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2015/12/26

東京新聞「大衆食堂ランチ」38回目、方南町 やしろ食堂。

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毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は、去る18日の掲載だった。

今回は方南町のやしろ食堂、すでに東京新聞Webサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015121802000203.html

東京の古い大衆食堂のチェーン店というかグループは、いくつかあって、いまでも勢力のあるのは、東京の東側を中心とするときわ食堂だが、かつて西側にはやしろ食堂が大きな勢力を持っていた。

このほかに「ヤマニ」の商号の食堂もあったが、いまでは居酒屋として何軒か残っている以外、ほとんど姿を見なくなった。

やしろ食堂もかなり数を減らしているが、それぞれの土地に根付いて残っている店がある。

このやしろ食堂が「定食ヤシロ」の暖簾を下げるようになったのは、もう20年以上前になるか。「カタカナ化」する時代の動きへの対応だったのかもしれない。

この連載が始まってから、新高円寺にあったやしろ食堂を紹介しようと思って、掲載のひと月ほど前に撮影をすませ原稿を作成した。ところが、校正の段階で確認の電話を入れて、閉店したことがわかった。にぎわっていた食堂なのでおどろいた。

まわりからみると、突然の閉店だけど、前回のキッチン・タイガーでも書いたが、店主が高齢化している食堂では、いつまで続けるか、いつやめようか思案しなからの日常でもある。

とにかく、今回は、やしろ食堂を無事に載せることができた。

そこに、「この店は東京メトロ方南町駅近くの方南中央通り、方南銀座通り商店街にある。八百屋と鮮魚店と大衆食堂がある町はいい町とかねて思っているが、実際のところそういう町は激減した。ところが、この商店街には、揃(そろ)っているのだ。ほかにパン屋も文房具屋も本屋も、昔の商店街の顔が残っている」と書いた。

「にぎわっている」といえるほどの商店街ではないが、こういう商店街があって、そこに大衆食堂もあるというのは、うれしい。

010しかも、このやしろ食堂の店頭が、いろいろにぎやか、「がんばっている」という感じで、エールを送りたくなる。

このにぎやかなメニューは、店内にまで続いていて、大衆食堂らしい雰囲気を出している。20名ちょっとほどの規模で、すごい豊富なメニュー。「食べるぞ~」という気分が盛り上がる。

あらためて、こういうメニューの数々を見ると、人間の欲望の気配を感じ、とても愉快な気分になる。メニューは、「生きる」人間の「生きる」欲望のあらわれなのだ。大衆食堂は、それを「品よく」あるいは「都市的に」コントロールすることなく、自然に解き放つ。日除けテントの「ボリュームたっぷり」も、そういう大衆食堂の気分だ。

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2015/12/23

牧野伊三夫さんは『僕は、太陽をのむ』、おれは酒を飲むだけの日々。

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年末がバタバタすぎていく。年末ならではの仕事のトラブルもあった。とりあえず、イベントがらみだけメモ。

12日土曜日。野暮酒場が営業するというので行った。ひさしぶりの感じ。「川の東京学」について、非公式物産展の大村さんから、おもしろそうな提案があったので、チャレンジしてみることにする。

上野発23時20分ごろの電車で帰ろうとしたら、尾久駅で人身事故発生。京浜東北線で大宮、大宮から深夜バスという手があったが、酔っていて面倒なので、電車に座ったまま発車を待つ。けっきょく1時間半近くの遅れ。

13日日曜日。韓国の紀行作家・鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんが来日中で、山下さんが飲み会をセットしてくれた。15時に大宮のいづみや。ほかに、某編集者夫妻。前夜、誘っておいた野暮酒場店主。

チョンさんとは12年の11月以来の再会、あいかわらずタフ。旅と酒と酒場と、あれやこれやの話をしながら飲む、飲兵衛かつ旅好きは楽しい。二軒目は東大宮の「李香苑」へ、さらに勢いにまかせて移動、入りたい酒場を求めて入れなかったり、ほっつき歩いたすえ、三軒目は蕨西口の「㐂よし」。タップリ飲んで、泥酔帰宅。

チョンさんも山下さんも、まだ西口やきとんへ行ったことがないというので、この翌日か翌々日、野暮酒場店主が案内して行ったようだ。めでたし。

おれは、来年早々にパスポートをとり、いつでも韓国へ行けるようにしておくべしといわれ、「はいはい」と返事をしてしまった。

14日月曜日。王子飲み会が、王子ではなく西日暮里で、18時スタート。今年は夏に、古さんの父上が亡くなられたこともあり延期、正月以来のことになった。おれを含め5名。もう一軒はしご。近々、山ガール西さんの新聞連載をまとめた山の本が出るらしい。

