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2017/06/23

「チャン」の構造学。

おれが自民の代議士や秘書たちと付き合いはじめたのは、昨日書いた1974年夏の参議院選挙より前、その前年に東京都議会選挙があったのだが、その仕事がらみからだった。

都議会選挙だが、都連の幹部は代議士であり、それで都連の事務所や議員会館に出入りするようになった。

最初、すごい違和感を感じたのは、「チャン」だった。

彼ら国会議員やその秘書やとりまきのあいだでは、「なんとかチャン」と呼び合う関係があるのだ。その薄気味悪さったらなかった。

イチオウ恰幅もよく、国会議員らしく脂ぎった腹黒そうな顔をした人たちが、「チャン」づけで呼びあうのだ。当時の田中とか、大平とか、福田や三木といった派閥ボスを思い出して見て下さい、どう考えても気持ち悪いよね。

最近、加計学園疑惑で、安倍総理夫人が「男たちの悪巧み・・・(?)」というコメント付きでフェイスブックにアップした写真が取り沙汰されたけど、そこに写っている安倍首相と加計孝太郎らを見て、おれは、こいつら絶対「チャン」で呼び合っているな、と思った。

すると、森友のほうはどうか。どうも森友と安倍は「チャン」の関係まではいってなかったのではないかと思われる。ま、「チャン」をめぐり、そんな風に見ることもできそうだ。

いまではどうかしらないが、「チャン」は上下の序列関係がうるさいあの世界で、特別な関係を意味した。意味深長な、「友達」「仲間」あるいは「同士」が「チャン」なのだ。

たとえば、おれは「えんチャン」と呼ばれたが、おれを「えんチャン」と呼ぶのは、議員か中堅以上の秘書で、おれはかれらをチャンづけで呼ぶことはなかった。

おれは仕事を受注した会社の一社員だったこともあり、「チャン」付けで呼ぶような関係はなかった。しかし、おれの上司の、政治好きの取締役は、大臣秘書クラスまでは「チャン」と呼び合っていた。某派閥のブレーンだったのだ。そういうこともあって、選挙の仕事などを受注していたのだ。

彼らが「チャン」と呼び合いながら話しているときに「オヤジ」という言葉が出てくる。これは派閥のボスのことで、つまり彼らは、同じ「オヤジ」のもとでの「チャン」の間柄なのだ。

そこにおれのような「チャン」の関係でないものがいても、向こうから話しかけられないかぎり、自分から話しに口をはさむようなことはしないし、聞いた話もよそで口外しない、という、暗黙のバリアのような了解のようなものがあった。

いまはどうか知らないが、当時は、一年生議員と経験年数によって「格」の違いがあり、議員のあいだでも片方は「チャン」と呼び片方は「先生」と呼んでいる場面もあった。経験の浅い議員は、すぐには「チャン」の関係になれないようだった。

秘書たちのあいだも「チャン」と「サン」や「クン」が使い分けられていた。

人前で「チャン」「チャン」呼び合うときは、おれはこの人と「チャン」の関係なんだぞ、ということを誇示する意味合いもあった。まあ、権力や権威を利用しあいながらのしあがる業界だからねえ。

そのへんをわかっていないらしい、あまり空気を読めない、おれは社長だけんねという感じの社長さんが、大臣秘書などを囲む飲み会で、自分は「チャン」とは呼ばれていないのだが、みな「チャン」付けで呼び合っているのを見て、いきなり大臣秘書を「チャン」付けで呼んでいたことがあった。

おれは、ドキッとしたが、あとでやっぱり、あれはナンダという話が出ていた。ま、でも、カネになる社長さんならよいのですがね。ただ大臣と近づきになりたくて、おれは大物と友達なんだぜと思いたかったり、見せつけたくて、「チャン」を使ってしまう人もいる。

本人に面と向かって言えないから、誰かの前で自分を誇示したいときに、「ああ、なんとかチャンね」とか言う。すると、あの議員や秘書とはゴルフ友達だとか、飲み友達だとかという話が真実味をおびるというわけなのだ。

そういう世界が、今はどうなっているか知らないけど。

しかし、ほんと、それなりの権力を持った大の男が、「チャン」「チャン」呼び合っている景色は、じつに妙な感じだった。

でも、そんな風に、重要案件が話し合われていたりするのだな。

この「チャン」の構造、出版業界は必ずしも「チャン」ではなく「愛称」のことも少なくないが、似たものを感じる。前にも書いたが、政界と出版界は似ているところがある。それは権力や権威と深く関係しているからだろう。

哀しみと滑稽の狂騒曲といったところか。

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2017/06/22

都議選。

おれは都民じゃないが、知り合いの都民が都議選のために忙しい思いをしている。選挙活動をしているわけじゃなく、本人の会社の仕事が、選挙になると忙しくなるのだ。ご苦労さま。選挙で儲けてください。

いつの都議選も政局と無関係ではないが、今回は、「ここで自民党が大敗すれば、安倍辞任の可能性があります」といったことを言っている人たちがいるように、かなり政局がらみではある。

「自民党が大敗すれば」というのは、どのていどの議席数が基準なのかわからないし、それを条件に「安倍辞任の可能性があります」と言われたところで、あまりピンとこない。

政局がらみではあるが、安倍辞任に追い込める可能性は、かなり低いのではないかと思う。

だから反安倍勢力を支持しても仕方がないという話ではないが、選挙は勝敗の結果だけであるにも関わらず、反安倍勢力が彼我の力関係を読み切った戦略を持っているようには見えない。

その戦略のなさ、あるいは戦略のマズさについては、森友問題でツイッター世間が騒がしいときに、このようにツイートしたことがある。森友問題については、これだけしかツイートしてない。加計問題についても同様だから、ツイッターでふれたことはない。

