前で飲んでみせ、人間が飲んでも大丈夫なものを使っているんだと言った。

あのころ、宅配便という巨大システムがあったから、助かったともいえる。おれは、「見た目が悪いのがうまいしるし」だったかな、そんなコピーを書いて、当時の知り合いルートを発掘し、販売の手伝いをした。主に、東京の人たちが、相手だった。

なんでも「無農薬有機栽培」でありさえすればよいかのようにチヤホヤされる昨今からすると、考えられないことだ。

高岡さんも60歳を過ぎた。続いているのは、素晴らしい、よかった。そればかりでない、東京圏にいた息子さんが帰り、就農しているとメールにあった。こんなにうれしいことはない。いやあ、よかった。

ほかの例にもれず、みかんも市場は縮小している。楽ではないだろう。でも、なんとかする道はあるだろう。オレンジ自由化があっても生き延びてきたし、「無農薬有機栽培」に対する無理解の壁も乗り越えてきたのだ。

高岡さんとは1シーズンだけの短い付き合いだったが、濃い付き合いだった。
ザ大衆食のサイトに掲載の「熊本県三角町、高岡さんのミカン」もご覧ください。
これは、2002年10月28日の掲載だから、13年前。いまでは、高岡さんのみかんは、大人気。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/takaoka.htm

おれは「無農薬有機栽培」でありさえすればよいという考えではないし、実際をいろいろ見て来て、誰でもどこでも「無農薬有機栽培」で経営が成り立つとは思っていない。ハヤリだからと取り組んで、栽培的にも経営的にも失敗した例もある。人的要素、自然的要素に左右されやすい。まだまだ、これからだし、大多数の日常の食生活を支える、慣行栽培の向上も必要だと思う。

その話はともかく、高岡さんが送ってくれた、熊本日日新聞のコラムは「新生面」というのだが、食べ物の豊かさやうまさにふれて、おれの『大衆めし 激動の戦後史』から引用があり、つぎのような文章になっている。

「▼衣食住の豊かさとか言われるが、食と衣住は違う。「食は(食べられて)カタチを無くし、良しあしの判断は味覚にゆだねられるところにある」と「大衆めし 激動の戦後史」は書く(遠藤哲夫著、ちくま新書)▼当然と言えば当然の話だが、食べる人の気分や懐具合などで食べ物の評価は違ってくる。そこがおもしろいところだ。本格そばでも立ち食いそばでも、うまいときはうまい」

とかくアタリマエのことを書いても、アタリマのこととして見過ごされやすいのだが、アンガイそのアタリマエをわかっていないことが多い。うまく引用していただいてうれしいね。

「食べる人の気分や懐具合などで食べ物の評価は違ってくる。そこがおもしろいところだ。本格そばでも立ち食いそばでも、うまいときはうまい」。そのように、もっと自由に食を楽しみたい。

高岡さん、ありがとうございました。死ぬまでに高岡さんに会いに行きたい。

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2015/10/25

火事で中止になった、鬼子母神御会式をわめぞと楽しんだ。

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去る18日の日曜日は、恒例の鬼子母神御会式だった。わめぞ一味が企画運営する、みちくさ市の会場である鬼子母神通りが、行列の通り道なのだ。ってことで、この夜は、みちくさ市のときは本部になるガレージが、わめぞ一味の桟敷のようなものになる。そこで飲み食いしながら、太鼓を叩き、行列を迎える。以前に行ったことがあるが、とにかく楽しい催しだ。

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お誘いをいただいたので、酒を買い、19時に着いた。行列はまだなので、飲みながら待つ。わめぞ一味が、つぎつぎにやってくる。料理を作って持ってくる人もいる。飲みものも、たくさん集まる。

たしか池袋駅東口あたりが出発地だったと思うが、その行列の先頭が着いたのは20時半近くだった。それから途切れることなく、講や連の集団が、鉦太鼓笛を鳴らしながら、纏いをふり、万灯をかついだりひいたり、通ってゆく。

飲み食いに専念していたわめぞ一味も、太鼓を手に飛び出す。。

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どんつく、どんつく、それぞれの講や連ごとに拍子がある。以前は、太鼓をたたきながら、跳ね踊ったおれだが、もうそういう疲れることはやる気がしない。写真を撮ったあとは、どっかり腰をおろして、飲みながら見物だ。

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前の道を鬼子母神へ向かう行列も人出も、ますます絶好調。町の人たち、この日が楽しみなのだねえ。

と、なにやら火事という声が。いまはツイッターで、たちまち情報が飛び交う。建物から火が噴出している写真もあって、本当らしい。しかも、行列の通り道だという。大丈夫か、と思う間もなく、中止の知らせ。なんということだ、そんなことがあるのか。

やれやれという感じで、わめぞ一味も飲み食いにもどる。その時間になってから来る人もいる。

前の通りは閑散。しばらくして、中止で帰っていく集団が、ぽつんぽつんと2、3組通った。なんだか、後ろ姿が寂しそう、鉦太鼓も、寂しそう。

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そうして秋の夜は更けていくのでした。

おれは、しこたま飲み、22時過ぎに、ほろ酔い気分で退散。また来年を楽しみに、一年がよりよく過ごせますように。観光的な演出があるわけではない、それぞれが思い思いに迎えるこの夜は、中止とはいえ、しみじみそんな気持になるのだった。

あとでわかったことだが、火事はとんかつ屋さん。油を火にかけたまま、御会式の行列を見物していて出火とか。

11月15日は、ことし最後のみちくさ市がある。みちくさ市で、会いましょう。
詳しくは、こちら。
http://kmstreet.exblog.jp/

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2015/10/24

アート展ハシゴ。その2 Arflex×ミロコマチコ「たいようのねっこ」展。

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前のエントリー、スソアキコさんの「古墳と山高帽展」の会場を16時過ぎに出て、向かった先は恵比寿。アルフレックスジャパンで、この日オープンのミロコマチコ「たいようのねっこ」展を見るためだが、18時からライブペイント、続いてレセプションがあるから、これに参加しようと、同行1名、Arflexと取り引きがある会社のインテリアコーディネーター。

恵比寿に着いたが、時間が早すぎる。会場へ向かう途中、ワインバーだの、こじゃれた店ばかりのなかに、昔のまんまの「村さ来」があった。かつては、都内どこにでもあるという感じだったが、いまではなかなか見かけることもない村さ来。まわりじゅうがこじゃれていくからこそ、生き残ったか。こういうところへの需要も普通にあるのだよな。

80年代は、よく千駄ヶ谷の村さ来で飲んだ。ワニの肉やカンガルーの肉などを初めて食べたのは、この店だった。そのたぐいのメニューも健在。ま、でも、軽く、簡単なつまみと生ビール2杯だけにして、会場へ。

