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2016/01/31

戸板康二「米の飯」から。

山本容朗さんが編集の『日々これ好食』(鎌倉書房、1979年)は、飲食に関する作家の作品から「二編の小説と四十八の随筆」を選んでいる。

そのなかの戸板康二「米の飯」に、こういう文がある。以下引用………

 ライスカレーをはじめ、上にものをかけて食べる米の食べ方を、ぼくは一番、身になる食べ方のような気がしている。ぼくは高級レストランで食べるビーフシチューを飯にかけたい誘惑に、しばしば襲われる。
 三田通りにむかしあった洋食屋の加藤では、「カツのっかり」というのが名物であった。カツを飯にのせて持って来るのである。ナイフを入れてあって、ソースを上からかけると、カツの間からそれが飯に沁みていった。
 ハヤシライスにしても、のっかりにしても、カレー同様、飯をじかに自分の身につける気のする食べ物である。むろん、その米が、よく炊けていたら申し分はない。

………引用終わり。

引用しながら、ヨダレが出てきた。加藤の「のっかり」については、池田弥三郎『私の食物誌』にも、「のっかり」の一文があり、拙著『汁かけめし快食學』でも引用している。

体験的には、カレーやハヤシライスやのっかりは、「上にものをかけて食べる米の食べ方」である。「ぶっかけめし」「汁かけめし」のはずだが、こういう体験は、なかなか「歴史」にならない。ってことについては、その何故も含めて、『汁かけめし快食學』でも書いた。

それはともかく、「身になる食べ方」「飯をじかに自分の身につける気のする食べ物」という表現が、いいねえ。

戸板康二は、1915年生まれ。この文でも「米というものが、何ものよりも尊くおもわれたあのいやな時代」「「天道様と米の飯はどこへもついてまわる」という諺が、遠いところへ行っていた暗黒の時代、もうあんな時代は二度と願い下げにしたいものである」と述べているが、戦争の飢餓を体験している。「身になる」は、だからこその表現かもしれないが、食うことの根源のような気がする。

「暗黒の時代」は願い下げにして、身になる食べ方をしたい。もしかすると、「身になる食べ方」を大切にすることは、「暗黒の時代」の再来をふせぐことにつながるのかもしれない。

なにより、こういう体験を大切にし、シッカリ語り継ぎ、「歴史」にすることだろうね。ふわふわした味覚の話ばかりしてないで、「身になる食べ方」から「身になる歴史」をつくる。なんてね。

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2016/01/30

東京都区部の年収階層格差を知るデータを、チョイと。

2016/01/28「〈乙女マトリックス〉と、気になる中間層の崩壊。」で、中間層のことにふれたが、これは年収から見た中間層のことで、川の東京学にも関係する基礎データなので、主な数字をひろってみた。

こういうデータを調べるについても、インターネットが便利になって、総務省などのデータから計算し加工しなくても、見やすく整理されたデータを提供している、いくつかのサイトがある。

ここでは、2014年総務省発表のデータをもとにした、「年収ガイド」http://www.nenshuu.net/のサイトを利用させてもらう。データの整理がいくつもの角度からされていて、基礎データも豊富、サイトもみやすい。

まず「年収ガイド>都道府県別 年収データ一覧>全国市区町村 所得(年収)ランキング」のところに、このような説明がある。以下は、いずれも、平均年収の数字だ。

「平成26年総務省発表の資料より全国1741市区町村の所得を算出しました。/トップは例年1位の「東京都港区」/平均所得1266万7019円という桁違いの金額で2位千代田区に300万円以上の大差をつけ、今年も1位を堅守しています。/六本木ヒルズや青山、赤坂、麻布などハイステータスな人材しか居住することの許されない土地柄がこのような結果を生み出しています。/また、10位までに東京都区部が7区ランクインしており、首都東京の経済的な強さが表われるデータとなりました。4位は兵庫県にある関西の富裕層が居住する芦屋市で、関西圏では唯一のトップテンランクイン。/5位の猿払村はホタテ漁の好調さが所得を押し上げたようです。」

そのトップテンは、こういうぐあい。

1位…港区(東京都)…1,266万7019円。。2位…千代田区(東京都)…898万8291円。。3位…渋谷区(東京都)…756万5684円。。4位…芦屋市(兵庫県)631万7423円。。5位…猿払村(北海道)626万5300円。。6位…目黒区(東京都)…615万8887円。。7位…中央区(東京都)…593万1226円。。8位…文京区(東京都)…580万7646円。。9位…世田谷区(東京都)…536万4445円。。10位…軽井沢町(長野県)…513万7764円。

つぎに「年収ガイド>都道府県別 年収データ一覧>都道府県別年収ランキング> 東京都」を見る。すると、総務省発表データとはちがう、「厚生労働省発表の「賃金構造基本統計調査」をもとに、東京都の年収状況を算出」して、「平成26年の東京都の平均年収は612万6000円でした」とある。この数字は、ほかのデータと比べると高すぎる感じがする。ほかのデータでは、東京都の平均は400数十万円、450万円ぐらいという話もある。

とにかく、「年収ガイド>都道府県別 年収データ一覧>市区町村 所得(年収)ランキング>東京都 所得(年収)ランキング」を見る。これを見ても、「東京都の平均年収は612万6000円」というのは、4位の目黒区…615万8887円に近い数字で、22位以下62位まで4000万円未満がズラリ並んでいるから、この数字は何かに偏っている可能性がある。調べればわかることだが、いまはメンドウなので省略。

ここで、東京都の区市町村別の平均年収から、区だけを、順位にしたがって、ひろってみよう。

1位、港区…1,266万7019円。。2位、千代田区…898万8291円。。3位、渋谷区…756万5684円。。4位、目黒区…615万8887円。。5位、中央区…593万1226円。。6位、文京区…580万7646円。。7位、世田谷区…536万4445円。。8位、新宿区…508万3781円。。

10位、品川区…455万1865円。。12位、杉並区…452万5651円。。14位、豊島区…421万2108円。。17位、大田区…413万7140円。。18位、中野区…410万2854円。。19位、練馬区…407万2305円。。20位、江東区…404万5174円。。22位、台東区…394万9763円

32位、墨田区…359万7865円。。33位、板橋区…359万1968円。。35位、荒川区…352万6718円。。38位、北区…351万3765円。。40位、江戸川区…350万531円。。42位、葛飾区…341万7753円。。45位、足立区…330万7146円

隅田川を含む荒川沿いの区は、20位・江東区、22位・台東区、32位・墨田区、33位・板橋区、35位・荒川区、38位・北区、40位・江戸川区、42位・葛飾区、45位・足立区、であり、南部に新興のマンションが林立する埋め立て湾岸開発地域を抱える江東区の平均が400万チョイのほかは、300万円台だ。

川の東京学は、東京低地と台地の格差を問題にしようとするものではなく、低地から、あるいは低地の、東京をみようということなので、とりあえず数字として整理しておくだけだが、それにしても、こうしてみると、ずいぶんきれいな「格差」になっている。

1980年代後半のバブルのころから「階層消費」ということが議論になって、ようするにそのころから所得格差が拡大し、それにしたがって消費も階層化がすすむといわれた。マーケティングの分野でも「セグメンテーション」がいわれ、雑誌などの読者対象を、年齢(=所得)やライフスタイルにしたがって絞るようになったのも、そういう背景がある。

ところで、消費ということになると、個人の年収のデータも大事だが、世帯年収に注目しなくてはならない。そこで、都区内で最下位45位・足立区(330万7146円)の「世帯年収割合」を見た。

300万円未満…………… 37%(35%)
300万円〜500万円………26%(26%)
500万円〜700万円………14%(15%)
700万円〜1000万円………9%(10%)
1000万円以上…………… 4%(6%)
世帯総数 326,480世帯(人口683,426人)

