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2016/05/31

「つくる!」「なごむー」「たべる!!」大田垣晴子『きょうのごはん』。

001「食生活」については、カタクルシイ話やキマジメな話が少なくない。

だいたい、「生きること」に関わる話というと、ある種のカタクルシさやキマジメさがついてまわる。アバウトやテキトーは、不真面目や手抜きや野暮として非難されかねない。そして、かたくるしくキマジメな戦意がのさばる。おれのようなズボラで大ざっぱな人間は、まことに生きにくい。

これは、日本人のあいだに深層的によこたわっている、茶道や武士道などの「道」の精神というか思想、そして近代のごく日本的な自然主義文学の影響だろうと、おれは決めつけている。とくに日本の食文化をめぐるアレコレを見ていると、そう思う。

しかし、それは権威的権力的に主流であったりするが、世の中いろいろなのだ。そうでなくては、ツマラナイ。

先日、古本で買った大田垣晴子の『きょうのごはん』(メディアファクトリー、2005年)はおもしろい。いい感じだ。

著者独特の画文集だが、腰巻から引用すると、構成はこのようになっている。

「煮る、焼く、漬ける、保存などなど、毎日の食卓に酒のつまみにぴったりなメニューが描かれた『料理道場』。セイコが実際に友人をもてなしたフルコースレシピの『MENU ムニュ オオタガキセイコ特製レシピ』。食にまつわるあれこれを描いた『クイイジっぱり』。家族ごはん4コママンガの『キュウちゃん』」。

日常のひとりめしから「おもてなしごはん」、あるいは外食や旅先の食事などが舞台になる。著者は酒が好きらしく酒のつまみも充実している。

自己流のところもある。自己流を否定しない。

料理は、たいがい「自己流」なものだ。いわゆるプロが示す「基本」「基礎」といわれるものでも、それぞれの系統や系列にしたがって自己流であるし、豊かな文化というのは無数にある自己流のもみあいのなかで育っていくものだろう。

「クイイジっぱり」の「ご飯とみそ汁」では、「わたしは『作るのが好き』でも『片づけ』がヘタ。片づけることを『手間』に思うんです」という。

たいがい料理上手や生活上手を語る人たちというのは、準備から片づけまでカンペキを誇る。細々としたところまで、じつにカンペキでありケッペキなのだ。どこから見ても、清く、正しく、美しい。

その「カンペキ主義」と「ケッペキ主義」が、とてもカタクルシイ。食生活、いや「生活」というのは、そういうものでナケレバナラナイ、というような、ヒジョーに高度で教条的な意識を感じる。

「ご飯とみそ汁」では、だしをとる話で、「何が『手間』と感じるかは人それぞれでしょうが」という。たぶん、人間というのは、「手間」と感じたことを、省略したり要領よくこなしたり、そこに合理的な精神を働かせたりする。そこに文化の違いや個性もあるだろう。「手間」は、その感じ方からして、一様ではない。いまハヤリの「丁寧」も、そういうものだろう。

そのだしをとる画文では、「大ざっぱなだしのできあがり」が描かれている。「大ざっぱ」を否定しない。

全体を通して、「大ざっぱ」が生き生きとしている。作ること、食べることが、かたくるしくならず、のびのびしている。

でも、作るときや食べるときの細かいところも、ちゃんと描かれている。それは、著者が実際にやって気づいたところであって、カンペキを期すための説教ではない。

「あとがき」に、「わたしの『ごはん』の三大テーマ」として、「つくる!」「なごむー」「たべる!!」とある。これもいい。

生活は、昼夜のように、向こうからやってくるものだ。どうせやってくるものならば、どう迎えるか。ってことでもあるのだな。大田垣流、なかなか楽しくおもしろい。

当ブログ関連
2016/04/28
「食べる」「つくる」「考える」。

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2016/05/26

東京新聞「大衆食堂ランチ」43回目、北浦和 キムラヤ。

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先週の20日は、第3金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。すでに東京新聞Webサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016052002000185.html

今回は、おれがここ東大宮に越してくる前に約10年間住んでいた、ほぼ地元の京浜東北線北浦和の駅近くにある「キムラヤ」だ。食べたのは、生姜焼肉定食。

箸袋には「喫茶・洋食・中華そば」とある。このスタイルは少なくなったが、大衆食つまり近代日本食のスタンダードを考えるとき、重要な位置を占めるのではないかと思っている。ということを、あらためて感じた。

本文には、「かつてのハイカラ時代を感じさせる「キムラヤ」のロゴに、もしやと思ったら、初代はパンのキムラヤで修業したのち、パンと喫茶などの店を営み、昭和20年代に北浦和に落ち着いた。いまは3代目だが、現在の店は昭和30年代から。看板のロゴの趣が、店の空気でもある」と書いたが、「ハイカラ」とは「昭和モダン」だの「大正モダン」だのといわれる、いわゆるモダニズムの影響が、太平洋戦争などで中断しながらも、戦後に続いてきた大衆文化を指している。

この店の看板のロゴや店舗のデザイン、そしてメニューに、その影響を強く感じた。

初代は銀座のパンのキムラヤで修業のち、都内にパンと喫茶の店を開業した。まさにモダニズムの時代だ。そして、昭和大恐慌の荒波の中で破たん、再建するが戦災で、またも店を失い、戦後北浦和駅そばのマーケットの一角で開業、昭和30年代に現在の場所へ移転。モダニズムの影響下の大衆文化を地で歩いてきたといえる。