逃げ切ろうとする側の絵は見えてきたが、追い詰める側の詰めの絵は見えない。
0:50 - 2017年2月25日
https://twitter.com/entetsu_yabo/status/835155051702276096

「アッキード事件」なんて言い方していて、詰め切れるのかなあ。
21:45 - 2017年3月2日
https://twitter.com/entetsu_yabo/status/837282725136498688

ざっと思いつくだけでも、甘利の不正、防衛省日報問題、森友、加計など、安倍政権に不利な大きなジケンが続いても、安倍政権を詰め切れず逃げられてきた。最近、内閣支持率が下がっているが、その文脈と反安倍が支持を得るための文脈は違うはずだ。

ツイッターなど見ていると、この文脈の違いをわかっていない反安倍が多く、これまで何度も繰り返したように、最後は浮動票頼みの投票率アップ運動で終わるのではないか。

彼我の力関係を読み切らず、ツイッターなどネットに期待をかけすぎのようでもある。

四月と十月文庫『理解フノー』の「右と左」には、おれが関係した、1974年夏の「保革伯仲」下での参議院選挙のことを書いて、「熱い夏だった。この夏に保革逆転を許さなかった自民と、逆転できなかった「革新」の「差」は大きく、いまでも続いているようだ」と結んでいる。

そこには書いてないが、その選挙後も1980年に大平正芳が急逝する頃まで、いろいろ自民がらみの仕事をした。

その「差」は、依然として残っている。それは、一度自民党が下野して返り咲いたことで、さらに大きくなったようにも見える。

よほどの「想定外」のことがないかぎり、自民党が大敗し安倍辞任ということにならないだろう。現在のところ、そういう筋書きは、どこにも見えてない。

それにもかかわらず、「ここで自民党が大敗すれば、安倍辞任の可能性があります」というようなことを言っているようでは、いかにも苦しい。自信がないのだな、と、おれは思ってしまうね。

反安倍は、「アンチ」として存在していればマンゾクなのか。

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2017/06/21

働く人の店。

「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」には、秋葉原の「かんだ食堂」が登場する。

そこにも書いたが、かんだ食堂の店主は、じつにキッパリとした口調で、「ここは、アキバで働く人の店」と言った。歯切れのよい爽やか口調だった。潔さが感じられた。

昨日書いた「作品」だろうと「商品」だろうと、「誰のために」というのがモンダイだろう。

本音をいえば「自分愛のため」というのは論外として、多くは「お客のため」というが、その「客」は誰か。たいがい多くは「働く人」ではないか。だが、そうはいわない。

「公共のため」という言い方もある。

昨年の『dancyu』2月号ラーメン特集で、おれは笹塚の「福寿」を取材したが、店主の「公共的な仕事をしていると思ってやっていた」という言葉を紹介し、「おれは驚いた。「ラーメンは芸術」より崇高な精神にふれたと思った。」と書いた。

「働く人の店」とか「公共的な仕事」など、飲食店の店主がポンと言うことなど、あまりない。

ま、取材する方のモンダイもあるのだが、出版の構造が「階級社会が固定化すると、底辺の人は知にアクセスできなくなってしまっている」という現状追認のもとで、売れるターゲットのために書き、市場で自分のイスを確保するために書く、ということになっているなかでは、仕方ないかなあという感じもある。

たいがいヒエラルキーに寄りかかって、エラそうな雛段を昇るしか道が見えない人たちもいる。バブルの頃からそうだけど、「いいものさえつくれば売れる」というのだけど、そういうあまり根拠のない全体像は根深く続いている。

ようするに、こういう現状追認のなかで、最初から「労働者」などの「底辺」は捨てられているのだ。

だけど、飲食業は、そうとは限らないのだなあ。

名のあるメディアに名をつらねる人たちに比べたら「しがない」存在と見られがちな、まちの飲食店の店主のこういう言葉は清々しいだけじゃなく、出版に関わるものも、どうしてこういう風に考えられないのかなと思う。

が、しかし、そうは簡単ではない。

おれは四月と十月文庫『理解フノー』の「気取るな! 力強くめしを食え!」に、「どのみち私は、労働者を貶めたり視野の外におく文化には、関わる気はないのだが」と書いていても、そのように生き抜くことが容易でないことは十分承知している。

それはともかく、今日、ネットで消費の全体像に関わる、おもしろい漫画を見た。

香山哲さんkayamatetsu.comの「紀行まんが」だが、その「(3)魚介類ですか」にあった。このまんが自体の世界もおもしろいのだが。

「どんな所得の人々が、どんなスピード、流量の消費をしてるか、そういう社会の設計の特徴がすごしやすさを決めている」と、絵で三つのパターンをあげている。
http://kayamatetsu.com/pagework/w13/p3.html

ターゲットが~とか、いいものつくっていれば~、などばかり言ってないで、もっと消費の全体像を考えながら、選択をしたいものだ。

やっぱり、自分もその一人である圧倒的多数の働く人たちの「すごしやすい」社会が必要だろう。そこに「読書」や本のマーケットが位置するとき、読書や本の未来が開けるのだと思う。そのためにコツコツやろう。

捨ててしまったら(視野の外においてしまったら)、捨てられた人は近づいてはこない。

当ブログ関連
2017/06/07
「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」
2016/01/15
発売中の『dancyu』2月号ラーメン特集に書きました。

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2017/06/20

「時代」ってなんですかね。

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一昨日の18日は、「鬼子母神通り みちくさ市」へ行った。

古本フリマをザッと見て一冊買い、13時半からのみちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ」の会場へ。

