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2016/06/12

北村早樹子with大バンドライブ@赤坂グラフィティ。

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昨日は、ようするに、赤坂だった、北村早樹子だった。なんだか赤坂の夜に北村早樹子は似合っていた。

18時25分に赤坂見附駅で待ち合わせ。わめぞ一味、北村早樹子ファンクラブという感じの、男5人女1人。

まだどこにも書いてなかったとおもうが、一つ木通りの246号側からちょっと入った左側、いまでも一軒の畳屋があるが、その手前にあった(建て替えられた)古いビルに事務所の別室を持っていたことがあった。赤坂見附周辺では、よくすごした。えーと、シャソンで有名な店も近くにあったな。1980年ちょっと前から80年代前半ぐらいのことだったか。

赤坂ベルビーと一つ木通りのこの事務所があったあいだあたりは、テナントが変わって街が変わっているようだが、ビルそのものは、そのころからのものがけっこう残っている。

246角のファーストキッチンは、あのころの開店だし、きのう行列をつくっていた「俺のフレンチ」のところには、アボガドの寿司(カルフォルニア巻き?)を初めて出したことで有名な寿司屋があって、当時もやはり行列ができていた。

「俺のフレンチ」の角を曲がる前に、通りの先の上を見ると、かつてこのあたりで有名だった三つのキャバレーの一つの名前を看板に残したビルがある。このビルのなかに、「倶楽部」があって、おれはそこによく出入りしていた。

あのころは、そのあたりから先は、しだいに薄暗い通りになった。長く続く黒塀の料亭が建っていたからだ。たびたび料亭政治の舞台になった、「千代新」などがあった。70年代ぐらいまでは、黒いクルマのほかに、人力車も見られた。溜池・新橋方面にかけてあった置き屋から、芸者さんは人力車を利用していたのだ。

「倶楽部」の正体はよくわからなかった。おれは、そのころ渋谷の道玄坂に大きなビルを持つ人と付き合いがあって、彼に目をかけてもらっていた。彼は、ここの倶楽部の会員で、よくここで会ったり待ち合せたりした。ゴージャスとはちがうが、大きな黒い革張りのソファと重厚なテーブルのセットがいくつも空間を占めていた。おれが行くのは、たいがい明るいうちだったが、いつも誰かしら「紳士」たちがいて、碁を打ったり軽く飲みながら談笑していた。紹介されると、いわゆる「社会的地位」のあるひとばかりだった。

彼は、単なるビルオーナーではなく、会社経営の立て直し屋でも、知る人ぞ知るで有名だった。だれでも知っているある大会社が大きなつまずきから傾きかけたのを立て直したり、低迷していたある団体と出版社を立て直し、その後この出版社は、ある分野をリードする雑誌を初め、知らない人はいないぐらいの存在になった。

赤坂の高級なバーやクラブなど赤坂の夜は、ほとんど彼に連れられて行って知った。帰りは、いつも彼のハイヤーが送ってくれた。バブル前だったが、ほんにオイシイ生活だった。オイシイ生活だったが、自分のカネではないから、自分の実にはならない。それでよいのだが。その気になれば、大変なカネづるだらけだった。

彼は、ま、おれのような男を引きまわしてくれるのだから、ちょっと変わっていた。なかなか反骨気骨のひとだった。もとはといえば「農林系」の人なのだが、官僚や政治よりカネに興味があったようだ。戦後の復興期から、のしあがってきた、義理と人情のひとだった。飲むと喧嘩っ早くなるので困った。なにしろ総会屋ごときにビクともしないひとだから、おれは、なだめ役おさめ役。それもよい体験だった。

ようするに、猥雑にも「高級な猥雑」というのがって、赤坂がそれだった。赤坂というところは、とくに赤坂見附駅周辺は、地政学的にも「上流」と「下流」や「裏」と「表」が混沌と混ざりあうところだった。

当時から、赤坂ベルビ―前の東急プラザのホテルは一泊5万円とかの高級コールガールが活躍するところだったし、それ目あてに札幌から毎週のように飛行機で通う医者が、「街」で話題になったりした。いまでは、コールガールも「大衆化」と「国際化」が進行しているようだし、東急プラザも、おれたちも帰りに寄ったのだが、「サイゼリヤ」が入ったりして、赤坂ベルビーの一階はビックカメラだし、すっかり様子が変わった。でも、あいかわらず、混沌の街だ。

赤坂の話になってしまった。

行列している「俺のフレンチ」の角を曲がり、一つ木通りに出る手前右側のビルの地下に、会場「赤坂グラフィティ」があった。赤坂の地下に、こんな広い天井も高いライブハウスがあったのかと驚いた。

そして、ライブは、この日は名古屋の「ミラーボールズ」と対バンで、彼らが最初に舞台にあがった。ミラーボールズは夫妻デュオ。二人でギターをかきならし、妻がうたう。まっすぐ、ながら、ちょっとやさぐれているかんじがよかった。アコースティックギターでのロックを、思いきりたのしめた。

休憩をはさんで、北村早樹子with大バンド。ドラム、ベース、ギター、キーボードの編成。全員女子。北村早樹子は、お人形さんのような格好して、サングラスにバットをかついで登場。そして、バンドの大音響に負けない声量。小さくて折れそうに細いからだから出る高い声。

後半は、北村さんが一人で、キーボードを弾きながら。

混沌現代人形囃子。

まったく、このテイストは、初めてCDを聴いたときから、なんと表現したらよいのか、悩みのタネだ。

人間みなどこかこわれているのよ。それでよいかわるいか知らんけど、そこから始まる物語。たのしいかなしいじゃない。愛が必要なわけじゃないが、無理して求めることはない、あったらあったでわるくないか。どんつくどんつく。

今回のライブでわかったのは、なかなか映像的なうたであり曲だってことだった。なんか、いろいろな映像が浮かんで、映画が作れそうな気分になった。こういう気分になれること自体が、北村さんのうたの力か。おもしろい体験。

混沌の赤坂の夜に混沌のうた。わかったような、知ったふりの、勇気だの感動だの、結論はいらないのさ。

無理矢理、北村さんと赤坂をつなげた。

終了は21時半ごろだった。とりあえず近くで飲もう。「サイゼリヤ」だ。赤坂のサイゼリヤだ、いやサイゼリヤの赤坂だ。ここだって永田町。北村早樹子ファン6名、白ワインボトル二本あけながら永田町を占拠。

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