モダニズムの影響は、美術や建築については多く語られてきたが、食文化の分野でのことは、「和洋折衷」という言葉で、ときたま語られるていどで、文化や産業や生活の構造として語られることはあまりない。その割には、パンや洋食や中華についてのオシャベリは、にぎやかなのだが。

拙著『大衆めし 激動の戦後史』の、とくに「第6章、生活料理と「野菜炒め」考」では、「モダニズム」や「モダン」という言葉は使っていないが、この時代から大衆的に普及し始め、戦後に一般化した、ガスとフライパンと野菜炒めの関係についてふれている。野菜炒めは、モダニズムの時代を経た近代日本食を象徴する料理だと思う。

この「キムラヤ」のように、洋食と中華と喫茶のメニューはあるが「和食」はない。という食堂がある。「レストラン」と呼ばれることも多かった。

とくに洋食と中華が一緒というのは、日本独特ではないかと思うが、これには「ブイヨン」が関係しているのではないかと思う。洋食にも中華にも、おなじブイヨンベース(スープストック)を使う料理法は、西洋でもない中国でもない日本だから可能だったのだろう。

そのあたりから日本の「モダン」や「ポップカルチャー」を考えてみるのは、面白いのではないかと思っている。

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2016/05/23

アヤシイ予兆やテンプクごろごろ。

都内へ行くのは億劫だし疲れるからと、打ち合わせに大宮まで来てもらいながら、やはりたまには東京へ行ってみようかという気分になったら、先週の18日(水)は中野、21日(土)は小岩の野暮酒場、昨日22日は雑司ヶ谷と、一週間のうちに3日も都内へ行ってしまった。

ま、行けば、けっこう面白いことがあるのだが、ようするに飲み過ぎで疲れるのだな。

18日は、「マージャー」を渡すため、中野駅で17時に待ち合わせだった。早く飲みはじめて、少しでも早く帰れるようにと、この時間にしたのだが。

中野は、行くたびに、激しく変わっている。やはり、キリン本社や大学が移転してきた影響か、駅周辺はドンドン集積化がすすむ一方、駅から少し離れて薄暗い街だった昭和通りなどは、小さな古い建物をリューアルしての飲食店の出店が続き、明るくにぎやかに変身中。まずは、その昭和通りの新しい店に入った。

「マージャー」を渡し、あとのことや、葬式の様子や、Nの思い出などあれこれ。とはいえ、生きているものにとっては、現実がある。ちょうど「インバウンド」関係の新しい情報が入ったこともあって、ひさしぶりに飲み~ティングという感じになった。

東京オリンピックまでは、部分的なバブルが一本調子で行くかと思ったが、どうもそうはいかないようなアヤシイ予兆。まあ、日本はけっこうガタがきているのだから当然だろうし、あいかわらず「国際化」についていけてない、その跳ね返りでもあるか。あれやこれや検討を加えたり、確認したり。

前のバブルのときも、「時代がおれに追いついてきた」なーんて、鼻を上に向け肩で風を切っていた連中がいたのだけど、いままた、そういう連中が闊歩しているから、オカシイ。「時代がおれに追いついてきた」なんていう言い方そのものからして、状況認識も自己認識もできてない、お笑い草な表現だけど、調子にのっている連中は、本気でそう思っちゃうのだからねえ。いいオトナが。

ま、そういうやつのまわりに近づいたり、そういう連中を近づけないようにするのも、アンガイ大事になっているわけだ。すり寄りもせず、すり寄られもせず。

しかし、どうして「おれスゴイ」病や、「日本スゴイ」病が、こうもハヤルのか。

で、けっきょく、もう一軒行って、いちおう22時すぎぐらいには、中野駅を出たような気がするけど、赤羽に着いたら、京浜東北線蕨駅での人身事故で宇都宮線がストップ、約1時間遅れの泥酔帰宅になったのだった。

21日(土)は小岩の野暮酒場は、ひさしぶりだった。最近は、店主が忙しいようで、月イチぐらいの営業になっているし、「川の東京学」のほうは、推進役の2人とも身内に不幸があったり病気があったりで、4月の予定は先延ばしになっている。

でもまあ、自分でも行きながらなんだけど、よくまあこの不便な場所に来るなあと思うぐらい、にぎやかだった。ただ飲んだだけ。

昨日22日は、わめぞ一味の鬼子母神通りみちくさ市だった。みちくさ市連続講座「『作品と商品』のあいだ」のゲストが、高橋靖子さんだったので、ぜひ聞きたかったが、東京へ出かけるついでに13時から上野で打ち合わせを入れた。でも、16時ぐらいまでにトークの会場に着けば、後半1時間ぐらいは聴けるだろうと思って、朝、その旨連絡したら、なんと今回のトークは13時半から15時半まで。残念。もう高橋靖子さんの話を聞くチャンスはないかもねえ。

上野では、また「時代がおれに追いついてきた」をネタに大笑い、いい企画になった感じだ。

みちくさ市古本フリマには、「川の東京学」散歩に参加の女性が、前回から出店していて、今回もまた。柏の地元ワカゾー野菜市も出店していて、五十嵐さんともおしゃべり。名前を何度聞いても忘れてしまう、ポルトガル語の野菜をいただいた。