18日金曜日。毎年恒例、表参道HBギャラリーにおける牧野伊三夫展のオープニングの日だ。

19時半近くに会場に着いた。すでにオープニングパーティーの真っ最中。どうやら最初に青木隼人さんの演奏があったようだが、それははずしてしまい、ギターのそばに立っている青木さんを見ただけだった。いつものように大勢のひと、しかし帰ったひとも多かったようで、割とゆっくり作品を見ることができた。

この日は、四月と十月文庫の6冊目、牧野さんの画文集『僕は、太陽をのむ』(港の人)の発売日で、会場にも置いてあった。もちろん買った。本のタイトルは表紙カバーの絵のタイトルでもある。いかにも牧野さんらしい絵だし、カバー折り返しにある「毎朝の散歩の途中、太陽を食べるように大きく口をあけて深呼吸をする」という文も牧野さんらしい。

今回展示の絵を見て、これまでにない落ち着きを感じた。大らかで力強い、野性の意欲、太陽の魅力のようだ。毎朝の散歩の途中で太陽をのんでいる効果か。

20時過ぎ、二次会の会場へ移動。例年の会場の蕎麦屋が21時半閉店になってしまったので、スパイラルホール近くの居酒屋へ移動。2時間飲み放題コースで、とにかく飲んだ。

牧野さんは、あちこちに書いたり描いたり、ひとの本を出したりしているけど、自分の単著は初めて。うれしそう。そして、自分の本はできあがったので、いつのまにか四月と十月文庫のつぎの著者に確定してしまったおれに対するプレッシャーは増大。はいはい、やりますやります。

終電で泥酔記憶喪失帰宅。

『僕は、太陽をのむ』、まだ読んでいる途中だが、「音楽を描く」がおもしろい。なかには、絵を譜面に演奏するひとの話も出てくる。「絵」とか「音楽」とか「文学」とか、とかく区別して考えやすいが、それを包括するようなインターフェイスのこと、あるいはその隙間にあるようなことが、なんとなく見えてくる。

牧野さんがいう「蓄音描写法」は、なかなか深い。社会的に生きる人間としての描写や表現に関わるようだ。つまりは「生き方」と「働き方」や「人間関係」そしてコミュニケーションのことでもある。

19日土曜日。有馬さんと西日暮里いづみやで16時待ち合わせ。非公式物産展・大村さんからの提案の件の打ち合わせ飲み。「川の東京学」は、来年、さらにガツンとおもしろくなる予定。

西日暮里のいづみやは酒場放浪記に出たせいか、いつもとフンイキが違っていたが、とにかく安く飲めた。勢いで、町屋のときわ食堂の本店へ。ここもよく混む。なんとか2人座れて、飲む。やっぱり安い。

すっかり酔った勢いで、町屋で有馬さんと別れた帰り、北浦和で狸穴へ。オシャレからはほど遠い、怪しい入りにくい小さな店なのに、若い客ばかり。一人で飲んでいた女子大生と、「都市の隙間」についての話をしながら飲み、泥酔帰宅。「都市の隙間」は、大衆酒場や大衆食堂も関係し、なかなかおもしろそう。

といったところかな。この間に、いろいろ仕事もし、いろいろ酒も飲んだ。

当ブログ関連。
2012/11/23
来日中の鄭銀淑さんと北区王子で飲んだ。

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2015/12/11

『dancyu』1月号、特集「いい店って、なんだ?」に、歌舞伎町のつるかめ食堂を書いた。

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年末はあわただしい。先週、ひさしぶりに風邪の症状が出たが休んでいられず、そのうえ、5日7日8日10日と東京へ行かなくてはならないスケジュールで、浅田飴なめなめ酒を飲み飲み強行突破していたら風邪は引っ込んでしまった。

この間いろいろなものが届き、いろいろな人に会って、いろいろおもしろいことがあったけど、とりあえず、この告知。

12月6日発売の『dancyu』は「創刊25周年記念特別号」で、特集は「いい店って、なんだ?」。

「なんだ?」というのは、問いかけなのか、それとも…。SEALDsがデモで「民主主義ってなんだ」を掲げ、本のタイトルにまでなったが、「なんだ?」というのは、つねに考えていなくてはならないことだけど、扱い方によっては、たちの悪いことになる。

