« 27日は北村早樹子『わたしのライオン』発売日。 | トップページ | 東京都区部の年収階層格差を知るデータを、チョイと。 »

2016/01/28

〈乙女マトリックス〉と、気になる中間層の崩壊。

002

『クウネル』という雑誌のリニューアル号が出て、ツイッターでも一部の人たちが騒いでいたのは先週末。その週末の新年会で柳瀬さんを見て<乙女マトリックス>ってのを思い出した。正確には、「<乙女マトリックス>を読むための」用語の解説、というものだ。

これは、柳瀬さんが自由国民社時代に担当した『現代用語の基礎知識2007』の綴込付録「生活スタイル事典」の項目の一つだった。おれは、「さまざまな食育」を担当したのだが、この事典は、項目も執筆者も、なかなか多彩で、おもしろくできていた。

<乙女マトリックス>は、山崎まどかさんの担当で、<乙女マトリックス>なるものを作り、それを読むための用語の解説なのだ。

リード文に、こうある。「雑誌「Olive」が休刊となり数年、「乙女」たちはいま教科書もない世界を生き抜いて・・・って何だそりゃ?と思った殿方、あたの周りにも必ずいる、彼女たちのスタイルを知るべし。」

おれは、まさに、「何だそりゃ?」だった。そもそも、「乙女」だなんて……。おれは、「乙女」とは清純無垢純粋従順な「処女」のこと、というふうに、誰に教わるでもなく、児童から少年になる過程あたりで、自然に思い込む環境の時代に育っていて、そのロールモデルとして吉永小百合がいたのだが、あのバブルのころの「オリーブ少女」は、まわりに何人かいたが、すでにそういう乙女像とはちがっていた。

それに、『Olive』なんていう雑誌はバブリーな消費主義の先端でフワフワしていたもので、バブルがはじければ『Olive』もはじける運命でしょう、ぐらいにしか思っていなかった。ところがどっこい、そうではなかったらしいのだ。いささか、『Olive』や「オリーブ少女」に対する認識が軽すぎたか。

たとえば、速水健朗さんの『フード左翼とフード右翼』(2013年、朝日新書)でも、「オリーブ少女」について言及があり、『クウネル』や『うかたま』の読者は、「いまはなき『オリーブ』の残党と言っていい」「日本の60年代以降の新左翼運動は、オリーブ少女的な政治意識へと結実していったことになるのかもしれない」と述べている。つまり「オリーブ少女」は、もう、「元オリーブ少女」というべきかもしれないが、「フード左翼」として生きながらえている説だ。

とにかく、このマトリックスは、交差する二つの座標軸の真ん中に『Olive』を置き、右側が文化系、左側が生活系、上側がキャッチー、下側が渋好み。そして、右上、文化系とキャッチーのクラスタに『装苑』、左上、キャッチーと生活系のクラスタに『LEE』、左下、生活系と渋好みのクラスタに『暮しの手帖』、渋好みと文化系のクラスタに『東京人』が、それぞれ奥の院に鎮座している。

こういうマトリックスはデータ解析によるものではないから、ああでもない、こうでもないと突っ込みどころ満載だからこそネタになる。『LEE』クラスタにル・クルーゼがあり、『暮しの手帖』クラスタに南部鉄瓶があり、これが対照・対抗の関係にあるのは、笑える。乙女と南部鉄瓶、それが『暮しの手帖』クラスタ。確かに、そんなイメージか。

で、この図表の生活系の最も深い位置の、『LEE』クラスタに『天然生活』が、『暮しの手帖』クラスタに『Ku:nel』が、対照・対抗の関係になっているというアンバイなのだ。

用語の項目に「生活系雑誌ブーム」というのがあって、『Ku:nel』について解説している。

「2002(平成14)年に雑誌『anan』の増刊として発売された『Ku:nel』(マガジンハウス)に端を発するブーム。"スローライフ"をコンセプトにしたこの雑誌は、『オリーブ』の元編集長である岡戸絹代が編集長を務めていることもあって、『オリーブ』以降、何を手がかかりにアイデンティティを築いていいのか分からない女性層の圧倒的な支持を受け…」と。『Ku:nel』をアイデンティティの手がかりにした乙女たち…なんか、いそうだ、わからなくはない感じだ。

ところで、<乙女マトリックス>のページを読みなおしていたら、「岡尾美代子」さんの項目があって、びっくり。まったく記憶になかった。「ナチュラルで可愛らしいスタイリングで90年代の『オリーブ』の感性の支柱となった」と。ふえええ~。そんな方に、バカいって酒を飲んでいたおれは、乙女クラスタからは遠い野暮である。でも岡尾さんの仕事の本質は、「ナチュラルで可愛らしい」にあるのではないだろう。

リニューアル前の『Ku:nel』が「"スローライフ"をコンセプトにした」というのも不正確な気がするが、そもそも「スローライフ」なんて言葉は、どうとでも解釈できるからね、単に都合がよい言葉にすぎない。

ま、たいがい、制作側と読者側には、すれちがいがあるものだ。読者側にアコガレやアイデンティティの手がかりにしようという気持があれば、なおのことだろうが、そこに生まれる「誤解」が、うまく働いて成り立つ良好な関係もある。そこはまあイメージと実態のバランスの問題で、なんの商売にもつきまとう。

気がついたら、おれはちょうど2007年頃から、北九州市のフリーペーパー『雲のうえ』や美術同人誌『四月と十月』に関わったこともあって、今回のリニューアル前の『Ku:nel』の関係者や、元「オリーブ少女」の方たちとお付き合いする機会が増えている。

とはいえ、おれは『Ku:nel』のよい読者ではなかった。13年間の発行のうち、古本で買ったのも含め10冊ぐらいしか持っていない。

『Ku:nel』だけではない、この雑誌は800円弱だが、雑誌が800円前後となると、なかなか手が出ない。これは、おれだけの特殊な状況ではないようだ。

『暮しの手帖』や『東京人』となると900円するのだから、「渋好み」系は高くて、めったに手が出ない、ということになる。このあたりの雑誌を躊躇なく買える人と、そうでない人のあたりに、もしかすると格差のギャップがあるのかもしれない。おれが時々書いている『dancyu』は880円で、これもおれは新刊で買うことはないし、おれのまわりに定期購読のひとはいない、ツイッターでも買いたいけど買えないから図書館でみるといった声もある。

今回の『Ku:nel』のリニューアル騒動で、おれが気になっているのは、酷評を浴びているその出来上がりではなく、「乙女」や「オリーブ少女」のことでもないし、800円前後の雑誌を買える、中間層の動向なのだ。それと今回のリニューアルが無関係ということはないだろう。

収入格差の拡大は、もういろいろ言われているが、中間層は分解状態だ。東京都区内の区別の平均年収で低い方である区の、年収300万円代でも、手取りでは300万を割ることもある。リーマンショック前と後では、可処分所得がちがう、消費税の圧迫もある。エンゲル係数が高くなっている報道もあるが、消費増税の影響も大きい。

800円前後の雑誌を定期的に買える人たちは、どこにどんなふうに存在するのだろう。

ま、酒を飲む回数を減らせば買えるよ、といわれるかもしれませんがね。

そういうふうにわが身を律することができる人たちが買うのだろうか。どうもそうとはおもえない。

関連
ザ大衆食…『現代用語の基礎知識2007』綴込み付録「生活スタイル事典」に掲載「さまざまな食育」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_gendaiyougo.htm

|

« 27日は北村早樹子『わたしのライオン』発売日。 | トップページ | 東京都区部の年収階層格差を知るデータを、チョイと。 »