()内は、全国平均だ。全国平均に近い階層構造だが、300万円未満が全国平均より多く、300万円〜500万円が全国平均と同じだ。500万年以下が63%を占める。ついでに、42位・葛飾区(341万7753円)の場合は、どうか。全国平均に近い構造をしている。

300万円未満…………… 34%(35%)
300万円〜500万円………25%(26%)
500万円〜700万円………16%(15%)
700万円〜1000万円…… 11%(10%)
1000万円以上…………… 6%(6%)
世帯総数 198,420世帯(人口442,586人)

東京都の平均年収が450万ぐらいだとすると、それに近い12位・杉並区(452万5651円)の場合も見てみた。

300万円未満…………… 30%(35%)
300万円〜500万円………25%(26%)
500万円〜700万円………13%(15%)
700万円〜1000万円…… 11%(10%)
1000万円以上……………10%(6%)
世帯総数 303,800世帯(人口549,569人)

都区部で最も人口が多く、豊かな居住者が多そうなイメージの7位・世田谷区(580万7646円)が気になる。

300万円未満…………… 21%(35%)
300万円〜500万円………21%(26%)
500万円〜700万円………12%(15%)
700万円〜1000万円…… 11%(10%)
1000万円以上……………13%(6%)
世帯総数 451,770世帯(人口877,138人)

と、まあ、こんなぐあいなのだ。年収で300万円台だと可処分所得は200万円台になる場合が多いし、実家住まいでもなければ、かなり厳しく、不安も大きく、消費性向は委縮せざるを得ない。

「消費者心理」や「消費性向」とかいわれるものがあって、こういう数字だけでは、中間層の動向を判断できない。だけど、かなり、こういう数字の範囲にしばられる傾向が出てきているのも、たしかのようだ。30歳前後から下の年齢ほど、その傾向が顕著のような感じがする。

とくに30代後半から上は、バブル崩壊後を経験していても、高度成長からバブル期を体験した家族や社会の資産的文化的影響や恩恵を少なからず受けていて、けっこう高度成長期の感覚や思考を引きずっている。

それはともかく、この数字に、総務省の家計調査をクロスさせていくなら、もっといろいろなことが見えてくるだろう。主に飲食関係を、少しずつ進めてみたい。

それにしても、総務省家計調査が発表になると、浜松と宇都宮が餃子でどうのこうのが話題になる。そんなふうにしか利用されない家計調査も、そんなふうに話題にされる餃子の消費もまちも、アワレというしかない。こういうデータは、もっと自分たち自身を知るために、活用したいものだ。

飲食の消費でトップを争うなんて、いまや「まちおこし」や「まちづくり」にまで利用されているようだが、その先に、どんな未来があるのだろう。

最後に、ここにあげたデータは、転記まちがいがあるかもしれないので、利用するときは元データにあたってください。

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2016/01/28

〈乙女マトリックス〉と、気になる中間層の崩壊。

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『クウネル』という雑誌のリニューアル号が出て、ツイッターでも一部の人たちが騒いでいたのは先週末。その週末の新年会で柳瀬さんを見て<乙女マトリックス>ってのを思い出した。正確には、「<乙女マトリックス>を読むための」用語の解説、というものだ。

これは、柳瀬さんが自由国民社時代に担当した『現代用語の基礎知識2007』の綴込付録「生活スタイル事典」の項目の一つだった。おれは、「さまざまな食育」を担当したのだが、この事典は、項目も執筆者も、なかなか多彩で、おもしろくできていた。

<乙女マトリックス>は、山崎まどかさんの担当で、<乙女マトリックス>なるものを作り、それを読むための用語の解説なのだ。

リード文に、こうある。「雑誌「Olive」が休刊となり数年、「乙女」たちはいま教科書もない世界を生き抜いて・・・って何だそりゃ?と思った殿方、あたの周りにも必ずいる、彼女たちのスタイルを知るべし。」

おれは、まさに、「何だそりゃ?」だった。そもそも、「乙女」だなんて……。おれは、「乙女」とは清純無垢純粋従順な「処女」のこと、というふうに、誰に教わるでもなく、児童から少年になる過程あたりで、自然に思い込む環境の時代に育っていて、そのロールモデルとして吉永小百合がいたのだが、あのバブルのころの「オリーブ少女」は、まわりに何人かいたが、すでにそういう乙女像とはちがっていた。

それに、『Olive』なんていう雑誌はバブリーな消費主義の先端でフワフワしていたもので、バブルがはじければ『Olive』もはじける運命でしょう、ぐらいにしか思っていなかった。ところがどっこい、そうではなかったらしいのだ。いささか、『Olive』や「オリーブ少女」に対する認識が軽すぎたか。

たとえば、速水健朗さんの『フード左翼とフード右翼』(2013年、朝日新書)でも、「オリーブ少女」について言及があり、『クウネル』や『うかたま』の読者は、「いまはなき『オリーブ』の残党と言っていい」「日本の60年代以降の新左翼運動は、オリーブ少女的な政治意識へと結実していったことになるのかもしれない」と述べている。つまり「オリーブ少女」は、もう、「元オリーブ少女」というべきかもしれないが、「フード左翼」として生きながらえている説だ。

とにかく、このマトリックスは、交差する二つの座標軸の真ん中に『Olive』を置き、右側が文化系、左側が生活系、上側がキャッチー、下側が渋好み。そして、右上、文化系とキャッチーのクラスタに『装苑』、左上、キャッチーと生活系のクラスタに『LEE』、左下、生活系と渋好みのクラスタに『暮しの手帖』、渋好みと文化系のクラスタに『東京人』が、それぞれ奥の院に鎮座している。

こういうマトリックスはデータ解析によるものではないから、ああでもない、こうでもないと突っ込みどころ満載だからこそネタになる。『LEE』クラスタにル・クルーゼがあり、『暮しの手帖』クラスタに南部鉄瓶があり、これが対照・対抗の関係にあるのは、笑える。乙女と南部鉄瓶、それが『暮しの手帖』クラスタ。確かに、そんなイメージか。

で、この図表の生活系の最も深い位置の、『LEE』クラスタに『天然生活』が、『暮しの手帖』クラスタに『Ku:nel』が、対照・対抗の関係になっているというアンバイなのだ。

用語の項目に「生活系雑誌ブーム」というのがあって、『Ku:nel』について解説している。

「2002(平成14)年に雑誌『anan』の増刊として発売された『Ku:nel』(マガジンハウス)に端を発するブーム。"スローライフ"をコンセプトにしたこの雑誌は、『オリーブ』の元編集長である岡戸絹代が編集長を務めていることもあって、『オリーブ』以降、何を手がかかりにアイデンティティを築いていいのか分からない女性層の圧倒的な支持を受け…」と。『Ku:nel』をアイデンティティの手がかりにした乙女たち…なんか、いそうだ、わからなくはない感じだ。

ところで、<乙女マトリックス>のページを読みなおしていたら、「岡尾美代子」さんの項目があって、びっくり。まったく記憶になかった。「ナチュラルで可愛らしいスタイリングで90年代の『オリーブ』の感性の支柱となった」と。ふえええ~。そんな方に、バカいって酒を飲んでいたおれは、乙女クラスタからは遠い野暮である。でも岡尾さんの仕事の本質は、「ナチュラルで可愛らしい」にあるのではないだろう。

リニューアル前の『Ku:nel』が「"スローライフ"をコンセプトにした」というのも不正確な気がするが、そもそも「スローライフ」なんて言葉は、どうとでも解釈できるからね、単に都合がよい言葉にすぎない。

ま、たいがい、制作側と読者側には、すれちがいがあるものだ。読者側にアコガレやアイデンティティの手がかりにしようという気持があれば、なおのことだろうが、そこに生まれる「誤解」が、うまく働いて成り立つ良好な関係もある。そこはまあイメージと実態のバランスの問題で、なんの商売にもつきまとう。