大扉のページには、「dancyuに縁のある書き手52人に/お気に入りの店を一軒だけ揚げて/自分にとっての「いい店とはなにか」を語ってもらいました」とある。

「なんだ?」に対して「とはなにか」と。このあたりがクセモノになりかねない。

おれはそう思いながら、歌舞伎町のつるかめ食堂を書いた。「自分にとっての「いい店」」については書きながら、「とはなにか」については避けたりアイマイにして、「なんだ?」のクセモノの面に対処した。

ま、読んでいただくしかない。

書き手52人で、写真も52人。食べ物は写真だ。実際に、いつも写真スペースが大きく、文の文字量が少なくて悩ましいのに、書き手ばかりクローズアップされている。表紙も写真ではない。だけど、写真が、すごい。今回は、とくに。もくじに、ライターの名前だけじゃなく、写真家の名前も入れてほしかった。

どんな人たちが、どんな店を「いい店」にあげたか、もくじをご覧ください。
http://www.president.co.jp/dan/new/index/

で、歌舞伎町のつるかめ食堂の写真は、『雲のうえ』5号食堂特集と22号うどん特集などで一緒に仕事をした、齋藤圭吾さん。もう、バッチリ。おかず一皿の一枚写真に、猥雑で雑多な歌舞伎町のエネルギーや空気まで撮った感じ。この撮影の日は、終わってからよく飲んだ。

ところで、おれのプロフィールについては、編集さんが書いてくれたのだが、こんなふうになっている。

「著述家。1943年生まれ。「大衆食堂の詩人」「酒飲み妖怪」の異名を取り、"庶民の快食"を追求。著書は『大衆めし 激動の戦後史』などいろいろ。2011年2月号の「みんなの『味噌汁ぶっかけめし』で鮮烈の初登場を果たす。」

「著述家」と書かれたのは初めてだ。校正で気が付き、いつものように「フリーライター」にしてもらおうかと思ったが、プロフィールについては編集さんにまかせ口をはさまないことにしているので、そのままにした。こういう「肩書」は、おれにとってはアイデンティティに抵触するようなことではないからどうでもよく、編集サイドにおまかせなのだ。

「2011年2月号の「みんなの『味噌汁ぶっかけめしで鮮烈の初登場」には、おおそうかと思いだした。あのときは、『汁かけめし快食學』を読んだという編集さんから突然メールをいただいたのだった。おれのばあい出版社や編集部などに対して営業的な接触はやってないし、まったくつながりはないので、いつも、突然メールをいただいて始まる。

このとき、もしテーマが『味噌汁ぶっかけめし』でなかったら、引き受けたかどうか。

それで縁はできたが、とくに積極的に売り込むでなく、声をかけられたら有難くやらせていただいている。いつもグルメな書き方はしてないのだが、数えたら、いつのまにかけっこう仕事をさせてもらっている。そのうちザ大衆食のサイトにまとめてみようかと思っている。思っているだけだが。

『dancyu』に書いていると、ときどき、すごいライターのように思われることがあるが、あまりうれしいことではない。「書く」という仕事は、書いた出版社や雑誌によって、評価されるものではないだろう。

だけど、とかく、世間は、ある種のランク付けというかグレード付けというのか、それに知名度もまざり、「いい出版社」「いい雑誌」をはかりにかけ、どこのどんな雑誌に書いているかでライターをはかりにかける。業界内ですらそういうことがある。

そのていどの文化度では、「いい文化」は育たないね。

本誌の最後のほうに、「編集部から」というのがあって、江部編集長が書いている。今回のこれが、すごくおもしろいのだが、その件はあらためて。

とにかく、猥雑で雑多な歌舞伎町も、変転激しい歌舞伎町で堂々の営業を続け60年になるつるかめ食堂も、いい!