で、まいどのごとく、打ち上げが始まる18時まで、清龍で飲んで時間をつぶし、東池袋のいつもの居酒屋へ。ようするに、飲んだ。わめぞの打ち上げ飲みは楽しい。雑多が、いいのだな。だから、よく飲むし、酔いががまわる。

酔ったあたまで、マジメに「テンプク」を語り合っていたな。「テンプクトリオ」ってのがあったけど、テンプクは、なかなかおもしろいが難しい。とりあえず、帰り、店の外へ出てから、テンプクダンスをやったようだ。ストリートダンサーに転向して、テンプクの展開を図るか。今日、落武者から画像が届くまで、こんなことしていたのも忘れていた。いやはや。

昨日も打ち上げに来ていたけど、ニューアルバム「わたしのライオン」が好評驀進中の北村早樹子さん、大バンド編成で6月11日(土)赤坂グラフィティにて。行きましょうね。

はあ、疲れた。

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2016/05/18

ツナ・サンドと「サマー・スティルヘッド(夏にじます)」。

ツナ・サンドを食べるときは、「サマー・スティルヘッド(夏にじます)」を思い出すし、「サマー・スティルヘッド(夏にじます)」を思い出すと、ツナ・サンドが食べたくなる。

「サマー・スティルヘッド(夏にじます)」は、レイモンド・カーヴァーの短編だが、中公文庫の村上春樹訳の『Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』で読んだ。2004年6月の6刷のやつだ。そのころ新刊で買って読んだのだ。

そのときから、いまごろの季節になると、この小説を思い出しツナ・サンドを食べたくなるか、ツナ・サンドを食べたくなって、この小説を思い出すようになった。

だけど、この小説には、「ツナのサンドイッチ」についての詳しい描写があるわけではない。

主人公の少年が、仮病をつかって学校を休んだ朝、弟が学校へ行き、両親が仕事へ行き一人になると、まずはマスターベーションを一発決めたのち、釣りへ行くことにする。

彼は、釣りに出かける前に「ツナのサンドイッチを二つ作り」、「一個食べ、ミルクを一杯飲んだ」。そしてバーチ・クリークという川に着いて、釣りを始める前に「サンドイッチの残りのもう一個」を食べた。これだけなのだ。ほかに、ツナ・サンドについては、なんの話もない。

だけど、最初、これを読んだとき、ツナ缶からツナを出して食パンにのせ、はさんで、ガブッと齧りつきたくなった。

それ以来、その逆も含めて、何度もある。とくに、暑くなると。

この小説は、ツナのサンドイッチのことより、夫婦仲がこわれそうな家庭の少年が、性妄想を逞しくし、何度も硬くなるチンポをマスターベーションで収めるところや、大きな夏にじますと格闘する場面のほうが、はるかに多い。

ツナ・サンドといい、精液とにじますで、なんともナマグサイ話のようだが、ナマグサイ臭いはしない。だが、なぜか、ツナ・サンドが似合う。

このように、とくに食物のことを詳しく書いているわけじゃないのに、「うまそう」と思わせるような描写があるわけじゃないのに、食物が魅力的であるのは、なぜだろう。

いわゆる「グルメ」な読み物でなくても、こういうことがあるのは、食物は生活についてまわるものだからだろう。そこを、どう見るか。ツナ・サンドを作って食べながら、考えてみるかね。

おれのツナ・サンドは、食パンを軽くあぶって、ツナをのせてはさむだけだ。ほかに調味料などは使わない、プレーンだね。ごくたまに、タマネギやトマトも切ってはさむ。ビールがあれば、なおよい。

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2016/05/15

「マージャー」

2016/04/30「唯一人の長い付き合いの親友が亡くなった。」に書いた、亡くなった友人が書き残した「マージャー」だが、近日中に関係者に貸すことになっているから、あらためてじっくり読んだ。

400字換算で620枚ぐらいに相当する、長編だ。

「マージャー」は、「M & A」の「M」、「Merger」のことだ。「M & A」は「企業の合併・買収」を意味し、「Merger」は「合併」を意味する。だけど、ここに書かれているのは、単なる「合併」ではなく、「合併・買収」であり、ようするに「M & A」なのだ。

会社を売った当事者である彼は、これを三人称で書いている。いかにも彼らしい。前に書いたように、彼は、これを、大変な苦痛のなかで、それに耐えるために書いたようなものだけど、ちゃんと自分を相対化しているのだ。

彼の本名はNだが、「マージャー」では「鳥越」になっているから、以下、「鳥越」でいこう。「とりごい」でも「とりこし」でも一発変換できないのだが、せっかちな彼が、なんで入力が面倒なこの名前にしたのか、とりこし苦労をするやつでもなかったのに。

会社の売買契約が締結したのは2002年1月8日だった。「マージャー」がおれに送られてきたのは、それから約半年後の7月。

彼は、これを書く作業に集中することで、「切れず」にすんだのだが、記憶から吐きだすように一気に書いたのだろう、それなりに構成されているが、かなり飛ばし気味に書いている。登場人物の名前も、仮名の苗字だけ、ほかの団体名などもテキトウだ。数字も一部、記憶ちがいと思われるものもある。ま、そういうことはよいのである。

まず、各章とタイトルは、こうだ。

1、序章
2、チェーンの本質
3、不動産ビジネス
4、アメリカのM&A
5、競合のM&A
6、面談
7、葬儀
8、創業
9、チェーンの文化
10、冷酷
11、分岐
12、ルーツ
13、役員会
14、デューデリジェンス
15、シンガポール
16、社員総会
17、新年公表
18、終章
19、エピローグ

