« 発売中の『散歩の達人』5月号「食堂100軒」で、大宮の「いづみや本店」を紹介。 | トップページ | 唯一人の長い付き合いの親友が亡くなった。 »

2016/04/28

「食べる」「つくる」「考える」。

『日々これ好食』(鎌倉書房、1979年)という本がある。その編著者である山本容朗さんは、「編者のあとがき」で、「普段、あまりナマの声を小説の上でも吐かないタイプの小説家や評論家でも、ことがエッセイになると、事情は一変する。作家の随筆には、彼らの本音や、肉声が、ふんだんに出てくる。」と書いている。

「作家」ですらそうなのだから、作家の域から遠い、おれのような者が書く文章は、「本音」や「肉声」がナマナマしく出まくりだ。もう、てめえの価値観を臆せずに押しまくるし、自分の美学に酔うし、隠しているつもりの人間の悪い柄というか人間性も、出まくり。

昨日のブログに書いた、発売中の『散歩の達人』5月号「食堂100軒」と、先月号の「酒場100軒」を、あらためて見て、そういうことを、つくづくしみじみ感じた。

もとはといえば、そういうことでなくて、外食舞台におけるコンニチ的傾向を、これをもとに大雑把な分類ができるのではないかと、試みていたのだが、本音や肉声のあまりのおもしろさに、そういう冷静な観察などは、すっ飛んでしまった。

ま、おれなんぞは、「書く」という表現は、恥を「かく」ものだと思っているので、丸裸になるのを恥とは思っていないし、インターネット上でdisられても、知らん顔されているより名誉ぐらいで、気にならないのだが。

とにかく、さまざまなメディアや、そこにのせるさまざまな表現方法を生んで、それらが、大変エライ文化だというぐあいになっている、人間世界というのは、おもしろいですなあ。

などと、ぐにゃぐにゃ考えていた。

とりあえず、本音や肉声は別にして、「食堂100軒」「酒場100軒」に共通する点は、雰囲気も含めて「場」を中心に語る人と、食べ物や飲み物といった「モノ」を中心に語る人と、技術などお店の人に属することも含めて「ヒト」を中心に語る人、それと、少ないが、「私」を語る人、というぐあいに分類ができそうだ。もちろん、きれいキッパリと分けられるのではないが。

でも、この分類だけでは、おもしろくでもない。もっと、なんですね、この特集を通して見えた、それぞれの登場人物の深層心理的深層思想的深層価値観的人生観や性格…といったわけのわからん深層を探る分類でないと、なにしろ、これほど雑多な「100」が集まって、せっかく本音や肉声があらわなのだから、もったいないのだ。

飲食のことは、ほんと、おもしろい。

ところで、冒頭の『日々これ好食』は、山本容朗さんが選んだ「二編の小説と四十八の随筆」から成っている。

これを三つの章に分類しているのだが、それは「正確ではないが、食べる、つくる、考えるという心づもりである」と「編者のあとがき」にある。

「食べる」も「つくる」も食べ物のことだが、「考える」は食べ物だけではなく食べることも含まれる。

飲食関係のエッセイというと、「食べる」と「つくる」に偏りがちだが、ここに「考える」を加えているのは、さすがだなあと思った。

|

« 発売中の『散歩の達人』5月号「食堂100軒」で、大宮の「いづみや本店」を紹介。 | トップページ | 唯一人の長い付き合いの親友が亡くなった。 »