今回が10回目で、ゲストは、おれが「理解フノー」の連載をしている『四月と十月』の発行人であり『雲のうえ』編集委員などいろいろやっている、画家の牧野伊三夫さんだ。

この連続講座は、毎回おもしろい。「作品と商品のあいだ」というテーマの設定もよかったと思う。「あいだ」というのはわかりにくいものだ、だからそこを考える。わかりやすい結論などないことを考えてこそ「考える」ことであり、「知性」が育つ。なーんて。

今回が少し異色なのは、コーディネーターというか司会の中野達仁さんと武田俊さんのうち中野さんが、牧野さんと小倉高校の同期生で3年生のときは同級だったということだ。

牧野さんは、北九州市の、中野さん牧野さん「ゆかり」の場所を描き込んだ大きな絵地図を用意し、トークが始まった。

高校時代から進学、上京、学生時代は同じアパートに住んでいたこともあった。中野さんは、すんなりと現在の東北新社に就職、牧野さんはあれこれあってサン・アドへ。東北新社もサン・アドも広告クリエイティブ業界のエリートであり大手だ。

牧野さんのサン・アド時代の「ダメ社員」ぶりは何度か話には聞いていたが、ちょっと並はずれている。とにかく、サン・アドの4年間が、いろいろな意味で、牧野さんの大きな財産になっているようだ。というか、財産にしたのだな。ダメ社員でも、会社辞めたあとに、それを財産にできる。

中野さんは広告クリエイティブ業界の現役として活躍している。牧野さんは「元」だけど、画家であり広告クリエイティブ業界や出版業界や、なんだかわからんほど「業」をこえた幅広い活動をしている。

広告クリエイティブは、モロ、「商品」の世界だ。おれも以前はプランナー稼業で、電通や博報堂や広告クリエイティブの人たちとも仕事をしていたし、いまでも端っこの付き合いはあるから、この界隈のことはおおよそは知っている。

トークを聞きながら気がついたのだが、牧野さんの仕事のやり方は、『雲のうえ』のような出版物の編集でも、広告クリエイティブと同じチームワークの方法でやっているということだ。だいたい、『雲のうえ』には編集長がいない。

出版業界と広告クリエイティブ業界では、制作の方法が違う。それは「チームワーク」の概念そのものから違っている。

おれが『理解フノー』に、「成り行きで転がったついでに「フリーライター」という肩書を使い、出版業界なるものに付き合ってみてわかったことは、一見知的な、この業界は、これまで付き合ったなかでも、最も理解フノーな前近代的な体質の世界ということだった」と書いた、出版業界に感じた違和感は、この「チームワーク」とも関係する。

出版業界には、「組織」はあっても「チームワーク」はないか未熟だ。でも、それを「チームワーク」と思っている人も少なくないようだ。

広告クリエイティブは、一つのプロジェクトに大勢の専門分野の人たちがかかわり、もちろんスポンサーもいて、顧客もいて、階層構造もあり、かなり複雑な条件のなかで「チームワーク」が行われる。チームワークだが、個人の責任も非常に重い。結果がハッキリ出る。

商品開発でも、同じことが言える。

と、考えると、「商品」はチームワークから生まれる公共性の高いものであり、「作品」は極めて個人的なもので公共性は低い、ともいえそうなのだが、作品でも公共性の高いものとそうでないものもある。

と書いていると長くなる。

トークの最後に「時代」の話になった。この「時代」は、「学生時代」「青春時代」のそれではなく、イマという時代、あるいはこれからの時代というもので、マーケティングにはつきまとうが、「時代」ほど観念的でうさんくさいものはない。

よく「これからはナニナニの時代だ」とか「ナニナニからナニナニの時代へ」と時代が語られる。おれは、そういう主張をする人そのものも、ペテン師のように怪しいと思っている。ま、おれもプランナー稼業の頃は、そういうことを言って「ペテン師」呼ばわりされたりしたが、その通りだと思っている。

こういうことを言う商売は、嘘だろうがなんだろうが、ひとを乗せたほうが勝ちになる。マスコミや出版などでは、こういう人たちが活躍する。いまどきの「ジャーナリスト」や「評論家」などはそういうものだ。「作家」だって怪しいぞ。

だけど、「時代」ってなんだろう、と考える人は少ない。

これからどんな時代になるでしょうね、いまの時代をどう考えますか。と聞かれたりすれば、自分はそれを語る資格があるとカンチガイし、エラそうな知ったかぶりでアレコレもっともらしく述べる。

なんのことはない、いろいろなことを自分に都合のよいように解釈し「時代」という観念をかぶせるだけなのだ。そのへんのタワゴトを見抜ける人が、もっといてもよいと思う。

で、トークの最後に「時代」のことになったとき。牧野さんは、なんと言ったか。

「時代ねえ、時代ってなんですかね」と言ったのだ。

いかにも牧野さんらしい。こういうときに人柄や理念が出るんだなと思った。

これでトークが終わり、あとは飲み会へ雪崩れ込み。ふくろからいつものサン浜名、泥酔記憶喪失帰宅だった。

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2017/06/17

生活はホビー?