さて、村さ来とは格差ありすぎ、こんなことでもないと縁がない高級家具のブランドのショップ。ミロコさんは、2012年に『オオカミがとぶひ』で日本絵本大賞を受賞してから、『てつぞうはね』講談社出版文化賞絵本賞、『ぼくのふとんは うみでできている』で小学館児童出版文化賞を受賞、最近は『オレときいろ』が2015年ブラティスラヴァ世界絵本原画ビエンナーレで金のりんご賞を受賞した。ネームバリューについてはArflexに負けてはいないが、Arflexとの組み合わせはどうか、昨年は伊勢丹のクリスマスディスプレイのメインヴィジュアルを担当し大反響だっただけに、興味津々。

ま、とにかく、写真を見てもらいましょう。エントランスの横に、ミロコさんの絵が描かれたソファなどがあり、もう壁だけではなく天井からつるしたり、足元の植木にも、高級家具が並ぶショップのなかは、ミロコジャングルという有様だった。

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いいねえ、あいかわらず、のびのび、おおらか、力強い。食にたとえるなら、ぶっかけめしのような。あはははは、Arflexの家具でぶっかけめしも悪くないかも。自由な生命力と愛ですよ。

18時からのライブペインティングもよかった。横長のスペースの中央上部に、いきなり黄色で、太陽らしき、塗りつぶしから始まった。ミロコさんが『ホロホロチョウのよる』に黒い太陽を描かないと落ち着かない、というようなことを書いていたのを思い出し、太陽を黄色にするのだろうか、いや最後に黒く描きこむかも、と考えているうちに、音楽と共に、どんどん描きすすむ。オオカミらしき姿があらわれてくるまで、どんな絵になるのか、まったくわからなかった。

もう描かなくていいんじゃないかなと思っていても、どんどん描きこむ、どんどんよくなる。そして、音楽の演奏が予定していた全曲終了と同時ぐらいに描き上がった。「おはよう、たいよう」のタイトル、太陽は最初に描いた中央上部に黄色く残った。

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音楽の演奏もよかった。とくに、ボーカルの神田智子さんの声が素晴らしく、スキャットなのかどこかの原住民の言葉なのかという感じのものもよかったが、「My Favorite Things」に聴きほれた。ミロコさんのリクエストもあって、最後に、もう一度アンコールで聴いたのだが、帰りに口ずさんでいるうちに、ウチにもテープかCDであったはずだと思いだし、帰ってから探して見つけた。

レセプションはワインなどをいただきながら、会場をウロウロ見て回る。ミロコさんと同じ「四月と十月」の同人の方も何人か来ていた。スソさんの会場からハシゴという同人もいた。あれこれ、おしゃべり。

そうそう、会場に着いたころ、ミロコさんは、せっせと絵を描いていた。会期中にも描き足していくのだとか、「○曜日までにはおわらせたいのだけど~」。

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ミロコさんは、絵本大賞をもらって一躍有名になる以前、2011年9月に四月と十月文庫から画文集『ホロホロチョウのよる』(港の人)を出版している。黒くない太陽を描くようになったけど、人となりは、その本のままだ。『ホロホロチョウのよる』をまだ読んでない方、この会場にも足をお運びください。そこでも売っています。

会期は11月3日(火・祝)まで。
案内は、こちら。これからもライブペンイントやワークショップがある。
http://www.arflex.co.jp/mirocomachiko/

おれは同人ではないけど、「理解フノー」の連載をしている、美術同人誌「四月と十月」については、こちら。
http://4-10.sub.jp/

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2015/10/23

アート展ハシゴ。その1 スソアキコ「古墳と山高帽」展。

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昨日の22日は、アート展を二つハシゴした。どちらも初日だったが、最初に、毎年いつも楽しみのスソアキコさんの「古墳と山高帽」展、そのあと、Arflexとミロコマチコさんのコラボ「たいようのねっこ」展へ行った。

ただいま忙しいので、とりあえず、会期が短く10月26日までのスソさんから。

もうスソさんの帽子展は、何回も行って、このブログでも何度も紹介したけど、とにかくいつも楽しい。今回は、その楽しさが何倍増の、スソさんが愛してやまない古墳展が一緒なのだ。

15時過ぎに会場のTOBICHI②に着いた。1階の「古墳展」会場は、スタジオ828(ハニワ)とショップ520(コフン)になっている。

「ショップ520(コフン)」は、スソさんの友人たちによる古墳・ハニワをモチーフにした本・作品・グッズを販売。ホンモノを見たことがある土偶などをモチーフにしたものもあった。楽しい、古墳や古代遺跡を訪ねたくなる。

こんなのがあったとは知らなかった、金沢のコラボン・パブリッシングから発行の、『スソアキコのひとり古墳部』石川編、その1、その2、その3を購入。

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003「スタジオ828(ハニワ)」では、スソさんが描いたハニワ「顔出し看板」があって、これで顔出し撮影したものを、その場でプリント。ハニワの形に切り取って、大きな古墳写真に貼る。あとでこれをスソさんが審査、大賞1名には、スソさんの山高帽が賞品として贈られるという豪勢なプログラム。

スソさんは美術同人「四月と十月」の元同人で古墳部長だったから、そちらの関係の知り合いもあらわれ、あれこれオシャベリしたり。

2階へあがると「山高帽展」だが、階段にも縄文から古墳の展示がある。スソさんが収集したものもあるのだ。遺跡で掘ったのだろうか?

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山高帽展は、昨年のデザインに新たなデザインも加わり、ますます充実。80点ほどだが、100点をめざし、会期中にも制作する予定とか。

いつものようにかぶって見ては写真を撮ったり。下の写真でおれがかぶっているのは、ハニワがかぶっている帽子をモチーフにした山高帽。スソさんの古墳愛と帽子愛のコラボだ。

不思議なもので、展示してある帽子を見たときは、え~こんなのかぶるの、と思うようなものでも、かぶってみると、なかなかよいのだ。ニットの実用的なものもあって、去年は一つ買い愛用している。かぶると気分が変わる。もしかすると、自分で自分を見誤っているかもしれない、ということに気づくかもしれない。帽子は、ある種、仮面に近い変身用具でもあるね。

オレンジのかっこいい山高帽を買ったのは…、とにかくオレンジが好きなひと。

みなさん、ぜひ、行って、帽子を頭の上にのせてみてください。
古い二階建て木造を再利用した会場のすぐ裏は、青山墓地。

会期は、来週月曜、26日まで。
こちらに案内があります。
http://www.1101.com/tobichi/suso/

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続いて、今日明日中に、ふだんは大衆には少々近づきがたいが、こういうときこそ入ってみよう、恵比寿にあるArflex東京ショールームをミロコジャングル化した「たいようのねっこ」展と、ジャングルにいるようなライブペインティングの様子をアップします。