気がついたら、おれはちょうど2007年頃から、北九州市のフリーペーパー『雲のうえ』や美術同人誌『四月と十月』に関わったこともあって、今回のリニューアル前の『Ku:nel』の関係者や、元「オリーブ少女」の方たちとお付き合いする機会が増えている。

とはいえ、おれは『Ku:nel』のよい読者ではなかった。13年間の発行のうち、古本で買ったのも含め10冊ぐらいしか持っていない。

『Ku:nel』だけではない、この雑誌は800円弱だが、雑誌が800円前後となると、なかなか手が出ない。これは、おれだけの特殊な状況ではないようだ。

『暮しの手帖』や『東京人』となると900円するのだから、「渋好み」系は高くて、めったに手が出ない、ということになる。このあたりの雑誌を躊躇なく買える人と、そうでない人のあたりに、もしかすると格差のギャップがあるのかもしれない。おれが時々書いている『dancyu』は880円で、これもおれは新刊で買うことはないし、おれのまわりに定期購読のひとはいない、ツイッターでも買いたいけど買えないから図書館でみるといった声もある。

今回の『Ku:nel』のリニューアル騒動で、おれが気になっているのは、酷評を浴びているその出来上がりではなく、「乙女」や「オリーブ少女」のことでもないし、800円前後の雑誌を買える、中間層の動向なのだ。それと今回のリニューアルが無関係ということはないだろう。

収入格差の拡大は、もういろいろ言われているが、中間層は分解状態だ。東京都区内の区別の平均年収で低い方である区の、年収300万円代でも、手取りでは300万を割ることもある。リーマンショック前と後では、可処分所得がちがう、消費税の圧迫もある。エンゲル係数が高くなっている報道もあるが、消費増税の影響も大きい。

800円前後の雑誌を定期的に買える人たちは、どこにどんなふうに存在するのだろう。

ま、酒を飲む回数を減らせば買えるよ、といわれるかもしれませんがね。

そういうふうにわが身を律することができる人たちが買うのだろうか。どうもそうとはおもえない。

関連
ザ大衆食…『現代用語の基礎知識2007』綴込み付録「生活スタイル事典」に掲載「さまざまな食育」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_gendaiyougo.htm

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2016/01/25

27日は北村早樹子『わたしのライオン』発売日。

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昨年の暮れのわめぞの忘年会で北村早樹子というミュージシャンに会った。詞と曲を作り歌う歌手だ。

かなり酔っぱらってから移動した席に彼女がいたのだけど、小柄で眼鏡をかけたカワイイ普通の会社員風な感じだった。とくに個性的ぶるでなく、見た目も、ごく普通なのだ。トシは30ぐらいで、バツイチとかで、おれはバツニなので、バツの話になりやすいのだが、そんな話をしているうちに、彼女はゼヒ聴いて欲しいと『わたしのライオン』をくれた。そして、おれは終電が早いため、彼女の手がにぎりたくなって、握手してわかれた。

いただいたアルバムは、まだ非売品で、パッケージはなく、2016年1月27日発売のニュースリリースと、収録の歌詞がついていた。帰りの電車で歌詞を見たら、けっこうヤバイ歌詞だ。穏やかでない歌詞。これはハードロックかパンクそれともヤサグレ歌謡の系統なのだろうかとおもった。それにしては彼女は普通な感じだった。

盤を聴いて、おどろいた。精子や生血を飲むようなキケンな歌詞を、ウンコもしない人間のような、そう、昔の子どもの童謡歌手が歌う童謡のような、懐かしくさえある心地よい曲と声で歌うのだ。酒疲れの肉体がもみほぐされるような感じに浸った。

しかし、なんとまあギャップの大きい、あるいは、包摂する世界の広い、かつ猥雑な世界観なんだろうか。

情報社会が繰り出すさまざまな「正しさ」やキレイゴトの呪縛から解き放たれる痛快感もある。とにかく、野暮だし、おもしろい。

夜中に目が覚めると、暗闇の中から、彼女の歌声が聴こえてくるようになった。ヤバイことだ。

ってわけで、子猫のように可愛いがライオンのように油断ならない北村さんと『わたしのライオン』を応援することにした。

わめぞの大将、古書現世の向井さんが編集する、北村早樹子さんのメルマガ「そんなに不幸が嫌かよ!」もおもしろい。申し込みは、こちら。
http://www.mag2.com/m/0001664038.html

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2016/01/24

新年会と「スキマ」と「東京さがし」。

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きのうは、三河島のママチキンで新年会だった。そもそもは昨年末に忘年会やりましょうと声をかけられたのだけど、日程調整をしていたら、きのうになった。なんでおれと新年会なのだとおもって聞いたら、もういつ死ぬかわからない、来年会えるかどうかわからないから会えるうちに飲んでおこうということだった。ま、お互い生きているのはグウゼンだからね。

おれより30歳下の柳瀬くんが最年長、彼から約10歳下の前田くんと退屈くん、それから10歳とは若くないが1990年ごろ生まれの山本さんと住本さんといの一番くん、という顔ぶれだった。

いの一番くんは、『とんかつDJアゲ太郎』の共著者の一人イーピャオだ。この漫画はまだ見てないんだが、前田くんが編集長の『カルチャーブロス』1号の「イーピャオ・小山ゆうじろうインタビュー」がおもしろくて、とんかつがらみでもあるし、記憶に残っていた。ついでながら、『カルチャーブロス』は売れ行き好調で、次号が出るそうだ。まずは、めでたし、としておこう。

いまさらだが、おれが1990年生まれと一緒に酒を飲んでいるのにおどろいた。しかし、今年に入って1990年ごろ生まれの20代の何人もと酒を飲んでいるのだな。もちろん同じトシのつもりはないが、そこまでトシの差があるとは意識することがなかったので、おどろいた。

トシの差がハッキリ出るのは、音楽やタレントやアイドルの話になったときだ。これは、うちにテレビがないこともあるが、やはり流行や消長が激しいということもある、ほとんど話についていけない。

18時ごろから22時ごろまで、ママチキンの韓国フライドチキンはもちろん、料理をタップリ食べ、ここで造る生マッコリをタップリ飲んだ。やはり、人数が多いし、若者はよく食べるから、品数も多く注文できる。大人数でないと頼めないものもあった。いままで食べたことがない韓国料理も食べられた。みんながうまいうまいと豪快に食べまくった。やはりママさんの料理はうまい。ママさんも上機嫌だった。

話はいろいろだったが、おれと退屈くんが同郷の新潟のほか出身地がみなちがった。いの一番くんと柳瀬くんは東京だが、都内北区と大島だから、どちらもローカリティ豊かであり、かなりちがう。ほかは福岡、沖縄、大阪といったぐあい。近々いまの会社を辞める人あり、会社で抗争中の人あり、二足のわらじの人あり、ふっついたり別れたり、生活もさまざまだ。たった7人でも、ずいぶんちがう。ちがいながら、何か交差しているのだ。

きのうのエントリーで「スキマ」や「川の東京学」にふれたが、おもしろいことがあった。

いの一番くんが編集・発行のフリーペーパーをもらって、タイトルを見たら「おてもと」で、そこにそって、「町ゆけばスキマ・スキマになぜかある!!」というフレレーズが流れている。おお、やっぱり「スキマ」じゃないか。

住本さんが参加している『At』というフリーペーパーもいただいた。こちらは「早稲田大学文化構想学部文芸・ジャーナリズム論At編集部」が発行している。一冊丸ごと「東京さがし」という特集。

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「東京、TOKYO、トーキョー。場所によって表記も違えば、それを読む人によって発音も違う。そんなバラバラなイメージが集まって、1つの街を形作っている。だからこそ、ふとしたときに「東京って何だろう」と考えることが面白くなる。探せば探しただけ、必ず新しい顔が見つかるのだから」