ネットで、「日本在住外国人「日本では友達100人できてもさみしい」」
https://www.madameriri.com/2016/02/10/not-hard-to-make-friends-in-japan/
というのがあって、本旨の文章より、むしろここが面白く、笑った。

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先日、今田さんと彼の奥さんに駅でばったり会った。今田さんの奥さんはアメリカ生活の経験もあって、英語を話すのが大好き。このときは彼女とこんな会話をした。

“Imada-san,how’s it going?”「今田さん、調子はどう?」

“I’m going shopping”「買い物に行くの。」

“Okay…What for?”「オケー。何の買い物?」

(困惑した様子で) “It’s my hobby.” 「買い物は趣味です。」

日本人はよく“hobby”って単語を使うけど、これって凄い違和感。ホビーが切手収集やプラモデル作りならまだわかるけど、買い物や散歩、食べること、寝ることってこれはもうホビーとは言えないから。生きていくために必要なことはホビーにはならない。…と、それはさておき。

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「買い物や散歩、食べること、寝ることってこれはもうホビーとは言えないから。生きていくために必要なことはホビーにはならない」というあたりは、わからない人たちがけっこういるだろうね。

「食はエンターテイメント」だし、生活のホビー化はごく自然に広がり、ホビー化はいろいろな食品を嗜好品化した。いまでは「主食の米」ですら、嗜好品的に話題になり嗜好品化がすすんでいる。

これはまあ、過剰供給がもたらした、消費はすばらしい!の消費主義と結果であり、一方に、「ホビー」どころではない生活がある。

以前、アメリカ人と神保町を歩いているとき、「あそこの店は行列ができるんだよ」と教えたら、顔をしかめ、人差し指を顔の前にたて振りながら「チ、チ、チ」とやったあと、「どうして日本人はカフェなんかに並ぶんだ」というから、「ホビーさ」と言ってやった。かれは頭をふっていた。

しばらくしたら、ほんとに、「行列はホビーだ」というような「論」をふりまいている人がいて驚いた。

ま、日本人ほどじゃないが、アメリカ人だってレストランに行列をするやつはいる。

生活をホビー化する日本人は、生活文化の先進をいっている。といえるほど哲学(深く考えること)があればよいのだが、浮ついた消費主義の結果だから、胸をはれないのが切ない。

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2017/06/16

労働者!!

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「共謀罪」の成立で、「民主主義は終わった」とか「民主主義は死んだ」というような言葉が見受けられる。共謀罪に反対してきた人たちの中に、そういうことを言う人たちがいる。

前の「安保法制」のときも、そういう声があったが、おれはそういう言い方に、かなり違和感を持っている。

それだとあたかも日本に立派な民主主義があったかのようだからだ。おれは、戦後ずっと日本は遅々とした「民主化」の過程にあると思っていたし、日本は民主主義にほど遠い国だと思っていたし、いまでも民主化の過程にあると思っている。

1945年の映画「青い山脈」は、おれがガキの頃の田舎の片隅まで大人気で、おれの記憶によく残っている映画のひとつだ。あれは、「民主化」の闘いの映画だった。闘いの先頭に、原節子がいた。

その主題歌の二番目には、
「古い上衣よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら」
という歌詞がある。

「古い上衣」は「上着」だと思っていた、いま「上衣」であると知ったが、とにかく「古い」とは根強く残っていた封建的な思想や文化とファッシズムのことだ。「さみしい夢」は、八紘一宇の夢であり、その国家の夢のために命を捧げて働き「立身出世」する夢だ。

古い上衣とさよならしただろうか、さみしい夢とさよならしただろか。

たしかに、憲法があり、奴隷的労働から解放されるはずの労働三法があった。1950年頃の新宿の大大衆食堂「三平」の広告に「民主化」という言葉があったほど、「民主化」は社会的現象だった。

それらは、「さよなら」のしるしかといえば、必ずしもそうではなかった。古い上衣を脱ぎ捨てるのは容易じゃない、さみしい夢を捨てるのも容易じゃない。日本人の生活と日常のすみずみまで根をおろしていた儒教思想を核とするさまざまが生きていた。いまでも盛んな「立身出世」主義を見ればわかるだろう。

おれが高校の1960年頃でも、良妻賢母のための「花」「お茶」「料理」の家庭科教育があり、女は25になって独身でいたら「オールドミス」と呼ばれた。戦争で父親を失った家庭の子供は、よほどの縁故がないと、「片親」ということで差別され「いい会社」への就職が困難だった。ま、あげればきりがない。

1960年代の中ごろ、おれは大阪で一年間すごしたわけだが、その頃の京都府知事は蜷川虎三で、古臭い京都府庁舎には「憲法を暮らしの中に生かそう」という大きな垂れ幕が下がっていた。こういうスローガンが新鮮なほど、憲法は、まだ飾りだったのだ。

おれは、日本の民主化も少しずつ進んでいるのかも知れないと思ったが、労働者の実態はひどいものだった。とくに、出稼ぎ労働者のおかれた状態は、ひどかった。その出稼ぎ労働者がいなくては東京の建設はままならなかったのだが。

「上下」「優劣」「先輩後輩」など、こういうことが、「人間関係」であり人格までも規制していた。民主主義や合理主義からはかけ離れた組織文化が普通だった。上の者、優秀なものは威張り、他を見下し暴力をふるう。なんてことは、まだあるな。だいたい、刑法や民法は戦前のままで、いまでもカンジンのところは戦前のままだ。

だいたい、「読売ガー」とか「朝日ガー」とかやっているが、戦前のまま一面政治部が威張って偉そうにしているような新聞は、みな同じ穴のむじなのであり、民主主義とは無縁の存在だ。

あげたらきりがない。選挙権なんか民主主義のほんの一部であり、自分たち自身が、古い上衣とさみしい夢にさよならしているかどうかなのだ。

さみしい夢は「ジャパンアズナンバーワン」で有頂天になった。続いて80年代、政府の内需拡大政策の結果の消費主義で消費を謳歌し、ようするに消費の自由が「自由」だと錯覚するようになった。金さえあれば、古い上衣を着たままで消費の自由なんか手に入るのだ。