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2015/10/22

東京新聞「大衆食堂ランチ」36回目、巣鴨・巣鴨ときわ食堂庚申塚店。

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あれやこれや「年内」という言葉が聞かれ、そこはかとなく年末のあわただしさが迫っている。

先週16日は第3金曜日で、東京新聞に連載の大衆食堂ランチが掲載になった。今回は、巣鴨ときわ食堂庚申塚店。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015101602000177.html

そこにも書いたが、巣鴨地蔵通り商店街には二つのときわ食堂がある。商店街の中央部、とげぬき地蔵に近いところにある店は、10数年前に大衆食の会をやったことがある。初参加のカンナさんが、毛糸の赤いパンツを買った衣料店は、いまでは専門の赤パンツ屋になった。

そのころは、庚申塚店のほうが本店だった。その後、とげぬき地蔵に近い方が、隣の店にも拡張し店舗を広げ改装(上の写真)、こちらが本店になり、前の本店は庚申塚店になった(下の写真)。ほかにも赤羽の西口のイトーヨーカドーの裏のほうにも一店あったのだが閉店、新たに駒込に出店した。

以前に一度、社長さんに会ったことがあるが、若く意欲のある方だった。そのときすでに会社組織になっていたが、ほかにも野方食堂など、若い経営者が「会社組織」で活躍する食堂がある。ビジネス手法やビジネスモデルを取り入れ、「脱家業」とでもいえるか。

会社組織で、ビジネス手法やビジネスモデルを導入することにより、厳しくなる経営環境で生き抜こうという方向でもあるだろう。必ずしも、「脱家業」イコール「脱生業」とは限らない。会社組織にしながら、生業的にビジネス手法やビジネスモデルを導入することは、いくらでもある。

会社組織にする利点は、経済的にいろいろあるが、社長の立場では、自己評価がより客観的に行われることがあるだろう。組織や集団のなかで人間は鍛えら成長する、ってことで、これは従業員も同じ。ただ、経営手法というのは、ハサミと同じで使い方によるから、必ずプラスに働くとはかぎらない。

バブルのころの若い飲食店経営者は、意欲というより「野心」であり、会社組織で客観的な自己評価をやれるはずの利点やチャンスを自ら潰し、王様女王様気取りで自分の好きなように金や人を動かして「有能」と思い込んでいた人が少なくなかった。

経営というものは、5年10年ぐらいではわからないことが多いのに、2年か3年続いたぐらいで、わかった気になってしまう。それを持ちあげる人たちがいる。とくに「成功事例」ばかりを追うメディアの存在などがそれで、自分が載ったメディアを見ては、自分は成功者の仲間に入ったと思い込む。

まわりに持ち上げる人間だけをおきたくなるのは、人間のサガかも知れないが、そのサガに自分がふりまわされていることに気づかず、チヤホヤの泥沼にはまる。

ようするに「上ずった生き方」である。これは経営能力以前の、人間としての問題だろう。たいがいバブル末期から崩壊にかけて、姿を消した。

では、バブル崩壊後は、そういう「上ずった生き方」は減少したかというと、そうでもないのだな。

確かに、バブル崩壊後は、失われた何十年ってことで、経営環境は厳しい。とくに参入が容易な飲食店経営は競争も激しく大変だ。「上ずった生き方」が入りこむ余地はなさそうだ。しかし、やはりチヤホヤ持ち上げる人たちはいる。そういうことで食べている人たちはいるのであり、とくに「コンテンツ産業化」したメディアまわりの、そういう人たちは減ってはいない。

だけど、大衆食堂というのは地味な分野だから、「上ずった生き方」の人たちが、この分野に参入して意欲を燃やすことはほとんどないようだ。

そういう話はともかく、ここの定食は、800円台以上が多いが、メニュー構成はなかなか考えられていて、おもしろい。飲食の値段というのは、実際の数値以上に、「値ごろ感」が大きな比重を占める。そのあたりを、よく読んでいるようだ。

今日は忙しいので、その話は、またの機会に。

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2015/10/12

野暮酒場@小岩「『つつっこ』を食べる会」盛況御礼。

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去る10日(土)の小岩・野暮酒場での「『つつっこ』を食べる会」は、にぎやかで楽しく、泥酔だった。

おれは、午後から冷凍してあった「つつっこ」を8個蒸し解凍したのを持って、17時半ごろ到着。すでに何人か飲んでいた。

18時過ぎから、用意したスライドを見せながら話す。この「つつっこ」を作った家がある、秩父地方や小鹿野町そして集落の風土などを、これまで撮影した画像から選んでまとめたもの。

そのあたりは、小岩がある江戸川区で東京湾に流れ込む荒川の上流だ。なので、「川の東京学」番外編、といったところ。

これは、もっとうまく編集し積み重ねていくと、「川の東京学・荒川の風土と味覚」編になりそうだなあ、と思った。これまでの「東京」という中心の視点では、「語られてないこと」が、たくさんある。関東から東京地方の味覚は、もっと多様なはずなのだ。

1時間ほど話し、いよいよ「つつっこ」を食べる。2人で1個。味見としては十分の量だ。それに、8×2で16人も来れば、野暮酒場としては上々だ。

おれは「つつっこ」は食べずに飲むだけ。飲んでよい気持になったころ、ブレーカーが落ちる音がして、室内が暗くなる。

と、なにやら、ローソクがユラユラと近づいてくる。もう先月のことで忘れていたが、おれの72歳の誕生祝いになったのだ。

ケーキのかわりに柿の葉寿司を積んだ上の、ローソクたてのローソクに灯がともり。そういえば、先日の久松さんの誕生祝いも、ケーキはポテトサラダで作ったもので、同じようなローソクたてがのっていた。いまは、脱ワンパターン・ケーキなのだろうか。

酔った勢いで、ローソクを鼻息で消そうとしたが、さすがにうまくいかず。そして、なんだか、ドッと貢物が積まれた。めずらしく、歴代愛人が揃った感じであったが、誰が、どれを貢いでくれたのか、わからない。

そんなこともあり、とにかく、にぎやかに時間は過ぎ、たいがい酔っぱらったころ、スソさんが来てくれて、最後の「つつっこ」の半分を食べた、という記憶があるのだが。はて、どうだろうか。ほかにも、その後、誰か来たような感じもあるのだが。

