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2017/09/30

理解フノートーク第二弾「フリーライターってなんだ」。

昨夜のさばのゆ@経堂での理解フノートークは、なかなかおもしろかった。というのも、ずいぶんバラバラないろんな人たちが参加してくれたからだとおもう。

いつもの野暮は少なめだったが、初めてのナニモノかわからない方、それから、とくに、まったく期待していなかった国際詐欺師一味に、ここ一年ほどは会ってなかったやどやゲストハウスの女将とボランティアの方など。

別の見方をすれば、以前からずーっとそうなんだけど、出版関係はゼロで、おれがいかに出版関係に縁がなく期待されていないか、よく見えるしだいだった。

というなかで、「フリーライターってなんだ」で弾けた。

じつは、トークの最中に、いつもと調子がちがうなと思った、お相手の恩田えりちゃんは、あとでメールをいただいたところによると「絶不調」だったそうで、にもかかわらず、いつもと調子はちがっても、なにしろ日本落語協会のお囃子で、トークの場馴れは十分の方だから、うまくリードしていただいた。

最初に、なんで「フリーライターってなんだ」というテーマになったのかとえりちゃんに聞かれ、そのイキサツをすっかり忘れていたおれは、それはえりちゃんとさばのゆ亭主の須田さんが決めたんじゃないのと答えたのだが、須田さんが「エンテツさんが言いだしたことだ」とスマホにメモされている証拠を読みあげたのだった。

ようするに、これまで、4回だか5回やってきたトークは昔話が多かったから、いまの話をしよう、ということで、目下のおれの「職業」? 四月と十月文庫『理解フノー』にある「フリーライター」をネタにするのはどうかという案を出したのは、おれだったのだ。

いまどきは、メールのやりとりがちゃんとスマホに残っている。なのに、どうして、国家の予算執行についてのやりとりは記録に残っていないのか。

そうして、おれが、1997年頃から使い始めた肩書の「フリーライター」の仕事の話になった。

おれは1995年に『大衆食堂の研究』で出版デビューしたときは、まだ「プランナー」の肩書だった。えりちゃんは、なぜ本一冊の文章を書けたのか、というあたりから突っ込んできた。

それで、「プランナー」稼業の話をした。おれの場合は、いわゆる「調査」から入っているし、それが基本だった。かっこつけて「リサーチャー」とか、いまでは、いろいろな呼び方がされているが、その仕事では「文章を書く」ということが付きまとう、それがどう行われていたかという話をした。

この仕事は、じつは、会場にいた国際詐欺師一味の現在の仕事であるのだけど、対象とする分野が異なる。彼らは海外が主な舞台だ。おれの場合は、海外でもいくつかやっているが、国内の食品メーカーや流通業や飲食業あたりが多かった。

あとで、国際詐欺師一味に聞いたところによると、おれが話した70年代から90年代ぐらいまでのことは、いまでもほぼ同じような作業をしているらしい。コンピューター処理が多くなっても、企画や分析・報告などは、けっきょく人間様が頭を使って書くことになる。かりにAIが発達しても、その部分は、絞られるかもしれないが残るだろう。

とかく、コンピュータやAIと人間の仕事が対立的に語られるが、仕事の「次元」が変化するだけで、相互の関係は続くのだ。

といった動きがあるのに、出版業界って、なんて前近代的なんだろう、ということを、おれが知るナマナマしい事例をあげながら話した。

えりちゃんは、「それは、セツナイことですね」というような言い方をしていたが、ま、そういうしか仕方のない状況はあるわけで、落語の世界だって、前近代性を抱えながらやっているけど、出版とちがうのは、とかく「文章」や「文学」は、その媒体や版元によって権威や権力の方に位置しやすいが、落語の場合は寄席が典型だが、種々雑多な大衆と直接呼吸しあいながら芸を磨いている。そこは「文芸業界」とは、けっこうちがいそうだ、ということを「発見」しながら話していた。

日本の出版業界のヒエラルキーというのは、社会を基盤にしていない、業界に依拠しているのだ。そこが、かなり特殊だ。

資本主義社会とのあいだに、出版業界という業界があって、そこに依存しながら成り立つ特殊なヒエラルキーがある。

ま、ほかの業界でも似たような「型」はあるのだが、出版業界ほど求心力は強くなく、はみだして生きているものはけっこういる。飲食店などには多いし、国際詐欺師一味も、やどやゲストハウスも、業界には依拠していない。

そういう分野が、まだまだ広がっていきそうでたのしみだなあ~、と思いながら、「途中でやめる」の話も混ぜたりした。

「フリーランス」「自営」といっても、さまざまだ。業界に依拠してしまったら、会社に籍を置いているのと、たいしてちがいはない。本人の「意識」のなかではちがっているようだが、それは「気分」の問題にすぎない。

とかとか、自分のフリーライター遍歴や仕事のスタンスなどにもふれながら、あれこれ考える。自分で口にしてみると気づくこと、またあれこれ考えられるおもしろさが、トークをするほうにもある。

そして、「途中でやめる」の話をしているときに、じゃこれでやめにしようと、まいどのことながら、なんの結論もないまま終わったのであった。

終わって、その場で飲んでのち、近所の「らかん茶屋」という居酒屋で2次会となった。10人ほどが参加し、さらにババさんが2次会から参加してくださった。

23時ごろ、国際詐欺師たちと店を出て、経堂駅で、それぞれ違う電車に乗って帰った。東京を往復するだけでも疲れるのに、酒も飲んで、ヨレヨレ帰宅だった。今日は、どっしり疲れが残った。28日で74歳になったのだからなあ。そうそう、誕生祝いも頂戴したのだった。

そのうち、国際詐欺師一味とトークをできたら、おもしろい。日本や業界を視野においているうちは、まだまだ、せいぜい2次元世界のことで、3次元にすらなっていない。4次元、5次元にとんでいかなくてはなあ。キチガイあつかいにされるだろうけど。

文章を書いて食っている人は、いろいろな世界にいるわけで。

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2017/09/29

計量スプーンや「数値」との付き合い方。

東電原発事故による放射能災害が問題になり、「科学的」ということが注目された。その「科学的」というのは、たいがいイコール「数値」として取り上げられ、それ以下だからアンシンとか、以上はイケナイとか、いや0.0001でも許されないとか、いろいろいわれた。

科学が数値に矮小化されるのもかわいそうだが、数値を絶対化する傾向も見られ、おれは、かつて台所に普及した料理のための計量スプーンや計量カップをめぐる是非論を思い出した。

たとえば、『栄養と料理』昭和52(1977)年1月号には、「計量カップ・スプーンで作る料理はおいしくないか?」というページがある。

計量カップ・スプーンというのは、料理の数値化のために考案され普及した。

ところが、こんなことになったのだ。

「「カップやスプーンを使って計量しながら作る料理なんて、どれもこれも同じ味にでき上がってしまっておいしくない。こんな料理の作り方をしていては、わが家の味が生まれるはずがない」という声を近ごろよく耳にします」

と、計量スプーン・カップの考案普及に努めた香川綾が創設した日本女子栄養大学(あるいはその出版部)が発行する雑誌『栄養と料理』が、「計量しながら作る料理の是非」を記事にしている。

料理に限らず、「数値」をめぐっては、いろいろあるのだが、抵抗感を持っている人たちが少なからずいる。それがまた、とかく、「理系」×「文系」という、ありそうだが架空の二項対立の話に回収されたりする。

いまでも、マーケティングを毛嫌いする人たちがいて(たいがいマーケティングを理解してないのだが)、「数値」や「数値化」を「文化」や「芸術」など「感性」や「個性」のたぐいと対立するものとして扱っている場面が最近でもあった。

先の「わが家の味が生まれるはずがない」というのは、そこに「わが家の味」大事の観念的な思想が見られるのだけど、それは、数値と個性を対立させる考え方の変形でもあるだろう。

このように、対立関係でないものを対立関係でとらえ、比較できないものや比較するのはまちがいのことを比較するのは、観念のイタズラで「科学的」とは無関係なことだが、けっこうはびこっている。しかも、それが「文学的」だの「芸術的」だのと評価されたりする。

いったいどうなっているのという感じなのだが、『栄養と料理』のこの記事には江原恵が登場して、適切な指摘をしている。

江原恵は、「スプーン料理の反対者に目されて」ここに登場している。かれは、「スプーン料理を軽視はしているが、反対者ではない」といって、計量以前のことを述べている。そのことにふれていると長くなるのではしょるが、数値については、こう言っている。

「数字は心覚えのためのメモであって、料理学の科学的な方法そのものではない」

パソコンでキーを打つと日本語の文章が表示されるのは、集積された数値(心覚えのためのメモ)を処理した結果だ。

ようするに、数値や数値化が問題なのではなく、それを扱う方法や思想、つまり数値との付き合い方が問題なのだ。その方法や思想が科学的かどうか。これは放射能をめぐる大きな問題としてもある。

だけど、とかく、わかりやすそうな二項対立関係での話がもてはやされ、「数値化」は悪者化悪魔化されて追い払われ、「個性」というアイマイな観念に美しいものとして軍配があがる。

不倫にはウルサイが、国の予算の執行状況にはアマイのは、そんなことも関係ありそうだ。

数値は数値であって、数値化は善か悪かで考える対象ではない。

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2017/09/28

グルメと政治。

今日は74歳の誕生日なのだが、今日召集の194臨時国会の冒頭で安倍首相が解散という手に打って出て、大騒ぎになっている。

大騒ぎは、事前に冒頭解散の情報が流れ出したころから始まって、もうややこしくて正確に書くことができないほど、スピーディーなゴタゴタが続いた。

ようするに、小池百合子都知事が都知事になるときの母体だった「都民ファースト」を全国組織の「希望の党」へ発展解消というのかな?ということで、その党首になり、そこへあれやこれやの自民党以外の弱体化した「党」といえないほどの連中が合流したと思ったら、昨日今日になって、先日前原誠を党首に選んだばかりの、イチオウ野党第一党の民進党の前原が「希望の党」への合流を決めた、というので、これが大騒ぎ。

大騒ぎなのだが、希望の党と民進党の合流は、「「非自民・非共産」の野党勢力を結集」をうたっていて、もう長年続いている離合集散劇で、目新しいことは一つもない。

ツイッターなどでは、小池を「極右」と認定し、安倍自民党=右翼とどちらを選ぶかの悪魔の選択になったかのような主張も見られるが、小池の基盤はそれほど安定しているものではない。もともと「非自民・非共産」という路線が、自民と共産という批判あるいは否定する対象があって成り立つ陣地であり、中身はカラ。

が、しかし、今回の希望の党は、これまでのそういう存在のなかでも、もっとも力を発揮しそうだ。それは小池百合子の「演劇力」に負うところが大きいのだが。

なので、ここは、希望の党と共産党の進出をうながし、希望の党に政権をとってもらうというのも、面白い。希望の党が政権をとっても、そのまま長続きするはずないからだ。また新たな迷走の段階に入るだろう。

