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2017/01/14

『料理人』の箴言。

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拙著『理解フノー』のまえがきに相当する「「理解フノー」の始まり」には、「ニンゲンというやつは、理解フノーであるにしても、めしの食べかたや排泄のしかた一つとっても理解フノーが多すぎて、話しにならない」と書いている。これ、マジなのだ。

人間を複雑で奇怪で不思議なものにしているのは、食べかたや排泄のしかたが他の動物と大いに異なることで、それが文明とまではいかないが文化の根源に関わっているからなのだ。

その食べることについて、これ以上うまく書いたものはないだろうと思われる小説に、ハリー・クレッシングの『料理人』がある。おれが持っているのは、一ノ瀬直二訳のハヤカワ文庫版、昭和47年2月初版の61年11月の7刷のものだ。もう何度も読んで、古いし、バラバラになりそうだ。最初に引用の『理解フノー』からの一文は、多分にこの本からの影響がある。

人間の存在の深源にせまる1冊。たくさんの方が読んでいるはずだ。

本のタイトル扉の前に、箴言が載っている。

「人間とは料理をする動物である。〈古い料理書〉」
「人間とは食事を楽しむ動物である。〈古い料理書〉」

この箴言は、おれの著書でも何度か引用しているが、たいがいポジティブな文脈だと思う。だけど、いつでもなんでも正と負は一体であり、その警句の側面を見落としてはならないのだな。「料理をする動物」「食事を楽しむ動物」であるがゆえの負があるのだ。とくに昨今の、安直な飲食ネタブームを見ていると、そのことを強く感じる。

年初めのインターネットでは、ツイッターが火付け役になったようだが、日本各地のさまざまな雑煮が話題になった。こんなにもいろいろあるのかという驚きがあったようだ。

日本の食の話というと、東西のちがいだけでなく、地域ごとのちがいが、よく話題になる。昔から、一つのジャンルをなしているといってよい。近年は、日本の食文化は幕藩体制によってつくられたとされ、幕藩ごとのちがいが話題になる。

クイズのような楽しみがあるし、そういう話が好きな人が多い。ま、だけど、たいがい、あそこはこんなであっちはこうで、あんた知らんのかおれは知っているぜ、ていどで終わっている。そして、何年も何年も切り口まで同じだったり、あるいは切り口や表現だけ変えたりして、あるいはテーマが変化したり情報が詳しくなったりしながら、繰り返し話題になってきた。

そこから一歩も深まらない。話題として消費して終わりだ。人間や社会の多文化性や多様性、あるいは河川や山脈を隔てて異なるコスモロジーとの関係、日本としての統合性の関係などは、関心の外のようだ。そして、なかなか異なる他者を受け入れないし、「日本の伝統」というと中央の「和食文化」がそびえている。

そうやってウチ向き雑煮の話題のあと、ツイッターでは、ベトナムのホーチミン市で開催されている岩手県の物産展が話題になった。

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多重性、多様性、コンフリクト、なぜか汁かけめし。

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