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2016/07/10

多重性、多様性、コンフリクト、なぜか汁かけめし。

チョイと考えていることがあって、メモのようなものだが。

毎号いただいている『TASCマンスリー』5月号は、「TASCサロン」に若林幹夫さん(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)が「多重性と多様性 人間という種の豊かさと強さ」を書いていて、おもしろい。

これはまるで汁かけめしとカレーライスのことのようでもある。それに人間という種が食べるものにも通じる話だ。

「1、重なりとしての社会と人間」で、「社会学者の見田宗介は、現代社会を積み重なった5つの層からなるモデルで説明している」と書き出し、その5つの層の話から入る。つまり「生命性の層」「人間性の層」「文明性の層」「近代性の層」「現代性の層」だ。

以前このブログにも書いたと思うが、モチをめぐる「三層仮説」というのが、かつてマーケティング屋のあいだで話題になったことがあった。それは大量に流通している機械でつくモチや、家庭のモチつき機が成り立っている社会や文化のモデルのことだった。

記憶で書くが、「アミニズムの影響の層」と「儒教の影響の層」と「近代化の影響の層」で成り立っているということだったと思う。

それをまねたわけじゃないが、おれは『汁かけめし快食學』で「三層のカレーライス」について、体験をもとに書いている。これはカレーライスが生まれる近代の「三層」のことだが、その前に汁かけめしの層がある。

ようするに、古い層は新しい層にとって変わられるのではなく、おれたちは「重層性を生きているのだ」。そして、「一つであり、かつ多様である」。というあたりを、若林さんは、もみほぐすように書いている。

多層性と多様性こそが社会と文化の豊かさと強さである。料理の技術や食べ物も、そのように存在するようだ。

ところが、「人間と社会の〈多様であること〉がこの世界から急速に失われていった。その過程はいまも進行中だ」と若林さんは述べる。

なるほどねえ。

多様であることは、「違い」があるということだ。その違いを認めあおうとしないで、自分に都合のよい好みの価値観に従わせようとする。

ちょっとの違いにカリカリイライラ、気にくわないことをいわれたらもちろん、ちょっとなにか疑問をはさまれたぐらいでたちまち「敵」認定、100%もたれあえる関係だけを大事にする、なんてことは、「つながり」になるはずのSNSでも、よく見かける。

そこに食べ物の好みのことまで絡んでしまって、食べ物や飲食は敵対関係を平和的に推移させるために大いに役立ってきたはずだが、ちかごろはどうも違う感じだ。

いったい、なぜこんなことになったのか。なぜ、そんなに価値観の狭いところへ収斂していくのか。アメリカのグローバリゼーションの影響によって、なにか狂ってしまったのか。

それはともかく、この『TASCマンスリー』5月号の「特別シリーズ」には、安川文朗さん(横浜市立大学国際総合科学部・大学院国際マネジメント研究科教授)が「世代間コンフリクト 将来世代との共生に向けて」を書いている。

「東日本大震災以後、わが国では「絆」「共に生きる」「共生社会」ということば広く人口に膾炙している」と書きだすのだが、一方では、「分断」がいわれている。「格差」「ギャップ」も、様々に大きくなっている。

この二つの文章を続けて読んで、昨今の食べ物や飲食をめぐる様々を考えているところなのだ。

ついでに、ちかごろよく目にする「コンフリクト」ってやつは、いつごろからクローズアップされるようになったか調べてみたら、どうやら1980年代後半、バブル全盛期のころらしい。ちかごろの「コンフリクト」は、「不景気」になってから、とくに東日本大震災以後という印象だったが、必ずしもそうではない。もとから存在していたことが、東日本大震災以後、鋭くなったというぐあいに見るべきのようだ。

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