当ブログ関連
2015/09/19
東京新聞「大衆食堂ランチ」35回目、新宿・つるかめ食堂歌舞伎町店。

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2015/12/04

高岡オレンジ園の有機栽培みかんをモリモリ食べながら。

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2015/10/26「熊本日日新聞の記事に載っているよ、高岡さんからメール。」に書いた、熊本・三角町の高岡さんから、みかんをドッサリいただいた。さっそく、食べている。やっぱり、うまい。

ここ2,3日、めずらくし風邪の症状が出ていて難儀なのに、取材が3日ほど入っているし、締切までのスケジュールがタイトなので、このみかんをモリモリ食べて、なんとか撃退しようと思っている。

高岡さんのみかんは有機栽培で、そのことについての説明をプリントしたものが、一緒に入っていた。これは、1991年に高岡さんのみかんの販売を手伝ったとき作成し、いくつか説明する項目に変化はあるが、フォーマットは同じだ。

とくに下段の、みかんの木のイラストの囲みのなかに、「見かけは今ひとつ これが安全のしるしです」とあるコピーは、当時のまま使われている。

実際のところ、高岡さんのみかんを初めて見たときは、「うーむ、これは」と考えてしまった。表面の顔がよろしくないのだ。

普通のみかんと比べたら、「あばた」な顔だ。このままでは、受け取った人は、ビックリするだろう。しかし、食べてみると、アバタがエクボに見えるうまさ。そこで、この文章を思いついた。まだ使っていただいているとは、うれしい。

いやあ、いまでも、アバタがエクボのうまさ。

当時は、有機栽培に対する認知も理解も、いまでは想像できないほど低く、ノーキョーも見た目が悪いと引き取ってくれないし、消費者一般は「有機栽培」という言葉も知らない人が多かった。それが、いまでは、「農水省有機栽培認証」みかん。

それより、その囲みのなかにある、高岡オレンジ園の代表者の名前が変わっていた。これは、たぶん、東京のほうへ出ていた息子さんが帰って就農したからだろう。うれしいことだ。

いまでは60歳をすぎた高岡さんも、かつて若いころは、故郷を離れていたのだから、ま、人生いろいろあるってことさ。

高岡さんの家は、みかん農家の専業だ。

一言で「農業問題」「農村問題」というけど、日本の場合、じつに複雑だ。それは、もともと地形の複雑さがあるうえに、それを無視した農業政策を続けたことによる無理も関係する。ようするに、農文協編集部長や編集担当常務理事をつとめ一昨年に亡くなられた原田津さんの言葉を借りれば、「むらの原理」と「都市の原理」や「食の原理」と「農の原理」まで、関係することだ。

このなかで、あいかわらず、都市の原理や食の原理だけを、「都会人」の感覚で押し通すことは、どういう結果になるか。って、もう結果は出ているようなもんだが。

たとえば、みかん農家と米作農家は、まったく構造が違うなかにある。野菜農家、花卉園芸農家は、もっとちがう。レタス農家もあれば、キャベツ農家もある。そうそう、高岡さんとお付き合いしていたころ、いろいろな農家ともお付き合いしていたのだけど、茶栽培専業農家や、林業も米作も野菜もやっている(自家用ではなく出荷している)農家もあった。

それぞれ、地域的にも、文化的にも、歴史的にも、いろいろ異なる背景がある。それらをひとからげに「農業問題」「農村問題」として扱う、しかも「都会人」の感覚で。

「自営」という言葉がある。「専業」「兼業」も、じつに複雑だ。これに「後継者」問題がからむ。それもまた、「都会人」の感覚で問題にされる。

都会人といえば、たとえば、以前このブログで紹介した、『小さくて強い農業をつくる』の著者、久松達央さんが代表の久松農園は、都市近郊の野菜栽培農業だし、「久松農園」は株式会社組織だ。農業者必ずしも、「むら人」ではない。

一方、十日町市の有限会社「白羽毛(しらはけ)どりーむふぁーむ」の紹介もしたが、こちらは中山間地で米作農業を営んでいて、都市近郊とは、だいぶ事情がちがう「むら」だ。

だけど、どちらも、有機栽培を追求しながらの、家族経営とは異なる法人経営だ。

と、考えていると、おれは「フリーライター」で、いちおう「自営業」ともいえるが、はたしてそうなのかという感じでもある。だいたい、後継者なんぞ考える必要はない。家族であれ他人であれ、ほかに従事する人間もいない。それに配偶者が会社員だから、「兼業所帯」で、農家でいえば「兼業農家」に近い。高岡さんの「自営」と一緒にすることはできない。フリーライターは「自営業」というより「個人業」かな。いや、やっぱり単なる「文筆労働者」か。