「川の東京学」も一つの「東京探し」だ。

どちらのフリーペーパーも、東京が舞台で、「上京」や「故郷」が関係する。そして「東京」という大きな一つのイメージではなく「スキマ」に東京を探る。

なかなかおもしろい。

東京をさまざまな顔やイメージの集合と見るのは、しごく当然のことだろう。しかし、どちらも、東京低地は視野に入っていないようだ。編集に関わっている人が、東京台地側を生活基盤にしている人が多いのかもしれない。若さの特徴かもしれないが、たいがいショッピングから街を体験し、街に対するイメージを持つ構造があるようだ。それもあって、台地側に偏りがちになるとも考えられる。ショッピングのために低地側に足を運ぶということは、ほとんどないだろうから。

とにかく、「スキマ」と「東京さがし」は、これからまだまだおもしろいことになるとおもう。これらは、ダンゴムシ的テーマといえるか。

ま、よく食べ、よく飲み、よく話す、じつに自然体で闊達で愉しい新年会だった。こういうワカモノに声をかけられて飲むのは、なかなか刺激的でもある。これで一日ぐらいは寿命がのびたか。

当ブログ関連
2014/08/26
ジェントリーフィケーション三河島のマッコリ醸造場で。

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2016/01/23

「ダンゴムシ理論」やら「スキマ」やら。

おれが「ダンゴムシ理論」と呼ぶものは、去年だったか一昨年だったか、農学の専門家であり研究者であり、福島で放射能の農業に及ぼす影響や農業の復興に取り組んでいるAさんから聞いた話がもとになっている。

Aさんは、ダンゴムシの「分解者」の機能について語り、人間社会にも生産者でもない消費者でもない分解者が存在していることなどにふれた。分解者は、生産の能力や消費の能力から評価すると地味でダメで負け組の存在だけど、じつは社会の再生に不可欠なのだと、おれの勝手な解釈が入っているかもしれないが、そんな話だった。

これは、なかなかおもしろいと思って「ダンゴムシ理論」と呼ぶことにした。実際に、そういう目で見ると、なかなかおもしろいことがある。野暮も、ダンゴムシの一種ともいえる。「川の東京学」も、ダンゴムシ理論の実践ともいえる。

とかく近年は、販売も含め生産や消費に関わる話ばかりが、にぎやかだ。モノヅクリの文化だのアートだのというが、けっきょく生産や消費に関わる能力や感覚のことに回収されてしまう。

ま、ゆとりがないのかな。ガツガツしているのだな。その結果、教養だの文学だのは、役立たずみたいな扱いを受ける。すると、役に立つフリの文化や教養が頭をもたげる。

もう大小に関係なく、生産やら消費やらのリッパな文化っぽい話ばかりで息がつまりそうだ。丁寧で折り目正しい仕事や生活、プロフェッショナルのような仕事と生活、それを満たす街や店の話などで、みちみちている。

しかし、「東京」のメディアからは注目されないが、役立たずのゴクツブシな文化も健在だ。それはダンゴムシとして機能しているからにちがいない。「ゴクツブシ」といえば、やどやゲストハウスは、「ゴクツブシ理論」にもとづいているのだが、これはどうやら「ダンゴムシ理論」とも関係が深そうだ。

先日のエントリーでも書いたが、経済はカネを動かすが、カネは経済だけで動くものではないのだな。そこにダンゴムシが機能する。

丁寧で折り目正しい仕事や生活、プロフェッショナルのような仕事と生活、といった「秩序」がエラそうに蔓延している大都会の暮らしにウンザリしている人たちもいる。

こんなところに若い者は来ないだろうと思われるような大衆食堂や大衆酒場に、一人でいる若者を目にするようになった。彼らは「昭和」のイメージに惹かれるわけでもなく、昭和へのノスタルジーもない、そもそも昭和などは知らないのだ。

そんな彼らに話を聞くと、ウンザリな都会のスキマ、ウンザリな情報社会のスキマとして、大衆食堂や大衆酒場に居心地のよさを感じるらしい。

スターではない、地味で渋い存在の脇役や端役に魅力を感じるようなものだと、ある20代そこそこの男は言った。

大衆食堂や大衆酒場は、ダンゴムシのようだ。

話は変わるが、30歳半ばの超エリートの知り合いがいる。彼は、頭がよすぎたのか、勉強ができすぎたのか、日本の高校ではあきたらず、高校のときアメリカへ渡った。そして、するするとアメリカでトップの大学に入学、そこでも成績優秀で、「東大がなんだ」の気分だった。かれはいま日本にいて、三つほどの仕事をしているが、その一つの収入だけでも勝ち組だが、とにかく高収入。

彼は、「なんでもカネで片づける主義」を公言している。その彼が、「でも、なんでもカネで片づけるって、さみしいことなんだよ」と、シミジミいう。カネもないやつがいうのと違って、やけに真実味がある。

彼は、おれがときどき行く、昔のゴールデン街にあったような小さな猥雑な酒場へ行く。そこは、都会のスキマや情報社会のスキマを好む大学生なども来るところだ。そんなこと、そんな場所が、増えている感じがする。

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2016/01/22

川の東京学―「荒川流域の高低差まるわかりMAP」。

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去る18日月曜日、新宿は歌舞伎町のスガレタというより薄汚れた印象の中華屋で、非公式物産展の大村さんと有馬さんと、これからの「川の東京学」について相談した。これまでは、どちらかといえば、「川の社会学」の思いつきから手さぐり状態できたが、今年は、非公式物産展と川の東京学のコラボあるいは共同をすすめながら、もう少し計画的な前進を図ることになるのだ。

004タイミングよく、昨年の6月、埼玉県寄居町にある埼玉県立川の博物館から「荒川流域の高低差まるわかりMAP」というのが発行になっている。有馬さんに教えてもらって、昨年末、池袋のジュンク堂で入手した。

広げるとA1サイズ。荒川が秩父の山間から関東平野へ向かって流れ出る寄居町周辺からの流域と、埼玉県東部地域や武蔵野台地まで含まれている地形図だ。裏面には、川に関する、たとえば「流域」や「水系」といった基本的な知識についても図説があり、わかりやすい。

おれがいうまでもなく、いろんな人たちが指摘していることだが、とくに東京では地形図や地理がものをいう。というのも、近代になってから、関東大震災と先の大戦で東京は丸焼けとなり、歴史を残す古い街区の建造物の大部分を失ったからだ。そして、イメージの東京だけが一人歩きすることになった。東京の近代は、イメージでつくられているといっても過言ではない。

しかし、地形や地理は、だいぶ変わっているとはいえ、その変わり方は把握できるものだから、これが東京の実態に迫る大きな手掛かりになる。

いま「東京」という言葉を使っているが、東京は一つではない。このことも最近よく言われるようになった。

このブログでも何度か書いている、1987年発行の『「東京」の侵略』は、東京に「」をつけているわけだけれども、その東京は、とくに70年代後半から激しく膨張した山の手の情報と文化、地形的には武蔵野台地の上からのイメージによってつくられた東京だ。

では、それまでの東京は、どうだったのだろう、いつごろからどうして「東京」になったのか。ということは、「川の東京学」をやりながら、だんだん明らかになっていくだろう。川の東京学は、東京低地をほじくりかえしながら、「東京」をも照射する。

「東京」は、地方のイメージまで付与しコントロール下においてきた。地方は「東京」から与えられたイメージを生きてきた。というか、極端な東京集中のなかで、そうぜざるを得なかったともいえる。

自分で自分のイメージをつくり自分のイメージを生きることは、自立を望むなら不可欠のことだとおもうが、「東京」以外では、これがなかなか難しい。地方創生だの再生だのが繰り返し叫ばれながら、地方も田舎も「東京」から与えられたイメージのなかで苦労している。

とくに東北地方では、そういう状態が長く続き、一方では「東北学」なるものも生まれているが、東京との歴史的なしがらみから自立するのは容易じゃない。

東京低地も「東京」から付与されたイメージを生きてきた。それは東京であるけど東京でないようなものといえるだろうか。

いま「格差」と「幸福度」が話題になっている。収入と幸福度は必ずしも一致しないということだ。これがまた、「東京」が他者に与えるイメージに一役買っているように見える。なぜか、東京低地の収入が低い方の区に幸福が集まるイメージだ。都道府県別でも、そういうことになっている。