その間に、中曽根首相の頃から、いわゆる「新自由主義」的な流れが強まった。「民活導入」や「規制緩和」。まず「労働者派遣法」から、定着も不完全だった労働三法の骨抜きが始まった。この流れは、いまさら指摘するまでもない。

古い上衣とさみしい夢は、新自由主義的な風潮をまとい、今風のクールな生き方のようになった。

「自分は労働者なのに経営者視点でものを言ったり、その目線に寄り添いたがる人が多い」し、自分が好きなことを好きなようにやれる「裁量」を得れば「自由」だと思う。

古い上衣をまとったままの「自由」は、主に「裁量権」に矮小化されている。小さくても自分が裁量できるカネや権力や権威を手に入れたら、それに応じた「自由」と「自己責任」が手にできる、という。

みみっちい話では「ノマド」だの「フレックス」だので裁量時間を持ったぐらいで「自由」な「エリート」になったつもりになる。チョイと小さな規模のビジネスを自分の裁量でやれることが「自由」だと思う。たいがい会社の位でいえば「主任」や「係長」クラスの裁量権を「自由」だと思っているのだ。

これは、セツないぐらいの「自由」の矮小化だ。金権主義者が、金さえあれば女でもなんでも「自由」になるよ、という貧しい思想と同じだ。

そのように「自由」が貶められ、盛んに「優れた経営者の視点」が持ち上げられ、それに至らない労働者は、普通に働いていても、まったくツマラナイ存在にされてしまう。

「普通であってはいけない」という思想は、日本のようにスタンダードが希薄な国では、果てしのない優劣競争地獄をもたらす。その結果、「社会」が壊れる。

いま、この「壊れる」過程あたりだろうか。

労働者は使い捨てがアタリマエになり、年々、労働者の立場は、政治的にも経済的にも、なにより文化的に、軽んじられてきた。そんなところに民主主義なんか存在しない。

じつは、6月4日にも、「労働者!」を書いている。ちょっと危機意識を持っているのだな。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2016/06/post-1c50.html

使い捨ての労働者になるのは能力のない人間である、自分の努力が足りないからだ、自分への投資が足りないからだ、テナ認識が共有されるようになり、組織の「会社員」はバカにされ、フリーターとかわらないようなフリーランサーや自営業までが、自分の好きなことをやって自分の能力で生きる自由で素晴らしい人生や文化の体現者としてチヤホヤされたり、ときには貶められたりするようになった。

と書いたりしている。

最近、労働者が主な客である大衆食堂や大衆酒場の主人から、「客数は減っていないし増えているぐらいだが、客単価が落ちている」という話を聞いた。繁盛しているように見えても、そういうことなのだ。

客単価が落ちている要因は、いくつかあってひとつに絞れないが、労働と労働者が置かれた状態は、かなり悪くなっているのは確かだ。

ということがあったので、勢いがついて長くなってしまった。

長いついでに、NPO法人POSSE代表の今野晴貴さんが、先日、このような連続ツイートをしていた。貧困と労働者の不安定な生活は、いろいろな商売に影響を及ぼし、社会の基盤がガタガタになっている。

「出版危機」をめぐっては、このことはあまり話題にならず、もっぱら本を買う余裕のあるエリート市場の奪い合いになるような話ばかりだし、SNS世間では、そういうマウンティングごっこも多く目にするが、どうなんだろう。業界的視点のことばかりで、社会的視野が欠落しているように見える。

‏今野晴貴 @konno_haruki 6月13日
https://twitter.com/konno_haruki/status/874600268976930816

明日もある地方の「子供貧困」を支援する団体にヒアリングに行く。「社会」の防衛こそが、もっとも大切だと思う。共謀罪も9条も、いうまでもなく重要な問題だが、日本社会が貧困によって取り壊されようとしているときに、そのような「政治問題」が主戦場になっていることに、どうしても危惧を感じる。

「貧困」の実情はおよそすさまじいものである。しかも、それが「貧困」という言葉のイメージとは裏腹に、私たちの「日常に」に侵食してきている。日本の産業経済すら、貧困に破壊されるだろう。私は、この社会をどうするのか、すなわち、「福祉」や「再分配」こそが政治の主要議題となるべきだと思う。

発展した民主政治において、政局や、法制度はきわめて重要である。だが、私は、もっと「社会」に関心を持ってほしい。たとえば、影響力のある学生団体には国会前だけでなく、貧困者や労働者の支援にも関心を持ってほしい。法・国会運動に対する「エリート主義」を感じる時が、ないとは言えない。


今野さんの危機感がヒシヒシ伝わってくる。

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2017/06/12

「出版危機」とキッチン山田。

おれは文を担当した「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」が載っている『みんなの 神田 神保町 御茶ノ水』(京阪神エルマガジン社)には、「本と街をめぐる歴史とこれから」という対談がある。

鹿島茂×永江朗で、取材・文は南陀楼綾繁さん。神田神保町の本にふさわしい、なかなかゴーカな対談だ。

ここで「出版危機」についてもふれている。

鹿島さんは、「かなり危機的状況ですね」と、こう続ける。

「出版危機は本が耐久消費財ではなくなったために起こったということですね」「本の消費財化が進むと、いくら安くしても誰も買わなくなる。この状況を根元的に変えるには、二つしか方法はありません。ひとつは本の定価を高くして、耐久消費財化する。日本の近代化においては、底辺にいる人も上の階層の人が使った本に接することによってテイクオフすることができました」「しかし、階級社会が固定化すると、底辺の人は知にアクセスできなくなってしまって、デジタルの情報のみに頼るようになる」

