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2015/10/27

出張「円盤」レコード寄席@北浦和クークーバード。

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昨日は発作的に、北浦和クークーバードのライブ、出張「円盤」レコード寄席というものに行った。これは、高円寺の「円盤」という店、どう説明したらよいだろう、「中古レコード店」ということになるのか、その店主の田口史人さんが、レコードをまわしながら語るものなのだ。

とくに予定していたわけではなく、ここのところ、けっこう根をつめた仕事が続き、もともと根が続かないおれの脳ミソは煮詰まり腐り気味だったので、一丁リフレッシュするかと、北浦和クークーバードのライブ・スケジュールを見たら、ちょうどいいあんばいに、これだったのだ。早速予約。

夕方早目に出て、まずは軽く一杯入れて体制を整えようと、地元のキッチンガルプのカウンター。酒豪のK女さんがすでに飲んでいて、おしゃべりしながら、生ビールと白ワイン。おしゃべりがはずみ、19時オープン20時スタートだったのだが、19時40分ごろ着いた。

カウンターにはハニカミ王子さんの姿があるではないか。先日、鬼子母神御会式のわめぞ桟敷で一緒だったばかり。お互い埼玉の人間だし、彼は、クークーバードに古本棚を持っているから、会っても不思議ではない。

で、彼の古本棚を見たら、辻征夫の『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』が300円だったので即買い。ここのところ、辻征夫の『辻征夫詩集』(岩波文庫)も買って読んでいる。

なぜならば、小沢信男さんの、アノ、アレで知ってから、気になって読みだしたのだと、王子さんに話すと、彼はスラスラと『本の立ち話』と『通り過ぎた人々』をあげた。だが違う、それを読んだときはそれほど気にならなかった、そうではなく一昨年の末に発行になったアレだよ、というのだが、その本の名前が出てこない。いとカナシ。おれが、今世紀になって最も痛快でおもしろいと思った本なのに。ボケだなあ。王子さんは読んでないらしく、本の名前が出ない。

帰って本を見たら、『捨身なひと』だ。晶文社の編集者、中川六平さん最後の仕事というか、中川さんが小沢さんに持ちかけ、「初校がかたづいたころおいに、その六平氏が急逝の報!」と、小沢さんが「あとがき」に書いている。カバーの絵が、四月と十月同人のミロコマチコさん。

この本は、出版と同時ぐらいに著者の小沢さんからいただいて、もう何度も何度も読んでいる。そして、辻征夫のことが、ずいぶん気になって、今年の2月に岩波文庫から『辻征夫詩集』が出ると、すぐ買ったのだった。これも、もう何度も読んでいる。

王子さんと話すとき、「辻征夫」を「つじまさお」と読んでいたら、「ゆきお」ですと訂正された。おお、そうだ、おれは「征夫」を「まさお」と読むのがクセになっている。辻征夫は、おれより4歳早い、1939(昭和14)年生まれ。生まれたときは、たしか、父は戦地で家にいない。おそらく出征前につけた名前だろうかと思う。

おれは1943(昭和18)年生まれで、同じ齢のイトコが「征子(せいこ)」、同じ齢で同じ町内の友人が「征夫(まさお)」、この2人の父親は名前を言い残して出征し、戦死した。辻征夫の父は、無事に復員した。

それはともかく、かねがね、おもしろいと評判の「レコード寄席は」、ほんとうにおもしろかった、いや、すごくよかった。脳ミソがリフレッシュされた。同時に酒で濁った感じもあるが。

毎回テーマを決めてやっているらしいんだが、今回は、とくにそういうものではなく、田口さんの『レコードと暮らし』(夏葉社)の発刊記念出張販売寄席という感じのものだった。

レコードといえば「音楽」だ。「レコードと暮らし」とあれば「音楽と暮らし」。そう考えるのが一般的だろう。ところが、違うのだ。「音楽を売るために作られたのではないレコード」というのがある。それは、とくに「ポターブル・プレイヤー」と「ソノシート」なるものが出回るころに盛況となり、アナログからデジタルになったいまでも続いている、「自主制作盤」だ。

田口さんは『レコードと暮らし』のなかで、「レコードが、もし「音楽を伝えるメディア」としての機能でしかなかったら、CDの普及によって消えてもおかしくないはずです。実際、音楽メディアの主流がCDに移行したころ「レコードは消える」と思われていました。しかし、そうならなかったのは、レコードには「音楽を伝えるメディア」だけではない割り切れない、なにかがあったからなのだと思います」と書く。

そのことを、田口さんが、実際に例となるレコードをまわしながら(もちろんCDもある)、語った。

それは、「生々しく、その時代の、その地域の、その文化に属していた人々の、「当たり前の暮らし」や、「作り手の気持」が感じられます。そこを聞いてみよう」というものだった。

なんとまあ、おれの考える「大衆食的」なことか。音楽的、文学的、芸術的、科学的、技術的、表現的、に、「上質」であるとか、「上等」であるとか、とは違う「よさ」がある。

聞きながら「いいねえ」と思った。思わず、「いいねえ」と声も出た。

最近、「いい町」や「いい店」を考えるキッカケがあり、あれこれ考えた。「いい」ってなんだろう、どういうことなのだろう。おれなりに一つの解はあるのだが。とにかく、いいレコード寄席だったし、いま読みはじめている『レコードと暮らし』は、まれにみる「いい本」だ。

2200円で、これなら一回は、酒を酔うほど飲めるなと思いながら買ったが、買ってよかった。

カバー絵、見たことがある感じだなと思ったら、四月と十月同人の加藤休ミさんだった。ご活躍で、なにより。

田口さんは、始めるときは途中で休憩を入れるようなことを言っていたが、始まったら怒涛のレコードまわしと語りが、おもしろい初体験的な連続で、終わって気がついたら、22時50分。

とてもよい光明を得た。このトシになって。このトシだからこそ。

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