鳥越の会社は、不動産のフランチャイズチェーンの本部会社だった。正確には、アメリカに本社があって世界的に不動産のフランチャイズチェーンを展開している「FBE」の、日本におけるエリア・フランチャイザーなのだ。

この会社は、1981年の設立で、その前年からオーナーの「武居」が中心になって準備していたのだが、設立準備のメンバーには、鳥越は入っていない。武居に見こまれて、設立時から参加し、すぐ社長に就任した。鳥越は、おれより1歳上だから、1942年生まれ、このとき39歳。

武居は、シベリア帰りで、一般的には知られてないが、不動産業界では有名人だ。しかも不動産業を、まっとうなビジネスにするために長年努力し、硬骨と反骨をもって知られていた。

当初は、社員役員含めて、10名に満たなかった。ここには書かれてないが、新宿3丁目のはずれの小さな雑居ビルに事務所があって、おれはたびたびそこを訪ねた。「8、創業」にあるが、立ち上げの苦労から、鳥越の人相は変わっていた。

それから20年近くがすぎ、会社のM&Aの交渉が始まる2001年には、フランチャイズチェーンの加盟店は500、新宿西口の高層ビルの一つに、ワンフロアーを占めていた。

「1、序章」は、鳥越や鳥越の会社の話ではなく、鳥越の会社を買った側のホールディングス(持株会社)と仲介の金融機関の担当者、それから経済新聞の記者の話から始まる。そして、「2、チェーンの本質」「3、不動産ビジネス」「4、アメリカのM&A」「5、競合のM&A」と展開する。全体構造を押さえながら、話をすすめる。それは、彼の確認と検証の作業でもあたっだろう。

さまざまな人物が登場する。彼らの口からも、いろいろなことが語られる。その人物が、その時代、その地域、その業界、その会社などで、どんなふうだったか。アメリカ(人)と日本(人)のギャップも含め、これがなかなかおもしろい。

経済があり文化があり人間があり、それらが構造やシステムを持ってつながりながら、それらをまた動かしているなかに、ビジネスが存在する。

矛盾はなくすものでもなく、なくなるものでもなく、変わるものであり、そこに人間が介在し変えうるもので、ビジネスや利益はそこに成り立つ。だから、「変えうる」ことができなくなったら、ジリ貧であり、先は見えている。死ぬか殺すか、しかない。それをするぐらいなら、「変えうる」ものの手に、会社の可能性をゆだねる。ま、そういうことなのだ。

日本は、70年前後に過剰生産あるいは過剰供給時代になる。土地や建物を扱う、不動産ビジネスも例外ではない。これが日本のジリ貧の根本にあり、何度か変えうるチャンスはあったのだが、ことごとく潰れてきた。

でも、「日本」はそうであっても、業界や会社によっては、自ら「革新」をめざし可能性を求めた。日本の不動産業は、きわめて遅れた体質で、うさんくさい目で見られ、およそまっとうなビジネスとしては評価されていなかった。

だいたい70年前後まで、中小零細の不動産屋が、その後進性にのっかって、おいしい汁を吸っていた。ジリ貧になっていた大会社が、そこに目をつけ参入した。しだいに、中小零細の不動産屋は圧迫を受け、危機感を持つ経営者もいた。これからは、大会社に拮抗しうる力と、多くの人びとに信頼されるビジネス文化を持たなくてはならない。とはいえ、中小零細に、どんな道があるのか。チェーン化が最良だろうという流れ。

後進性の一つは、情報化だった。不動産フランチャイズビジネスは、コンビニとちがい、モノは扱わないから、情報システムがものをいう。しかし、システム開発は、金がかかる。できあがった新しいシステムを加盟店で実践運用をしているうちに、もうそのシステムを否定するような新システムの開発に着手しなくてはならない。金は、いくらあっても足りない。

変われなかった日本は、80年代を通して、投機経済に傾斜していく。土地や家屋は、「住む」「使用する」需要とは無関係の、投機の対象になったのだ。ますます、情報システムの新旧の差がものをいうようになった。鳥越の会社の、システム開発への投資は膨らむ一方だったが、加盟店も増加する一方のうちはよかった。

1991年のソ連邦崩壊で、金の動きが大きく変わった。軍事をはじめ、対共産圏政策に絡んでいた巨額の金と優秀な人材が、行き場を求めて動く。行き着いた先が、ITと投機市場。

IT技術は飛躍的に進化し(あるいは過剰に進化し)、行き場を失った金を吸いこんで、新たに情報システムを基軸とした投機市場を生む。デリバティブ。

M&Aも、昔からあるとはいえ、行き場も求めて動く金が流れ着くところになった。以前のように、当事者である経営者同士の付き合いとは関係なく、金融機関などが積極的に仲介する動きが加速する。「会社」の売買が、ビジネスの商品アイテムになったのだ。

こういう動きが、人の動きとして、彼ら自身の話として、鳥越のところで交差する。加盟店は500になったが、新規加入は鈍化している。システム開発への投資が巨額になり、独立系資本では、まかないきれない。しかし、これをやらなかったら、チェーンは存続できない。加盟店500人の経営者と従業員とその家族の将来が、重くのしかかる。