永江さんが、こういう。「スマホばかりで本を手にしない層が生まれる」

鹿島さんは、こう続ける、

「その一方、本を必要とする人は限られた層になるので、必然的に本の部数は限られて、高くならざらを得ない。そうなると、本は再び耐久消費財化して、もういちど回転し始めるんです。もうひとつは、新刊の自転車操業をやめることです。棚差しの既刊をきちんと売っていく」

最後の「もうひとつ」はともかく、その前の点は、どうなのだろうか。「階級社会の固定化」で、もう変革の夢も希望もなく、この流れに従うしかないという感じだ。

おれは、これらのことを論じるだけの知識も能力もないのだが、一方で、出版危機をめぐって語られてこなかったことが、気になるのだった。それから、「新自由主義」の思想って、意外に浸透しているんだなってことも、気になるのだった。ま、ここ20年ばかり、時代の空気みたいなものだから、ごく自然に脳ミソに宿ってしまうのだろう。

それはともかく、この対談に、かつて駿河台下の交差点近くにあった「キッチン山田」の話が出てくる。懐かしい。ときどきチキンライスを食べに行きましたね。

懐かしいので、1995年頃撮影した写真を載せておきます。この建物は、「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」に登場の、栄屋ミルクホールと同じ銅板張りの看板建築、たぶん昭和3年頃のものでしょう。

この種の看板建築は激減し、栄屋ミルクホールは貴重な存在ですね。

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2017/06/11

出版の「公共性」。

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この前とその前のエントリーに書いた、『みんなの 神田 神保町 御茶ノ水』と『dancyu』7月号は、少し重なるスケジュールだったから、あらためて両者の違いからいろいろ考えることがあった。

考えている最中に、たまたま、4月頃いただいたままだった港の人のPR誌『港のひと』10号を読んで、かなり刺激になった。

港の人は、四月と十月文庫『理解フノー』の発行元であり、この号は、「創立20年記念特集 詩がはじまる」というものだ。A5サイズで、本文はわずか50頁ほどだが、すごく読みごたえがある内容だ。

チョイと考えの整理の意味で書いておこう。

『みんなの 神田 神保町 御茶ノ水』は、京阪神エルマガジン社が発行するミーツリージョナルの別冊ムックであり、「街」を基盤にしている。ミーツについては、本誌で何度か仕事をさせてもらった。

『dancyu』は、「食はエンターテイメント」を謳うが、「街」ではなく、飲食に関係する「業」を基盤にしている。関東で「街」を基盤にしている雑誌というと、有名なところでは『散歩の達人』になるか。

ダンチューは「食はエンターテイメント」を謳うが、情報の発信源は、ほとんど「業側」からのものだ。それを上手に加工して、「業」の市場に届ける。街のカルチャーより業のカルチャーだ。

この「街的」か「業的」かの違いは、かなり大きい。しかし、今回、『dancyu』7月号でのおれの文章は、かなり「街的」に書かせてもらったし、ほかにも「街的」なものがあった。そこで、ますます、「街的」と「業的」について、考えることになった。

とかく、ミーツでは街的視点や思考が働くが、ダンチューでは業的視点や思考になりやすい。それに、ただでさえ、生活は業的に営まれている面が強いのだ。だからこそダンチューのような雑誌が成り立つのだが。

自分は「街的人間か」「業的人間か」あるいは「街的ライターか」「業的ライターか」と、二者択一的な考えがわかりやすくハヤリだけど、どちらかではなく、その統合点を模索すべきだろう。これが一つ。

今回の『dancyu』7月号の、おれが書いた「歌に酔う」に小さなコラムがある。たぶんほとんど注目されないだろう。この文章で、おれは「サブカルチャー」と「インディーズ文化」を微妙に使いわけている。「インディーズ文化」は「インディーズ・カルチャー」としたかったのだが、文字数が食われるので「文化」にした。ま、どちらでもよい。

「サブカルチャー」は「サブカル」といわれるようになって、かつての持ち味は失われ、むしろインディーズ文化が、かつてのサブカルチャーを発展させながらつないでいる。と、「歌に酔う」の居酒屋ちどりで若い人たちと話していて感じた。

このブログでは、最近は、「ミニコミ」「リトルプレス」「ZINE」「一人出版」といった言葉は使わず、「インディーズ出版」と表現している。港の人についても「インディーズ系の出版社」と書いている。

この「サブカル」と「インディーズ文化」の可能性を考えると、先の統合点が見えてくるような感触を持っている。これが、もう一つ。

音楽や映像の分野に比べると、出版の分野では、「インディーズ」という言い方は、ほとんど聞くことがない。そのあたりに、なにやら、あやしげな出版業界のヒエラルキーに寄りかかった「差別意識」も見え隠れする。なぜ「リトル」「ミニ」なのか、これは「マス」や「ビッグ」を中心に見る考え方の裏返しのように思われる。

インディーズカルチャーは、そういうヒエラルキーからは自由だ。世間的成功は結果であり、憧れの雛段にのぼるようなことは、表現の動機でも目的でもない。

もう長いあいだ、「出版不況」がいわれ、本と紙とデジタルだのインターネットだのが絡む話が盛んに行われてきたが、カンジンな「自己批判」と「自己変革」のことは、なぜか避けられている。ま、せいぜい、流通が叩かれるていど。

ところが、出版不況がらみの話ではないが、ガツンと「逆ギレ」して、出版不況問題では語られてこなかったかことを指摘した方がいた。

最後の一つは、これだ。

『港のひと』に掲載の、郡淳一郎による「逆ギレの詩学」だ。

この文章は、おれのような詩心もなく(「大衆食堂の詩人」なんて言われるが)知識のない雑な人間には十分理解できないところがあるので、ここだけを取り出すのは著者に失礼かもしれないが、おれはこの一文に喝采を送ったのは事実なのだ。

