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2017/01/22

「昭和の味」?

昨日のエントリーのコミック「思い出食堂特別編集 洋食」は、24品のうち6品が日本橋の「たいめいけん」の料理だ。ほかは、店名も出てない、エビフライやポークソテーなど、それぞれ別の洋食の一皿がテーマで、それにからむ食べる側の「いい話」の主人公が中心だ。つまり店側による「いい話」は、ほとんどない。

「たいめいけん」は特別扱いといってよい、店側が登場し「いい話」をするタイアップのような構成になっている。

日本橋のたいめいけんは、伊丹十三監督の映画「たんぽぽ」のオムライスとラーメンで、広く知られることになったが、その前から評判の高い有名店だった。とくに初代の茂出木心護さんは、本も書いたし、‭凧の趣味でも知られていた。初代は知らないが、初代の夫人は初代が亡くなっても店のレジのところにいたので、何度か話したことがある。大衆食堂のおばさんのように気さくな方だった。

このコミックでは、「昭和の味を今も伝える」店として登場する。「昭和の味」というのは、編集サイドのつくりで、たいめいけんが謳っているわけではない。ようするに「昭和」と「いい話」が、売りのキーワードでありフォーマットなのだ。

新米取材記者が登場し、たいめいけんの客に「あなたにとって「昭和の味」は?」と、食べる側の「いい話」を聞きだし、たいめいけんの厨房に「味の奥義を潜入取材」して三代目からつくる側の「いい話」を聞く、という仕立てになっている。

その「昭和の味」を食べてみた取材記者は、「これが昭和の味?平成生まれでも十分イケますよ」「不思議だわ材料だって昭和のとは違うんですよね?」「人の味覚も進化してるはずなのになぜ…」と考える。三代目は「何かつかんだ?」と訊ねる。記者は、ハッと気づく。

そして、話は、このようにまとまる。「進化しているんだ」「「変らぬ味」というのは進化があるから変わらないのです」「昔より良くなってる…それで初めてお客様に「懐かしい」と言ってもらえる」と。さらに、最後のダメ押しのように「たいめいけんは未来へ続く味なのです!」と、ヨイショなコピーがつく。

よくある話だけど、味覚と技術と社会の関係は、同じところに留まっていない。「進化」かどうかは、観念の判断のことで断定はできないが、とにかくたえず変わっている。細かいことをいえば、昨日の材料と今日の材料は違うし、昨日の味覚は今日の味覚とは限らない。その変化を感じたり測ったりしながら、つくる側も食べる側も存在する。そこにまた物語も生まれるわけだ。

昭和の大衆食堂がいまあるのは、平成の大衆食堂だからだ。だいたい平成になって、まもなく30年になるんだからねえ。

では「昭和の味」とは、なんなのだろう。もちろん「昭和の味」という「味」はないのだけど、そういわれる味覚は、どう存在しているのか。なかなか興味深いことだ。

それはともかく、おれは『大衆食堂パラダイス!』に「神谷バー」と「たいめいけん」について書いている。「つい最近まで、この二店が大衆食堂であるとは思ってもみなかったおれは、インターネットのとあるページに、/「大衆食堂「神谷バー」と「たいめいけん」」/とあっておどろいた。」

そして、「神谷バー」と「たいめいけん」を大衆食堂という人たちのコメントをあげながら、自分はなぜ大衆食堂と思ってこなかったかを、ああでもないこうでもない考え、「その洋食の味覚は、大衆食堂の洋食の味覚であり、遠いむかしの、ほんのりしたハイカラな味わいなのだ」と書いている。

「ほんのりしたハイカラの味わい」なんて、かなりいい加減だが、これがまあ「昭和の味」と関係あるかもしれない。輪郭のあいまいな味わいともいえる。そして「味わい」というのは、人それぞれの物語と大いに関係する。

『大衆食堂パラダイス!』では、大都会にあるのは「饒舌な文明や、「プロ」たちからの一方的なオシャベリ。押しつけられる物語はあっても、人びとの手垢にまみれた物語が生まれる余地はない」とも書いている。昨日も書いたことで、このあたりについては、おれはしつこくいってるんだなあ。

飲食のことに限らないが、最近ツイッターなどを見ていると、ツイッターは「人びとの手垢にまみれた物語」が割りと出回る感じはあるけれど、「プロ」の人たちは、まったく顧みないね。たいして知識もなくデマに振り回されやすい人びとの不安や不満や不信や疲れや苦しみなど、それがある生活の物語など想像してみることもせず、自分の「正しい」主張を押しつけがましく言いたてるだけ。

「プロ」によっては学術業界のコンセンサスといったものを錦の御旗にしているが(最近「放射能デマ」をめぐって、そういう言説が流れていた)、非科学的なデマとも並ぶ、みごとな権威主義だ。学術業界や専門業界にいる人たちは、人びとの手垢にまみれた物語など興味がないのだろうか。「プロ」というだけで、人びとの上手に立っているつもりのようでもある。学術業界のコンセンサスなど何の興味もない世間があるというのに。

「昭和の味」は、学術業界のコンセンサスなど得てないけど、「人びとの手垢にまみれた物語」に響くところがあるようだ。

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