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2017/01/08

遅ればせながら、本年もよろしくお願いします。

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今年の元旦は何十年ぶりかで自宅で迎え、どっぷりタップリ休んだ。もう仕事なんかしたくなーいというぐらい休んだのだが、年金もないカナシイ身の上なので、6日にチョッピリ仕事を始めた。だけど、まだエンジンがかからない。そのうち走り出すだろう。か。

3日に岩槻へ行った。さいたま市岩槻区の岩槻だ。近間の知らない町を歩いてみようと思って行った。隣の区だけど、花見時になると少しニュースになる城址公園と「人形の町」というぐらいの知識で、どんな町かイメージすらわかない。あと、関東ではめずらしい麦みそがある地域だということだが、見たことも食べたこともない。

古い歴史のある町のはずだが、駅は新築で駅周辺は大々的に再開発が進行中、道路は拡張され電柱は埋められ、古い家並みはほとんど見受けられない。東口駅前には、いまどきのお決まりのように、スーパーや市役所が入ったビル。広い道路沿いには、たしかに「人形」の看板が多い。

高いマンションも少なく、やたらだだっ広い。たいして特徴のない町という印象だが、家族連れが多い。空き地や城址公園では、凧を揚げている親子や、夢中になっている大人の姿がたくさん。ああ、いい感じだねえ。ほんとに「遊んでいる」という感じだ。

最近、おれが住んでいる東大宮もそうだが、とくに特徴のない凡庸な町が気になっている。凡庸の魅力というやつだ。

よく「住みやすい町」とか「住みたい町」などが話題になるが、たいがい買い物など生活の機能面が中心になる。とくに東京では、いかにも消費主義的な「町(街)」の見方で、町が語られる。

そういう中で暮らしていると、「町(街)」と「町(街)場」の違いもわからなくなるらしい。このあいだ見た雑誌に、けっこうなライターさんが、混乱した使い方をしていた。

暮らしに「共同」がなく、人間は職能でつながり職能で評価され、町は機能で評価される。そういうことに馴れきっていくうちに、「人間として」の、まっとうな判断の基準がズレていくのではないか。コワイことだ。

凡庸な町は、そういうことを気づかせてくれる。

初詣はしてない。岩槻城址公園へ行く途中で「太田諏訪神社」の境内を通ったが、とくにお参りはせず、写真を写しただけ。

そうそう、なにはともあれ、2月3日の理解フノートークをよろしく。
2016/12/21
2月3日(金)に「理解フノートーク」やります。

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