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2016/02/29

東京新聞「大衆食堂ランチ」40回目、本駒込 ときわ食堂。

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去る19日は、第3金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。今回は、本駒込のときわ食堂で、すでに東京新聞Webサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016021902000171.html

「本連載で、店名に平仮名で「ときわ」とある食堂は5軒目だ。まだまだあるが、おなじ看板のときわ食堂の分布は、東京の地形と関係がありそうで興味深い。東部の東京低地に多いが、この店のように台地側にもあって、しかも、たいがい、北部の台地のテッペンより下った地域にある。」という、地形に関する書き出しで、食堂の話としては「異色」だろうとおもう。

というのも、近頃は「川の東京学」的視点というのが、いつも脳ミソのなかに寝転がっていて、なにかを見たり考えたりすると、これがしゃしゃり出てくるからだ。

とはいえ、地形や地理と味覚は、けっこう深い関係にある。いまどきのグルメ的な食べ歩きをする人たちの興味や関心というと、味覚を狭い範囲でしかとらえていないから、こういうことを書くと、味覚とは関係ないじゃないかとおもわれることが多いのだが、「味覚の高低差」というのはあるとおもっている。

とくに東京のばあいは、台地と低地と文化のちがいはあきらかで、これは味覚にも関係しているはずなのだ。ま、それは、人間は社会的に食べているからなのだが。視覚だけではなく、味覚で高低差を感じることは、食物の鑑賞や観察として、アリだとおもう。

ときわ食堂のように、戦前からの歴史があると、こういうことが可視化されやすい。なにしろ戦前から戦後の1970年前後ぐらいまでは、いまの「東京」と「東京」のカタチがちがっていた。それは、おれが上京した昭和37(1962)年頃の都電網をみてもわかる。都電網は圧倒的に東側の低地であり、西側でも台地の、昔は川や谷だったであろう、低地沿いを走っている。つまり、このあたりに都電を利用する庶民が多かったのだ。

この駒込のへんでも、元国鉄現JR駅がある台地のテッペンは、お屋敷町で住人は少なかった。JR駒込駅などは、ちょうど台地と低地の崖にあるから、その構造がわかりやすい。低地側の改札口のほうが、はるかに密集度が高く、中小の工場も多かったし、ピンク店もにぎやかだった。90年代ぐらいまでは、商店街に大衆食堂もあった。

このときわ食堂のばあいは、田端に近い「動坂町」から駒込に向かって坂をのぼる途中、駒込側からなら坂をくだる途中の、「神明町」あたりが、最寄りの都電の停留所だったはずだ。都電が廃止になってからは、地下鉄南北線の駅ができるまでしばらくは、バスを利用しないと、最寄りのJR駅からチョイと歩くことになってしまった。

と、またまた地形のことにハマってしまったが、このときわ食堂は、飲兵衛たちのあいだでも人気だ。おれの知り合いにも、何人か、ここが好きなひとがいる。

編集さんがつけた見出しに、「下町でときめく600円」とあるが、厳密には、ここは「下町」ではない。だけど、「谷根千」を下町というよりは、下町的だろう。

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