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2017/03/27

「パン」と「米」。

いわれているところの日本政府による「道徳」のダメダメ加減は、このように「道徳」というと「国粋主義」と一体であることだろう。ま、もともと戦中並の「国粋主義」が「道徳」をやりたがっているのだが。

「パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に変更 「道徳」教科書の初検定」というのは、ハフイントンポストの3月25日の見出しで、記事はこのように伝えている。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/24/moral-textbook-bread_n_15592928.html

引用……

「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物とタイトルを「おじいさん」に改め、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。

 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。

 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。

……引用終わり。

「「ここまで細かいとは……」。各社の編集者は道徳教科書の初の検定に戸惑う。」ともあるが、細かいかどうかの問題ではないだろう。一人ひとりの心の持ち方や考え方に、政府の力を持って干渉し指導しようという「道徳」なるものが間違っている。

そのうえ、『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という、こういう思想の根本には、パンと米をめぐる根深い問題がある。根深いからこそ、こんなところにひょっこり露出してしまうのだろう。

このパンと米と伝統主義的日本料理については『大衆めし 激動の戦後史』でも、けっこうふれている。これは、昔の話ではない。いまでも続いている昔のことなのだ。

千年以上にわたり日本で強い影響力を維持している、儒教や国家神道の思想、どちらが背骨かわからないぐらいの思想が深く関係する。なかなかガンコな思想であり、日本人一人ひとりの内側に沁み込んで生き延び、とくに「米食原理主義」「主食原理主義」といってもよいぐらいな、食をめぐってのさまざまなヒエラルキーも克服されずにきている。だから、ま、これだけパンを食べパンについてオシャベリしながら、パンの位置づけすらできず、こういう事態になっているわけだが。

『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という押しつけ思想は、食育基本法をめぐっても、「感謝の念」などに同様の傾向が見られる。

そこには、人びとが育ってきた日本の食文化を誠実に学ぶという姿勢がない。これは、政府もそうだし、一人ひとり胸に手をあて考えなくてはならないことだろう。これだけ、食に関する知識や情報がハンランしながら、なぜ、このようなことがおきるのだろう。なぜ、パンや米や麺類や、おなじ米も白めしやにぎりめしや丼物やカレーライスなどで、ワタクシたちは食べているのだろうか。そういうワタクシたちについて、もっと理解する必要があると思う。

自分の食について自分で理解を深めないかぎり、こういうことはなくならない。バカバカしい文科省をバカにして笑っているぐらいでは進歩はないのだ。

当ブログ関連
2013/09/14
『大衆めし 激動の戦後史』のもくじと、「まえがき」「あとがき」の書き出し。
2008/10/07
なんて奇怪な平和の中のアヤシイ日本料理なんだろう。

Asahigura_sijyou


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