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2017/03/23

昭和なトーク?

月日のたつのは早く、まだ先月のことが、もう一年以上前のことのようだ。

セカセカ月日が過ぎて行くのは、もったいないねえ。だから、ゆっくりふりかえろう。昨今はツイッターなんてのがのさばって、セカセカ度が高まっているけど、逆に、なんでも一呼吸二呼吸おいてから考えてみるほうがよいようだ。

去る2月18日の土曜日は、北浦和の居酒屋ちどりで、ブラボー川上さんとトークをやったのだった。

お題は、「昭和の酒と居酒屋」。

19時開場で20時スタートだった。

おれは19時半ごろ着いたのだが、もう店内は満員状態だった。ちどりさんは、20名ぐらいの席数で、前々日までに予約は一杯、さらに当日参加もあって、カウンターの内側まで立見席と化した。

おれは、『食品商業』2012年12月号に寄稿した不定期連載「おれの酒飲みハンセイキ その1 酒量も高度成長期」と、カルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡での報告「大衆食や大衆食堂から見た東京の町」を資料として用意し、ほかにその内容にそったスライドを用意した。

が、うれしいギュウギュウづめで、おれと川上さんが座るステージ分のスペースもなく立ってトークする状態なので、スライドを見てもらうパソコンを置く場所もない。

というわけで、あいだに10分ほどの休憩を入れただけで、23時ごろまで3時間近く、立ちっぱなしでトークをやったのだった。

たくさんご参加いただいて、感謝です。

川上さんは、しばらく「北浦和の狸穴のマスター」として川上ナントカという坊さんのような本名で仕事をしていたから、「ブラボー川上」を名乗るのは「ひさしぶり」ということで、かなりテンション高めだった。そして、昭和のマズイ酒を再現し味わってもらおうと、昭和風に合成した酒とギョニソのつまみなどをたっぷり用意し、大荷物で到着した。

事前に狸穴で川上さんと打ち合わせたとき、川上さんが「こんな感じでいきましょう」というメモをサラサラと書いてくれた。

それは以下のようなものだった。

1、戦後昭和の酒場の流れと歴史

2、大衆食堂居酒屋とは?

3、闇市と戦後昭和居酒屋との関係

4、ブレークタイム、昔の再現酒をみんなで味わう

5、今の日本の酒場と酒場文化はどう変わってきたか?

6、戦後昭和の酒と酒場のまとめを2人でトーク

始まってみれば、川上さんもおれも型どおりにいかない人間だし、川上さんはハイテンション状態になっているし、勢いにまかせて進んで、終わった。

みなさん、長い時間なのに、よく集中して話を聞いてくれたし、再現酒を飲んで(カストリ酒を真似た強い酒もあったりしたので)けっこう酔って楽しんでいたようだった。

参加者の3分の1ぐらいは20代だった。おれの周囲のツキアイにも20代が増えているし、狸穴の客にも20代や大学生が多いからだ。

かれらは、「昭和」や「バブルのころ」に興味があるようなのだ。それはいろいろな角度からの興味だけど、ひとつは、「自分が生まれたころを知りたい」ということのようだ。それなら、親に聞くのが早いだろうと思うのだが、そのへんはどうなっているかわからない。

少し前だが、狸穴へ行ったら、大学生数人のグループが「アナログ文化」について学習する会のようなものをやっていた。昭和はアナログ文化として興味が持たれているようだった。

大衆酒場や大衆食堂も、最近は若い客が増えているのだけど、これは、かつてのバブルのころから顕著になってきた「レトロブーム」や、3丁目のナンチャラあたりから顕著になった「昭和30年代ブーム」のようなものとは、チョイとブームの性格が異なるようなのだ。

「大衆食堂」なんていうと、いかにも「昭和」であるけど、おれはあまり昭和を意識したことがない。大衆食堂に昭和を見るのはもちろんだけど、「昭和だから」という理由や動機から大衆食堂に関心があるわけではなかった。

だから、あまり昭和そのものについては考えたことがなかった。

だいたい、バブルのころから始まった「レトロブーム」は、「江戸・東京ブーム」と共に、「懐古」というより「回帰」というウサンクサイものがつきまとっていた。

3丁目のナンチャラにいたっては、もはや「昭和」は内実ではなく記号化して消費される対象になっていた感じだった。

しかし、こういうトークを機にあれこれふりかえってみると、80年代とバブルがとくに気になるのだった。

ブラボー川上さんは、1961年生まれで、かれが20歳になったのは81年。まだ、東京の街のあちこちには、戦後の残滓があった。かれと藤木TDCさんは、それらを拾い集めるようにして、、闇市本の快作『東京裏路地〈懐〉食紀行』を著したのだった。そして、80年代の酒は、まだまだ十分まずいものが圧倒していた。

と同時に、それらが変化していくのも80年代だったし、とくにバブルのころからだった。

その背景には、80年前後からの産業構造の変化があるのだが。

というわけで、「昭和」が気になり、とくに80年代とバブルが気になり、四月と十月文庫から『理解フノー』が出たけれど、まだ『四月と十月』に連載中の「理解フノー」の来月発行の分には、「「バブル」のころ① 錯覚」を書いた。

「近頃、平成生まれの二十代の人たちと話す機会が増えている。彼らは「昭和」がどんなだったかに関心があるし、とくに「バブル」について知りたがる。」という書き出しで、これは少なくとも3回は続く見通しだ。『四月と十月』は4月と10月の発行だから、3回目は来年の4月になっちゃうな。ま、セカセカすることはないさ。

当ブログ関連
2017/01/16
2月18日(土)、北浦和の居酒屋ちどりでトークをやります。

ザ大衆食関連
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/simokita_taihuun_hokoku.htm
カルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション
闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡
報告2 大衆食や大衆食堂から見た東京の町

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