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2017/04/11

終わりは始まり。

チョイと備忘のためのメモ。

この春は知り合いや仕事関係に異動が多い。日本の会社に勤めていれば異動はつきものだし、近年はとっとと会社を辞めて事業を始めたり別の業界や世界へ飛び立つ若者も少なくない。

一昨日のエントリーの『dancyu』5月号には、dancyu編集長の「さよならのかわりに」という離任の挨拶のようなものがある。でもあと2冊は編集長を務めるから、離任の予告ともいえるか。

そのことがどうこうではなく、挨拶文の最後の言葉、「終わりは、始まりです。」が気になった。

このフレーズまんまではないが、ようするに「終わりは始まり」という趣旨の発言を、近頃よく見るような気がする。

一字ちがいでまったく違う意味になる「終わりの始まり」も、やはり目にする機会が増えているような気がする。

気がするだけかも知れないが、そうでないかも知れない。

おれの記憶では、「終わりは始まり」の表現をよく目にするようになったのは、1990年ごろのような気がして、手元の資料で調べてみた。

すると、ありましたね。

1990年、「重層的な終わりからの平成ビギニング」ってことで、「「終わり」は「始まり」」という表現が出てくる。

当時は、昭和が1988年に終わり平成になったばかり。バブルの最中と同時に昭和型一本調子の成長が終わり、いろいろゴチャゴチャ混迷の最中だった。そういう背景もあって、「「終わり」は「始まり」」が流行ったのだろう。

ただ、誰も、何の始まりかはわかっていない。好むと好まざると、新しいことが始まるのだという期待と不安のようなものだった気がする。

そうそう、この同じ資料には、「新当たり前」という表現も出てくる。これも同じ背景からだろう。

新当たり前というと、松浦弥太郎さんの『あたらしい あたりまえ』がありますね。この単行本の発売は2010年。

1990年から20数年のあいだに、『dancyu』という新しい雑誌ができたり、それよりずっと古い『暮しの手帖』の編集長に松浦さんがなったり、そういことがあったりしたわけだけど…。

混迷はまだ続くのだろう。

混迷は、一本調子の価値観からすれば悪い印象かも知れないが、これが新しい当たり前かも知れないし、毎日が終わりは始まりで面白いのかも知れない。ただ、「終わりは始まり」と思っていたのに「終わりの始まり」だったということがあるかも知れない。

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