カップラーメン一個にシアワセを感じることがあるように、幸福度は収入に比例するわけじゃないが、収入が低ければ幸福度の基準点や達成点そのものが低くなる可能性は大いにある。欲がなければ幸せでいられるという、世捨て人の幸せと同じリクツだ。

最近のこういう傾向は、気になる。格差や幸福度のことは別によく考えるとして、とにかく、自らのイメージを自ら生きられない不幸を、「東京」はばらまいてきた。

これは祖父母の代に遡ると、もう何をどう食べていたかわからなくなる、そこにどんなスタンダードがあったかもわからない不幸と同質のものだろうとおもう。

話の行方がわからなくなりそうなので、このへんでやめよう。「東京」が付与してくるイメージにふりまわされることなく、土地土地の事情を把握し理解することが、お互いの幸せのために必要だろう。

昨日のエントリーに「墨田区には「ドンヅマリ」という路地が多い」と書いた。路地も、地理として把握できるもので、東京低地の事情が関係する。

すでに、「東京の路地の町・向島を拠点に袋小路「どんつき」の研究に取り組む団体」、「ドンヅキ協会」なるものもある。
https://dontsuki.wordpress.com/

「川の東京学」としては、このへんも視野に入れておきたい。

でもまあ、川の東京学は、これらや東北学より野暮なものだとおもうけど、野暮は野暮なりのやりかたがあるわけで、これからが楽しみだ。かっこつけようとすると、フワフワした「東京」のイメージに飼いならされてしまうからね。

「荒川流域の高低差まるわかりMAP」の話をしようと思ったのに、まったくズレてしまった。川の博物館のサイトに案内があるので、ご覧ください。
http://www.river-museum.jp/news/map.html

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2016/01/21

墨田区曳舟周辺で盛りだくさんな一日。

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1月9日土曜日は、猪瀬浩平さんのお誘いがあって、10時半に曳舟駅で待ち合わせだった。

去年の10月2日に、明治学院大学の猪瀬さんの授業で「おもてなし論」をやった、その延長線上ということのようでもあったが、ま、細かいことはどうでもよいのである。

午前と午後の部があって、午前は、曳舟で開催の「すみだ青空市ヤッチャバ」見学だ。猪瀬さんに「曳舟駅」で待ち合わせといわれ、おれのアタマにある「曳舟駅」へ行った。ところがそこは正確には「京成曳舟」だった。その駅名を見ても、ここが「曳舟」と思い込んでいた。待っても、誰も来ない。近頃は、おれも携帯電話を持っているので、こういうときは便利だ。連絡を取り合って、すぐ近くのヤッチャバの会場で落ち合った。

曳舟文化センターのとなりのイトーヨーカードーが入っている複合ビルの向い、再開発タワーマンションの前の広場が会場だった。猪瀬さんは1歳半の娘さんを連れ、ほかに先年明治学院大学を退職された勝俣誠さんと教え子の方がいた。ヤッチャバを見ながら、事務局長の松浦伸也さんの話を聞いた。

松浦さんについては、ウワサは聞いていて、どう考えてもおかしなおもしろそうなひとだ、ぜひ会ってみたいと思っていた。いやあ、確かにおもしろいひとだった。30歳そこそこで、行動力は若いから当然としても、練れた考えと実践力におどろいた。

「すみだ青空市ヤッチャバ」は、いわゆる「産直市」だ。近年は農水省によって「マルシェ・ジャポン」なる薄気味悪いネーミングのものが推進され注目されているが、たいがい「オーガニック」や「ナチュラル」を看板に、「正しい意識高い」系のオシャレな市民活動というイメージのものが多い。開催場所も、あまり生活臭の漂わない青山や恵比寿などが話題になっている。

「マルシェ・ジャポン」政策が、いろいろな産直市を後押しをしている背景はあるようだが、しかし、「すみだ青空市ヤッチャバ」は、そういうイメージではなく、会場の横断幕からして、地べたの生活臭ささや泥臭いあたたかさがあった。墨田という場所や、けん引役というかプロデューサー役というかの松浦さんの考え方やキャラクターもあるのだろう。

「すみだ青空市ヤッチャバ」は曳舟と両国で開催している。最初は、墨田区役所の前で、開催も数か月おきだったが、2011年3月の東日本大震災をキッカケに、変わった。もっと区民が利用しやすい場所でと、2か所の開催になった。開催数も次第に増えて、いまでは毎週土日。最初は、わずか2店舗だったが、いまでは10倍。

松浦さんとは、近々またお会いすることになっているので、この件については、これぐらいにしておこう。なにしろ、この日は、行ってみたら、ずいぶん盛りだくさんのプログラムだったのだ。午後の部は、地元の明学の学生の案内で街歩き、さらにそれは夜の部へも続くのだという。

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まずは、午後の部の「おもてなし論」の授業の学生たちと合流した「蕎麦屋」が、おもしろかった。墨田区には「ドンヅマリ」という路地が多いのだけど、この店もドンヅマリの路地にあり、店はここだけ。しかも普通の民家そのまま、昼の営業時間中だけ「そば」の幟が立つというもの。

外観だけでなく、なかも店舗仕様ではない、普通のオウチだ。玄関で靴を脱ぎ、台所から隣の居間に入ると、座卓を二つ三つ並べテーブルクロスで覆ってある。そこに詰めあって食べるのだ。12人も入れば一杯だろう。入った早々には、おれたちのほかに、頭にネジリ鉢巻の近所の工事現場の労働者、お散歩街歩きの若いカップルというぐあいだった。

029おれより少し年下に見えるおばさんが一人でやっていた。そばは、かけかざるか、その天ぷら付きのみ。これは、注文するとおばさんが、台所の隣の台所で作って運んでくれる。それ以外に、チョイとした煮物や漬物が食べ放題、カレーライスは一杯100円で、どれも自分で盛って食べる。

この蕎麦を食べて、これはどうもふのりの蕎麦のようだ、もしかしたらおばさんは新潟の出身かと思った。帰りに聞いてみたら、やはり、しかも小千谷の出身だという。おれは六日町だというと、「あら~、あちらはやっぱりこの蕎麦よね」。そうなのだ。小千谷も六日町もおなじ魚沼地方で、東京でなにやら「更科」などの暖簾の蕎麦が上等と思い込んだ人たちに、「こんなのは蕎麦じゃない」といわれることもある蕎麦を食べて育っている。

おれはカレーライスとざるそば。勝俣さんがビールがあるのを見つけて来て抜く。勝俣さんは初対面だが、快活闊達なかたで、話がおもしろい。そういえば、猪瀬さんも松浦さんも、快活闊達だ。

この蕎麦屋で「おもてなし論」のときの学生4人と先生のKさんが合流、勝俣さんと教え子の方は授業があるので離脱。地元の学生Nさんの案内で、鳩の街へ。

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鳩の街を歩くのはひさしぶりだ。10年ぶりぐらいか。学生たちは、ここが遊郭だったことを知らない。その建物は、10年ぐらい前と比べると、ずいぶん少なくなって、ドンドン新しい建物に替っている。新しい店もできている。その一角、今風の新しい建物の前でもちつきが行われていた。学生たちも、もちつきに参加。つきたてを食べる。

夕暮れが迫ってきた。夜の部は、松浦さんも利用しているシェアハウスで懇親会だという。シェアハウスは京島にある。そこへ行く途中で銭湯に入るのだという。なかなかおもしろい企画だ。おれは手拭番長の影響で、いつも手拭を持っているから、銭湯OK。