「1 否定的精神」では、「出版は否定形の政治」という。
「2 出版の逆説」では、八木俊樹「出版 私の図式、又は若い編集者へ」からの引用がある。「出版は二重の断念の上に立った虚数の営為である。それ故、凡するエネルギー回路を想定する自由をもつ」 だが、と、郡は書くのだが、長くなるので省略。
「3 拘束して吊るし上げる」は、まだ消化できてない。
「4 振れと叫び」では、「詩が書物と雑誌から逃散し、マンガ、ロック、イラスト、デザインに亡命して久しい」「書くことはもはや、「素材の選択又は配列」すなわち編集の下位ジャンルであり、テクストは編集の素材以上の何物でもない」そして「読者の頽廃はもっと酷い」というのだが、省略。

とにかく、こうブチかますのだ。

「出版(「パブリケーション」のルビ)から失われた公共性(「パブリックネス」のルビ)がTwitterには生きている」

おお、出た「公共性」だ、と、おれは思ったね。

おれは『理解フノー』に、「成り行きで転がったついでに「フリーライター」という肩書を使い、出版業界なるものに付き合ってみてわかったことは、一見知的な、この業界は、これまで付き合ったなかでも、最も理解フノーな前近代的な体質の世界ということだった」と書いている。この前近代性こそ、「失われた公共性」と関係している。

出版のこれからが、よく話題になるけど、出版の公共性は、どう担保されているのか、どう担保されなければならないかなどは、話題にもならない。

おれが出版業界人と付き合い始めて20年ぐらいになるけど、まったく耳にしたことがない。

高学歴の人たちが多い出版界だが、公共性に対する認識は、前近代ではないかと思うことが何度かあった。だけど、中にドップリつかっている人たちには、それが当然なのだろう。公共性が不安定なところには、「私物化」がはびこる。それが空気のようになってしまう。

当然、権力や自由ということについても、認識がヨワい。

インディーズ文化と公共性、このあたりから、これからの出版を考えてみたい。

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2017/06/10

『dancyu』7月号「酒場はここだ。」に北浦和・居酒屋ちどり。

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去る6日は『dancyu』7月号の発売日だった。特集は「酒場はここだ。」ということで、昨年の1月号「いい店って、なんだ?」の酒場編のようなものだ。

001a001_2おれは、ときどき行っている北浦和の「居酒屋ちどり」を書いた。

編集さんからは、「「酒をのんでええ気持ちになれればそこは酒場」という、広いポリシーで臨みたいと思っておりまして、居酒屋に限る必要はありません」というメールをいただいた。

そこで、店名に「居酒屋」がついているが、一般的な居酒屋とはチョイと違うし、まだ店に立って1年ほどの28歳の店主が何から何までやっている素人くさい酒場で、これまでのdancyuの範疇では取り上げられるのは難しいだろうが、ココこそおれにとっての「いい酒場だ」ということで押したら通ったのだ。やったね、の気分。

取材は、ライブのある日ということで、ちょうどうまいぐあいに、以前一緒にトークライブをやったことがある原田茶飯事さんの誕生日ワンマンがある日になった。

写真は、大森克己さん。

いい写真。

取材が終わった頃、編集長の江部拓弥さんと副編集長の神吉佳奈子さんがあらわれた。平河町の会社からわざわざ来て下さった。お二人は、この号が最後になる。

狭いちどりは一杯なので、駅近くの居酒屋で終電ギリギリ駆け込みセーフまで、にぎやかに飲んだ。

そして、江部編集長最後の本号が出来上がった。

居酒屋ちどりのタイトルは、「歌に酔う」だ。

おれは、まいど述べているように、「作家」クラスをめざす気はなく、脇役端役の小銭稼ぎのフリーライターだが、このページが、江部編集長を送る花の一輪にでもなれたら幸いだ。

江部さんの前は、町田成一さんが編集長だった。おれは町田編集長時代の2011年2月号で初めてdancyuの仕事をした。編集部に知人がいるわけでなく、突然メールをいただき、その号で終わりかと思ったら、ぼちぼち仕事をいただいた。

とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく過ぎ、編集長が江部さんにかわったのは、2012年の末か13年の初めごろだったろう。デザイン一新でデザイナーさんはかわったし、いろいろウワサもあって、それまでの写真の人も文の人も変化があった。

おれは相変わらず、とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく、流れに身をまかせていた。あいかわらず、ぼちぼち仕事をいただいた。そんな感じで、江部編集長の4年数か月が過ぎた。

雑誌は、誰が編集長をやっても、難しい時代だ。新聞や雑誌の仕事など、泥船に乗っているようなものだと言えるだろう。

江部編集長、お疲れさまでした。まだ先がありますが。

019001_2と、「送辞」のようになってしまったが、この特集、さまざまな意外な人、意外な酒場が登場し、おもしろい。

従来の飲み物と食べ物と人物の「物」イズムにとらわれた話と、一つ一つが違い、人の数ほど「酒場観」があるのだなあとあらためて思った。デザインもタイトルごとに違う。

雑多がいい、おもしろい。

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2017/06/07

「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」

一昨日5日発売の『みんなの 神田 神保町 御茶ノ水』(京阪神エルマガジン社)で、「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」の文を担当した。

001001_2もとはといえば、宮澤賢治の「東京」ノートに「公衆食堂(須田町)」というタイトルの短いスケッチがあって、これがいつごろのどこの食堂か、ということがインターネットで話題になっていたことに始まる。

