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2016/10/30

タイアップ。

飲み会で「タイアップ」が話題になった。「○○さんはタイアップが上手だね」とか。「○○さん」は、ある「作家」だったり、「会社」だったりするのだが。

とくに悪い意味でのことではないが、良い意味でのことでもない。

近年は「タイアップ」というより「コラボレーション」ということが多いようだ。もしかすると「タイアップ」には、あまりよいイメージがないのかもしれない。なんとなく「広告くさい」というか。広告は割りと嫌われものなのに、広告くさくない広告つまりタイアップは、けっこう盛んだ。

いまや、制作だの編集だのといった分野では、タイアップが幅広く行われている。タイアップは費用対効果が良いから、長い「不景気」のあいだに蔓延したようだ。新聞やテレビ業界は昔から、出版業界もタイアップが花盛り。

少し前だが、ある大手の編集者と飲んだら、いまは「飲む」「食う」「散歩と旅」に「タイアップ」がつけば、売れるから企画が通りやすいといっていた。

「ジャーナリスト」を名乗る人たちの大半は、特定業界や特定企業や特定商品や特定思想や特定団体などの「PRライター」であることが多い。だけど「PRライター」の肩書は、ほとんど見ることがない。その肩書では、タイアップの「客観性」が担保できないからだろう。

雑誌などで、記事のようでありながら欄外に「広告」「PR」とあった場合は、「有料のタイアップ」でスポンサーが金を出しているし、見る人はそのつもりで、マユにツバしながら見る。

だけど、普通タイアップというと無料無償であり、「広告」「PR」といった表示はない。それなのに、「広告」「PR」以上に、広告・PRになっていることが多い。

本一冊丸ごとそういうものであったとしても、本の表紙に、「これは広告・PRです」という表示はない。そして、広告などのように、デザインがよい、写真がよい、イラストが可愛い、内容が面白い、などと話題になれば、しめたものなのだ。

モンダイは、事業者側はPR活動の一環として認識して制作や編集に協力していても、制作や編集側にタイアップの認識がないことが、けっこう多くなっていることだろう。ま、それぐらい、この手法は蔓延している。

だってさ、人気の商品やいい商品を生みだす事業者を取材してメディアで紹介することは、いいことでしょ、どこが悪いの。って、いやいや、「いい/わるい」を問題にしたいんじゃないけどね。

「客観性」を、どう担保するかの考え方と方法のことなのだ。

だけど、タイアップの認識がないタイアップでは、そこが問題になることはない。

事業者や広報・広告サイドからすれば、これはどう見てもタイアップだよねと判断したり協力したりがあっても、制作や編集あるいは「作家」のほうには、そういう認識がないことが少なくない。たいがい「取材先」ぐらいにしか思っていない。それでいて、取材に協力するのは宣伝になるんだから当然だろという姿勢だったり。

でも事業者や広報・広告サイドのひとは、「○○さんはタイアップが上手だね」と見ている。そういうことがけっこうあるということを、制作や編集のサイドの人たちは知らない、ということもある。

そこを気づかれないようにしかけることをショーバイにしている人たちもいる。おれがかつて付き合っていた、そういうショーバイ人の男の手帳を見せてもらったことがある。大新聞社や大出版社その周辺の作家たちの一人ひとりの性癖などが書いてあって、ところどころに数字が書き込んであった。その数字は「謝礼」を意味するが現金で渡すことはない。

彼らは、「ジャーナリスト」だ「記者」だの「作家」だのを、上手におだてたりするが、自分の手持ちの「PRライター」ぐらいにしか見てない。そして、出版などのメディア業界で成功を急ぐ、たくさんの人たちは、タイアップを意識しないでタイアップにはまりやすい。自分に価値ある「名店」や「名人」の「PRライター」を積極的に買って出て名声の地歩を築く。「ジャーナリスト」や「作家」や「エッセイスト」などの肩書で。

ま、この世は、もちつもたれつだからな。それにPRライターだって立派な職業だ。PRライターだって自覚していれば。

タイアップなのにタイアップを認識していないものが増えた。そのていどの認識力しか持てないものが作るものを読んでいて大丈夫なのか。どこかオカシイわけだ。

おれもそろそろ旅券をとっておこうかしら。

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