猪瀬さんは子連れだしKさんは風邪っぴきで不調とあって飲み屋で待つことに。女子学生3人は女風呂、日本の銭湯初体験の韓国の留学生のRさんとおれは男風呂に。

「あづま湯」、天井の高い大きな銭湯だ。風呂に入りながらRさんに、韓国と中国の銭湯事情のちがいや入浴習慣のちがいなどを聞く。これがおもしろかった。民族による「清潔感(観?)」の違いや日本支配の影響やら。Rさんは、女湯と男湯の仕切りの壁の上が空いていて、声が聞こえるのをおもしろがっていた。

銭湯のあと京島の橘商店街へ。ここはときどき来ている。学生たちが差し入れの買物をしているあいだ、おれは猪瀬さんとKさんが飲んでいるやきとり屋で一杯。湯上りのビールがうめえ。

シェアハウスは、一軒の大きな民家をシェアをしているもの。住人は6人だったかな。そのうちの一人が、長崎の五島に旅をし初めて釣りをして、大きな鰤と真鯛を釣り上げた。それが届いたので、おろして刺身と鰤鍋で食べるのが今夜のメインイベント。

住人の知人たちも新たに加わって、6畳と8畳ほどの続き座敷で、まずはカンパーイは18時半ごろだったか。松浦さんは100キロをこす巨漢で、よく飲む。飲むとますます愉しい。いろいろな話をする。

問題は、魚をおろしたことがある人がいないことだった。おれをのぞいて。でも、釣り上げた本人が、ネットでおろしかたを調べてやるという。鰤は70センチぐらいあって、台所のシンクにもまな板にもおさまらない。彼は苦労しながらおろす。

三枚におろしたところで、おれも手伝う。半身の皮をとり、刺身と鍋用にするのだが、まな板が小さいだけでなく、庖丁の切れ味もイマイチで手こずる。鰤を始末したあとは、おれが鯛をおろすことになった。鰤をおろした彼は疲れ果て、飲みに加わる。

鯛をおろすのは2年ぶりぐらいと思うが、こんなに大きな鯛は始めてだ。ぐいぐい酒を飲みながら、おろして、刺身と、あらはあら汁にする。途中から、帰ってきた住人の25歳だったかな?の女子が手伝ってくれた。

066作業しながらの話によると、彼女は関西の出身だが家族と折り合いが悪く家を飛び出し上京、そのときからシェアハウス暮らし歴5年。1年ほど前に、気分を変えるため、ここに移った。シェアは特別のことではない、普通の生活。仕事もうまく行っている。ときどき故郷に帰るけど、友達に会うためで実家にはよらない。

とかやっているうちに、気がついたら、猪瀬さんたちや学生たちは、地元のNさん以外は、帰ってしまっていた。魚をおろしたあとの片づけをし、おれも終電の時間に遅れないよう、酔った身体で外へ出てみれば、スカイツリーがゆらゆらゆれていた。

いろいろなことがあり、いろいろ刺激的な一日だった。とりあえず、いろいろな話をしながら、こんなことを考えた。

経済はカネを動かすが、カネは経済だけで動くものではない。ケリや白黒をつけないほうがよいことも多いのに、都会の論理はケリや白黒をつけたがる。それは重層的なコミュニティが失われたなかで暮らしていることに関係があるのではないか。東京低地には、まだ重層的なコミュニティの構造や、それをヨシとする文化があるようだ。やっぱり、銭湯は、いい。

当ブログ関連
2015/10/03
いまニュースなM大学で「おもてなし」論の授業をした。

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2016/01/19

東京新聞「大衆食堂ランチ」39回目、浅草 水口食堂。

先週の15日は、第3金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。今回は、浅草の水口食堂で、すでに東京新聞Webサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016011502000157.html

浅草には、いくつも食堂があって、歴史も古い有名店の「ときわ食堂」については、以前に紹介している。ときわ食堂は、浅草寺の正面、雷門の近くにある。こちらは観光客や参拝客でにぎわう地域だ。

水口食堂も、ときわに負けない人気店だが、浅草寺の西側、昔の6区を中心とする地域で、雷門側とは趣がちがう。

前から、いつかここの「いり豚」のことを載せたいと思っていた。このメニューが残っている食堂は少なくなった。

「いり豚」は「炒り豚」であり、タマネギと豚肉を炒め、店独自の味付けをしたものだ。

この連載の最初の天将にもあって、そのときは「ステーキ」を載せてほしいとの新聞社からの注文でそうしたのだけど、瀬尾幸子さんとの共著『みんなの大衆めし』などでは紹介している。

水口食堂のいり豚と天将のいり豚は、味がちがう。それは、仕上げのソースの味のちがいだけではなく、炒め方のちがいもあるようだ。ちがって当然だが、料理的におもしろいことだとおもう。

そこにも書いたが、いり豚を食べると、中華鍋などでタマネギと豚肉だけをさっと炒めスープを加えて煮立て、カレールーをといただけのカレーライスのことを考える。これを食べさせる食堂が深谷にあったが、いまでもあるかどうか。ほかに、ときどき中華が中心の大衆食堂で出あうことがある。

単純だけど、単純なだけに、料理的には奥が深いようで興味がつきない。

話は、変わるが、関係なくはないこと。

『dancyu』のラーメン特集、「立ち食い蕎麦」の坂崎さんとのトークもあって、「単品グルメ」についてあらためて考えている。

単品グルメは、ラーメン、カレーライスあたりから沸騰した。いわゆる「B級グルメ」という分野だけど、1980年代の後半からだろう。その後いろいろあるが、ようするに単品をテーマにした食べ歩きや食品の批評、その雑誌の記事や本など、メディアを含めた現象をさす。

なぜこのような現象がにぎやかになったのかもおもしろいが、それはともかく、「いり豚グルメ」は、これをメニューにする店も少なくファンも少ないから成り立たない。

だけど、水口食堂と天将のいり豚を比較し批評することは容易だ。

しかし、立ち食い蕎麦屋で評判の高いA店と水口食堂と人気のラーメン店のB店を比較するのは難しい。

そこに単品グルメが成り立つ、落とし穴があるようだ。どういう落とし穴かは、そのうち書いていくとして、単品のモノを比べるのと、単品のモノから店をみるのと、店からモノをみるのとでは、だいぶちがうわけだ。

ところが、書くひとによって、そこに、おなじ論理が働いていることがある。そこを考えると、とてもややこしい。書いているひとが、「産業論」と「技術論」と「経営論」と「文化論」と「食品論」と「料理論」と「味覚論」などや、はたまた「人間学」的なこと、などなどをごちゃごちゃにし自分に都合のよいように解釈するからだ。ま、ふりかえってみると、おれもそんなことがないわけじゃない。

あらゆるモノゴトは、「事情」を抱えて成り立っている。「事情」とは、矛盾のことで、リアルであるとか、キレイゴトであるとかないとかは、矛盾をどう把握しているかによるだろう。

ところが、単品グルメとなると、そのあたりが、キレイに整理されてしまう。そのうえ、いいものを語っていれば、いいものだけが生き残り全体がよくなる、といったような、オメデタイ「自然淘汰説」が露骨に機能していることが少なくない。

店の大小に関係なく、1等立地で、親の代からの商売、しかも親の財産も太い、政治業界でいうところの「地盤・看板・鞄(カネ)」のサンバンで呼ばれるものが揃っている店と、2.5等や3等立地で、地盤も看板も鞄もなくやっている店を、どう比べるべきか、単品グルメでは、そのへんの事情は無視されやすい。

2.5等や3等立地の店では、1等立地でサンバンが揃っているような店と同じ材料や人材を使えないのは当然だ。相手にしてくれない仕入れ業者だっている。そういうところで苦労し工夫をこらしている店は、あまり注目されない。

書く方も、こういう店を相手にしていては、自分のネームバリューも上がらない。かたい評価のあるサンバンにすりよっていくのは、政治業界に限らずよくあることなのだ。

いり豚というのは、時代的にみれば、日本全体が2.5等や3等立地的存在だったころのメニューだ。これを食べるときは、いろいろな「事情」を考える。時代も人も、いろいろな「事情」を抱えながら働き生きている、ってことだ。