もう、そのころは酔っていて、まりりんが、スソさんとおれを撮影してくれて、メールで送ってくれたけど、まったく撮られた覚えがない。

とにかく、参加のみなさん、ありがとうございました。

当ブログ関連
2015/09/25
10月10日(土)は、小岩の野暮酒場で「つつっこ」を食べる会。

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2015/10/08

『常磐線中心主義(ジョー バンセントリズム)』出版記念トークイベント第2弾、五十嵐泰正さん×ゲスト・久松達央さん。

005きのうは、木枯らしのような風が吹き、この時期にしては寒すぎだった。

予約をしてあった、『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』出版記念トークイベント第2弾、五十嵐泰正さん×ゲスト・久松達央さん、へ行って来た。

柏の会場で19時半スタートなので、早めに出て、柏駅南口の立ち飲みで一杯。いい気分で店を出たのに、駅から500メートルほど歩くあいだに、寒さで「平常」にもどった感じだった。なんてこった。

受付をすませ、会場を見ると牧野さんがいた。そのテーブルの彼の隣に座る。五十嵐さんと久松さんに挨拶。久松さんとは、メール交換があったり、おれはほとんど放置状態のフェイスブックの「友達」であるが、初対面の名刺交換。

会場は40人の定員。各テーブルに5人ずつ、勝手に座る。ビールと赤ワインと白ワインがテーブルごとに用意され、久松農園の「エロうま野菜」の生がソースと共に。そうそう、笠原さんにもひさしぶりにお会いしたのだが、笠原農園の鶏卵を茹でたのも並んだ。それらを食べたり飲んだりしながらトークを聴いたのだ。

最初に五十嵐さんが久松さんを紹介。久松さんは自己紹介で、今日が45歳の誕生日であることを繰り返し強調し、会場から笑いと拍手という楽しいスタート。

五十嵐さんがトークの口火を切り、『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』の帯に、「それは、『東京の下半身』」とあることにふれ、コモディティについて語る。

この「コモディティ」は、「スペシャル」の対義語としてのそれで、「日常気づかれずに消費されているもの」を生産している。そこがまあ、「下半身」たるゆえんなのだが、この本の、五十嵐さんによる序章の「コモディティ」には「(大量流通品)」とある。

その文章を参照すると。たとえば、久松農園がある茨城県は、「農業大国」であり、都道府県別農業産出額では上位3位以内を占め、品目別でみると、水産業も加え、「茨城県が生産額の都道府県別1位になっているものが非常に多岐にわたっていることに驚かされる」そして「こうした品目を茨城県の名産だと認識したことがほとんどないことに、再度驚くかもしれない」そのように「際立った名産品を作るというわけではなく、首都の日常を支える種々のコモディティ(大量流通品)としての食品を淡々と供給してきた」ということなのだ。

これには、最近このブログでも書いている、スペシャル(上質)ばかりを追いかけ「普通」や「スタンダード」を考えない、とくにメディアの問題もあるが、生産地の取り組みとしては、「名産化」としての「ブランディング」がある。

ってわけで、五十嵐さんは、「ところで、久松さんは、地域ブランディングより個人、セルフブランディングのほうですよね」と話をふる。

そのあたりから、久松さんの迫力あるトークが、怒涛のごとく。五十嵐さんが、テキトウに口をはさむのが、また絶妙。話に引きずりこまれて、メモをとるのも忘れた。そのうえ、内容豊富で覚えきれなかったが、久松さんの話を思いつくままにメモしておく。

001・有機栽培をやったのは、アタマから。・お客との直販以外考えなかった、それがやりたかった。その結果、いまのようになったのであって、年収700万以上を対象にするなど、そういうことはやってないし、マーケティングの結果ではない。

・最初のころ、有機栽培のよさやスペシャリティを強調し、うっとうしがられ、反省したこともある。・原発事故の影響で、お客が3分の1?になったとき、「有機だから」という客とのつながりでなく、「食い気」でいこうと思った。食べ物は、うまさ(「エロうま野菜」)・セルフブランディングは「人を売る」、けっきょく「人」だから。・地域ブランディングに関心がないわけじゃないけど、自分のまわりには、そういうことで何かやっている、組んでもよいと思える動きがなかっただけ。福岡の糸島などは、うらやましかった。

・個人経営で小規模だが、家族経営でなかったのがよかった。組織的な環境で人は育つ。・農水省の青年就農給付金(150万円を5年間)はドブに金を捨てるようなもの。・農業は、いろいろなことを経験しなくてはならないから、5年では難しい。・久松農園でやっているモジュールが、そのままよその土地にあてはまることはないだろうけど、やりようはある(いま新潟県三条でやっている例)。自分は、2千万円ぐらいまでの規模なら、やれると思う。・まず、客は農園に関係するまわりの人からつくる。食べてもらう。

記憶で書いているから、記憶違いがあるかもしれないし、話の順序とは、関係ない。ここに書いてしまうと、どうってことないようだが、なかなかスリリングで刺激のある内容だった。「生きることが批評である生き方」の久松さんのキャラもあるが、やはり、実践の裏打ちがある本人の、ナマの話は違う。

おれが仕事で有機など(「自然食」やコンニチの「マクロビ」など含め)に関係したのは、80年代後半から91年ぐらいまでだった。久松さんが大学を卒業して大きな会社に就職したのが94年、農業研修を経て独立就農したのは98年。まだそのころの有機は、「宗教色」というか「思想色」というか、アタマから入る傾向が強かった時代だと思う。

95年には阪神大震災やオームのサリン事件などがあり、「現実不安」や「現実不信」が増幅していたこともあって、有機などにマーケティングやビジネスとして取り組んでいた会社もあったが、有機無農薬栽培や自然農法、自然食などは、どこか「信仰」めいていた。

そんなことを思い出しながら聴いていた。トークは1時間ほどで中締めとなり、料理が追加、そして久松さんの45歳の誕生日を祝う「ポテサラケーキ」(これ、すごくよかった、作ってみたい)が登場。久松さんがローソクを吹き消し後半は勝手に交流会という感じ。

遅れて来ておれの席の隣にすわった方が、久松さんが批判していた、官庁で青年就農給付金の推進を担当していたことがあるとわかった。「もう久松さんからは、悪代官のようなものです、ハハハ」という愉快な方で、話がはずんだ。

青年給付金の推進は、ある意味、青年の人生や生き方に影響を与えることなので緊張しましたよ、といわれ、ハッとした。とかく「組織の歯車」のように見られながら、一人ひとりは、さまざまな思いで、いろいろ考えながら仕事をしているものなのだ。コモディティの食品の生産や流通に従事していても、そうなんだよな。スーパーの労働や労働者を見下げちゃいけないよ。

