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2016/12/20

「他人事」からの出発。

前回のエントリーに書いた東京新聞の投書欄には、「福島産米買い復興の支援を」の投書があった。49歳の会社員の方の発言だ。

この方は「近所のスーパーでは売っていなかったので、経営者に「福島産の米を販売してほしい」と手紙で要望したところ、昨年末から販売してくれました」と書いている。「実は昨年、福島米販売を求める手紙は別のスーパーにも出したのですが、全く売る気配がありません。周辺各県の米は売られているのに、福島米だけ扱わないのは「いじめ」のようにも感じます」と投書は終わっている。

こういう方には頭が下がるのだが、「福島米だけ扱わないのは「いじめ」のようにも感じます」は、ちょっと飛躍がある感じで違和感を覚えた。

「放射能デマ」問題も含め、福島や福島県人に対する「いじめ」が取り沙汰されるのだけど、「いじめ」というレベルの前に、もともと福島のことは「他人事」と思っている層が多いようにおれは感じている。そういう層が厚いから、「デマ」も「いじめ」も跋扈するし、「デマ」や「いじめ」批判も黙ってはいない。メディアをにぎわすのは、そういう「突出」や「極端」で、これは福島のことに限らない。いつも多数派は「無関心」「他人事」の「中間層」なのだ。

問われれば、堂々と「福島のことなんて他人事ですよ」とはいわないが、日常は「他人事」と思って過ぎてゆく。そう思って見ると、いろいろなことが説明つく。そして、取り沙汰しやすい「突出」や「極端」ばかりを取り上げて、何かしら発言していれば、なんだか正しそうな時が過ぎていゆく。

というわけで、「風化させるな」とか「当事者意識」が盛んに強調されたり、あるいは「放射能問題」について「正しい知識」を持つことの推進などがいわれるのだが、風化を止めることも当事者意識のない人間に当事者意識を持たせることも、かなり至難のことだ。その至難のことをやろうとしていることに気づかないとしたら、やはりどこかで「他人事」だからではないか。

と考えていると、このような話を知人の会社員の女性から聞いた。彼女は幼児を一人抱えて共働きをしている。その彼女のことではなく、彼女の同僚のことだ。

同僚は社内結婚して子供が一人いる。その子供が入院したので、奥さんは付き添い、病院から会社に通っていた。ある日、どうしても仕事が片付かなくて、周りに頼れる人もいないから、御主人に午前中休みをとってもらって病院の付き添いをしてもらった。そして午前中頑張って仕事を片づけ、午後に御主人と交代した。そんなふうに頑張っている奥さんに上司からあった言葉は「そんなことしてたらダメだよ」だった。

この会社は「女性活躍推進宣言」をしている。おれの知り合いは憤怒、まさに「○○死ね」という感じだった。

しかし、こういうことも、たいがい「他人事」で過ぎてゆく。そういうことが多くなっている感じだ。

この「他人事」の解決は、どうなっていくのだろう。まだまだ荒野化はすすむのだ。おいしいたのしい美しい話をしながら。

当事者意識を持つことが、他人事意識の解決になるのか。風化や他人事意識は避けられないことを前提にした考えや方法があってもよいはずだ。切ないことだが、それが公共の福祉の思想も精神も失われた日本の現実なのだ。

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