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2016/01/18

ふみきり@溝の口でのトーク、盛況御礼。

一昨日のふみきり@溝の口での坂崎仁紀さんとのトーク、ご参加のみなさん、ありがとうございました。

ふみきりはスタンディングが基本の店とはいえイスも用意してあり、人数によってはイスを使う予定だったけど、それでは入りきらない人数になったことから、トーク後の懇親飲みも含め約4時間立ち続けというアリサマだった。お疲れさまでした。

002最初の写真は、会場のものではなく、大宮のいづみや。なんだか、なごみますね。

おれは、東大宮から遠い溝の口へ行くのに、まずは大宮のいづみやで一杯やり、つぎに新宿あたりで一杯やり、という予定で、早めにウチを出た。近頃のいづみやは、いつも混雑していて(最近また『散歩の達人』に載った影響もあるらしい)、この日も9割方の入りで、空いていた壁と向き合うカウンターに座ったら、目の前に、このPOPがあった。

これ、どうやって作ったのだろうと、目を近づけて見るけど、わからない。とにかく、絵柄はいづみやのおばさんの感じがよく出ているし、だけど手描きでもないし、オリジナルでもないようだ。それにしても「舶来ハイボール」とは、まさに昭和的表現。

デレデレ飲んでいるうちに、気がつけば、時間がギリギリになっていた。もはや、新宿でもう一杯の余裕はない。渋谷で田園都市線に乗り換え、ふみきりに着いたのが17時。トークのスタートは17時半の予定だ。

ふみきりは、初めて行ったのだが、コの字カウンターの店。厨房ではタイショーが料理を作っていた。「タイショー」とは、以前から、ときどき当ブログに登場している、塩崎庄左衛門さん。たぶん10年以上前、タイショーと初めて会ったときは、カメラマンだった。そのころは、田口ランディさんと一緒にメキシコを旅し写真を撮り、『オラ!メヒコ』(角川文庫)という本になっていたり。いまでも、カメラマン仕事もやっているらしい。おれとは日本森林再生機構の同志だ。ようするに、一緒に酒を飲んでいるだけで、よくわからない楽しい関係なのだ。

そのタイショーが『ちょっとそばでも』の著者・坂崎さんと知り合いだった関係で、今回のトークになった。坂崎さんとは、昨年後半、鴬谷の信濃路でタイショーに引き合わされた。その後、メールでのやりとりはあったが、顔を合わせるのは、この日が2回目。

これまで東京西南方面でのトークというと、下北沢や経堂では何回もトークをやっているが、渋谷の大盛堂書店で速水健朗さんと対談、鎌倉でヒグラシ文庫の主催で瀬尾幸子さんと大竹聡さんと鼎談をやっているだけで、東急沿線では初めてだ。

ということで、今回は、いつもの野暮連な面々のほかに、横浜方面の方々が来てくださった。予告もなくあらわれた、久しぶりのエロモリタ夫妻、うれしかった。かねがねお会いしたいものだと思っていた在華坊さんが来たくださり、うれしい初対面の挨拶。

エロモリタ夫妻は、あいかわらずエロ元気で楽しい。トークが始まる前からエロ夫妻と野暮連周辺は、「野暮は正しい!」「エロは正しい!」とエロウ盛り上がり、そのままトークに突入した。

もちろん、坂崎さんのお知り合いや、立ち蕎麦ファンの方もおられた。

坂崎さんとおれとで事前に用意した、といっても、おれは写真をセレクトし坂崎さんに送っただけ、坂崎さんがまとめてDVDにしてくださった。それを映し、その前で、トークする。お客さんも立ったまま。店内一杯なので、舞台スペースというほどのものもなく、お客さんのなかに混ざりあう感じで、これが、なかなかよかった。やはり、舞台的空間と客席的空間が別なのとは、だいぶちがう。

最初の画像は、かつては、都内の「国電」の駅いたるところにあったが、いまは秋葉原駅の総武線ホームにしか残っていない「ミルクスタンド」だ。そして、話は、「初めての立ち食い」ってあたりから。

戦中の1943年生まれのおれの年代は、たいがい「立ち食いイケマセン」で育っている。田舎育ちも関係するのだろうけど、上京して、ミルクスタンドの前で立ったままパンと牛乳で腹ごしらえすることに抵抗感があった。抵抗感がありながらも、空き腹には抵抗できず、利用した。1962年頃の「国電」駅には、ミルクスタンド以外、たいしてなかった。

1959年鎌倉の生まれ育ちの坂崎さんのばあいは、『ちょっとそばでも』の「名代 富士そば」のところにも書いているように、10代ぐらいに、この渋谷店に行った記憶がある。

そこにある年代と体験の差は、立ち食いをめぐる文化の変化でもある。

蕎麦は江戸の「ファストフード」といわれたりするけど、「立ち食い」となると事情は単純ではない。立ち食いは、戦前からあったのだけど、都市の下層労働者のあいだでのことだった。そして、戦後は、都市のサラリーマンとの関係で成長した。つまり、高度経済成長期と重なる。立ち食いが「市民権」を得て、「ファッション」にまでなったのは、1970年代前半、マクドナルドの進出からだろう。

そうそう、イチオウ、このトークのテーマは「これが昭和だ東京の味だ」ということだった。立ち食い蕎麦は、戦後の昭和の食文化や東京の食文化を、とてもストレートにみることがきる。もちろん大衆食堂もそうなのだが、大衆食堂は立ち食い蕎麦店より空間的なゆとりがあったぶん、空間の物語性が占める割合が大きくなる。過剰な人情話など。

立ち食い蕎麦店は、近年はイス席が拡充するなど様子が変わってきたが、それでも基本は、金銭と時間の制限がある勤労者によって支えられている。空間に物語性があったとしても、お客の滞在時間は短いし、そこに期待される割り合いは、わずかだ。

おれは、そう思いながら、このトークにのぞんだ。

いろいろ話は転がり、最後は、「いい店おもしろい店」を画像で紹介しながら、興味深いところを話して、終わりとなった。

立ったままのトークというのは初めてだったと思うが、身体を自由に動かせるから話のリズムをとりやすい、スタンダップコメディのように、調子よく楽しく話を運べるが、トシのせいもあって疲れる。最後の方は、疲れて、メンドウになって、終わりにした。

あとは、もう懇親会がにぎやかでしたね。これが楽しみのわけです。もうドンドン飲んで、途中からよくわからない、どうやって帰ってきたかもわからない。よく帰って来れたなあ。

書くのもメンドウになったので、これぐらいで。

酔仙亭響人さんがツイッターに写真をアップしてくださった。どうもありがとうございました。

在華坊さんも、ツイッターでコメントしてくださいました。ありがとうございました。そのうち、在華坊さんと野毛を飲み歩きたいと思っています。

溝ノ口『ふみきり』で、エンテツこと遠藤哲夫さんと坂崎仁紀さんのトーク。立食いの都市下層労働者からサラリーマンへの需要変遷、北関東の粉食文化、街場の蕎麦と一味違う大衆蕎麦、関東の味とは砂糖と醤油、大衆食における出汁の意味、面白い大衆蕎麦大衆食堂の店情報、興味深い話テンコ盛りだった!
22:01 - 2016年1月16日
https://twitter.com/zaikabou/status/688345295474720768

溝ノ口『ふみきり』は居心地の良い店でした。トークのあとは、エンテツさんや、野毛をはじめあちこちの飲み屋事情に詳しい方、野毛闇市についての出版関係の方、美術館関係の方、牧野伊三夫さんのお知り合い、歓楽街の社会学に知見のある方、いろんな方とお話できて、とても楽しい時間でありました。
22:06 - 2016年1月16日
https://twitter.com/zaikabou/status/688346552553754624