なんだか話がそれそうなので、みかんを食べて、寝ることにしよう。

とにかく、自分の都合のよいように言葉でひとからげにして論じるのではなく、一つ、一つ、問題を吟味することだろう。それこそ「丁寧」にね。

最後になったけど、高岡さん、ありがとうございました。

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2015/12/03

「質」ってなんだろう。

日経ビジネス社のWebマガジン『CAMPANELLA カンパネラ』の11月26日号に、須田泰成さんが、中野のやどやゲストハウスを取材して書いてくれている。

東京・中野に外国人観光客と日本人の“コミュニティ”があった
「やどやゲストハウス」が取り組む、観光客と町をつなぐインバウンドな町づくり
http://business.nikkeibp.co.jp/atclcmp/15/279811/112000034/?campanella-landg-sp

そこで、やどやの女将が述べていることから、やどやの特徴を拾うと、こういうことになる。

「うちは、8割くらいが海外からのお客さんなんです。もとは、ヨーロッパの人が多かったのですが、最近は、アジアの人も増えてきましたね。有り難いことにリピーターが多いのが特徴なんです」

「どういうわけか、うちはノープランのお客さんが多いんです。いわゆる有名な観光地を目指すような人は、あまりいなくて、ただブラブラと街を歩くのが好きだったり、日本の普通の人と同じものが食べたかったりするような人が多いんです。美味しいラーメン屋さんの質問は、毎日のようにされますね(笑)」「最近は、中国、香港、マレーシア、韓国、アジアの若い人たちも、そんなふうに滞在する人が多いです」

「結局、ノープランがオモシロイんですよね。でも、今バックパッカーをしている日本人の子は、知らない土地をゆっくり楽しむということをしない人が多い。観光地をまわって写真を撮れば終わり、みたいな。でも、今のアジアの若い人たちは、自分がバックパッカーだった頃と旅の感性が似てるんです。ヨーロッパの人たちは以前から変わらずずっとそうですね」

異なる地域や異なる文化の「ふだん」に混ざりこみ、自由に楽しみ味わい、「人と人」「人とまち」などがフックし合うような「旅人文化」が熟成されるといいなあという想いが、やどやゲストハウスにはある。大きなことを言わなくても、小さな声でも伝わる旅の文化ともいえるだろう。

正式の名称は「YADOYA Guest House for Backpackers」であり、ドミトリー(相部屋)は2300円から、バックパッカーのための「安宿路線」でやっているのだが、安売り競争路線ではない。そこに、質的な特徴があるのだけど、この場合の「質」は、日本人一般の質に対する考えとずいぶん違うような気がする。

宿泊サービス業を考えるには、ほかのビジネスとの比較をしてみると、わかりやすい。

たいがいのビジネスには、「有機的なモノ」「無機的なモノ」「中間的なモノ」が介在する。

農林漁業の産物は有機的なものであり、その有機性をコントロール下においたものが加工食品。加工食品を有機的なものとみるか中間的なものとみるかは、それぞれの経営の「儲け」の考え方によるので、どうでもよい。「無機的なモノ」は、無機物の生産や、それを原料とした加工製品など。中間的なものは紙がないと成り立たない本とかコンピュータがないと成り立たない情報システムとか。

とかく、モノとサービスと情報に分類し、たとえば野菜栽培も金属加工製造もひとからげに「モノヅクリ」なんていう話もあるが、有機的なモノの生産や加工と、無機的なモノの生産や加工を、一緒にモノヅクリにしてしまうのは、乱暴すぎる。実際、そういうことで「職人仕事」や「手仕事」を語る向きには、カンチガイが多い。

宿泊サービスでは、モノはどのように介在するかというと、空間を構成するモノとしてだ。部屋の構造や広さや調度、アメニティ関連など。ホテルなど、「高級化」すると、このウエイトが大きくなる。ところが、やどやゲストハウスの場合は、日本人一般の感覚では、この介在は生活に必要な最小限といってよい。

この条件でリピートを確保するには、いわゆる「サービスの質」がものをいう。しかも属人性の強いサービスということになる。安宿路線とそれがどう成り立つかというところに、じつは、最大の特徴がある。

そのことを考えるたびに、日本人の「質」に対する考えは、どこからきているのだろうと不思議に思う。

安宿路線だが、外国人のゲストは貧乏人とは限らない。アジアのゲストなどは、日本人のエセ中流などと比べものにならないリッチな家庭の人たちが少なくない。

須田さんは、こう書いている。「受付を行き交う外国の旅人の様子を見ていると、「安くて便利」だけではなく、ここの場所と空気が好きで選んだことが、言葉を超えて伝わってくるのだ」。