それはともかく、やはり、「農業は特殊」ということであるうちは、新規参入や定着は難しい。その点、まだまだ家族経営の特殊性が残っているなかで(かりに法人組織になっていても、実態は家族経営というのが多い)、久松さんの経営は、家族経営ではなく、地域のしがらみに縛られることなく、普通の資本主義的な株式会社組織で、実態としても組織的な運営をしている(オーナー社長が講演などで全国を駆けずりまわっていても農園は運営されている)ところが大きな特徴で、このスタイルの広がりは、これからの農業の可能性と大いに関係があるように思えた。

それは「小さくて強い農業」の条件なのかもしれない。そして日本の農業の「守り方」にも関わることだろう。

そういう意味では、「農業の近代化」は、機械化や大規模化に本質があるわけでなく、組織や機能の「近代化」が必要なのだろう。大きいか小さいかではないのだな。もちろん、有機か慣行か、でもない。

しかし、久松さんは、スペシャルな能力の人だ。いったい、こういう人が、どれぐらい農業に参入し、あるいは、育つのだろう。そもそも、「6次化」なんて、能力が高くないとやれそうにない。「普通」では、無理だ。少なくとも、おれには無理だ。

それに、コモディティは、たぶん、どんな時代でも必要とされる。おれのような、日常は有機の食品と無関係に近い生活の消費者からすれば、コモディティがあってこその日常であり、それは、「ありふれたものを美味しく食べる」方法で、かけがいのないよい日々になる。

しかし、いま有機というと、スペシャルな位置にあるが、大量流通が可能になり、コモディティな食品に位置ずく可能性がないわけじゃない。

ああだこうだ、考えることが多い。考えることが多くなるトークだった。多くて、書くのがメンドウだ。

それにしても、牧野さんと話していたことは、柏の面白さだった。人口40万人のこの都市は、ほかの東京近郊都市にはないものがある。それは、もしかすると、この町の近郊都市農業の強さと関係あるのかもしれない。

終了21時半過ぎ。さすがに帰りを考えると柏で飲む根性はなく、牧野さんと帰路に着いた。

当ブログ関連
2015/06/06
生きることが批評である生き方、『小さくて強い農業をつくる』久松達央。

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2015/10/06

難民問題と「おもてなし」そしてTPPは。

去る30日だったか、安倍首相が国連演説のあとの記者会見で答えた難民問題の件は、「移民」と「難民」の区別もついていないうえ、人道的視点がまったく欠け偽善にもなっていないし、「日本はシリア難民受け入れより国内問題の解決が先」というメッセージを世界に発してしまい、何かとお騒がせなことになった。

でも、まあ、国内は、アベノミクスな安倍的保護の下だから、チョイとツイッターネタになったぐらいで、安泰。

ハフィントンポストは、「安倍首相「難民受け入れは?」と問われ「女性の活躍、高齢者の活躍が先」」の見出しで、安倍首相の発言を、このように伝えている。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/30/abe-refugee_n_8219324.html

「そして今回の難民に対する対応の問題であります。これはまさに国際社会で連携して取り組まなければならない課題であろうと思います。人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前に、女性の活躍であり、高齢者の活躍であり、出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるということでもあります。同時に、この難民の問題においては、日本は日本としての責任を果たしていきたいと考えております。それはまさに難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていきたいと考えております」

これは、ロイター通信の記者が安倍首相にした、「あなたはシリアの難民問題で支援を表明したが、なぜ難民を受け入れないのか?」という質問に答えたものだけど、もうまったくトンチンカン。

「これまでの日本の難民支援の実績を台無しにした」発言とも報道されたりしているが、政府には、ちゃんと難民対策を所轄する機関がいくつかある。その一つで仕事をしている方も、この発言には、大いに困っていた。というか、発言の尻ぬぐいなどに追われたり、もうひどすぎるという感じだった。

その彼と、難民問題が注目されている最中に国連へ行って、記者会見したら、こういう質問が出ることが想定されたはずだし、事前のレクチャーなどなかったのかなあと話していたのだが。

今日、ネットで、とんでもない記事を見て、ゲッ、これじゃ、想定もレクチャーもなかったわけだとナットクした。

「アイ・アジア」の昨日付けのそれは、「米記者から「出来レース」批判された安倍首相国連会見」の見出しで伝えている。それは、先のロイター通信の記者の質問をしたときの様子から、詳しく記されている。

「ロイター通信の記者がこう質問すると、通訳を通して質問を理解した安倍首相の表情が強張った。実は、その質問に慌てたのは安倍首相だけではなかった。会見場にいた日本人記者全員が「予定外」の質問にざわめきたったのだ。/日本時間の9月30日朝に行われたニューヨークでの安倍首相の会見。「予定外」の質問とはどういうことなのか。アイ・アジアが入手した首相官邸の資料や取材に応じたアメリカ人記者の話によると、この会見では、質問者も質問内容も予め決められていたのだ。つまり、出来レース会見だったのである」
http://npo-iasia.org/archive/2015/10/abe-conference.html

そして、首相は、馬脚をあらわした。コレ、首相の恥だ、おれの知ったことじゃないというわけにはいかないセツナイ問題だと思う。

はからずも、おれが「おもてなし」論で指摘するまでもなく、東京オリンピック招致のプレゼンテーションで、世界に向かって他国にはない日本ならではの伝統と胸を張り自画自賛した「おもてなしの心」は、すっかりその情けない実像をさらけてしまった。と、昨今の難民問題と「おもてなし」をつなげて考えているひとは少ないと思うが。

滝川クリステルさんは、このように述べたのだった。

………………………………………………………………………………………………

皆様を私どもでしかできないお迎え方をいたします。
それは日本語ではたった一言で表現できます。

「おもてなし」。

それは訪れる人を心から慈しみお迎えするという深い意味があります。
先祖代々受け継がれてまいりました。

以来、現代日本の先端文化にもしっかりと根付いているのです。
そのおもてなしの心があるからこそ、日本人がこれほどまでに互いを思いやり、客人に心配りをするのです。

………………………………………………………………………………………………

滝川クリステルさんは、カンジンなことをいわなかった。「おもてなし」は、誰に対しても行われてきたものではないし、誰に対しても行われるわけではない、ということだ。

安倍首相は、先の記者会見で、滝川クリステルさんがふれなかったことを、明らかにしてくれた。

もともと、「おもてなし」とは、そういうものなのだ。「主」の都合によるもので、「人間としてどうか」の視点はない。

そして、そういうことは、日本の日常いたるところにマンエンしている。

これから、どうなるのだろう。批判を許さず、自分可愛さ自画自賛の、おなじ狭い価値観とルールのなかで、持ち上げてくれる人たち、わかってくれる人たちだけとのつきあいで、やっていけるのだろうか。

