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2016/07/18

日本の変わり目。

酒と肝臓のことを考えているうちに、昨日書いたような、身体や健康やバランスのことを考えることになり、今日は日本の変わり目と身体や健康や病気のことを考えるようになった。

体験的にふりかえってみると、戦後から高度経済成長期の入口ぐらいまで、ま、感じとしては1955年ぐらいまでは、社会が病気や病人を抱えているのは普通という状態だったと思う。人間あるいは人間の社会は、病いを抱えて生きているものだという認識があった。

それが高度経済成長期を通じて変わっていった。これが最初の変わり目。

つまり病気や病人がマイナスの存在であるという認識が、この時期に広がった。それは、片方に生産に貢献するほどよい人間という、これは以前からあった考えだろうけど、とくに戦後の時代にはそれほど支配的ではなかったものが、表に出てきた感じと言えるか。

「能率」という言葉がはやり、やがてどれだけの技術や能力を持ち、どれだけの経済効果を産み出したかで人間がはかられるのが普通、という認識がマンエンした。

そして高度経済成長期が終わると、消費が経済成長に貢献するものになり、生産だけでなく消費の面でも優れているかどうかが問われることになった。

これは、経済効果で人間をはかる延長線だろうけど、優れた消費者としての感性やら知識やらがチヤホヤされる状態が生まれたという意味で、文化的には大きな変わり目だったといえるだろう。

生産にどれだけ貢献するかというなかでは、病気や病人はマイナスだったが、消費の面から見ると、必ずしもそうではない。そういうことで、健康増進法まで突き進んだ。このあたりが次の変わり目か。

では、人間あるいは人間の社会は、病いを抱えて生きているものだという認識があるかというと、そうではない。

優れていなくてはならない、健康でなくてはならない、病気はマイナス、さまざまな意味で劣っているのはマイナス、という認識のうえに健康増進法は成り立っているのだ。

ってことで、時間がなくなったので、ここまで。

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