会社は借入金ゼロだった。いまのうちなら、買いたたかれることなく、チェーンの将来に望ましい、いい相手に売れるだろう。一年後では、わからない。鳥越は、動いた。

いくつかの交渉相手が浮上し、消去法で消され、「6、面談」では、最終的に契約を結ぶ相手と会う。仲介の金融機関が推薦の相手だ。質問に応え意見交換。

もう引き下がれない。だが、この段階では、武居会長以外は、役員でもM&Aのことは知らされてない。

面談は11月12日だった。鳥越が動き出してから、3カ月ぐらい。このスピードが大事だった。その後も、役員会、デューデリジェンス(監査法人による売買のための監査)、アメリカとシンガポールのFBEとの複雑な交渉、社員総会、たたみかけるように進み、あとは正式契約と金銭の授受を残すだけになった合意は12月20日だった。

「(売買契約成立の正式発表のあった)1月10日の賀詞交換会から3カ月、戻ることのない変革が35名余の本部の全員を包みはじめた」と「18、終章」にある。名前まで変わった新しい会社に残った社員は、この人数だった。役員のなかでは鳥越だけが、自分の意思ではなく契約として、1年間残らなくてはならなかった。

毎日出社し、「熱愛中の女を他の男に取られて、その上彼らの結婚式に出ているような」日々を送りながら、これまでを振り返り、「いかんともし難いこととはいえ、そこに考えが及ぶと、鳥越は立ち尽くしてしまうのである」。

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2016/05/11

小津安二郎監督『お茶漬けの味』と汁かけめし。

小津映画には、食事のシーンが多いのだそうだ。『小津安二郎の食卓』(貴田庄、ちくま文庫)には、そう書いてある。

おれは、あまり小津映画を見てないが、それでも、なにしろ戦後の映画の復興期成長期に育ったのだから、何本かは映画館で見ている。それで、ことによると映画のスジも題名も思い出せなくても、登場人物が何かを食べているシーンだけが、ひょっこり頭に浮かぶことがある。

その代表格が、俳優の佐田啓二がとんかつ屋でとんかつを食べるシーンと、佐分利信がみそ汁ぶっかけめしを食べるシーンだ。

この本を読むと、佐田啓二のシーンは小津の遺作となった『秋刀魚の味』(1962年)で、佐分利信のみそ汁ぶっかけめしは『お茶漬けの味』(1952年)だ。

どちらも題名に食物の名や「味」といった言葉があるが、食事のシーンが多い小津作品のなかでも、そういうのはこの二作だけだ。そして、本書でも指摘しているが、『秋刀魚の味』には、秋刀魚を食べるところは出てこない。「秋刀魚の味」は比喩なのだ。

『お茶漬けの味』のほうは、やはり「お茶漬けの味」は「気やすさ」の比喩でもあるのだけど、映画の最後で佐分利信と妻役の木暮実千代が、一緒にお茶漬けを食べるシーンがある。

著者の貴田庄さんは、「エピローグ 日常的グルメ映画」で、とくに「『麦秋』は小津の描いた日常的グルメ映画でもある」とし、「この映画は、『秋日和』や『秋刀魚の味』ほどには目立つことなく、日常の食の世界をさまざまな方向からそれとなく丹念に描くことで、憧憬に値する日本の家庭を表現した稀有の作品である。真のグルメ映画とはこのような作品をさすのではないだろうか」と結んでいる。

そういうことなのかも知れないが、おれがイチバン気になっているのは『お茶漬けの味』なのだ。

貴田庄さんは、こう解説している。

「ラーメンや焼き鳥と同様に、とんかつや天津丼の好きな岡田はB級グルメの代表者である。庶民派の岡田が茅ヶ崎のお嬢さんである節子(津島恵子)と仲良くなる。猫まんまを平気で食べる庶民派の佐竹は茅ヶ崎のお嬢さんだった妻(小暮実千代)とうまくゆかないが、最後にはわだかまりがなくなる。そして岡田と節子がたとえ一緒になっても、佐竹夫妻のようにはならないだろう。これが『お茶漬けの味』の主要な筋なのだが、この物語を完成させるために小津が用意したものは、前者のカップルはラーメンを食べることであった。食という視点からすれば、『お茶漬けの味』はB級グルメの素晴らしさを描いた作品にほかならない」

岡田は鶴田浩二、佐竹は佐分利信が演じている。

おれは、「お茶漬け」のタイトルや、佐分利信がみそ汁をめしにかけて食べ、妻に怒られるシーンのほうが気になって、このラーメンカップルとの対比は、いまいちピンときてない。

佐竹の妻は都会の中産階級の家庭のお嬢さん育ち、佐竹はどんな家庭で育ったかわからないけど地方の出身で、重役にまで出世したサラリーマンだ。

生まれも育ちもちがう夫妻のギクシャク不協和音、それを象徴する猫まんまをめぐるいさかい。その和解の象徴として、一緒にお茶漬けを作って食べてメデタシオシマイ、という話に思えた。

この解説には、「猫まんま」という言葉が出てくるが、映画のなかには出てこない。おれの汁かけめし関係の著述では、お茶漬けと汁かけめしは、料理的にはちがう料理として猫まんまは汁かけめしにしているが、この映画では、お茶漬けだろうと猫まんまだろうとみそ汁ぶっかけめしだろうと、関係ない。ようするに、妻の小暮実千代からすれば、どれも行儀の悪い食べ方として同じなのだ。