しかし、そもそも現在の政治は金がかかるのであり、自民党スポンサーと希望の党スポンサーの関係は、どういう動きになるのか、と、政治ミーハー的には考えるのだが、どうも政治クラスタとか政治ミーハーはよろしくない。よろしくなくても、そこを考えると、希望の党が政権を奪取するほどの議席を獲得するとは思えない。とにかく、とりあえず、「劇場力」のある小池百合子が、当面の主役になりそうだ。

などと考えたとき、「小泉劇場」より、もっと昔の大正の初めごろに、「野次馬政治」なる「政治の演劇化」を指摘した人物を思い出した。

この人物は、1900年、大阪新報をふりだしに、大阪朝日新聞、上京して国民新聞、東京朝日新聞、毎夕新聞、都新聞など、当時の有力紙で記者をした松崎天民だ。

松崎天民といえば、グルメ史あるいは食通史あるいは食味評論史には欠かせない、『京阪食べある記』(昭和5=1930年、誠文堂)、『東京食べあるき』(昭和6=1931年、誠文堂)の著者でもある。

関東大震災復興をしめすかのような昭和初めの食べあるきブームをリードした一人といえるのだが、彼は新聞記者としても、なかなか活躍した人物なのだ。

この人物に興味を持って、いろいろ調べ、『京阪食べある記』『東京食べあるき』は全文コピーで持っているが、ほかにも、「大正世相私観」なるものがあって、面白いのでコピーして手元にある。これは『新日本』という雑誌の大正4(1915)年4月11日号に載ったものだ。

その中に「野次馬政治の傾向」という項がある。

このころはまだ普通選挙法(1925年)前で、高額納税の男子だけが選挙権を持っていた時代だが、民衆は黙っていなかった。

「政治上の問題を民衆の力に依って左右する様な傾向を生じたのは、確かに大正に入ってからの著しい現象である。その源は遠く非媾和の焼打事件に発足して居るにしても、煽動政治焼打政治、反対横行政治、野次馬政治は、今や軽視すべからざる勢で、国の隅々にまで行き渡って居る。政治と国民生活とが次第に接近して来たのは、喜ぶべき一現象であるにしても、政治が演劇化され、遊戯化され、興味化されて来たのは、これ決して喜ぶべき傾向ではあるまい」

非媾和の焼打事件というのは、明治末の日ロ講和に反対する日比谷焼打ち事件のことだろう。

「私は今の政治が、より以上に演劇化せんことを望み、より以上に興行物化せんことを望むものである。政治の演劇化は政治の堕落の様であるが、実は政治の内容を根本から改革する所以の道程にあって、同時に政治に対する国民の心眼を開拓し得るだけの効果がある。功名利達の政治に対して、馬鹿馬鹿しい感想を抱くようになる事が、差当つての急務である。この意味に於いて、野次馬政治の傾向は、いよいよ其の本音を吐くまでに、どん底へ進まなくてはいけない」

坂口安吾の「堕落論」のごとく、というと大げさかもしれないが、なかなか複雑な著述だ。で、彼は、こう書くのだ。

「国民の生活を基礎とした政党が出来て、国民の実生活に共鳴する政治が生れねば、政党政治の恩沢に浴することは出来ない。私は此の立場から、同志会の壊れん事を望み、政友会の破れん事を冀ひ、国民党の滅せん事を希ふものである。さうして野次馬政治の旧態から、新意ある生活政治を見るようにする事が、大正年代の大事業であって欲しい」

生活政治! なかなかよい言葉ではないか。

しかし、歴史は、かれが欲したようにはならなかった。どん底まで進んでしまった。

そして、劇場化する政治の昨今、ツイッターなどもあって、なかなかにぎやかであるけれど、そこに群がる政治クラスタや政治ミーハーたちは、生活より政局、消費税問題などより共謀罪や安保法制、そしてポピュリズムだのファシズムだの右翼だの左翼だの、リベラルがなんちゃらかんちゃら、という感じで「政治用語」ばかりを駆使した「政治意識の高い」話ばかりなのだ。これ、松崎天民が見た「政治の演劇化」と同じ。

またもや、どん底までいくしかないのか。

しかし、松崎天民という男、単なる食味評論家ではなく、いろいろ見識のある人だったようだ。飲み食いの話ばかりで政治の話ができない連中とはちがう。ま、当時の新聞記者であるから、ナニゴトも上から目線な感じはあるのだが。いまだって、新聞社の連中もちろん、新聞や雑誌に何か書いたぐらいで一般より「上」の人間になったつもりで、いい気になってものをいう連中もいるのだからね。

おれは、「生活政治」のため、こう思っている。

消費税率が8%になってからのことを考えると、どんなリクツをつけても10%なんてありうることでなく、5%にもどすか消費税ナシにして別の税制を導入する案を検討すべきだね。そういう論戦をしてほしい。だいたいさ、酒税だって実質増税して、飲兵衛を苦しめているというのに。

もっと生活用語で政治を語ろう。

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2017/09/27

系譜論のオベンキョウ、「日本的」や「ほんとうの日本」。

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先日の「系譜論のオベンキョウ、『美味しんぼ』。」は、書いていたら長くなったので途中でやめてしまった。

「途中でやめる」は、山下陽光さんのブランドだけど、いいネーミングだ。なによりエラそうでなく、権威主義的なひびきがないのがいい。

『美味しんぼ』15巻には、「究極VS至高」のタイトルがついている。「究極」も「至高」も、はやりましたなあ。

「東西新聞文化部の記者である山岡士郎と栗田ゆう子は、同社創立100周年記念事業として「究極のメニュー」作りに取り組むことになった。しかし、ライバル紙の帝都新聞が、美食倶楽部を主宰する海原雄山の監修により「至高のメニュー」という企画を立ち上げたため、両者を比較する「究極」対「至高」の料理対決が始まる」

と、あまりあてにならないウィキペディアにはあるが、この巻がその対決の始まりなのだ。

1988年7月の発行で、究極VS至高(前編)(中編)(後編)のほかに、第4話「家族の食卓」、第5話「ふるさとの唄」、第6話「下町の温(ぬく)もり」があって、あと「不思議なからあげ」「大海老正月」「究極の裏メニュー」という構成だ。

「家族」「ふるさと」「下町」が、ここに揃って登場というのが、面白い。

1980年代中頃から、この3つは「失われたほんとうの日本」へのノスタルジーの受け皿として、三種の神器のようにセットになって機能するようになった。流行作家らしく、その動きを敏感に反映したものだろう。

同じ頃「江戸・東京論ブーム」が到来し、いまに続く「内向き」に拍車がかかった。この動きとB級グルメのつながりについては、だいぶ前に書いた。

2005/03/27
「「江戸東京論」ブームと「B級グルメ」ブーム」

「江戸・東京論ブーム」と「家族」「ふるさと」「下町」も、密接な関係がある。

この三点セットには、いろいろなことがからんでいる。たとえば「人情」「職人」「手仕事」、昔ながらの「折り目正しい暮らし」などなど。

そうして、「家族」「ふるさと」「下町」は、内向きのナショナルなイメージを引きうけてきた。

これは、日本的なものや本物の日本の系譜の「再発見」、つまりは70年代初頭からの「ディスカバー・ジャパン・キャンペーン」の到達点でもあり、新しい段階への突入、と、いまになると見えてくる。

深川育ちが紆余曲折の人生があってのち深川鍋を食べ、深川に生まれてよかった、ありがたく思う。その「深川」は「日本」と互換可能だ。

「本物がある日本」に連なる系譜だけが高く評価される。ようするに系譜論は一元論でもある。

日本にあったはずの本物が見つからなかったら、水でも何でも海外に「本物」を求め、それを日本で味わいながら、「本物の日本が失われた」ことを嘆く。そういう「ナショナリズム」でもある。

昨今のドメスティック志向の圧力は、1980年代中頃から、半端でなく複雑怪奇に積み重なっている。

ところで、『美味しんぼ』15巻の最後は、「究極の裏メニュー」だ。本物がさんざんエラそうにしたあと、本物の足元にもおよばない読者を哀れに思ったのか、「貧乏グルメ大会」が設定される。

参加者のそれぞれのメニューの試食が終わったあと、栗田ゆう子の言葉として、こんなふうなまとめがある。

「みすぼらしくて恥ずかしいようなメニューだけど、だからこそ一層、思い入れがあって大事なメニューなのね……」

そういう言い方はないだろう。

だけど、系譜論には、存在するものそれぞれのはたらきを評価し位置づける視点も方法もない。

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2017/09/25

2:6:2

トシのせいもあるのだろう、酒飲みながらの話は忘れることが多い。いま、トツゼン思い出したことがあるから、備忘のために書いておく。

比較的最近のことだが、どこで誰と飲んでいたときの話か忘れた。とにかく、相手は一人ではない。

何かの話から、おれの隣にいた、たしかどこかの会社の男性(誰だったかなあ)が、「262ですね」と言った。ひさしぶりに聞いた「262」。

まだ「262の法則」は通用しているのだ。いや、ますます、か。

ネットで検索したら、いろいろ解説があった。

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 日本語表現辞典 > 262の法則の意味・解説には、

どのような組織でも、2割の人間が優秀な働きをし、6割の人間が普通の働きをし、2割の人間がよくない働きをするという法則(経験則)を意味する語。ビジネス書などで引用されることが多い。起源は諸説あるが、松下幸之助が提唱したともいわれている。人間だけでなく、アリやハチの社会でも同様の現象が確認されるといわれることもある。類似の法則に「パレートの法則(2-8の法則)」がある。
http://www.weblio.jp/content/262%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

ま、そういう感じなのだが、モンダイは、対処法なのだ。

いまはしらないが、かつて、この話と一緒に話されることがあった。

下の2割を切れば、上の2割と6割で全体がよくなる、かというと、そうではなく、やはり下の2割ができてしまう。だから、下の2割をカットしても、堂々めぐり。このあいだも、このことが話題になった。

だいたい2:6:2は、たいがい一つか一つの視点にもとづく評価基準であって、多角的な評価ではない。ということが根本問題としてある。

でも、たいがいは、とにかく優秀な働きをクローズアップして、モデル化すれば、全体がよくなるということできちゃっている。

しかし、いまや、ビジネスモデルは通用しないといわれる状態になってしまった。

かといって、多角的な評価というのは、複雑で難しい。とくに日本のように上下関係の文化が根強いところでは、難しい。

さらに、6割のスタンダードな文化については、「上」ばかり見ていることもあって、ほとんど関心がなく、どちらかというと他者を批評したり評価する立場の人たちは「普通」を見下しがちだ。「普通」ではイケナイが支配的だ。

国のレベルでもスタンダードがある国とない国の差が大きくなっているけど、スタンダードがないと複雑な状況下では迷走しやすい。土台がない家というのはありえないが、土台がない国家や都市というのはありうる。

スタンダードをしっかりさせることが、優秀な2割が活躍するためにも必要だし、スタンダードをしっかりさせることによって、「下」の2割の脱落を少なくすることができる。あるいは「下」の2割を制御できる。という考えもあったはずなのだが、とにかく、日本は「人並み以上」の「上へ上へ」の「頂点」コンセプトで来ているから、どうなんでしょうねえ。

ときどき、新聞などで、どこかの町工場の技術は世界でここだけの優秀なもので、世界中から注文が来るといった話がクローズアップされるけど、年商10億に満たない規模で、日本国内では、それと連動するスタンダードがない。ようするに他所の国のスタンダードのために、日本の優秀な技術が利用されている。

こういう話ばかりをクローズアップするしか仕方ないほど、ダメダメな状況なのかもしれないけど、いずれにせよ、スタンダードの構築って、地味な積み重ねが必要なんだよな。2割ばかりをクローズアップしていて、あとはついてこい、オチコボレは自己責任、じゃ、うまくいかない。いまそういう崩壊が目の前で進んでいる。

売れ筋だけでは店が成り立たないように、優秀な人間だけでは社会は成り立たない、という単純な話が通りにくい。

おれは、「近代日本食のスタンダードとは何か?」をテーマにしているわけだけど、ま、これは2:6:2の6の食とは関係あるとは思うけど、あまり展望はないね。つまり、優秀なスゴイ話であふれている日本は、展望がない。ということか?

