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2017/01/09

銀座のように「内容」のない食べ物の話。

何度か書いているように、昨今の出版は、飲食ネタと散歩旅ネタが商売になりやすいということで、そのテのものがあふれている。たいがい、ハヤリというのものは、内容はよくないものが多い。ま、動機が安直だからね。昨年などは、その不作ぶりが目立った。

だけど、見た目だけは、上質でうまそうにまとまっている。『dancyu』なんかもそうだし、自分でもときどき書いていながらなんだけど(自分から売り込んだりはしないで依頼があれば書くだけの受け身なのだが)、それなりに表現のテクニックがある人たちが書いたり作ったりしているからだ。これは、なんだか、寺田寅彦が『柿の種』に書いた銀座に似ている。

「震災後、久しぶりで銀座を歩いてみた。」と寺田寅彦は書きはじめる。「震災後」とは大正十二(1923)年九月一日の関東大震災のことで、この文の初出は「大正十三年二月、渋柿」とある。この、文庫本一ページに満たない短文が書かれたのは、震災の後の年末のようだ。

「震災後、久しぶりで銀座を歩いてみた。/いつのまにかバラックが軒を並べて、歳暮の店飾りをしている。」(略)「歩きながら、店々に並べられた商品だけに注目して見ていると、地震前と同じ銀座のような気もする。/往来の人を見てもそうである。/してみると、銀座というものの「内容」は、つまりただ商品と往来の人とだけであって、ほかには何もなかったということになる。/それとも地震前の銀座が、やはり一種のバラック街に過ぎなかったということになるのかもしれない。」

「内容」のなさは見た目の表現でごまかすことができる、あるのは幻想のやりとり。現在の銀座は、寺田寅彦の時代より、もっと過激なバラック街になっている。かもしれない。

このあいだツイッターに、元旦だか2日の銀座通りの写真をアップした人がいた。人っ子ひとりいない銀座通りは、1丁目から8丁目まで見通せた。銀座は内容のないテーマパークの姿をあらわにしていた。立派に見えるビルや通りも、手の込んだバラック。

そんな食べ物の本が増えた。お粗末というか、陳腐というか。ただでさえ陳腐化のスピードが早いというのに。昨年は、そういう流れに抗するように、ちがう傾向のものも出てきたが、でもまだ大勢は、この状態が続くだろう。

けっきょく「内容」とは、「世界観」のことになると思うけど、いま飲食ネタや散歩旅ネタに飛びつく人たちは、作る側も読む側も「世界観」からほど遠いし、「世界観」からほど遠い飲食ネタや散歩旅ネタがもてはやされるのだ。銀座みたいに。

もともと飲食ネタは、装飾品みたいな面があったのだけど、ますます装飾性が強くなっているようだ。いいものいい店を知ることは、キレイなおべべを着て、「どうよ」と見得を切るような効果がある。自分は丁寧な仕事をしているわけではなく、受けのよい食べ物の話を短時間にまとめて書いているだけで、何十年何百年のモノヅクリ現場の丁寧な仕事ぶりの一端でも取材し紹介し称えていれば、それも自分の装飾になる。そういうものを読んでいるだけで、何やら深い高尚な域に達したような気になる。

そして、現実は、けっこう破壊的に進行している。

昨年10月に、岩波新書から『魚と日本人 食と職の経済学』という本が出た。著者は濱田武士(はまだたけし)さん。著者からといって、著者の知り合いである酔仙亭さんにいただいた。読んだが、まだここに紹介してない。

著者渾身の作だが、それだけに銀座通りのような食べ物の話とのギャップが激しすぎて、頭がクラクラボーゼンとするばかりだ。そのため、読むのにも時間がかかった。

農業も含めて、銀座の町と地方の農漁業の町のギャップは、どう統合的に解決されていくのだろう。いったい、食べ物をめぐるあふれるばかりの知識や情報は、それをどう解決に導くことができるのか。モノヅクリの職人が真摯にものをつくるように、書く人間は真摯に考えて書かなくてはならないわけだ、が。

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