とにかく、おれが気になったシーンは、むしろこちらだ。気になって、youtubeで確認した。

夫が食卓に向かって、先に一人でめしを食べている。そばには、給仕のお手伝いさんがいる。夫妻二人だけなのに、お手伝いさんがいるほどの家なのだ。

機嫌の悪い妻が、あとから来て、めしに汁をかけて食べている夫に、「そんな食べ方、よしてちょうだい」と怒って席を立つ。

食卓に残った夫は、給仕のお手伝いと、こんなやりとりをする。

「おまえの田舎じゃめしに汁かけて食べないか」
「いただきます」
「埼玉だろ」
「はい」
「長野もやるんだ、東京の人はこうやって食わんのかな、うまいのになあ」

夫は、「子供のときからやっていた、気やすい感じが好きなんだ、いいんだがなあ。おいしい、うまいね」とも言う。

その後、あれこれあって、最後は、夫婦で夜中に準備をし、正確には汁かけめしとはちがうが、めしにお茶をかけて食べ、夫婦は「お茶漬けの味=気やすさ」なんだよ、という結論で、メデタシとなる。

小津監督の意図はわからないが、それを抜きに見れば、これは戦後の食文化のなかにある「断層」にもみえる。おそらく食文化だけではなかっただろう。なにかと、元の出身階級が意識された。

戦後の「庶民」の文化の構造は、色濃く戦前の階級のちがいが残っていて複雑だ。戦前では中産階級に属する戦後の「庶民」と、戦前から平民の労働者階級の「庶民」とでは、文化的にギャップがある。

政治体制が変わっても、食文化がすぐ変わるわけではない。「女は家庭に」「家事は女がするもの」のように、あるいは『大衆めし 激動の戦後史』でも述べた「日本料理の二重構造」のように、逆に、食文化のなかには、さまざまな「しがらみ」の文化が残りやすい。

この夫妻のように「気やすさ」へ向かうのではなく、とかく、庶民かも知れないがキリッとした「お嬢さん」「お坊ちゃん」好みの文化のほうが、美化されやすい。

近年の「格差」のなかに、それを感じることがある。

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2016/05/10

『CULTURE Bros(カルチャーブロス)』は、すごく面白い。

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『CULTURE Bros』は、東京ニュース通信社が発行するムック、『TV Bros』の「特別編集」版ってことだ。昨年11月に1号が発行、好評につき、3月に2号が発行になった。どうやら隔月発行になるらしい。

1号は買ったが、2号は若き編集長の前田和彦さんから送られてきた。どうもありがとうございます。

このマガジン、おれのような老眼のジジイは読者対象でないらしく、本文の文字が小さい。読むのに疲れるが、それでも読んでしまう面白さ。でも、だいぶ前にいただいたのに、読み切るのに時間がかかったのは、文字が小さいせいだ。

1号は、「松井玲奈/又吉直樹/マンガ特集」がメイン。2号は、「おそ松さん/ラジオ特集/SKE48」がメイン。まったくおれに縁がなさそうなのだが、内容は、そうではない。

サブカルチャー惷動台頭期を見てきたジジイとしては、「サブカルチャー」が「サブカル」へと変質するにしたがい失われてきた、カウンターの精神、ロックな精神に、ひさしぶりにふれた感じがある。とうぜん、当時のまんまということではないが。

それが刺激的で、小さい文字を拾うようにして読んだ。

メイン以外のコラムも面白いし、それから磯部涼×九龍ジョーの「カルチャー時評」が、とにかく面白い。

2号のカルチャー時評は、「『今の時代』ってなんなのか?」というテーマで、さまざまな話題を掘り下げているが、「近年のエンターテイメントに関して思うのは、社会問題をストレートに扱う作品が増えたっていうこと」(磯部)をほじくり返していて、まさに「今の時代」が浮き彫り。

「若者の恋愛を描こうと思ったら、労働環境を含む下部構造に触れないわけにはいかないっていうのもあるよね。ちょっといいレストランでのディナー一つ取ったって、そんな簡単にできることじゃなかったりするんだから」(九龍)

エンタメの話題から賃労働をベースにした社会の崩壊にまで触れているのだけど、ブラックや格差の問題にせよ、下部構造のガタガタは、エンターテイメントな食までゆさぶっている。

コラムのドラマの項では、成馬零一が、「恥ずかしくなければ、恋愛じゃない、ダサくなければ、ドラマじゃない」のタイトルで書いている。このなかで、「今の表現者が、洗練の名の元に切り捨てている人間の中にある恥ずかしくてダサい部分を、坂元だけが逃げずに描いている」と。

「坂元」とは坂元裕二のことで、この人のドラマについては「カルチャー時評」でも触れているが、とにかく、「今の表現者が、洗練の名の元に切り捨てている人間の中にある恥ずかしくてダサい部分」の問題は、ドラマに限らないだろう。

「洗練」「丁寧」「誠実」「真摯」…といったことで、キレイゴトばかりが並べられ、いろいろなことが切り捨てられてきたのだが、「今の時代」は、揺れ動いている。経済を震源とする大地震続きだ。

そこの矛盾と、どう向き合うかは、表現の大きな課題だろう。というぐあいに、おれのような一介のフリーライターも、大宮のいづみやあたりで20歳そこそこの若者と言葉を交わしながら、考えたりするわけなんだが。

