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2017/01/21

食にまつわる「いい話」。食文化の貧しさと豊かさ。

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古い話だが、ますますこの動向はおもしろくなっている。当ブログ2004/07/26「山本益博さんについて、メモ」では、「雑誌『談』編集長によるBlog」で、編集長が山本益博さんに会ったときの話を引用た。

「山本さん曰く、日本は、作り手の側には食文化があるのに、肝心の食べ手の側に食文化がないと。美味しくつくる技術は発達したのに、美味しく食べようとする技術が育っていない。この非対称性が、結果的に食文化全体を貧しくしているというのです。な~るほど、卓見です」

山本さんがいう「美味しく食べようとする技術」についてはともかく、たいがいの飲食ネタの本には、「いい話」が登場する。「つくる側」にも「食べる側」や「生活の側」にも物語がある。

この「物語」が「いい話」として「商品化」がすすんだのは1990年頃からのことだ。それは「ライフスタイル」から「ライフストーリー」への変化ともいえる流れもあり、それを示す資料はあるのだが、「物語」は、「つくる側」の話が圧倒的な量を占め支配的だった。

前にも書いたように、「食べる」という行為や文化は、「つくる側」と「食べる側」の物語の出会いにあるはずだが、企業や店などの「作り手」の物語が支配的であり優位にたっていた。それが、「売れるフォーマット」「商売になるフォーマット」でもあった。

そうなったのは、1980頃からの経済の構造と、もう一つは、日本の食文化の構造が関係する。日本の食文化の構造の問題は、1980年以前の古くからのことで、山本益博さん指摘の「作り手の側には食文化があるのに、肝心の食べ手の側に食文化がない」と関係する。それが、80年代以後の経済事情のなかで拡大した。と、みることができる。

とにかく、どこにどんな店や商品やサービスがあるかという情報や知識を、「作り手」つまり店や商品やサービスの側の物語と一緒に消費することがハヤリになった。昔からあった「老舗」や「プロ」や「先生」をありがたがる風潮は、彼らが語りメディアの関係者が都合よく表現する、美しくも素晴らしい「いい話」で肉付けされ、さらに確固たるものになった。

こういう動きに対して、ド素人の「食べる側」つまり「生活の側」の物語が、もっと必要ではないかという考えもあった。拙著『大衆食堂の研究』などは、ま、おれが書く本はほとんど、そういうセンで、どこにどんな店や商品やサービスがあるかという「耳より」な情報や知識のためには、あまり役に立たない。

2003年に創刊の『クウネル』は「ストーリーのあるモノと暮らし」を謳っていたが、昨年「廃刊」といってよいほどのリニューアルをして話題になった。ま、10年も続いたことをヨシとしなくてはならないだろう。それぐらいの状況というか世相が続いている。

飲食ネタ分野において、生活の側の物語はなぜ売れないのか、という問題は、なかなか突っ込みがいのあるおもしろいテーマなのだ。

とはいえ、『孤独のグルメ』や『深夜食堂』のように、「食べる側」の物語が描かれているものも、けっこうある。ただ生活というのがそうであるように「地味」な存在だし、断片的になりやすい。なかなか売りにくいのもたしかだ。

だからだろうか、つくる側の話と食べる側の話のバランスをとりながら、折衷的ではあるが、こういう本もあって、なかなか興味深い。

前置きが長くなりすぎて、本題を書くのがメンドウになった。でも、ちょっとだけ書いておこう。

昨年の夏ごろの「鬼子母神通り みちくさ市」の古本フリマで、「特選 思い出横丁特別編集 洋食 幸福のオムライス」といった、どれがタイトルかよくわからないが、「洋食」の文字が大きいから、これがタイトルか、それに「幸福(しあわせ)のオムライス」が目立つデザインになっているコミックを買った。

表紙には、「昔も今も心ときめく洋食コミック 懐かしい24皿」なるフレーズもある。

B6サイズで厚さ25ミリ、本体476円+税(ただし古本なので100円だった)、2016年2月少年画報社発行。コンビニや駅の売店などでよく見かけるグルメ・コミックの類で、どうやら「大衆食堂」をテーマにしたものもあるようだ。

高梨みどりの「たいめいけんの洋食」が184ページ、ほかは13人の作者に「新作よみきり126ページ」という構成。

この一皿一皿の話は、食べる側の物語が中心になっている。しかも、登場人物が、老若男女職業じつにさまざまなのだ。そして、「つくる側」の「いい話」には、例によって秘伝めいたコツや職人技のようなことが盛り込まれているが、そんなに大げさではないし、過剰な量ではない。つくる側と食べる側のバランスが、それなりにだが、とれている。

おれは、とくに「たいめいけんの洋食」の「オムライス」の話に興味がひかれた。

たいめいけんは「昭和の味を今に伝える」店として登場するのだが、たいめいけん三代目が主人公なだけではなく、「皿」によって異なる「ゲスト主人公」が登場する。

「オムライス」では、この店で取材した女性客が「ゲスト主人公」だ。その客は、小学生の頃、父親に連れられて「たいめいけん」でオムライスを食べたときのことを語る。この女性は、話しの内容と描かれた風俗から、1943年生まれのおれと同じぐらいの年齢だと思われる。

彼女の父親は大工で、普段の仕事着のまま、娘だった女性も普段着(母親が入院中のため、いつも同じ服を着ていて友達にからかわれる)のまま、「たいめいけん」に入る。当時、デパートの大食堂は、「よそいき」着で行くところだったが、「たいめいけん」は普段着の食堂だった。しかも、大工の仕事着の女性の父親は、見習いの頃から「仕事が完了すると」親方に連れられて、オムライスを食べに来ていた。そういう話が描かれている。

日本橋周辺は、いまでは面影がほとんどないが、職人の多い町だったのであり、彼らのあいだでは、「たいめいけん」は、普段の生活の中でチョットいい日に普段着のまま寄るところだった。そういう地域の文化があったことがわかる。こういう文化の存在を、現在の自分の生活の場で、どう受け止めて行くのかは、おいしく食べる文化に関わることだろう。

ほかにも、いろいろな発見があったが、続きはまたいつか。食文化の貧しさと豊かさについては、考えることが多い。

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