「質」って、なんだろう。それは旅の質の問題だけでなく、生活や生活をとりまく、いろいろな質にも関係することなのだ。「いい仕事」って、なーに?ということでもある。

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2015/12/02

ですます調で「愛しの大衆食堂」。

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ときたま、思いがけないところから、思いがけない原稿の依頼があって、愉しい。

このあいだ、全国市町村教育委員会連合会というところが編集する『時報 市町村教委』という雑誌に、「随想」を書いてほしいという依頼があった。

「随想」という頼まれ方も初めてだが、おれでよいのか、間違っていないのかと一瞬考えた。だけど、添付の企画書を見ると、「愛しの大衆食堂」のタイトルで「ですます調」という依頼、ホンキなのだ。

教育委員会が、どうしておれなのかなあ、おれ、あんまり教育的な人間じゃないんだけど、でも大衆食堂も知らない教育関係者では困るなあ、と思いながら書いた。

ですます調に、「おれ」ではなく「私」で。大衆食堂がテーマで、ですます調は、たぶん初めてだ。

先月発行の掲載誌が届いたので読んでみたが、どうも自分が書いた文章のような気がしない。でも、おれが書いたのだ。

ジジイが「いい子いい子」しながら書いてらあと思ったが、ま、こういうのもアリか。「一般的」には、このほうがよいのかも、たまには「ですます」で書いてみようか。

この雑誌を見るのは、これが最初で最後になるかもしれない。いならぶ筆者は、ほとんど縁がない、教育関係の偉いみなさまばかり。

顔写真が必要といわれ、適当なものがないので、このあいだスソアキコさんの帽子展に行ったとき、山高帽にしては、山にデコボコがあって、実際の山のモチーフに近いデザインの帽子をかぶって、まりりんに撮ってもらった写真があったので、トリミングして使ってもらった。最初から最後まで、古風なカタイ事務的なイメージの誌面のなかで、浮いている。笑えた。

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2015/12/01

四月と十月、大洋印刷感謝祭。

001001おれは同人ではないが、「理解フノー」という理解フノーな連載をしている、美術同人誌『四月と十月』の、毎年恒例の「大洋印刷感謝祭」が先週11月28日(土)にあった。

大洋印刷さんには、『四月と十月』の印刷を担当していただいているのだ。

18時から阿佐ヶ谷「和田屋」の2階に、同人の方や編集の方、おれのようなその他の関係者などが集まり、定員を数名もオーバーする30人以上がギュウギュウ詰め状態で進行。

まずは、牧野伊三夫さんが、開会の挨拶と太陽印刷さんへのお礼の言葉。
つぎに、『四月と十月』の印刷にご尽力いただいていた、同人でもあり大洋印刷の役員でもあった松本将次さんが大洋印刷を退職されたので、退職お祝いの贈呈。同人の休ちゃんと安さんから贈呈された。
京都から出席の同人、扉野良人さんの音頭で乾杯。
青木隼人さんが、松本将次さんへの感謝の曲の演奏。まいどのことながら、素晴らしい曲と演奏だった。

004001あとはテキトウに自己紹介を順番にやりながら、食う飲む、おしゃべり。
大洋印刷で引き続き担当していただく大槻さんと同じチームの若い2人のご挨拶。頼もしいねえ。頼んだよ。
最後、最年長者のおれの音頭で手締め、シャン。

何時頃だったか、21時にはなっていなかったと思うけど、高円寺の「唐変木」へ移動、二次会。もうひたすら飲むだけ。

はあ、終わったのが24時ごろ。おれはもう電車がない、同じく電車がなくなった安さんと、瀬尾さん宅に転がりこんで、また飲んで、起きていられなくなり寝たのは何時か。

朝7時ごろ、瀬尾さん宅を出たら、中央線の上に月が残っているのが見えた。富士そばでそばを食べ、新宿へ出たら乾いていた喉をビールで湿したくなり、ベルクへ。酔いがもどり、ふらふら帰宅というアリサマ。

一次会の席で、酔っているのに、いや、酔っているからか、大事なことが決められてしまった。今年中に四月と十月文庫から発行の予定だった「理解フノー」は、おれが追加の原稿を書くのを100%さぼっていたら、締切を来年3月一杯と言い渡されたのだ。

今年は、もう一冊出す予定が、こちらも追加の原稿が、まったく進んでいない。すみません、すみません。

ところで、四月と十月文庫は、12月11日に、牧野さんの画文集『僕は、太陽をのむ』が発売になる。よろしくね。

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