おれがカウンターカルチャーやサブカルチャーなる存在を意識したのは、江原恵の『庖丁文化論』のおかげだ。というのも、この本の一般読者で江原恵のファンには、カウンターカルチャー系の人が多かったからだ。

そして、『庖丁文化論』は1974年だが、70年代後半になって、このカウンターカルチャー系の人たちがサブカルチャーへと動き、このあたりがゴチャゴチャになりながら、「食文化」はサブカルチャーのアイテムになっていった。

当時、食文化に高い関心を示す人たちは、自販機エロ本『JAM』などを手にする人たちも少なくなかった。サブカルチャーは、「エロ」などの当時のアングラカルチャーとも親和性があったのだな。

80年前後から、食文化やサブカルチャーの動きは変化していくのだが、ま、そんなことなども思い出しながら、『CULTURE Bros』を読んで、なんだか面白くなってきたなあと思っている。

そうそう、2号には、「北村早樹子の世界」というインタビュー記事があるけど、「幸せな人間が忘れている、汚い部分を思い出させる運動」は、ヤッホーブラボーだね。

オトナたちのSEALDs批判なんか見当違いが多いし、あと「小商い」ブームみたいなのが一部にあるけど、賃労働をベースにした社会の崩壊が視野に入っていない小商い礼賛も見当違いだし、「福島」や「熊本」をネタにしながらの見当違いも多い。

ようするに、格差の全体像をとらえなかったり、矛盾のどこを見るかで見当違いになる、今は、そういう時代ってことだ。

『CULTURE Bros』を読んで、時代を読み違えないように気をつけよう。

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2016/05/07

ものを食うという態度。

獅子文六『食味歳時記』中公文庫の解説に、おれはこう書いた。

「本書は副篇の『食味随筆』を含め、味覚の悦びの随筆であるが、『ものを食うという態度』を考える書でもある。数ある文士のお気軽な味覚談議と、そこは、かなりちがう」

獅子文六さんは、本文のなかで、こう書いている。

「料理人は、よく味見(あじみ)ということをやり、猪口かなんかで、汁なぞの加減を、ちょいと味わって見るが、あの場合は、純粋な鑑定家の態度であっても、ものを食う人からは、遠いのである。ものを食うという態度は、そんなものではない」

このあと、利き酒と飲酒についても同じようなことを述べ、さらに、こう結ぶ。

「料理の鑑賞ということも、あまりむつかしいことをいい、あまり純粋さを求めようとすると、鑑賞そのものの成立を、妨げることになる。私が食通という語を信ぜず、強いて、そんなものになろうとすれば、不幸の道を歩くことになると、考えるのも、その点にある」

そして、こう続けて展開する。

「しかし、むつかしく考えさえしなければ、ウマい料理も、優れた料理人も、厳然として、存在するのだし、それを愉しむのは、生きる知恵の一つである」

このあたりが、獅子文六さんの、「ものを食うという態度」についての核心部分のようだ。

だけど、近年はとくに、「単品グルメ」のようにモノを絞り、微に入り細に入り、わざわざむつかしく考え、むつかしいことをいうのが、ハヤリのようだ。

生きる知恵の一つとして飲食を愉しむのではなく、不幸の道へと誘うような情報や知識がハンランしている。

それは「通文化」の大衆化ともいえそうだが、なぜか優れた「プロ」の領域に近づくことが向上であるかのような思想や態度が根強い。

獅子文六の『コーヒーと恋愛』(ちくま文庫)を読んだ。

これは、まさに、先の「料理の鑑賞ということも、…」をテーマにしたような話だ。

モノは、料理ではなく、コーヒーなのだが。

コーヒーをわざわざむつかしく考え、むつかしいことをいう対象にしている人たちがいる。「コーヒー道」なるものをめざしている男もいるし、コーヒーを「入れる」のか「立てる」のかを議論したり、また入れはしないが、鑑賞力のある、コーヒー好きを自認する男もいる。ようするに、「純粋」に、コーヒーを入れ、鑑賞しようとする人たちだ。

あれこれむつかしく考える人たちは、自分でキチンと入れる「純粋」を追求する人たちであり、インスタントコーヒーといった「通俗」を軽蔑している。

この構造と、新劇を「純粋」とし、テレビドラマなどは「通俗」として軽蔑する構造が絡む。まるで「純文学」と「通俗小説」を絡めた感じでもある。

とにかく、コーヒーを入れるのが大変上手な女がいて、これが脇役として人気のテレビタレントで、稼いでいる。そして、純粋なコーヒーを求め「コーヒー道」を確立し女を後継者にしようと目論む年配の男がいて、ほかに、女の入れるコーヒーが毎日飲めるならどんな犠牲でも払うという「純粋」な新劇イノチといった若い男がいて、すったもんだあってのち、二人の男は女に結婚を迫るが、女は敢然と拒否する。

「あたしのコーヒーばかり、狙いやがって、あたしを愛してくれる奴は、一人もいやしない」と、女は「自分のコーヒーの特技にも、嫌悪を感じ」「生涯、インスタント以外は、コーヒーに手を出さぬ決心で」、「コーヒー道」に向かっている「可否会」も脱会。