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系譜論のオベンキョウ、『美味しんぼ』。

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料理や飲み食いの本はたくさんあって、まとめてなんと呼べばよいか、「食エッセイ」とか「グルメ本」とかいうことになるか。とりあえず「お店ガイド」のたぐいをのぞき、それに栄養や健康が主なものは含めないでおきたいので、「食文化エッセイ」あたりが妥当かもしれない。どのみちハッキリ区別がつかないことだから、ここでは「飲み食い本」ということにしておこう。

そういう類の本は、とくに1980年代からこちら「バブル」といってよいほど出版され、90年代の不況後は、売りやすい売れるアイテムとして、どんどんつくられ、そのぶん参入もしやすく敷居は下がり、ありていにいえばレベルは下がり、おれのようなものでもほんの少しだが、本を出すまでになった。

そういう分野で、もっとも多いのが、「うまいもの話」と「珍しいもの話」で、これはもう昔から美味珍味を追求する「食通」という人たちがガンバってきた分野で、どこそこのナニナニはうまい、ナニナニはどこそこにかぎる、どこそこにはこんなにめずらしいものがある、といったたぐいだ。

ドコソコとナニナニ、そこに「名人話」「職人仕事話」が加わり、人気な分野なもんだから、たくさんの本が出ている。

ほんと、そういう話が好きな人が多い。

これらの本は、惰性的につくられてきて、「食文化」という学問分野も確立してないこともあって、人気な売れた本が影響力を持ち、それらを「お手本」に新たな著者が自分なりの「視点」や「切り口」で参入する状態が続いている。

その「お手本」というのは、ほとんど、といってよいほど、系譜論からの見方なのだ。

ようするに系譜論が好きな人が多いのだ。系譜論を意識していなくても、素材、本物、手仕事技(人物)、郷土(ドコソコ)、ルーツや系図などなど、系譜論に属する話が好まれる。

その系譜論を具体的に見ていきたいと思うのだが、そのために、まず2冊の本がよいだろう。かなりの影響を及ぼしている本で、ひとつは『美味しんぼ』で、ひとつは吉田健一の『私の食物誌』だ。

不勉強なので、この2冊に対する批評や批判的検討については、あまりしらない。

『美味しんぼ』については、関川夏央が『知識的大衆諸君、これもマンガだ』(文藝春秋、1991年1月)で、「浪費される言葉、空転する工夫 雁屋哲・花咲アキラ『美味しんぼ』」という一項を設けている。

この本は、『諸君!』に1988年1月号から連載のものを母型に手を加えたものだそうだが、『美味しんぼ』の項は、1989年5月が初出で、関川が読んだのは18巻までだ。

「比較的抵抗なく読みおおせたが、ところどころでひっかかった。全篇が、料理材料収集の苦心、料理の工夫と味の形容でほぼ埋め尽くされ、自然素材の礼讃およびマスセールスを動機とする促成大量生産、化学調味料などの使用への嫌悪、というより告発が要所要所のアクセントになっている」

この漫画は「究極」と「至高」のメニューをめぐって、北大路魯山人をモデルにした父と、父をにくむ息子が対決するカタチをとっている。

「読むのにさしたる抵抗のない理由は、ほとんどすべてこの父子対立構図の安定感によっている。また、長く読むうちやがて退屈を誘うのは、グルメを制するにグルメをもってするというやり口のせいである。作者には「エセのグルメ」を「ホンモノのグルメ」が完膚なきまでに打ち砕いて正統を樹てるもくろみがあるのだろうが、料理ごときエセもホンモノもどうでもいいという考えのしみこんだやからには、両者に正邪も曲直もない、ただいたずらな時間と金の浪費のように見えないこともない」

関川は、かつて『水のように笑う』で、「パチンコ屋で出る台をひとに教えられる程度の技術を誇る人間は結局なにものにもなれない」と、グルメ・ブームをリードするたぐいの人たちにかましたが、ここでも関川らしいアイロニーをちりばめている。

「ストーリーテラーの味の形容に対する過剰なこだわりに較べて、このマンガでは絵画上の工夫や冒険はまったく見られない。いかに素材や料理をそれらしく見せるかのみに作画担当者は執心する。すなわちナニガナニシテコウナッタという情報マンガの分を守っている。分を守っているからこそ安定しているのだが、守りすぎているから「うまみ」も「こく」もない」

「自然食品をうんぬんしても、そのコストについては語らず、結局は社会が悪い、悪い社会はどうしようもないから財力を貯えて自然食品を買い続けるという態度は、少なくとも流通不安を呼ばない。この作品もまた八〇年代の明朗なニヒリズムの産物に違いなく、ニヒリズムを雑知識で武装して足れりとする傾きは、現代の日本社会をみごとに体現しているといえる」

関川夏央の引用が長くなった。おれは、マンガの批評ではなく、このマンガに系譜論を見ようとしているのだが、s関川が指摘している、「自然素材の礼讃」や「エセのグルメ」と「ホンモノのグルメ」、「ナニガナニシテコウナッタ」のことは、系譜論と大いに関係があるのだ。

梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫)が指摘する系譜論というのは、「素材の由来の問題」であり、ナニガナニシテコウナッタの「要素の系図」や「血統」の問題として文化をとりあげることだ。

系譜論と異なる機能論的な見方では、「素材の由来の問題とは全然関係がない」「それぞれの文化要素が、どのようにくみあわさり、どのようにはたらいているか、ということである」。これは玉村豊男の『料理の四面体』では、料理の構造ということになる。

実際を成り立たせている文化の構造と機能にはふれないまま、自然素材を礼賛し、それを「生かす」仕事を礼賛し、ニセモノとホンモノの違いは、素材の優劣と、それを生かす仕事になるという、無限循環のような話が、『美味しんぼ』では繰り返される。そのパターンが、関川のいう「安定」のもとになっている。

卵の黄身の味噌漬けをつくるのに、味噌の大豆の品種から選び(ドコソコのナニナニ)、もちろん「決定的なのは卵なのだ」。その「初卵」を手に入れるのに、どうするか。「鶏を飼っている人間が、一羽一羽をずっと注意深く見守っていなければ出来ない」

構造や機能を考えない脳は、方法を掘り下げられない、仕事への「態度」や「心」の持ち方が問題になる。完璧な仕事、愛情、丁寧、折り目の正しさ、すべて、最終的に「人」の問題に還元されるのだが、そもそもそこまでして「究極」や「至高」を求めなくてはならないのか。

そこによこたわる不合理や不条理は、追究されることなく、またもや、「本物」に還る。

「料理の技法を云々する以前に、どれだけ本物の材料を求めることが出来るか、それを極限まで追究していって得た物を、後世の者に残し伝えることこそが、「究極のメニュー」なり、「至高のメニュー」なりを作る目的であるはずだ!」と、魯山人をモデルとする人物は、正論風のハッタリをかます。

このあと、「本質を追究せず」「人の心を感動させることは出来ぬ」「人の心を感動させるのは唯一、人の心をもってのみ出来ることなのだ」。もうこうなると料理や飲み食いの話ではなく、道徳や精神のことへと飛躍している。

こういう話が繰り返されると、あたかも、このマンガは「本質を追究」しているようだし、「人の心」を持っているかのようにみえてくる。それほど本気にせず、テキトウに楽しんで読んでいるつもりでも、気がつけば系譜論にとらわれ、ほかの視点について考えなくなる。そもそも「人の心」を持っているはずのものが、人に対してこのように居丈高になっていいものか、と考えることもしなくなる。

なにより、作者がその位置にいるようにみえる。たいがい、系譜論で文化を語る人は、自分は「わかっている人」つまり文化の系譜の上位に位置している、文化的に「上」のクラスという思い込みのようなものがみられる。

系譜論を全面的に否定する必要はないし、歴史をたどる手掛かりにはなるが、系譜論で文化をとらえている人には、ある種の独善が多く見られ、そこがやっかいなのだ。とくに日本のばあいは、儒教的な善悪、上下、長幼などの序列、ま、封建思想ってやつがうだうだとぐろをまいているので、やっかいだ。

書くのがメンドウになったので、ここまで。

ザ大衆食のサイト関連
関川夏央さんのお言葉…クリック地獄

当ブログ関連
2017/09/19
毎日新聞「昨日読んだ文庫」。

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2017/09/24

野暮酒場の閉店。

昨日は小岩の野暮酒場の営業日だったが、来月の中頃に閉店ということだったので、これで最後かと思い、行った。

閉店はそのとおりだが、営業のほうは、まだ何度か「閉店大売り出し?」をやるとのこと。

「2011年12月の開店以来約6年」

なかなか面白いことがあったし、いろいろなことをやり、いろいろな人たちが集まった。野暮酒場店主のおかげで、あまりない得がたい交流があった。

何百冊何千冊の本を読んでも得られないことがあるのだが、そういうものだったと思う。

ま、店主は、おかげで人生サイコーの思いもしているはずなのだが。

野暮連の飲み会をいつから始めたか忘れたが、このからみで、3組のカップルが生まれたのだから、なかなかのものではないか。野暮でも、やることはやるのだ、みな同じニンゲンダモノ。

隣の「肉の津南」のフライ類とおばさんとも会う機会がなくなるだろう。

野暮酒場は閉店しても、野暮酒場場外編は続く予定。

帰り、小岩から総武線に乗ったあと感じたのだが、車内はエスニックなにおいがし、秋葉原に近づくほど無臭になり、上野で宇都宮線に乗ると何のにおいとはいえないが、強いていうと汗に近いにおいがした。

気にしたことはなかったし、気のせいかもしれないが、路線によってにおいの違いはあるようだ。総武線は、実際にエスニック系の人が多い。宇都宮線は労働者か。

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2017/09/23

「たこつぼ」を概観する。

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17日のみちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ」いらい、「たこつぼ」が気になっている。