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2016/01/15

発売中の『dancyu』2月号ラーメン特集に書きました。

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001おれがラーメン特集になんて似合わない、というひともいるけど、ま、適材適所ってことか、それはここに載せる店の写真からでも、わかってもらえるかもしれない。

おれが取材と文を担当したのは、笹塚の10号坂にある「福寿」であり、1980年代後半からのB級グルメのラーメンブーム以来の、姦しい「ラーメン道」「職人道」といったものを極めるラーメンではなく、昔の大衆食然としたラーメンでありラーメン店なのだ。

そして、「そこにずっと昔からある。」というコーナーに、ほかの数店と共に収まっている。

正確には「中華そば」だろう。。福寿の中華そばを食べてみると、やっぱり料理としては、「ラーメン」と「中華そば」は別モノではないかと思いたくなるほどだ。おそらく、いまどきのラーメンしかしらないひとは、「ちょっとちがう」と思うのではないか。実際、ここのラーメン、じゃない、中華そばを食べ、ラーメンとの違和感を持ったひとがいた。「まずい」というひともいる。

だけど、おれからすると、これが、まさに中華そばでありラーメンなのだ。ラーメンというと、蕎麦屋か大衆食堂のラーメンがほとんどだった時代、つまり札幌ラーメンの席捲以前に関東で大勢を占めていた中華そばであるところのラーメンなのだ。

しかも、創業の先代が蕎麦屋からの転身ということもあるのだろう、麺や汁の感触から「日本蕎麦」の感じが伝わってくる。「質実剛健」を感じる味わい。

こういう話は、誌面には少ししか書いてない。もっと心動かされることがあったので、それを中心に書いた。

店主はおれより2歳上の74歳。おれは店主に、「あんたそのトシでよくやっているねえ、うちに取材に来る人たちは、もっと若いよ」といわれ、おれはドキッとしたのだが、このトシになると、店に立つ店主も大変だ。

そして、店主は、アタリマエのことだけど、あまり耳にすることがなくなった、いかにも街に生きる「大衆店」のあるじらしいことを言った。その言葉に打たれた。それを、「ラーメンは芸術」より崇高な精神としてまとめた。

写真は、キッチンミノルさん。いつも『dancyu』の誌面で、アバンギャルドなタッチというか、少しほかの料理写真などとはちがう雰囲気の写真を見せてくれている方だ。

いつもは写真とレイアウトが決まってから書くのだが、今回は年末スケジュールで写真もレイアウトも決まらないうちに書きあげた。できあがったのを見たら、写真と文が、なかなかうまくコラボしている。このへんは、編集さんのウデだろう。

「昭和のまま朽ち果てようという強い意志を感じる」と書いた福寿の佇まい。

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2016/01/14

地守神社の掛軸。

036_2秩父の山奥の家では、正月を迎えるのに、神棚の前に掛軸をかける。昨年までは、「天照皇大神」という文字だけのものだったが、今回は、押し入れから見つかったという古い掛軸だった。

パッと見、日本武尊と天狗とオオカミの絵だったので、三峰神社のものかと思ったのだが、「地守神社」とある。はて、「地守」などというと「土地を守る」ということだろうから、どこでも通用しそうな名前ではないか。もしかすると、特定の神社のことではなく、日本武尊と天狗とオオカミを祀る神社の総称あるいは一般名称というもので、やはり三峰神社の系統ではないかと思った。

それにしても、上から順番に日本武尊と天狗とオオカミの絵があるのは、意味深長であるように思えた。

「お犬様」と呼ばれるオオカミ(山犬)信仰は、『オオカミの護符』にも詳しく書かれているが、縄文期ぐらいまで遡れそうな、かなり古くからの関東甲信あたりの土着信仰だ。

修験道が祀る天狗は、「狗」がイヌであることから、古い土着のオオカミ信仰と山岳信仰から生まれたものとの言い伝えもあるが、伝来の儒教やら仏教やらのリクツを吸収しながら、ようするに都合のよい教義によって出来あがった単なる信仰ではなく宗教で、土着と余所者の折衷ともいえる。

これらに対して、日本武尊は、まったく土着性のない余所者の宗教、神道の神様だ。

しかし、三峰神社など、日本武尊と天狗とオオカミを祀る神社の言い伝えでは、日本武尊が「東征」の折に神社を造り、のち修験道がオオカミ信仰を広めた、ということになっているようだ。

このあたりの話は、日本と関東や東日本の歴史もからんで、おもしろい。

もちろん、農業や食も関係する。

それはともかく、「地守神社」を検索したら、あった。神社のサイトはなく、訪問した方のブログの一例になるが。「Tigerdreamの上州まったり紀行 上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。」というブログの2015年4月25日のエントリに、「鮎川の両岸に鳥居がある -地守神社-」とあるのだ。比較的新しい訪問記だ。
http://tigerdream-no.blog.jp/archives/28186977.html

地守神社は藤岡市下日野の鮎川沿いにある、かなり古い神社らしい。かつては、かなりの勢力だったと思われるのは、この掛軸は戦前のものだからだ。

この掛軸のある家は群馬県境に近く、そこから地守神社は直線距離で10数キロといったところか。三峰神社と地守神社は直線距離で30数キロぐらいか。昔のひとの足なら、遠くはない。

036002『オオカミの護符』を読んでも、オオカミ信仰のもとは、焼畑農業など山の民の暮らしと深い関係がある。この掛軸がある家の周辺でも、焼畑農業は昭和30年頃まで行われ、自給自足が中心の暮らしだった。それは「米が主食」ではない暮らしだ。

オオカミ信仰が里へ広がるについては、修験道の行者の役割が大きかったのは確かだろう。それは「川の東京学」も関係する、関東の山々と東京低地と両者を結ぶ水系のことでもある。

と、またまた「川の東京学」の妄想が広がるのだった。

現在の、東京的な「善良」と「悪」は(味覚の「善良」や「悪」も含め)、どう決まってきたかなどについても、なかなかおもしろい含みがありそうな掛軸だと思った。

三峰神社もだが、明治までは神仏習合の「権現」であった。それは、土着的な信仰を吸収し排除することなく成り立ってきたようだが、明治以後の国家神道による廃仏毀釈により事情が変わった。「三峰権現」は「三峰神社」と名前を変えざるをえなかったが、とはいえ、古い土着の信仰を排除しきることはできなかった。そのへんに、キレイゴトではない、真理がうかがえそうだ。

味覚についていえば、東京の味覚は、「いい」評価の話題や人気や有名に支配されているようだけど、その実態はどうか、あるいは、その「東京」とは、どこのことか、など、いろいろなことに関わることでもある。

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2016/01/13

ことし初めての更新。

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昨年末の更新は26日が最後だった。その26日の夜は「わめぞ」の忘年会があって参加した。特筆すべきこともあったのだが、とりあえず省略。あれこれバタバタ片づけて、30日から例年のように秩父の山奥へ。

今年は、温かい年末年始で、標高600メートルの谷底の川の水は凍っていないばかりか、家の梅の木が咲き始めていた。最初は一つ咲いているだけだったが、1日に帰るときには、三つ四つ咲いていた。

年明け早々から思わぬ展開となり、波乱含みというか、とくに元旦に家にいたこともあって、かえって充実した感じの出だしだったが、どんどんいろいろなことがあり、充実も度を超すと疲れる。というわけで、一昨日、昨日は疲れ果て、毎日欠かさず飲んでいる酒を、やっと一合飲む状態、それでも休まず飲んで、今日は回復。

なんだかどこかでポカをしてないか気になるが、どんどん動いているときは、よくわからない。

ま、とにかく、こんどの16日は、溝の口の「ふみきり」で『ちょっとそばでも』の著者、「大衆そば研究」の坂崎仁紀さんとのトーク。すでに、お名前は存じ上げているが、まだお会いしたことがない方の参加申し込みもあり、楽しみだ。よろしくお願いします。

当ブログ関連
2015/11/30
来年1月16日の、大衆そば研究の坂崎仁紀さん×エンテツのトークについて。

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