まずは、大筋合意の報道が流れたTPPの流れが、大きなゆさぶりになるかもしれない。TPPで、これまでなんとかやってきた日本の土台は、大きく崩れることになるだろう。精神的に未熟な子どもの価値観が、いきなり世界中の大人の価値観にもまれることになるような。もはや、それを、どうプラスにできるかしか道はないようだが。言うは易し。

先の難民対策の仕事をしている彼は、難民「救護」「救援」という言葉そのものがオカシイ、もっとよい言葉はないだろうかといっていた。いかにも、もどかしそうだった。おれは、英語では、どうなのかと訊いて、彼が教えてくれたが、酔っていて覚えられなかった。だけど、そういうところから、自身を問うていくのは、日本人ひとり一人の課題になるのだな。

それにしても、ここのところ、飲み疲れが蓄積気味だ。トシのせいか回復が遅くなっている。

当ブログ関連
2015/10/03
いまニュースなM大学で「おもてなし」論の授業をした。

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2015/10/05

数値化したらプラスになる物事だけを良しとする傾向。

きのう引用した、津村記久子さんが書いていた「数値化したらプラスになる物事だけを良しとする傾向に風穴をあける言葉」は、どの作品にあったか気になるので探してみた。

『二度寝とは、遠くにありて想うもの』(講談社)の「『味わい深い』のふところ」にあった。津村さんの好きな形容詞は、「味わい深い」なのだ。

「『おもしろい』でもいいのだが、もしかしたら、伝える相手はそれをおもしろいと感じないかもしれない、押しつけがましくはなりたくない、という遠慮があって、『味わい深い』と表現するようにする。味覚という、口の中のことが由来している言葉なので、とても個人的な感覚を表す言葉だと思う。そして、個人的ゆえに、あまり他人の同意を必要とせず、中庸なように思える」

そのあと、こう続けている。このことが、おれにも思い当たることがあって、強く印象に残った。

「『良い』には『悪い」が、『きれい』には『汚い』が表裏に付きまとい、マイナスの側には断罪のイメージさえ伴うが、『味わい深い』の対義語といえる『味けない』には、『ま、ひとそれぞれですが』とでもいうような、気持ちの共有を強いない控えめさがあって、そちらも好きである」

そして、先に引用したことになる。

「良い」ことを褒めそやすのに、なんら後ろめたいことはない、「正しい」のだから遠慮もいらない、ということで、とかく「マイナスの側には断罪のイメージさえ伴う」ことを忘れがちだ。

とくに、ここ20年ばかり、雑誌やテレビのグルメコンテンツなどで、「手づくり」「手仕事」「職人仕事」が、「誠実」で「丁寧」で「心がこもって」「うまい」「よい」と称賛され、エラそうにしていることが続いている。

それで、どういうことが起きたか。例をあげると、以前、取材を申し入れた大衆食堂の主人から、「うちは冷凍食品を使っているんですが、いいんですか」といわれたことがあるのだ。

その人とは、いろいろ話したが、彼は自分の仕事に肩身の狭い思い、引け目のようなものを感じていた。大衆食堂の主人たちと話していて、何度か同じようなことがあった。食堂の棚に並ぶ、出来あいのおかずをチンして出すことをとがめる、「庶民の味方」「大衆酒場や大衆酒場の愛好家」もいた。

手づくり・できたて礼賛は、無農薬有機栽培礼賛とも親和性が高い。

おれは、「普通にうまい」を強調するようになった。昔は、出来あいを冷たいまま食べていたのだから、電子レンジの使用でよくなったのであり、悪いことじゃないと主張したりもした。

津村さんは「中庸」という言葉を使っているが、「よい」「上質」の追及ばかりで「スタンダード」「普通」を考えない価値観は、簡単に、自分と異なる人や価値観や仕事や生き方をマイナスイメージに追いやりやすい。そして、片方で独善に陥る。

近頃の「小商い」称賛にしても、なんだか、ステレオタイプの仕事観や労働観がある。それは、世界観の問題もあるだろう。自分が、ただ大きな組織に馴染まないだけのことを、普遍化し、小商いに求めている傾向も見られる。そういうものを読んだ、真面目な会社員のなかには、自分がじつに程度の悪い人生を、がんばりながら生きていると思い、情けなくなる、という人もいる。食うために働くことが、普通ではなく、マイナスイメージになっているのだ。

このあいだ、おれも含めて、それぞれまったく価値観の違う人たちと飲んだとき、共通の知人の話になった。彼は、子どもが幼稚園に入るときの入園申し込みだったか、行列ができるというので、朝早起きして行った。着いてみると、すでに何時間待ちの行列になっていた。彼はどうしたかというと、お金を出して行列に並んでくれる人を頼み、家に帰った。本人が並ぼうが代理が並ぼうが結果に関係ないことだ。それで、無事に入園はできたのだが、妻に「子どもに対する愛情がない」といわれ喧嘩になった。

この話もからみ、価値観の違いと、価値観の違うもの同士が交ざりあうことの意味や交わりかたなどについて、ああでもないこうでもないの話になった。

異なる価値観の存在と尊重を前提に考えることは、なかなか難しいことだし、自分でもちゃんとできているかどうかわからないが、文章を書く上で忘れてはならないことだろう。できたら、「数値化したらプラスになる物事だけを良しとする傾向に風穴をあける」ことを目指したいものだ。

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2015/10/04

米の味。

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しばらく前は、5キロ2000円台の米を買っていた。新潟県産コシヒカリが中心だった。その後、2000円弱のクラスにして、あきたこまちが中心だったと思う。とくに産地や銘柄にこだわることなく、もちろん栽培法にもこだわることなく、選んできた。

みな近くのスーパーで買っている。

ここのところしばらくは、1500円以下にしていた。新潟県産コシフブキと山形県大蔵村のはえぬきだった。

コシフブキは、たしか1300円前後だった。この銘柄は、おれの故郷、魚沼産コシヒカリの産地のスーパーの店頭では、圧倒的なシェアを占めていたので、食べてみようと思っていた。コシヒカリは、主に中山間地で作られる高級米で、コシフブキは平野部で作られる普及米という感じなのだ。それが、うまいぐいあいに近所のスーパーに並んだ。

大蔵村のはえぬきは、おれは大蔵村が好きだということがあったし、しかも、はえぬきは1100円ぐらいで大量陳列され売っていた。仕入れの関係もあったのか、いくらなんでも安すぎる、生産者が見たら涙する値段だよ、と思いながら、あれば、ありがたく、これを買っていた。2、3回買ったのではないかな。