「たこつぼ」という言葉と現象が目立つようになったのは1980年代中頃なのだが、後半には「差異化・細分化のマーケティング」や「セグメンテーション」そして「閉塞」がいわれるようになり、対照的に「共感のマーケティング」などがいわれるようになった。

これらは「市場」のことであって、まんま「社会」というわけではないのだが、80年代以後の内需拡大策のもとでの津波のような消費主義は人びとを飲みこんで、「市場」と「社会」の区別もつきにくい状況になっていた。

「閉塞」は、やがて「分断」となり、「たこつぼ」については、言葉の流通としてはかなり少なくなった。そして「たこつぼ」のイメージも変化しているようだ。

「たこつぼ」つまり「蛸壺」は、写真のように蛸漁のための道具だが、これが一部の社会現象をとらえる言葉として登場したのが、1980年代中頃だった。

うまいぐあいに、「たこつぼ」という言葉が広く流通するようになったキッカケの一端を担った本が手元にある。

これでまず、その頃をふりかえってみよう。

「トレンドが読める、明日が見える」を謳った博報堂トレンド研究会著の『コンセプトノート84』は、84年4月の発行だ。版元はPHP。「コンセプトノート」は年次に発行され、広く影響をおよぼした。

84年版には、9つのコンセプトがまとめられているが、9つ目が「たこつぼ」だ。「さびしい世代にどうアプローチするか」という見出しがついている。

マーケティングの対象になるほど、「たこつぼ」は成長していたのだ。大部分は「若い世代」のことであり、それを「さびしい世代」と見たのは、著者の世代あるいは著者の立場の人たちで、そこにすでに「分断」の種があったようにも見える。

「我々が通常、この「たこつぼ」という言葉を使う場合は」「生活者における価値の多元化、それに伴うマイナーグループ化をさすことが多い。今の生活者は「たこつぼ」化しているから、テレビスポット広告で、バサッと網をかけるような媒体戦略は効果がない。きめの細かいターゲット細分化戦略が必要だ、というように使っている」

「こうした「たこつぼ」化は、小比木啓吾が『モラトリアム人間の心理構造』(中央公論社、五十四年七月)の中で「徹底した自己中心志向で、その関心は未来にも、そして過去にも、著しく狭い範囲に限られている」と述べているように、社会から隔絶し、自分だけの小宇宙をつくる真理から始まる」

てなぐあいに説明されている。

であるけれど、この「たこつぼ」コンセプトの説明の冒頭には、こう書いてあるのだ。

「前述の「胎内感覚」がいわば安全地帯にこもるのに対して、この「たこつぼ」は危険地帯まで突っ込んでしまいかねない、あるいは突っ込んでしまった状況ととらえたい」

「こもる」=「たこつぼ」には二つの面があるといっている。つまり「たこつぼ」の「たこつぼ」と「たこつぼ」の「胎内感覚」という。

コンセプト7の「胎内感覚」には、「「いごこちのよさ」がヒットする」の見出しがつしている。

これはわかりやすいだろう。「胎内感覚とは、このように、ぬくいところにこもる気持ちのいい感覚を言う」

「子供の節目ごとにある成長過程のテーマをアイマイにし」といっているのが、面白い。

ようするに、若者の「モラトリアム」から、「たこつぼ」と「胎内感覚」が説き起こされているのだな。

小さな子供は、好きなことだけに夢中になり、ほかのものは受け付けない。いったん好きになると、それだけに執着する。好きと嫌いをわけ、嫌いは仲間はずれにするなど。たいがいは、大人になる過程で、より広い外界を受け入れられるようになる。ところが、うまく受け入れられずに「こもる」傾向が増大した。そんな状況を想像すればよいか。社会の中に、そういう傾向がマーケティング対象になるほど増えたのが、80年代前半だった。

が、しかし、この7「コンセプトノート」を読むと、「たこつぼ」はこれだけではすまないようだし、こちらのほうが今的「たこつぼ」な感じがする。

コンセプト6は「知的」で、「経済的豊かさを得た大衆」だ。このころから「知的」がエラそうになったり、憧れになったりしたのですなあ。

ここでは、「知的」とは対照的な状況が述べられている。

「言葉による論理派閥ではなく、感性派閥が台頭して来た。ある感性の調子(トーン)を持ったグループには、その波長があわなければ準拠集団として参加させてくれない状況がある。即ち感性が合わないと話が全く合わないということになり」

このほうは、いまどきの「たこつぼ」にピッタシな感じがある。

そういう傾向に対して、「論理をたて規範をつくることに努力する層も間違いなく存在する」ということで、「知的」があげられているのだが、これはどうだろう。著者が自分たちのことをさしてもいるようで、同じ「たこつぼ」のタコという感じがある。

とにかく、これも「たこつぼ」化の流れとみることができる。

それから、コンセプト1は「頂点」(いただき)で、「ひとなみ」を超えようとする人たちは、「たこつぼ」化を誘発する最も基本的な要因としてみることができそうだ。

「我々の広告の仕事では、この「頂点」コンセプトは重要な概念である」と言っている。これはもう、生活者レベルというより、明治以来、国家レベルで国民に強要し続けてきたコンセプトともいえる。

「人々における価値観が多元化しているため、欲求が多様化し、「頂点」の数が多くなったこと。そして新しい「頂点」がいろいろ出て来たということが挙げられる」「しかも、多くなった分だけ、「頂点」は低くなり」「手の届く範囲になったということも重要なポイントとしていえるだろう」

こうして、時代に応じた新しい「頂点」がつくられ、その周辺に新しい「たこつぼ」ができてきた。

おれが「単品グルメ」とよぶあたりもそうだし、「本好き」などの「たこつぼ」もずいぶん細分化され、それぞれ「頂点」らしき人たちがいる。そういう「頂点」をめざす人たちも、あとをたたないようだ。

ふりかえってみると、1980年代は、まだ「たこつぼ」以外の海が広かった。それでも、「たこつぼ」ばかりの影響ではないが、「閉塞感」が漂い始めていた。

いまでは、広いはずの海は、どんどん「たこつぼ」で埋まっていくようで、おれなどは、それが強い閉塞感となっている。

広い海をとりもどせるのだろうか。小さな「たこつぼ」の中の「自由」や「頂点」に満足しているのだろうか。世界は広いのになあ。

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2017/09/22

作品と商品のあいだとフリーライター。

今月29日の「理解フノートーク」は、「フリーライターってなんだ」というお題でやるのだが、四月と十月文庫『理解フノー』には、「フリーライター」というタイトルの一文が載っている。

「「成り行きで転がったついでに「フリーライター」という肩書を使い、出版業界なるものに付き合ってみてわかったことは、一見知的な、この業界は、これまで付き合ったなかでも、最も理解フノーな前近代的な体質の世界ということだった。「好き」や「憧れ」でやっている人たちが多いせいだろうか」「そういう世間で、どうやら「フリーライター」というのは最下層の労働者という感じなのだが、それもあって、私はこの肩書が気に入っている」などなど書いている。

近頃は情報社会であるからして、出版業界に属してない飲食店の方でも、「フリーライター」という肩書で察しがつくようで、名刺の肩書を見て、「ああ、フリーライターね」という感じなのがありがたい。

ただ、新聞や雑誌の取材で行くときは、肩書の上に、その新聞や雑誌の権威がのってしまうのが困りものなのだが。

だいたい「フリーライター」というのは、どこの馬の骨、どこの鼠の骨という感じで、最下層というのは、どの世界でも見下され軽んじられるのだが、馬鹿にされる立場だからこその自由や、見えることがある。人は、目下のものに油断しやすい。

新聞や雑誌などでは、「フリーライター」の肩書をそのまま紙誌面に載せられることが少ない。「フリーライター」よりキャッチーで、なにやらイメージがよいらしい権威めいた肩書になる。そのあたりは、それぞれの媒体の編集の事情もあるだろうから、まかせている。すると「大衆食堂の詩人」や「著述家」といった肩書になる。

「フリーライター」だと「ホームレス」な感じだが、「大衆食堂の詩人」や「著述家」だと「家」をかまえている職業のある「社会人」という感じになる、のかもしれない。

先日の毎日新聞「昨日読んだ文庫」では、肩書まで自分で書いて既定の原稿量におさめることになっていたので、「フリーライター」を使って、新聞にはそのまま載った。

あらためて考えると、「フリーライター」という肩書には、アメ横の魚草の店主がいう「忸怩と矜持」がこもっていて、よい。

話はそれるが、「昨日読んだ文庫」をご覧になった知らない方からメールをいただいた。『料理の四面体』は、いい本を紹介してくれた、読んで目からうろこだった、という趣旨だった。もう一通、これは知っている方から、同じような内容の手紙をいただいた。単純に、うれしかった。ありがとうございました。

フリーライターというのは、「「作品」ではなく「商品」を書くことを主な仕事にしている人」という定義はないが、「作家性を問われないものを書くことを主な仕事にしている人」という「機能分担」は、なんとなくあるようだ。

ということは、やはり、「「商品」を書くことを主な仕事にしている人」でもよいようだが、機能分担の実際は、いま書いていられないが、そうは単純ではない。

元来、「機能」に上下はないはずなのだが、前近代的体質であるがゆえの、さまざまな格付けが機能する。

肩書に「家」がつくとエラそうだ。「作家クラスのカメラマン」という言葉が使われたりする。ま、「カメラマン」ではなく「写真家」である人のことだ。そういう言葉を使って話している出版業界人の話を聞きながら、「フリーライター」にも、「作家クラス」と、そうではない「家」がないホームレスクラスがあるのだろうかと思ったことがある。

少し前だが、エンテツさんて作家クラスの文章を書く方なんですね、といわれたことがある。ある文章を褒めてくれてのことだったが、おれって、「作家クラス」なのかなあと思ったりした。

「ワタクシ最底辺のフリーライターです」とケンソンしながら、作家クラスの文章を書くなんて、悪戯として面白そうだ。しかし、いつも同じように書いているので、どこが「作家クラス」なのかわからない。

世の中、理解フノーなことがあるのだ。

「作家性」について、あまり考えたことはないが、「なるほど」と思うことはあった。速水健朗さんの『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)に、こう書いてあった。

「片岡義男は、アメリカ由来の消費社会における文化や風俗が、日本に輸入されることで日本的なものと奇妙に交わり変化する感覚をスケッチし続ける。そこに彼の作家性がある。」

なるほど、だ。

先月14日に書いたブログ「有効微生物群(EM)の初期の資料。」が、今月に入ってからツイッターなどで拡散し、300以上のPVになった。

その中で「はてブ」についたコメントが愉快で笑った。

「中々貴重な資料で興味深いがまさかエンテツさんからこーゆー話題が出てくるとは思わなかった。てかエンテツさんて農業生産法人の設立なんて仕事をやっていた時期があるのか(大衆食堂評論家だと思っていた)norton3rdnorton3rdのコメント」
http://b.hatena.ne.jp/entry/enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/08/post-3440.html