おれもブログにそのことを書いたまま忘れていたのだが、それを、編集さんが見つけたのがキッカケ。

そのことについては、ここに書いた。
2017/04/15「批評」と「品定め」「目利き」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/04/post-11b8.html

「公衆食堂(須田町)」については、最も可能性の高い公衆食堂を突き止めた。

インターネット上では、このスケッチが何時なのか日付の記載がないことから、よく食堂の話に出てくる現在の「じゅらく」の前身「須田町食堂」とする話もあったのだけど、研究者のあいだではスケッチが書かれた年月が推定できたため、そこではないという結論までは出ていた。

そのあたりは、「宮澤賢治が歩いた東京」の講演をしている、大妻女子大学の杉浦静教授を取材し確認した。杉浦教授の講演資料にも、「公衆食堂(須田町)」は1921年7月頃とあるのだが、須田町食堂は、まだ出来ていない。

そこのところを、もう一歩突っ込んで、探ってみた結果、有力な公衆食堂が見つかった。それがどこか、なぜそこの可能性が高いのか、それは本文を読んで欲しい。

003001それはともかく、この企画は、「公衆食堂(須田町)」がどこかを探るのが目的ではない。神田の食堂を、「東京」ノートに書かれたスケッチをネタに紹介しようというものだ。

おれは賢治の気分。

ならよいのだが、しかし、そうはすんなりいかない。賢治は飲食についてなぜか多くは書いていない。それに菜食主義で脚気にまでなっている。

だいたいこの種の企画では、飲み物や食べ物のうまさや店の雰囲気などを、ああだこうだ音の半音のちがいを聴き分けるようなオシャベリをするのがアタリマエで、そういうオシャベリを得意そうにしている作家や有名人を引っ張り出すものなのだ。そういう安全パイの安直な企画がほとんど。

清く正しく美しく聖人化された宮澤賢治は、ナチュラルだの自然だの天然だのというイメージの飲食には都合よいが、俗世間な神田あたりには向いていない。

でも、そこが、おもしろかった。飲食のステージは、大きくて広いのだ。

食に関心がなさそうなおかしな賢治と付き合って、考えることも多かった。宮澤賢治とその作品についても考えることが多かったし、飲食についても、別の角度から考えられた。

関係なさそうな関係に関係をみる。そこに、新しい可能性が生まれるんだよね。

ま、書くのは苦労して、自分でもどういうカテゴリーの文なのかわからないアンバイになったが、ありきたりからの脱出ジャンルということにしておこう。

こういう企画をグイグイ押す編集の半井裕子さんに脱帽。ほかの企画も、とてもおもしろい。

写真は、本野克佳さん。

取材した店は、ランチョン、栄屋ミルクホール、かんだ食堂。ご協力ありがとうございました。

杉浦教授の話はとても参考になったし、宮澤賢治について、あれこれ考えることが増えた。ありがとうございました。

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2017/06/03

東京新聞「大衆食堂ランチ」55回目、小岩・ラーメン餃子三平。

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もう6月になってしまった。ブログの更新もせずにでれでれ過ごしているうちに月日はミサイルの速さで去り気がつけば棺桶の中、ってなことになるか。ミサイルの速さってどれぐらいか知らないけど、矢よりは速そう。

先月の第三金曜日19日は、東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」の掲載日だった。今回は、小岩の「ラーメン餃子三平」だ。こちら東京新聞のサイトで本文をご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017051902000166.html

この店は、この一年間ぐらい、最もよく行っている店だ。つい先日28日も行ったばかり。というのも、小岩の野暮酒場で飲んだあと野暮一同で行くからだ。

ここは大ハコだから、野暮が10人ほどまとまって入っても座れるということもあるが、店内の猥雑感がいい。「ラーメン餃子」を謳うが、安い中華のメニューが充実している、それにボールが安い。帰りの電車ギリギリまで過ごす。

小岩は、都内で一番おもしろい街だと思う。最近、タワーマンションが一棟建ったが、そんなことではビクともしない猥雑な生命力がある。

秋葉原から総武線に乗ると、隣の新小岩までは再開発による「新郊外化」が進んでいるのがわかるが、小岩はその流れから独立している。前回、2017/05/20「東京新聞「大衆食堂ランチ」54回目、葛飾区・ときわ食堂金町。」に書いたように、「国境の町」の情緒がある。ま、外国人も多く、エスニック系料理では都内屈指の人気店もある街なのだが。

とにかく、猥雑な生命力たるや、小岩駅北口そばにあるヨーカドーすらワイワイザツザツに飲みこんでしまう街なのだ。

010その小岩の象徴的存在、南口そばの横丁「地蔵通り」に、「ラーメン餃子三平」はある。この通りで最も猥雑な生命感にあわふれている店だと思う。

「植むら」「阿波屋」「くるま」など、いい居酒屋が揃っている。最近は立ち飲みもできたし、業務スーパーもできたし、いい味を出しているおやじが店先に立つ古い店舗型風俗営業店もある。短い狭い通りに、さまざまな業種や業態が密集している。

書くのに力が入ってしまった。小岩へ行って三平で飲み食いしていると、こじゃれた大都市に吸い上げられそうな生命力がよみがえるのだな。

小岩には、古い、いわゆる和食メニューもある大衆食堂が何軒かあったが、みな無くなってしまった。

そういえば、以前、もう10年ぐらいになるかなあ、それらの大衆食堂があった頃、小岩からバスを乗り換え池袋までというのをやった。都バス一日券を買って、小岩から錦糸町、錦糸町から浅草、浅草から池袋というぐあいだ。

とにかく、小岩は、安く飲めるし、たのしくおもしろい街だ。

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