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2017/05/25

なまあたたかい水道の水。

武田百合子『富士日記』上(中公文庫)は昭和39年7月4日から始まっているのだけど、7月30日に、「東京は夜になってもむし暑い。なまあたたかい水道の水を何度も飲む。」と書いている。

その日、百合子は、娘の花と早朝に富士の山荘を発ち、東京の家に泊ったのだ。

武田百合子も水道水を飲んだのだなあ。

蛇口をひねると、なまあたたかい水が出て、少し流しっぱなしにしていると、なまあたかさもいくらかおさまる感じではあるが、それでもやっぱりなまあたたかい。それを、蛇口に口をつけるか、腹が膨らんだずんぐりの茶碗かコップに注いで飲む。

なまあたたかくても水は水だ。冷たい喉ごしはなくても、飲めば渇きは癒された。ペットボトルでよく冷した冷たい喉ごしの水より、水の味がする。その味がイヤだという人もいるかもしれない。

あのころは、水道水をそのまま飲むのは、普通のことだった。武田百合子だって、水道水を飲んだのだ。

昭和39年は、おれが上京して2年目の年で、その7月というとおれは何をしていたか思い出せないのだが、とにかく水不足が続いていた記憶がある。

富士日記。8月17日の早朝、東京で仕事がある泰淳を車に乗せて上京した百合子は、7時半に東京の家に着いた。「東京は水が出ない」と書いている。

ついでだが、「今朝、佐田啓二が蓼科の別荘からの帰り、韮崎で交通事故死。」ともある。

なまあたたかい水道の水も、給水制限があった。水洗便所も不便だった。そんな夏が3回ほど続いたと思う。

もう忘却の彼方というぐらい、水道設備は整い殺菌浄化法も向上した。

いま、水は、どうなんだろう。

都市文明あるいはインフラとしてのそれではなく、水と人々の暮らしとの関係として水の文化は、どうなんだろう。

スーパーには、ペットボトルの水がならび、うちの近所のスーパーには、量り売りの自動販売機があり「軟水」「中硬水」「軟水」「プレミアム硬水」などが買えるようになっている。

浄水器なんてのも普及した。

これらは、どういう「文化」なんだろうと、あらためて考える。

うちは、浄水器も付けてないし、水道の水を沸かしてお茶を入れたり、夏は水道水で作った麦茶を切らさないようにしている。

これ、文化程度の低い、意識の低い生活なのだろうか。

とくに80年代からこちら、あらゆる分野で「商品化」「高付加価値化」が徹底してきたわけで、とくに新自由主義の浸透が、それにムチを入れたような背景もあり、「過剰品質」と追いつ追われつ、いまもやっている。

一方には大きな不足がありながら、過剰品質の泥沼にはまっている、といえなくもない。「丁度よい」がよくわからないまま、程度の悪いことにされてしまう。そして食品に関する知識は、とくに安全に関する騒動やデマなどのたびに思うが、不正確なことが多い。

気がついてみれば、「水」など、その典型かもしれない。

そりゃそうと、いまでもときどきやるが、二日酔いの朝、水道をひねり流れ出る水に口を付けて飲むときのうまいこと。

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