フリーライターは、いろいろに見られるのだ。

とにかく、おれは売れない本ばかり書いているのだから、これは「商品」として成功してないのは確かだ。「作品」を書いたつもりはなく、売れる「商品」を書いたつもりだったが。

ある人が、編集者やライターが売れること売ることを考えるようになったらオシマイだ、売り上げは営業が考え、それと揉み合いながら成り立つようでなければ、いいものはできないよ、といった。おれは、「いいもの」ってナンダロウと思った。

そういえば、いまは引退した、大手出版社で鳴らした高名な編集者が、「いい本というのは売れる本のことだ」といった。たしか、おれが「いい本というのはどういうものか」と質問したときだったと思う。

話のゆくえがわからなくなったので、このへんでオシマイ。

当ブログ関連。
2017/09/10
今月29日は理解フノートーク。
2017/09/19
毎日新聞「昨日読んだ文庫」。
2017/08/14
有効微生物群(EM)の初期の資料。

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2017/09/21

「歌舞伎町的教養」なるものについて考えた。

植草甚一の『こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた』(ちくま文庫、2014年9月)に「歌舞伎町的教養」という表現がある。

佐藤重臣の「鈍器のセレナーデ」について書いているところにあるのだが、こんなぐあいだ。

「これは処女作だが彼が言ったように、おとなしい作品ではないし、おまけに途中までは下手糞すぎた。それが後半から急に面白くなるのは、新宿の歌舞伎町的教養が、その卑俗性から超脱する瞬間があるからで、あとでもう一度ふれるが、そういう新宿裏通りの社会風俗にたいする作者の視線は、アングラ的というよりコンポラ的だといったほうがいい。現代写真家の一部にたいして使われたコンポラという用語が、流行遅れかどうかは知らないけれど、そんな感じがした」

東京新聞に連載の「中間小説研究」1973年3月の分にあるのだが、「あとでもう一度ふれるが」というところを読んでも、歌舞伎町的教養のイメージすらわかない。

73年頃の歌舞伎町は、いまから比べると、半端じゃんないヤバさがあったけど、いまと同じなのは多文化混在の街だということかなあ。アングラな一面とコンテンポラリーな一面が抱き合わせで存在し、よーするに消費社会からはみだした文化の溜まり場だったような気がする。

それが歌舞伎町的教養なのかどうかはわからないが、歌舞伎町の忸怩と矜持みたいなのは、あったね。いまも、少し、感じることがあるけど。感じさせてくれる人は少なくなった。いまでは顔馴染みというと、つるかめ食堂歌舞伎町店ぐらいか。フロイデの閉店は痛かった。

とにかく、歌舞伎町的教養があるなら、銀座的教養もあるだろう、上野的教養もあるだろう、「谷根千的教養」なんてとてもイメージがわきやすい。池袋的教養は、どうだ。大宮的教養と浦和的教養、ちがいがありそうだ。

歌舞伎町的教養のイメージがわかないので、あちこちの町的教養を思い浮かべ考え比較してみるのだが、いまいちはっきりしない。

「歌舞伎町的教養が、その卑俗性から超脱する瞬間」を佐藤重臣の「鈍器のセレナーデ」で確かめたくても、この小説のありかもわからない。

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2017/09/20

「作品と商品のあいだ~表現という仕事のリアルな現場の話~」

去る17日の、みちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ~表現という仕事のリアルな現場の話」の最終回総集編のこと。

いつもは、武田俊さんと中野達仁さんが司会で、ゲストが登場してのトークだが、今回は、ゲストのかわりに、この企画のプロデューサー役をしている、みちくさ市運営団体「わめぞ」代表にして古書現世の店主、向井透史さんが登場した。

最終回総集編なのに、武田俊さんは仕事で韓国出張中。で、司会席にiPadを立て、ネット中継での司会になった。こういうのは初めてなので興味津々だった。

ソウルと東京は時差はないが、音声には少しタイムラグがある。武田さんの背景には、韓国らしい特徴がない、日本のビル街と同じだ。ほんとうに韓国にいるの?という冗談がとび、武田さんがハングル文字の看板を写す。というぐあいに始まった。

これまでのゲストは、以下の通り。

第1回:ゲストなし/第2回:澤部渡さん(スカート)/第3回:桑島十和子さん(美術監督「下妻物語」「告白」他)/第4回:森山裕之さん(元クイックジャパン編集長)/第5回:タブレット純さん(歌手・お笑い芸人)/第6回:高橋靖子さん(スタイリスト)/第7回:真利子哲也さん(映画監督)/第8回:山下陽光さん(「途中でやめる」デザイナー)/第9回:姫乃たまさん(地下アイドル)/第10回:牧野伊三夫さん(画家)

ゲストは、武田さん、中野さん、向井さんが相談しながら決めていたようだ。今回この話はなかったが、以前、どんなゲストを招きどんなトークにしたいかという話があり、とかくありがちな、人を集めやすい有名人を呼んで、有名人と名刺交換したい人たちが集まって、話を聞いてオシマイ、という感じのものにはしたくない、ということだった。

おれは、森山裕之さん、真利子哲也さん、山下陽光さん、牧野伊三夫さんの回に参加している。毎回、トークのあとの、打ち上げ懇親飲みがたのしかった。中野さんや武田さんなどは、普段は会う可能性すらない人たちだったし、ほかにもそういう人たちがいた。

そうそう、中野さんと武田さんのプロフィールは、こんなぐあいだ。

中野達仁(なかの・たつひと)
1964年、福岡生まれ。(株)東北新社・CMディレクター。主な仕事はベネッセ ”たまひよ“シリーズ、YKK AP、三井住友銀行、グリコ、ホクトのきのこなど。MVではGOING UNDER GROUND「トワイライト」「同じ月を見てた」、コーヒーカラー「人生に乾杯を!~別れの曲~」などがある。

武田俊(たけだ・しゅん)
1986年、名古屋市生まれ。編集者、メディアプロデューサー。lute編集長、roomie編集長、元KAI-YOU, LLC代表、元TOweb編集長。NHK「ニッポンのジレンマ」に出演ほか、講演、イベント出演も多数。

中野さんのCMディレクターという仕事は、むかしマーケティング屋の仕事をしていたときに、何度かCM制作に外側から関わることがあって、だいたいどんな仕事をしているかわかるが、武田さんの仕事は、多面的でもあり、いまどきのメディアの新しい動きについていけてないこともあって、まったく把握しきれていない。いったい、どんなふうに仕事をして、どんなふうに稼いでいるのか、見当もつかない。とにかく、武田さんからは、メディアの世界は、おれなんかもう想像がつかないぐらい変化しているし、もっと変化するんだなという強い印象を得ただけでもめっけものだった。

総集編だから、それぞれのゲストの回をふりかえりながらだった。その個別のことはカットさせてもらう。ようするに、ゲストに招いて話をしたら、スゴイ人ばかりだった、スゴイ人ばかりすぎたのではないかという感じもあったが、自分はちっぽけな存在なんだということを自覚することにもなって、よかったではないか。という話はよかった。とかく、スゴイ人と会ったり話したりしていると、自分も同じレベルになったと錯覚しちゃう人も少なくないのだが。

むかし、「日本人はケンキョを美徳にしているようだけど、ケンキョを覚えるより、自分を相対化する方法を身につけたほうがよいよ」と、なんでも方法で解決しようとするアメリカ野郎にいわれたことを思い出した。

連続講座はみちくさ市と連動し、みちくさ市はわめぞと連動している。わめぞの最初の頃をすっかり忘れていたが、向井さんの話で思い出した。池袋の古書往来座の外側スペースを使って、古本の「外市」というのをやっていたのだ。

わめぞの動きについては、最初の頃から興味があった。それは、長く続いている「閉塞」、向井さんは同時に「たこつぼ」という言葉も使っていたが、そういう状態から、もっと混ざり合うことを目指していたからだ。経堂のさばのゆの店主、須田泰成さんの言葉では、「もっとシャッフル」ということになる。

A業界ではアタリマエのことが、B業界では笑い話になるぐらい、すぐ隣にいても離れている。そういう状態が、あちこちにある。そのあいだを少しでも埋めることになれば。

「作品と商品のあいだ」は、結論なんぞない。だけど、その「あいだ」を探ることで、自分と誰かさんの「あいだ」を探ることにもなるのだ。

いまでは、百万部以上売れている本の著者で、メジャーなテレビ番組に出演していても、なにソレだれ、ということになるのは珍しくない。その一方で、2万、3万売れたぐらいで「ブーム」といわれる。小さな「たこつぼ」のなかでエラそうにしている陳腐な光景もある。

おれも、いちおう「フリーライター」の肩書で「表現」なるものに関わっているが、「作品」とか「商品」については、あまり考えたことがない。すべて依頼があって成り立つ仕事だ。

そうそう、「作品と商品のあいだ」がテーマになったのは、向井さんが中野さんに、「スポンサーから金をもらって商品をつくっていて、ストレスがたまりませんか」というようなことをいったのが発端だったらしい。中野さんは、会社員でもある。

おれは、長いことサラリーマンをやったし、スポンサー稼業もやったが、ま、簡単にいってしまえば、自分にこだわることがないからか、上司やクライアントからいろいろ言われたり、商品をつくったり売ったりすることについて、「ストレス」というほどのものは感じたことはない。会社組織だろう個人事業だろうが、仕事は仕事だ。おれをクビにしようとガンバッテいた上司と酒を飲むのもたのしかった。あるいは、ストレスが襲ってきたら、「方法」で片づけてしまう。あまり器用ではなかったかもしれないが。表現の仕事だからといって特別視する気はない。

「作品と商品のあいだ」には、日本の困った道徳観から発する「金儲けは悪」という考えも影響しているようにみえる。作品=善、商品=悪、という感じの。食べるために働くことを蔑視したり、逆に仕事に「意味」を持たせすぎということもある。

それから、たとえば、「良書」といった言い方があって、「良書」を発行する出版社のイメージが高かったり、近頃は「良書」を選んで売る「セレクト・ショップ」みたいなものがチヤホヤもてはやされているけど、「良書」なんていうのは極めてアイマイな観念だ。かつて漫画が「悪」にされ「文学作品」が「良」とされた時代を、まんま引きずっているように見える。

「作品と商品のあいだ」から見えるのは、どっちが上か下かの上下関係や序列的な価値観や優劣観に位置付けようとする思想の悪癖でもある。そういうことにとらわれていないか。

そのあたりを破壊的に片づけて、この連続講座で最高に面白かったのが、第8回の山下陽光さんだった。10回目の牧野伊三夫さんのダメっぷりも破壊力があったが。

書くのがメンドウになったので、途中でやめる。

みちくさ市連続講座は、テーマを変えて続きます。古本フリマと合わせ、参加し、大いにシャッフルしましょうね。

当ブログ関連
2016/11/30
今年一番の面白さ、「途中でやめる」の山下陽光さんのトークと「新しい骨董」。
2017/09/18
「分断」からの脱却で連夜の酒。

