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2016/12/16

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」に読者投稿。

007001毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は、今年の10月で4年が過ぎた。

よく続いているなあと思うが、4年で48回、48店の掲載だから、数にしたらたいしたことはない。でもまあ、なんでもあまり続かないおれにしては、よく続いている。

先週の金曜日9日の東京新聞の読者投稿欄「発言」に、読者の投稿が載ったからと本紙が送られてきた。読者の反応は、新聞社のほうにファックスをいただいたりしているが、本紙に投稿が載ったのは初めてだ。まさかこのような小さな連載に投稿があって、それが載るなんて思っていなかったから、驚いた。

「大衆食堂紹介今後も続けて」のタイトルで、69歳の方の投稿だ。おれは73歳だから、ま、前期高齢者の「御同輩」という感じだろうか。

ありがちな懐古礼賛、昔はよかった話はなく、「どんなにぜいたくをしても千円をまず超えません」と大衆食堂を楽しんでいる様子に、ほおがゆるむ。

「記事に引かれて入った食堂がもう十三軒にもなりました」

「時には昼酒が過ぎて店主にたしなめられることもありました」と、オイオイそりゃ楽しみ過ぎじゃないか、いいねえ。

でも、おれも大衆食堂でシミジミ思うが、70年とか生きて、こういう平凡なよろこびが得られるのは、いいんじゃないかと思う。まさに一大衆のよき人生の一こま。

この連載は、本文400字と店データ100字ほどで書かなくてはならない。先日の『理解フノー』出版記念会のとき岡崎武志さんとも話したが、この長さは難しい。どうしても盛り込まなくてはならない「情報」が、一定量を占めてしまうからだ。書く前の思考に時間が費やされる。

連載だと、本にするのを前提や願望にして書くことがあるけど、おれはそんなことはまったく考えずに書いている。本にするのを前提にすると、対象のセレクトや書き方に条件がついて、一軒一軒にふさわしい自由な視点や形で書けなくなる。

文章は、前にも書いたように擬音語や擬態語を使ったことはあるが、なるべく表現的な技巧は使わず平易かつ凡庸に書くようにしている。

平易かつ凡庸でありながら、なんだか魅力を感じる。そういう文章を思考錯誤している。毎回。これは「ありふれたものをおいしく食べる」思想や方法に通じる何かがありそうだ。

鋭さや気のきいたところがない文章は、地味な生活みたいで、あまりもてはやされない。だけど、それで点をとれるようでなければ、フリーライターではないだろう。そういうツマラナイことを考えながら4年が過ぎた。

少しでも時代や人に先んじようとガムシャラな人には、刺激にならないツマラナイ文章かもしれない。あるいは、ガムシャラに疲れた人には好ましいかもしれない。

ところで、この読者は、インターネットはやってないようで、店の場所を駅前交番で聞いたりしている。かりにインターネットをやっていても、駅前交番あたりで聞くのは楽しい。おれもときどき、「このへんに古い食堂ないですかねえ」と、ヒマそうな巡査に聞いたりする。

投書の最後に「お店情報には電話番号もぜひ入れてください」とあった。

これが難しいんだなあ。電話番号を入れるのを嫌がる食堂もある。電話番号、お客さんのためにはなるかもしれないが、セールスなど電話番号を利用するのはお客さんじゃないことのほうが多く、それが小人数でやっているお店には負担になる。

住所と地図でたどりつくことを楽しみにしていただいたほうが、連載も続けやすい。

さて、あとどれだけ続くか。

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