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2017/04/06

四方田犬彦『月島物語』。

四方田犬彦の本を読んだのは初めてだ。

鬼子母神通りみちくさ市の古本フリマで、タイトルの「月島」にひかれた。パラ見をしたらなんとなく面白そう、値段もたしか300円ぐらいだったので買った。

『dancyu』2014年11月号特集「東京旅行」で、おれは「東京の味って、どんな味?」の文を担当した。取材した店は、麻布十番の「総本家 更科堀井」、浅草の「浅草田圃 草津亭」、東大前の「呑喜」、そして月島の「岸田屋」だった。

「東京の味って、どんな味?」といったところで、この場合、テーマというより、お店を展開し紹介する切り口だから、あまり突っ込んだ内容の原稿にはできないのだが、取材のときは、けっこういろいろ聞いている。

それで、いちばん気になっていたのが、月島の岸田屋だった。ほかの店は、「東京の味」とくくることはできても、「土地」というより「専門料理店」としてのそれになっているが、岸田屋だけが、料理法からして、土地の味といえるようだったからだ。

その特集の岸田屋では、欄外に「1892(明治25)年の月島1号埋立地完成の頃から現在地」「「東京三大煮込み」の一つで有名、その陰に隠れがちだが、魚の煮付など土地に根付いた旨い味がある」と書いている。

では、その「土地」とはどんな「土地」なのか、それは、この本が、すごくうまくまとめている。

月島は佃島に隣接する埋立地だ。「埋立地は語る」では、江戸時代の佃島と隣接する石川島の成り立ち、そして明治になって東京湾の浚渫と埋立が計画され工事が着手され、竣工し「月島」の名が生まれ人が住むようになった経過が書かれている。

月島には、工場と、そこで働く労働者用の住宅が建ち、全国から労働者が流入し、発展した。江戸開府のころ家康の命で摂津の佃から集団入植した佃島とちがい、他所者の島だ。その流れは、著者が住みついたころ、大きく変わりつつあった。「ウォーターフロント」ってやつだ。

著者は、意図したわけではなくイキサツがあって、月島の築60年の三軒長屋に、1988年から94年まで住んだ。その間、雑誌『すばる』1989年1月号から90年7月号に連載されたものを元にまとめ、92年に集英社から発行になった。偶然にも、月島の誕生から100年目のことだ。バブルの最中。

「埋立地は語る」に、こういう話がある。月島の名がついてからは「制度的には」一号地、二号地という区分は「消滅している今日ですら、わたしは古くからの住民が「うちは一号地だから」とか「二号地の方はね」といった口調で、昔ながらの名称をふと用いてしまう場にしばしば出喰わしている」

おれは岸田屋の取材で実際に、三代目の店主である年配の女将さんが「うちは一号地だからね」というのに出喰わした。それで、先に引用の欄外の文章になった。

「うちは一号地だから」には、いろいろなニュアンスがこめられている。と、著者は具体的には書いてないが、おれはこの本を読んで、いろいろな「意味」が蓄積しているのだなあと思った。

佃島と月島の共同体文化の比較は面白い。著者がかつて暮らしたことのある東京の山の手地域のそれがからんで、さらに面白い。ストレンジャー四方田ならではというべきか、さすが比較文化の学者というべきか。

定住者と他所者、共同体意識の農村的と都会的とか、下町ではない月島を「下町」にしてしまう何か、なんでだろう。月島は、東京大空襲で焼けなかったために古い建物が残り、それもあって、「下町ブーム」と共に「下町」の記号を与えられてしまうのだが。

うしろに四方田と川田順造の対談「月島、そして深川」が収録されている。『男はつらいよ』について四方田は、満州からの引揚者である山田洋次の場合「本当の日本人は定住して、農村的な共同体の中で生きているはずだという考え方が前提になっているような気がします。だから、あれは下町というよりも、むしろ、彼が夢に描いた農村だと思うんですよね」

たしかに、あれは「農村的」だよなあ、『男はつらいよ』は、70年代初頭から始まる「ディスカバージャパン」キャンペーンの先駆けとして始まり増幅関係になったと位置付けてみるのも悪くないと思った。農村的共同体の性格は、まだまだ都会でも支配的であるような気がする。個人主義が、成長しにくい。

おれが初めて月島へ行ったのは1972年に間違いない。60年代後半まで佃の渡しがあったところに開通した佃大橋をタクシーで渡り、佃島ではなく月島にある当時の大洋漁業の冷凍工場を併設した冷凍倉庫へ行ったのだ。それから同じ仕事で何度か佃大橋を往復した。この本の「もんじゃ焼と肉フライ」に書かれている、「もんじゃ焼」が子供の駄菓子から大人の世界に変わり始めたころだ。おれは、駄菓子屋のもんじゃ焼も目撃している。

長屋からウォーターフロントのタワーマンションまで、月島は、近代100年の集合住宅の実験場でもあった。著者は、その大きな構造から内部の細部まで観察しているが、「衣裳の部屋」では、忘れそうなことを気づかせてくれる。いまは中途半端な2畳の部屋。かつては表玄関の台所。時代劇ドラマでもときどき見かけるが、長屋では玄関の三和土と同じ空間に台所があったのだ。それは共同の井戸を使用していたことによる。井戸から水道に変わったことで、空間の構造も変わった。

とかとか。「水の領分」では、盛んだった東京の水運と共に生きてきた「水上生活者はいったいどこへ行ってしまったのだろう」。きだみのると月島、吉本隆明の月島も面白かったが、とにかく、住民たちのエピソードなどで語られる「島」と「陸」の関係や、「共同体」と「個人主義」の関係など、ここに住んでみなくては書けないことが多く、興味深く読めた。

そして住んでみた著者は、「この町が日本のモダニズムの政治―社会―文化的な結節点」であるという。

これは、近代に成長した大衆食堂にも共通することがありそう、と思うのだった。

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