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2017/09/19

毎日新聞「昨日読んだ文庫」。

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9月17日(日曜日)、毎日新聞書評欄の「昨日読んだ文庫」に寄稿したものが掲載になった。絵は、舟橋全二さんです。

「私に料理の構造と機能を気づかせ、忘れられない衝撃と展望をもたらした2冊は中公文庫の現役で、鮮度も衰えていない」と登場するのは、玉村豊男『料理の四面体』と梅棹忠夫『文明の生態史観』だ。

どちらも、1980年代初頭に読んだのだが、『料理の四面体』は鎌倉書房の単行本、『文明の生態史観』は中公叢書だった。それから何度も読んでいる。

『料理の四面体』については、拙著でも『大衆めし 激動の戦後史』など、機会があるたびにプッシュしているが、『文明の生態史観』についてふれるのは、今回が初めてだ。

『ぶっかけめしの悦楽』『汁かけめし快食學』は、『文明の生態史観』に書かれている系譜論と機能論の影響を強く受けていて、その両方の見方をからみあわせながら書いている。

『文明の生態史観』が中公叢書から出たのは1967年で、『料理の四面体』が鎌倉書房から出たのは1980年10月、どちらを先に読んだか覚えていないが、ほとんど同時期に読んだはずだ。

生態史観は1974年9月に中公文庫入りして、いまでも現役だ。すごいなあ、もう古典ですね。四面体のほうは、一時はどうなるかとおもうほど変転があってのち、2010年2月に中公文庫入りした。

料理からみれば、この2冊は、これからのほうが鮮度がよくなるとおもう。

というのも、日本の料理は、もう「和・洋・中」の観念では把握しきれないほどになっていることがある。それから、目的、要素、方法、手段などの組み合わせ(デザイン)で、生活や料理を考える流れが広がっているからだ。

料理や食べ物に関しては、系譜論にもとづく「うまいもの話」「いいもの話」や「職人論」あるいは「属人論」などが、あいかわらず惰性的に続くだろしにぎやかではあるけれど、もっと根本的なところで、系譜論をのりこえる流れも育ってきている。

しかし一方では、系譜論は、いまの日本で、いちばんやっかいな問題を生んでもいる。

『料理の四面体』と『文明の生態史観』が続いている背景には、そういうことがあるだろう。

『文明の生態史観』に収録されている「生態史観からみた日本」には、このようなことが書いている。

(日本の知識人諸氏は)「ほかの国のことが話題になっていても、それ自身としてはあまり興味をおぼえない。自分との比較、あるいは自分自身が直接の話題になったときだけ、心がうごく。あるいはまた、なにごとをいうにも自分を話題の中心にすえないではいられない、ということでしょうか。なんというナルシシズムかと、おどろくのであります」

昨日の「たこつぼ」問題とも関係することだ。系譜論にとりこまれると「たこつぼ」に落ちやすい。

当ブログ関連
2017/09/08
「書評のメルマガ」の『料理の四面体』。

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2017/09/18

「分断」からの脱却で連夜の酒。

一昨日は、アメ横の大橋タイショーの店で五十嵐さんと会って飲んだ。昨日は、雑司ヶ谷のみちくさ市の日で古本フリマは台風の影響で流れたが、連続講座「作品と商品のあいだ」の最終回総集編だからと出かけて行って、いつものように打ち上げまで飲んだ。

この2日の話題の共通点は、いわゆる「分断状況」に関わるものだった。そこから、どう脱却するか。

連続講座総集編のなかで、企画あんどプロデューサー役の向井さんが使っていた言葉を借りれば、「たこつぼ」「閉塞」から、横の壁を突き破って、どう「混ざり合う状況」を生んでいくか、といえるだろう。

五十嵐さんとの話は、そこに、放射能汚染をめぐる「風評被害」のことがからんでいた。

とくに「福島県」と「福島県産」をめぐっては、いろいろあるわけだけど、これまでおれはそのテの話には、このブログでもツイッターでも、ほとんど加わっていない。ま、おれの考えていることは、ツイッターなどで見られる話から、かけ離れすぎていて、話しに加われなかったといったほうがよいか。そのへん、いまの「福島県」と「福島県産」をめぐる議論には、それぞれのなんらかの事情がからむ「特殊な人たち」による偏りをかんじる。

そのあたりを五十嵐さんと話しあえてよかった。五十嵐さんは、最近、福島県産品の輸入を認めてない台湾、それからチェルノブイリのベラルーシへも行き、これからチェルノブイリ事故の影響が大きかったノルウエーにも行くなど、精力的に動きまわって、調べまくっている。その話もおもしろかったし、参考になった。

いわゆる「分断」は、東日本大震災以前からあったわけで、さかのぼれば、80年代中頃の「たこつぼ」「閉塞」から続いているのだし、深刻化している。それが、放射能汚染問題をめぐって、鋭く噴出した。と考えれば、放射能に関する正確な情報や科学的知識などだけでは片づく問題ではないのだな。

自分の「たこつぼ」の中にいたほうが安全だし安心だとおもっている人が、かなりいる。その「たこつぼ」で、自分が食べて行けたり、成功したりの道があるなら、なおのこと、「たこつぼ」にこだわる。そういう自分の気持ちのおさまりのよさが身についてしまうと、自分の気持ちのおさまりのよいほうへばかりに寄り添っていき、「たこつぼ」の外は自分を不安定にするものであり、なかなか受け入れがたいことになる。

「たこつぼ」には、大きな「業界たこつぼ」もあれば「会社たこつぼ」もあれば、可愛い「自分のたこつぼ」もある。

向井さんは、連続講座を通して、「不安」だか「不安定」に馴れたようなことをいっていた。「不安」や「不安定」を排除することばかりしていては、「多文化共生社会」なんて育たない。

「分断」は、なかなか手ごわい問題だ。

それでも、やはり社会的に食っているのだから、ま、日本の社会は危うい状態にあるにせよ社会は崩壊しきったわけではないから、そこにあるていど「合意形成」が必要になる。コンセンサス、ね。

これがまたメンドウなのだ。「分断」と「コンセンサス」の試練は、まだまだ続く。

「福島県産」について、とりあえず、自分のことだけを書いておこう。

おれはもともと、産地や産地ブランドを気にしたことがない。だから、放射能問題以前も、福島県産を選んで買うこともなかったかわりに、その後も、選ぶ意識も避ける意識もない。そして、「買って応援したいから」福島県産を置くよう、スーパーなどにお願いしたこともない。あるものを買う。

おれは、日本のコモディティなシステムについては、あるていど信頼を置いている。電車を利用するように、安心して利用している。少なくとも、いまの政治家どもよりは、安心して利用できるシステムだ。ま、この安心があるから、いまのお粗末な政治家どもでも務まっているのかもしれない。

つまり、おれは、福島県産と向かい合いながら暮らしているわけではなく、大半はコモディティなシステムと向かい合って暮らしている。

自分では、これが普通なのではないかなとおもっていたので、「風評被害騒動」は、とても奇異に見えていた。

なにか大きなジケンがあれば、食品の需給関係は乱れる。放射能問題であれば、大きく乱れるのは当然だろう。それでも暮らしが維持できるのは、コモディティなシステムへの信頼があるからだろう。これが崩れるようなことを、そのシステムが選ぶはずはない。放射能に関する一般的な無知と不安を考慮に入れれば、「風評被害」というのは言いすぎではないかとおもわれるかんじもあった。

だいたい、東電の責任追及より「風評被害」のほうが大きく問題になるなど、なんだかオカシイかんじもあった。政府の対策より、一人ひとりの被災者への「おもい」の在り方が問われるというのも、違和感があった。

この件に関して発言している人たちは、なんらかのバイアスが加わっている傾向は、ほとんどだったのではないか。

それは、もしかして、「たこつぼ」のバイアスなのかもしれない。政策的な充実や解決ではなく、自分の気持ちのおさまりを求めての。

ま、これぐらいにしておこう。来年の春ごろには、もうちょっとまとまった考えを述べられるはずだ。

みちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ」の最終回総集編は、なかなかおもしろかった。今日は、もう書くのがメンドウになったから、明日か明後日か、その後か、にしよう。

一昨日、16日は、アメ横で二軒はしごして、けっこう酔っ払って帰ったのに、いや、酔っ払って帰ったからだ、東大宮に着いてもう一軒行ったのが失敗だった。このクセを直したいのだが、なにしろ酔ってしまうとわからなくなるのだから、どうしようもない。泥酔記憶喪失帰宅で、17日は二日酔いが残ったまま雑司ヶ谷へ行き、打ち上げでまた飲んで、ヨレヨレ帰宅だった。たのしかったけど。

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2017/09/16

玉ねぎペースト。

商品名では「炒め玉ねぎ」と表示されていることが多い玉ねぎペーストのことだ。

少しまえ、ある編集者と打ち合わせをしているときに、「いまのカレーブームのカレーは、以前のカレーとはだいぶちがいますよね、いつごろ変ったのでしょうか」と聞かれた。

「おれの記憶では、札幌のスープカレーが全国レベルで話題になったころではないかとおもう」といったあとに、ナンシー関のばあいはこんなことをいっていますよと、「小さなスナック」(ナンシー関、リリー・フランキー)で読んだことを話した。

そこには、こうある。

リリー あと俺、玉ネギをみじん切りにして、1時間半ぐらいかけて炒める。

ナンシー そのみじん玉ネギっていうのも、常識になったのってある時期以降ですよね。S&BカレーのCMで「玉ネギさん、玉ネギさん、小さく小さくみじん切り」てのが流れてから、ある意味日本のカレーは変わった。私はレトルトで売ってる玉ネギを使っているけど。

この話は、「CREA」02年3月号が初出だ。スープカレーが話題になりはじめたころと重なる。

ナンシー関ってすごいなあとおもうのは、こういうカレーのことでも、観察と洞察ができていて、カレーの核心部分にストレートに切りこんでいることだ。

拙著「汁かけめし快食學」にも書いたが、玉ねぎ炒めがないのが日本で普及したカレーで、「伝来」のカレーとは決定的にちがう。玉ねぎを炒めてコクを出す調理法は日本になかったもので、カレーライスは普及したが、この調理法は普及してなかった。

おれのばあいは、ナンシー関のように、レトルトのペーストを買って使っている。最近は、インスタントのルーを使うことはほとんどない。ペーストとカレー粉と、クミンやらなんやらいろいろな香辛料やセロリーやトマトなどを使い、いろいろな味のカレーをつくる。これが、変化がいろいろたのしめて、すごくおもしろい。

カレーがブームになったのもわかる気がする。自分でつくっているうちにのめりこんで、店営業まで始めたひともいるのだから。

そして、こうしてつくるほど、やっぱり、カレーライスは汁かけめしだよ、とおもうのだった。

それはそうと、「汁かけめし快食學」には、「三層のカレーライス」について書いている。

古い第一層は、調理法と味覚に統一性がない。

第二層は、1950年代中頃からで、インスタントのルーが広がり、ジャガイモ・ニンジン・玉ネギ・肉の定番スタイルが定着する。ここまでは、「黄色いカレーライス」の時代。

