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2016/05/26

東京新聞「大衆食堂ランチ」43回目、北浦和 キムラヤ。

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先週の20日は、第3金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。すでに東京新聞Webサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016052002000185.html

今回は、おれがここ東大宮に越してくる前に約10年間住んでいた、ほぼ地元の京浜東北線北浦和の駅近くにある「キムラヤ」だ。食べたのは、生姜焼肉定食。

箸袋には「喫茶・洋食・中華そば」とある。このスタイルは少なくなったが、大衆食つまり近代日本食のスタンダードを考えるとき、重要な位置を占めるのではないかと思っている。ということを、あらためて感じた。

本文には、「かつてのハイカラ時代を感じさせる「キムラヤ」のロゴに、もしやと思ったら、初代はパンのキムラヤで修業したのち、パンと喫茶などの店を営み、昭和20年代に北浦和に落ち着いた。いまは3代目だが、現在の店は昭和30年代から。看板のロゴの趣が、店の空気でもある」と書いたが、「ハイカラ」とは「昭和モダン」だの「大正モダン」だのといわれる、いわゆるモダニズムの影響が、太平洋戦争などで中断しながらも、戦後に続いてきた大衆文化を指している。

この店の看板のロゴや店舗のデザイン、そしてメニューに、その影響を強く感じた。

初代は銀座のパンのキムラヤで修業のち、都内にパンと喫茶の店を開業した。まさにモダニズムの時代だ。そして、昭和大恐慌の荒波の中で破たん、再建するが戦災で、またも店を失い、戦後北浦和駅そばのマーケットの一角で開業、昭和30年代に現在の場所へ移転。モダニズムの影響下の大衆文化を地で歩いてきたといえる。

モダニズムの影響は、美術や建築については多く語られてきたが、食文化の分野でのことは、「和洋折衷」という言葉で、ときたま語られるていどで、文化や産業や生活の構造として語られることはあまりない。その割には、パンや洋食や中華についてのオシャベリは、にぎやかなのだが。

拙著『大衆めし 激動の戦後史』の、とくに「第6章、生活料理と「野菜炒め」考」では、「モダニズム」や「モダン」という言葉は使っていないが、この時代から大衆的に普及し始め、戦後に一般化した、ガスとフライパンと野菜炒めの関係についてふれている。野菜炒めは、モダニズムの時代を経た近代日本食を象徴する料理だと思う。

この「キムラヤ」のように、洋食と中華と喫茶のメニューはあるが「和食」はない。という食堂がある。「レストラン」と呼ばれることも多かった。

とくに洋食と中華が一緒というのは、日本独特ではないかと思うが、これには「ブイヨン」が関係しているのではないかと思う。洋食にも中華にも、おなじブイヨンベース(スープストック)を使う料理法は、西洋でもない中国でもない日本だから可能だったのだろう。

そのあたりから日本の「モダン」や「ポップカルチャー」を考えてみるのは、面白いのではないかと思っている。

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