女は、「純粋」だ「通俗」だといった観念の世界から自らを解放し、晴々とする。

獅子文六さんお得意のユーモアと皮肉で、「モノにコる」性癖の異様さの滑稽を描き、笑いとばしている。

ふりかえってみるに、いまどきは、このテレビタレントの女とは価値観が逆になっている動きが、やたら目立つ。人間として評価し評価され好かれることを望むより、モノにコり求道者のごとく何かに詳しいことでチヤホヤされ、チヤホヤしあい、そして、自分で商売するならともかく、生活を愉しむためには必要のないことまで、むつかしくいい、むつかしく考えることを競いあい、ひとの上に立とうとしているようだ。

これは、獅子文六さんがいう「不幸の道」なのではないかと思ったのだった。もっと普通に生活を愉しめないものか。どこかで価値観が逆立ちしているのではないか。なかなかオモシロイ問題だ。

獅子文六さんは、『食味歳時記』でもだが、イキイキと自由に飲食や生活を愉しむ態度を大切にしている。

当ブログ関連
2016/04/21
解説を書いた獅子文六『食味歳時記』中公文庫復刊が今日から発売。

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2016/05/03

「グルメ」の憂鬱。

資料を探していたら、社会保険研究所から発行の月刊誌『年金時代』2011年4月号が出てきた。すっかり忘れていたが、この号の「随筆」のコーナーに寄稿していたのだった。タイトルは「『グルメ』の憂鬱」。

たしか、この校正のころ、東日本大震災が起きたのだ。本誌の巻末には、「三月一一日に発生した東北地方太平洋沖地震に被災された方々にお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします」と、編集部一同からのお見舞いの文章もある。震災の名称が、「東日本大震災」に決まる前だ。

あれから5年が過ぎたが、被災と被災者をめぐって、あいかわらず思慮に欠ける発言が多々見られる。それは、どういうことなのだろうと思う。

食をめぐるさまざまなことがらと関係ありそうだし、日ごろ、食について思慮に欠ける態度でいる結果と関係あるのではないかと思いながら、では、食について思慮深いとはどういうことか、となると、なかなか単純ではない。

とくにこの文章でもふれている、「単品グルメ」といえるような風俗は、近頃は、「パフェ」だのなんだのと細分化しながら、男も女も巻き込んで、ますます「グルメ」は有頂天にはしゃいでいるように見えるのだが、「思慮深さ」のほうはどうなのか、気になるところだ。

とにかく、この掲載誌は、あまり目にする機会がないものだし、自分でも忘れていたぐらいなので、ここに全文を掲載しておく。

以下、段落ごとに一行あけて載せる。

 私は「フリーライター」という肩書きを使っている。すると、「グルメに詳しいライター」とか「B級グルメライター」といわれることがある。いちいち訂正するのも面倒なので、そのままにしているのだが、じつに悩ましく、当惑している。

 十数年前、私は、「大衆食の会」なる、ときどき大衆食堂で飲みくいするだけの「会」とはいえないようなものを始めた。十年前ぐらいからは、Webサイト「ザ大衆食」を主宰している。その「大衆食」が、「B級グルメ」に間違われることが多い。そもそも、B級グルメのほとんどは、大衆食を「グルメの文脈」で語り直したものだから、ありうることではある。

 それにしても、いまの日本は(と大きくでるが)、食べ物の話になると、グルメの文脈でなくては気がすまないらしい傾向が、はびこっている。もう一つ、「健康の文脈」でないと気がすまないらしい傾向も濃厚であるが。とりわけB級グルメの分野は、「単品グルメ」といってよいほど、ラーメンやカレーライスに始まり、いかにうまく「食べる」かより、「うまい店うまいモノ」への傾斜が激しい。そして、このB級グルメに関しては、とりわけ男子が、とても姦しい。「姦しい」は、男を三つにしたほうがよいぐらいである。

 今年が明けて早々に発売になった『d a n c y u』二月号は、味噌汁の特集だった。私は「味噌汁ぶっかけめし」について寄稿していたので、掲載誌が届いた。改めて「男の料理」を考えた。この「ダンチュー」という耳馴れない言葉を遡ると、1970年代後半に発足した「男子厨房に入ろう会」に至る。その後、『週刊ポスト』で連載「男の料理」がスタートし、人気を得て長く続いた。『d a n c y u』の創刊は、「一億総グルメ」といわれた時代、別の言い方ではバブル期になるが、二〇年前の一九九一年である。つまり、男厨会は「男の料理ブーム」の端初の頃に始まった。

 ワザワザ男子厨房に入ろうと、男子が徒党を組んで名乗った背景には、「男子(そして君子)厨房に入るべからず」が大勢だった事情がある。それともう一つ、「男は味をあげつらわず」という言葉があって、この二つは一対をなして、重みを持っていた。ま、「男の本懐」は家事なんぞではなく国事にあるというか。そういう、いわば事大主義的な風潮に抵抗もしくは斜に構えるように、趣味や道楽として「食通」が存在した。

 「女の料理」というハヤリ言葉がないのは、女の料理は趣味や道楽ではなく、普通の生活の中の料理だったからだろう。それは、いうまでもなく、働く男をも支えてきた。大衆食は、そういう、働き生きる生活の中にある、「生活の文脈」のものだった。

 いまや食通変じてグルメが大手をふっている。男の料理は、生活の文脈をどれだけ自らのものにしてきたか知らないが、とにかく男子は、食べ物の仔細なことで、しかも大衆食の外食を舞台に、じつに姦しくなった。こうなると、なんだか、「男は味をあげつらわず」が、素晴らしく思えてしまうのである。

 男は、黙って、台所に立ちたい。

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