そして、第三層なんだが、1964年の東京オリンピックあたりから広がる、「多様化」や「高級化」これは「欧風化」ともいえそうだが、黄色くないカレーライスの普及だ。

となると、今世紀初頭からの変化は四層目ということになる。コーヒーのように「サードウェーブ」といえたほうがカッコイイのに、とおもって、あれこれリクツを考えてみると、第三層は、調理法の変化とはいえない。使っている具材の高級化や多様化ではないか。調理法からすれば、いまの変化を、「サードウェーブ」とみてもいいのではないかな。なーんて、おもったのだった。

ちかごろのカレーブームをけん引している「スパイスカレー」の話を聞くと、玉ねぎ炒め抜きのものも多いようだ。ようするに汁かけめしカレーライスとしては、コクをどうつくるかなのだな。

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2017/09/15

ミーハー化。

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 『四月と十月』に連載の「理解フノー」は、前回(今年の4月号)から3回続けて「バブルの頃」を書く予定で、1回目は「錯覚」だった。来月発行の10月号は2回目「見栄」で、すでに校正もおわっている。最後の3回目は「崩壊」のつもりだ。

 今回は「バブルの頃の上っ面を、流行現象を中心にふりかえってみたい」ということで、当時話題になったし売れていた本を三冊とりあげた。この三冊、あらためて読むと、バブル以後というより、80年後の流れを見るうえで、すごくおもしろい。

 おれは、いまの日本を「バブル後」で見るとまちがう、工業社会が行き詰まった80年前後からの流れで見なくちゃいかん、なんていうエラそうなことを何度かこのブログでも書いているけど、この三冊を読むと、ますますその気になるのだな。

 その三冊は、これ。

 『見栄講座 ミーハーのための戦略と展開』、小学館から一九八三年十一月発行、ホイチョイプロダクション作品で馬場康男=作・松田充信=絵。
 『金魂巻(きんこんかん)』、主婦の友社から一九八四年七月の発行。渡辺和博とタラコプロダクションの作品。

 この2冊は、バブル前の発行だが、バブリーな風俗を先取りしたかんじだ。まさかバブルを予測していたわけではないだろう、80年前後から変った流れにのったものだったのだ。もちろん、バブルになってからも売れていた。バブルになってからのほうが売れたのではないかな。そして、バブルが崩壊したあとも、大きな流れとして続いている。まんま、いまに通じる。単品グルメみたいに、アイテムが細分化多様化しただけ。

 『見栄講座』がはやらした「ミーハー」と、『金魂巻(きんこんかん)』がはやらした「マル金(キン)」と「マル貧(ビ)」は、いまの社会現象そのものだ。

 もう一冊は、中尊寺ゆつこによるコミック『お嬢だん』だ。双葉社から一九八九年七月の発行。中尊寺ゆつこは、バブルの最中に「オヤジギャル」などの流行語を生んだし、『お嬢だん』の主人公は、オヤジギャルぶりを発揮している。

 この流れも、どんどん盛んになり、「酒場放浪」など、これまで「男市場」だったところへ「女」が参入して、「女」をウリに市場化することが盛んだ。これも女ならではのミーハー化の流れだろう。

 見栄講座の帯には「時代はいまミーハーへ」「先進工業国を襲うミーハー化の波」の文言がある。ゆきづまった先進工業国日本のミーハー化を予言していたかのようだ。「ポスト工業社会」は「ミーハー化社会」だと。

 この「ミーハー」の特徴は、「知ったかぶり」ということにある。きのうのブログにも関係するが、事実にもとづいて知識を積み上げたり、本質にせまったりなんて、「ミーハー化社会」では「時代遅れ」だ。誰も手を付けてないところ(たいがいニッチ)へ、そさくさと知ったかぶりして、口をはさみ切りこむ。どんどん細分化がすすんだ。そのていどのことが「挑戦」ともてはやされる。

 工業社会の行き詰まりで行き場を失ったカネが、ドッと情報市場に流れ込んだ。飲食市場にも流れこんだけどね、飲食は基幹産業にはなれない。それと、行き詰まったときの馬鹿の一つ覚えのような得意策「内需拡大」。情報だア~、と、「知ったかぶり」を刺激する情報化がすすむ。「グルメ」なんてのも、こうした流れの産物だ。

 いまじゃ、ツイッターなんぞを見れば一目瞭然だが、政治だってミーハーの餌食になっている。理念なんか関係ないのさ。

 金魂卷の人気職業には、医者、学者の卵、看護婦、銀行員、商社マン、弁護士など昔ながらの定番のほかに、イラストレーター、エディター、グラフィック・デザイナー、コピーライター、シェフ、スタイリスト、フリーライターなど、このころから人気上昇の「カタカナ職業」が並んでいる。

 情報やメディアの担い手たち、かつては縁の下の力持ちだった、これらの人たちが表舞台で脚光を浴びながら消費をリードする。イトイさんなんか、その先進ね。

 ブルーカラー系の仕事は「きつい」「汚い」「危険」の「3K」といわれ嫌われ貶められ、労働者なんかになるもんじゃない、自己表現こそ生きがいというものよ。個性と感性よ、個性と感性で勝負よ。

 でも、一見華やかなファッションの世界でありながら、お金もないのに見栄をはり「又昼はシャケべんとう」の「夜霧ハウスマヌカン」の歌がはやったりした。

 より洗練されたかっこいい、より地位の高いミーハー、より高度なミーハーを目指して、これがサムい日本の経済や政治をまわしているのだ。80年前後から。「失われた20年」どこじゃない。

 見栄講座の終わりには、このような文言がある。

 「若いミーハーな君、この本の教えをよく守り、明日の日本をますますダメにしてくれることを、おじさんは祈ってやみません。」

 ブラックユーモアのようだ、ブラックユーモアなのか。

 たぶん10月に発売になる『四月と十月』を読んでね。

当ブログ関連
2017/08/28
カレーライスと新自由主義・新保守主義。

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2017/09/14

座標軸のモンダイと「三点批評」。

このばあいの「座標軸」は、ものの考え方や見方の座標軸のことなのだが。

ちかごろは、事実を積み重ねることなどドーデモよく、自分の好きなよう都合のよいように「事実」を選んだり解釈したり捻じ曲げたりするのが流行現象のようになっている。

これはいったいどうしたことだ、テレビや出版物などでの飲食の分野では、そんなことは昔からアタリマエだったが、その病が全身に広がったのか。

このあいだ、ベテランの編集者からメールがあった。かれは、編集の仕事で、ある大衆的な食べ物の歴史を調べていたのだが、あまりにもヒドイ状態、「恣意的に書いている文章がずいぶん目につきました」「典拠がほとんどあげられてなく、しかしそれを既成事実のように書かれたものが多くあって、結構テキトーな気がしました。これらの情報が上書きされているケースが、とても多いみたいですね」「食についての調査や評論というものが、ずいぶん偏っていることが、今回図書館などで調べ物をしてわかりました」ということだった。

かれは、業界では知られた編集者だけど、食べ物の編集は始めてだそうで、そのひどさにおどろいた様子だった。

だけど、しかーし、おおざっぱに「飲食本」の世界では、そんなことはアタリマエなのだ。

だいたい、かれはテーマについてライターと同じように自ら調べる編集者だけど、「飲食本」の世界ではライターにまかせっぱなしで、そんなことはしない。

あがってきた文章をチェックし編集するだけだ。文章や誌面の編集であって、事象や事物の編集ではない。あらかじめ意図したようにあがればよいのだ。その「あらかじめ意図した」ところがクセモノなのだが、それが、フツウだと思っている。これはテレビになると、もっとヒドイことになる。

そういうわけで、原典に即した事実はもちろん、典拠なんざ、ドーデモよい状態がフツウ。

このモンダイは根が深いようだ。

「食についての調査や評論というものが、ずいぶん偏っている」のは、編集者やライターのあいだで、座標や座標軸が確立していないどころか、確立する気もないからだろう。これは、読者も、そのようなことを求めていない反映かもしれない。ようするに、いま飲食本は売りやすいから企画が通りやすいという状態が続いている。そのへんは、よしあしはとにかく、学会なるものがある分野とは、かなりちがう。

この状態をふりかえってみると、飲食本にもいろいろあって、座標軸が著者の内側にあるものが多く、このばあいは当然、書かれたものは恣意的なものになりやすい。そして、その恣意的なものに共感したがる読者も多いということだろう。「エッセイ」といわれるものは、大部分そうだ。いまや、あらかじめ「共感点」を選んで企画されている傾向もある。

恣意的に事実を選んで、カワイイ観念で文化の香りがする包装をすると、共感が集まる。というかんじかな。「エッセイ」のほんらいの意味はちがうはずだが、そんなことも問題にならない。

座標軸が著者の外にあるか、著者が座標軸を外に求めて書いているものは、それなりに事実を積み重ねようとした痕跡がある。こういうものは少ないし、つまり、売れにくい。

「日本人は」、というイヤラシイ言い方をすると、座標軸を自分の外ではなく内に求めやすい。これは、キリストやアラーなどが存在しなかったことに関係すると、神学を専攻したやつが言っていたが。「私が太陽よ」というかんじで、恐れるものも畏れるものもなし、いまどきの「日本スゴイ」などもそのようで、まったくクールじゃないね。

それはそうと、せめて、少しでも、このゴミクズの山からマシな方へ向かう方法はないものか。以前の「書評のメルマガ連載「食の本つまみぐい」」を見ながら考えた。

やはり『私の食物誌』吉田健一が、モンダイだろう。これが長いあいだ売れているのだし。これが好まれる「事情」こそ考えられてよい。この本は、文学的にはともかく、食文化的には、いろいろ問題が多い。

結論は急がずに、ひとまず『私の食物誌』吉田健一を座標軸にして、池田弥三郎の『私の食物誌』や、獅子文六の『食味歳時記』を置いてみるか。池田弥三郎の『私の食物誌』と獅子文六の『食味歳時記』は近すぎるかんじがしないこともないが、とにかく、そのことによって、文学的表現にまどわされることなく、吉田健一の『私の食物誌』が見えてくるだろう。

というわけで、これを「三点批評」と名付けてみた。山で迷子になったとき、星や目立つものを利用して行う三点観測の方法だ。ゴミの山の迷路から抜け出すにはよい。

ザ大衆食「書評のメルマガ連載「食の本つまみぐい」」…クリック地獄

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2007/05/26
カレーライスの歴史 もうちょっと責任ある発言がほしい

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2017/09/13

東京新聞「大衆食堂ランチ」58回目、明大前・相州屋(かつ煮定食)。

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先月第三金曜日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017081802000196.html

そこにも書いたが、明大前はなかなか行く機会がない。上京してしばらくは、京王線のつつじヶ丘と代田橋に住んでいたので、毎日、この駅を通過していたのだが、井の頭線の乗り換え以外では降りたことがない。