いずれも、とくに不満はなかった。ていうか、満足していた。

先日、ちょうど米が切れているときに、鬼子母神みちくさ市へ行き、柏のジモトワカゾーがコシヒカリを売っていたので、1キロ500円を買った。

コシヒカリを食べるのは、ずいぶん久しぶりだ。食べて、驚いた。いやあ、これが、うまいのか。いや、たしかに、うまい。ふかふか、もちもち、ねばりがすごく、あまい。だけど、これ、最近食べていた、コシフブキやはえぬきに比べると、ねばりがありすぎな感じがした。

「ありすぎ」というのは、おかしいかも知れない。こういうのを好むひとが少なからずいて、作られているはずだ。だが、おれはここまでいらない。と、思ったのだった。

コシヒカリのほうが、粒の大きさが大きいのは確かだ。ふかふか感や、もちもち感は、そのためもあるだろう。それは、まあ、食感というもので、ようするにコシヒカリでなくても、よく噛んで食べれば、それぞれの味わいがある。おれは1500円以下で十分満足という結論に達した。

それで、そのコシヒカリを食べきったので、米を買いにスーパーへ行ってみたら、なんと、コシフブキは1800円もしている。そして、いちばん安い米が、5キロ1190円の千葉県産ふさおとめだった。即、これを買った。

こういう買い方をしていると、「上質」を理解できない、意識の低い消費者と見られるかもしれないが、おれは別に「上質」を理解したいとは思わない。消費者が理解しなくてはならないのは、生活の「適正」だろうと思う。わが家は、これで大変満足している。

米だけに限らないが、競争が激しくなる一方の環境で、「よい」「上質」ばかりが称えられ注目される一方、それに値しないものはマイナスイメージに落とされやすい。これで十分ではないか、というものまで「悪」にされる。

「よい」「上質」を目指していないと、作っているほうも買う方も、思わず、「わかっていなくて、程度が悪くて、どうもすみません」と言ってしまいそうな、高い「よい」ところから態度の圧迫感が支配的だ。

「数値化したらプラスになる物事だけを良しとする傾向に風穴をあける言葉」というのは津村記久子さんが言ったのだが、そういうことを考えたい。と、米のこと一つとっても思うのだった。

もういい加減に、どっちが「上」かの競争とはちがう「競争」を考えたいものだ。

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2015/10/03

町角に残る「戦後」の残像。

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きのう、白金高輪駅から大学へ向かって、白金台のゆるい登り坂になる桜田通りを歩いていると、清正公があった。そして、その寺と桜田通りに挟まれ囲まれ、小さなスナックが古いまま建っていた。

なんという奇妙な残り方。おそらく戦後のドサクサを経過してのものだろう。すぐそば、目黒通りとの清正公交差点のそばにも、おなじような一軒。こちらは「仕立て直し」の看板。

授業が終わって猪瀬さんたちと飲みに向かっているとき、スナックは薄暗い灯りをつけ、営業していた。交差点そばの仕立て直しの店のほうは開いているところを見たことがないという。自販機だけが営業していた。

このあたり、いまでは、高級高層マンションがどんどん建って様変わりしているが、かつてはゴチャゴチャしたところだった。

桜田通りは、前の東京オリンピックのときに拡張になったと猪瀬さんから聞いた。それでも、この場所に生き残ったにちがいない。

前の東京オリンピックでは、東京の「戦後」を消すように、「清潔」な町づくりが行われた。そういうことをくぐりぬけてきた生き証人といえるか。

桜田通りは「中世以前から存在する古道であり、徳川家康によって江戸時代の東海道が整備されるまでは江戸から西への街道であった」国道1号線。

清正公の正式名称は、最正山覚林寺。「この地はかつて熊本藩中屋敷の一部であった。寛永8年(1631年)、誕生寺18世可観院日延の隠居寺として開山。日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男、臨海君の子であり、文禄・慶長の役の際に清正によって日本へ連れてこられた人物であった」「加藤清正の位牌や像が祀られている」とのこと。

江戸期からの、有力大名を祀る由緒ある寺と、東京オリンピック高度成長を象徴する、国の最重要幹線道路に挟まれた、この小さなスナックは、時代の変化のなかで生きる庶民の存在を語っているようだ。

いったいどんな風に生きてきたのだろう、どんなひとがやっているのだろう、すごく気になる。

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いまニュースなM大学で「おもてなし」論の授業をした。

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昨日は、めったに行くことのない白金高輪へ行き、めったに足を踏み入れることのない大学で、めったにない学生相手の授業をした。

猪瀬さんに「おもてなし」論の授業をやらないかと誘われ、いつものように猪瀬さんの誘いならと、ホイホイ気軽に引き受け、イチオウ、資料も作って出かけた。

地下鉄白金高輪駅で地上に出て、桜田通りを南下、16時半すぎにチャペルが見える正門から猪瀬さんに電話。迎えに出てくれた猪瀬さんから前回の授業の様子を聞きながら教室に向かう。

そこで気がついたのだが、ホイホイ引き受けて、じつは全体がどういう授業なのか聞いてなかった。これは、「ボランティア学」の授業で、前回は、東京オリンピック招致のIOC総会プレゼンテーションの全映像を見たのだとか。おお、そういうことなのか。そういえば、東京オリンピックとボランティアと「おもてなし」は、大いに関係あるなと、やっと気づく。資料は、そのことを意識してないが、大丈夫だろうか。

猪瀬さんは、「私と対談するようなかたちで進めましょう」と言ったので、ま、なんとかなるだろうと思って、教室に入る。6名の学生さんのほか、猪瀬さんと授業を進めているハーバードさん。

自己紹介のようなものをやる。なんと、東大宮に住んでいる学生さんが1名。

まずは学生さんたちが前回のプレゼン映像を見ての感想を述べあう。中国吉林省出身の吉林さんは、失敗した大阪招致の映像も見て比較し、外国人から見た評価を話す。今回はかなりよかった、とくに外国人に好印象を与えたのではないかと。

ほかの学生さんの話も聞きながら、とにかく大震災による被災を利用し「復興」を掲げ、クールジャパンなイメージ戦略が功を奏して招致が決まったようだが、具体性に欠け、その後のゴタゴタを見ても、大丈夫か?と思う。それに、あいかわらず開催地・東京だけのオリンピックだ。

で、おれの授業になった。始まったのだが、おれは、猪瀬さんと対談しながらやるということを、すっかり忘れ、1人でどんどんじゃべってしまった。用意した資料について、全部しゃべってしまおうという勢いで、学生さんにちゃんと話が伝わっているかどうかなんか関係なし、急いで言語不明瞭になったりしながら、約1時間半は、またたくまに終わったのだった。

おれが用意した資料は、こういう内容で、だいたいこれに従って話した。

「1、「おもてなし」の国語」ということで、(1)国語業界でオーソライズされている語源と意味、(2)インターネットなどで流布されている「語源の理解」、(3)滝川クリステルさんプレゼンの「おもてなし」、を比較して、もとの意味から違ってしまっている。かなり勝手な解釈が加えられながら広まっている。

「2、「おもてなし」のビジネス」は、近年、「おもてなし」を最も利用しているのは、クールジャパンなビジネスなのだが、そこでは、「おもてなし」がどう語られているか。なかには、大事な指摘をしているものもある例。ただしこれは、滝川クリステルさんプレゼン以前のこと。

その大事な点は「主客一体」の思想で、つまり「日本のもてなしは、よそおい、しつらい、ふるまいの約束事から成り立っている。主人のその約束事に基づいたもてなしに、客は同じ約束事を用いて応える」ことにある。

「おもてなし」は、約束事を心得ているもの同士のあいだに成り立つ価値観なのだ。

それでは、なぜ「約束事」が重要な位置を占めるようになったのか。その歴史的背景ということで、「3、「もてなし」の源流 有識故実と日本料理」。

ここが最もカンジンなところだったが、有識故実と日本料理の説明が、とても難しい。具体的にわかりやすくと、ハシの置き方と持ち方を例に話したり、ああでもないこうでもないと話すが、どうもうまくいかない。うまく伝わっていないなと思いながら話すと、余計うまくいかないでアセル。

とにかく、その有識故実を背景に日本料理の流派が成り立ち、その約束事は、茶道や懐石料理により、より繊細に細かくなっていった。つまり、上層の余裕のある人たちのあいだで、約束事は、わざわざ細かく複雑で面倒なことになっていった。それが、権力や権威となって、浸透していった。

いまの日本では、スーパーのレジの対応一つとっても、過剰なぐらいのジョブのステップつまり約束事があり、それが「無償」であることを当然と思っている。

そして、これは『大衆めし 激動の戦後史』にも書いたことだが、その日本料理は、細かな約束事に支配され、「個室での接待を基本としますので、そこに仲居さんなり芸妓さんが居て、心のこもった「もてなし」を受けつつ料理を賞味してこそ、日本料理の本当の素晴らしさも発揮されてきます」というもので、大変高価なもの。

ところが、「おもてなし」は見返りを求めないという、ある種の精神主義が流布されている。ということで、「4、「おもてなし」と問題点」が最後。もう時間がなく、駆け足。

「滝川クリステルさんの「おもてなし」プレゼンの中身はカラッポ」「「おもてなしの心」に続く、そのスピーチの中身は、日本人自身がつくりあげた、一種の幻想だ」という発言を紹介。なかでも「おもてなしの心は従業員の犠牲のうえに成り立っている」という点。

人権思想や個人主義が希薄な日本において、「おもてなしの精神」の強要あるいは同調圧力は、際限のない目配り、気配り、心配りなど、極限的な労働強化や人格的搾取へつながりかねない。というか、すでに「丁寧な仕事」においてもそうだが、そういう状態があり、とてもヤバイ。

「おもてなし」は「主」と「客」のあいだの「約束事」を価値として成り立ってきたといえるのだが、そこには「おなじ人間としてどうか」の視点が欠如している。

という感じで終わった。

質問や感想もあって、これが、時間もなく短かったけど、けっこうタメになった。いまの日本の過剰な人的サービスについて、それがうっとうしくて店から離れてしまうということもあるのだな。ネット通販の人気には、そういうことも関係しているようだ。

最後にハーバードさんと猪瀬さんが、チラッと言ったことが、おお、それ!という感じで、ヒラメキがパチパチとつながったことがある。その件は、また後日。

授業が終わって、学生さんとの立ち話でわかったのだが、どうも見たことがあると思っていた女子は、アメ横の某店でアルバイトをしていて、そこで会ったことがあったのだった。

さて、これが楽しみなのだ、打ち上げ飲み会。参加の学生2人と猪瀬さんとハーバードさん。参加の学生は、墨田区と東大宮の住民で、なぜか初めてのキンチョーもなく、楽しく酒を飲む。話も面白かった。

一軒目、魚らん坂商店街あたりの立ち飲み屋の2階、そのあと学生たちは帰り、二軒目は路地の小料理屋。

ようするによく飲み、宇都宮線の終電はなく、猪瀬さんと京浜東北に乗り、大宮からタクシーとなったのだった。25時すぎの帰宅だったか。

「目配り、気配り、心配り」が足りず、「おもてなし」としては落第の授業だったようだが、ま、何か一つ考えるキッカケになればいいのだ。

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2015/10/01

料理の精神分析的賞味法があってもよい。

芸術には精神分析的鑑賞法みたいなものが存在するようだ。このあいだ、そういう類の話を聞いた。

ある作品を指して、「すべてセックスの隠喩である」といった評し方をする。その「隠喩」を解く作業が、鑑賞の一つであるようだった。そして「隠喩」を解きながら、作者を解剖し晒す、つまり作者の精神分析を試みるのだ。

おれは、そういうメンドウなことは好きじゃないんだが、なかなか面白いと思った。

日本で、「料理は芸術」という人たちは、そういう鑑賞法を試みたことがあるのだろうか。料理の場合は、「鑑賞」とは「賞味」であるが。文学者とか作家という方に、料理を精神分析的に扱った例が、わずかにあったようにも記憶する。

お遊び的だが、それにしては意外に深いところをついてくる、東海林さだおのエッセイがある。

グルメ雑誌では、ほとんど見かけない。読者はそんなことは期待していないし、編集者も関心がない。グルメな情報を盛り込んだ、文章の上手な小技の世界であり、時代の上っ面をなでる、空虚なエンターテイメントとして成り立っている。

料理から料理人の精神分析に進んだら面白かろうと思うが、おれはそういうメンドウは好きじゃない。

もう一つ、食べ物について書くライターの精神分析なんかも、面白いと思う。料理より、はっきり文章に出る。料理に限らず、ひとの作ったものを、褒めたり、けなしたり、分析したり評価したりする、その奥に潜むことは何か。こんなのを精神分析的鑑賞の対象にしてみたところでカネにならないが、ブックレビューなどより、はるかに面白そうだ。

とにかく、もし、料理が表現なら、芸術であるかどうかに関わらず、精神分析的賞味法があってもよいのではないか。

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