改札の外へ出たのは、たぶん3回目ぐらいだろう。井の頭線が小田急線と交差する下北沢と比べると、かなり地味な存在だ。そのナゼ?ということが、今回もっとも気になったことだった。地理的構造が関係あるのだろうか。

そのかわり、北口の駅舎と前の小さな駅前広場は、むかしの京王線沿線の郊外駅の雰囲気をよく残している。ノスタルジックな気分がわいたので、その写真を撮ってこようと思ったが、食堂へ行くのを先にしたら、帰りは雨になってしまったので、撮りそこねた。

下北沢のような「若者の街」とはちがうが、若者の多い街だ。でも、チャライかんじはない。もしかして明治大学の「校風」の関係もあるのだろうか。

下北沢や渋谷の若者のイメージで「若者文化」をみてはいかんなとおもったが、しかし、彼らもシモキタやシブヤの街へ行けば、それなりにシモキタやシブヤの若者なのかもしれない。街が人間を印象付けるということもあるだろう。とくに消費的な「シティな街」においては、その雰囲気にのまれるか雰囲気にあわせて、人間の中の何かが表出しやすいのではないか。ま、「流行に敏感な人」とおだてられたりして、その気になることもある。そのばあい「素顔」はどこにあるのだろう。

相州屋がある商店街は、そういう「シティな街」ではない。「昔ながら」のようであるが、どんどん新しい店が進出している。

相州屋、店内の造作は、目立たぬところでデザインされしっかりしている。天井から壁板にかけてだが、ただの素っ気ないハコではない。このナゼ?も気になった。

かつ煮定食については、本紙に書いたとおりだが、これをメニューに見るとおもわず頼んでしまう。この連載では、たしかこれで3回目ではないかとおもう。

1971年ごろ初めて「わかれ」を食べたときの記憶が、けっこう強く残っているのだ。あのとき、お店のおばんさんに、「なぜ、わかれ、なのか」とたずねたとき、「白いごはんが好きで、カツ丼ではいやだという人もいますからね」というような返事があって、そのことがショックで尾を引いているようだ。

『汁かけめし快食學』に書いたことも、このショックのおかげかもしれない。つまり、日本のめしの賞味の仕方として、「複合融合型」と「単品単一型」があるということだ。

かつ煮定食においては、その両方をたのしめる。つまり、「単品単一型」で少しか半分かたべたのち、残っているものをそっくり丼めしにかければ「複合融合型」もたのしめるのだな。

ひとつ心残りのことがあった。おれが食べているあいだに、若い客が数人入っては食べて出て行ったのだが、一人をのぞいて今月の「サービスメニュー」とある670円の「オム・ハヤシ」を食べていた。

これが、盛りがよいのはもちろんだが、ハヤシととろとろのオムレツが、一つの皿のライスの山の両側に盛り分けられていて、見た目もすごくうまそうだったし、食べている人はみなうまそうに食べていた。

これ、拙速に「かつ煮定食」を注文してから、壁に貼ってあるメニューを見つけたのだった。

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2017/09/11

おしゃれが野暮か、野暮がおしゃれか。

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おれのような野暮なジジイにはあまり縁がないんだけど、「ユナイテッドアローズ グリーンレーベルリクラッシン」というショップがありますね。東日本JRの駅ビルあたりで店舗展開をしているようです。

そこが発行する「THINK LOCAL」というガイドマップは、店舗がある地域ごとに編集されています。

ユナイテッドアローズのサイトを見ると、「THINK LOCAL」には岡本仁さんが関係しているようですね。見本誌としていただいた静岡版にも、岡本仁さんがコラムを寄稿しています。

ルミネ大宮店にも、グリーンレーベルクラッシンがありまして、大宮版が出来たのですが、なんと、このおしゃれな店のおしゃれなガイドマップに野暮なおれが寄稿しています。

おれは「酒がうまくなる歩き方」というタイトルで、登場する酒場は20年間偏愛し続けている大宮東口駅前の「いづみや」なんですが、酒場の紹介より飲む前のオススメ散歩コースを中心に書いています。

氷川神社周辺の地形を散歩しながら、古代から現代までをめぐり、「人の一生は短いが、多くの人たちの摩訶不思議な長い歴史の一部を生きていると実感する」スポットを紹介しています。

氷川神社周辺のことについては、スソアキコさんの古墳部歩きで得たことが、大いに役に立ちました。

それから、大宮公園の北側にある、街が盆栽公園みたいな盆栽町と、そこにある「さいたま市立漫画会館」と隣接する「さいたま市盆栽美術館」ですが、おれは行かずに馬鹿にしていたのだけど、行ってみたら、すごーく面白いのです。一見の価値があります。

初めて「さいたま市立漫画会館」へ行ったときは、「ここがあの!」とビックリしました。施設名に「北沢楽天記念」とかなんとか入れておいたほうがよかったのに。

明治後期から昭和戦前の庶民の歴史資料を調べるとき、必ず見ることになる漫画雑誌があります。『時事漫画』や『東京パック』ですが、ここに描きまくっているのが北沢楽天で、漫画も面白いけど、内容の資料価値が高く、おれは国会図書館や埼玉県の図書館で何枚もコピーして持っていました。

北沢楽天は「日本の近代漫画の先駆者」といわれていますが、とにかく、昭和の初めの日本が戦争に突っ走りだしたころの、財閥の専横や庶民の苦しみといったものまで、あの時代よくこんな漫画を描けたなあとおもうぐらい、すごい風刺の漫画を描いたりしています。モボモガ風俗の漫画も面白いし、関東大震災前後の世相などじつにわかりやすい。とにかく、明治後期から昭和戦前の世相や風俗を知る上で欠かせない資料なんですよ。

その北沢楽天が大宮出身で、そのアトリエが漫画会館だとは知らなかった。初めて行ったとき驚きました。原画の展示はもちろん、楽天が描いていた漫画雑誌の現物が自由に閲覧できるんですよ。たぶん入館者が少ないからだろうけど、写真も自由に撮影できる。国会図書館まで行っていたおれはトウダイモトクラシの大馬鹿者だったとおもいながら、写真を撮りました。

北沢楽天を映画化、主役予定の俳優がこのあいだヤク問題で暗礁にぶつかり、どうなるかとおもっていたら、イッセー尾形に交替して撮影も終わっているようですね。こちら埼玉新聞のニュースにあります。
http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/05/14/09.html

北沢楽天に力が入ってしまった。

「THINK LOCAL」大宮には、いづみやのほかに、石田エリさんのコラムでは、72時間ドキュメントに登場してメチャクチャ混むようになってしまった「伯爵邸」や、南銀のアヤシイ横丁にある「三悟晶」や、浦和の浦和レッズのたまり場である「力」がアルディージャの大宮へ殴りこみをかけるように出店した「力」など、ちっともおしゃれじゃないけど人気で、いつも混雑している店が登場している。

「おしゃれが野暮か、野暮がおしゃれか」というかんじで、近頃は面白い。もう「おしゃれか野暮か」じゃない。ナニゴトも「二項対立軸」で見ていてはダメですね。ガラガラ変わっている価値観の多様化の流れがみえなくなりますね。まあ、まだ、どっちが「上か下か」「善か悪か」「右か左か真ん中か」みたいな見方が多いのだけど。

と、紹介しても、これ、ルミネ大宮の店でしか配布してません。東京人は東京にいれば何でも手に入るとおもったら大まちがいです。ああ、こんなにいいもの、こんなにいいおれのコラムを読めないなんてかわいそう。

楽天の漫画の写真も載せておきます。ぜひ、漫画会館で現物をご覧ください。楽天のことは、もっとたくさんの方に知ってほしいです。

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2017/09/10

今月29日は理解フノートーク。

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近づいてきた、9月29日(金)の 理解フノートーク第二弾。お題は、「フリーライターってなんだ」に決まった。 聞き手は、恩田えりさん。

えりさんとの競演は数回目、いつものように、フリージャズのごとく呼吸のあった、ロックのごとき迷走爆発暴発爆笑トークになるでありましょう。

経堂さばのゆ、19時半開演(19時開場) チャージ2000円+ドリンクキャッシュオン。

たまたまちょうど、四月と十月文庫『理解フノー』(絵・田口順二、港の人)出版1周年、28日74歳誕生日の翌日だ。

『理解フノー』には「フリーライター」というタイトルの文章がある。

さばのゆ亭主、須田泰成さんは、「遠藤哲夫さんのフリーライターワールドに触れる トークというよりトークセッション&飲み会」という。

大いに語り飲みましょう。もうおれもトシで、付き合いが悪くなっているからね、この機会にぜひ。

予約は、こちら、経堂さばのゆ。
http://sabanoyu.oyucafe.net/1159.html

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2017/09/09

火と料理。

拙著『大衆めし 激動の戦後史』の第6章「生活料理と「野菜炒め」考」では、野菜炒めと台所とくに火の条件との関係で野菜炒めを見ている。

これは、きのうふれた『料理の四面体』からの影響があるが、ほかにも、まったく火の条件を無視した「料理の歴史」のようなものに対する批判もこめられている。

日本の料理や食べ物に関する話は、事実の積み重ねから離れた「非科学的」な偏りが多い。そのことの混乱は、いまではけっこう大きな問題をはらんでいる。こういうことについて、料理や食べ物に関して編集したり書いたりしている人は、少なくない責任があるわけだけど、あらたまる方向へ向かっているかんじがしない。

それでも、『料理の四面体』が2010年になってだが、中公文庫から復刊になったのは、あらたまる方向を期待してよいキザシかもしれない。だけど、その中公文庫にしたって、ほかのアヤシイものがはるかに多いのだから、どうなるのだろう。

とにかく、火と料理について、あらためて考えてみた。

いまさら気がついたのだが、おれは、薪と炭の料理の時代からIHまで、体験しているのだった。これは、日常的なことでは、おれたちの年代が最後かもしれない。

おれが小さい子供のころは、薪と炭で料理をしていた。その火の番をするのが手伝いで、かまどやいろりのそばにいて、親が教えてくれたように火力のコントロールをするのだ。

そのときは気がつかなかったが、火力のコントロールは、料理の本質に関わる重要なことだった。

しばらくして石油コンロや電熱器が入り、それは短いあいだ部分的で、やがて中学生のころには全面的にガスになった。ガスが長く続き、9年前に引っ越して、それからはIHと電子レンジの台所で料理をしている。

薪と炭の料理は、縄文時代からの延長線、というより継続だった。これは、薪や炭と空気のあたえかたで火力を調節する。炎のぐあいを見ながら、薪や炭を補充したり、空気を送ったり、こまめに手をうごかさなくてはならない。

ガスになると、ガスと空気の調整は、それほどこまめに手を動かす必要はない。ことによったら、火事になるのを気をつけさえすれば、そばを離れることができる。

だけど、炎が見える火だから、薪や炭の延長といえる。目で炎を見て、手を動かして、火力をコントロールするのだ。

これ、縄文時代からの継続と延長だ。おれが小さいころは、縄文人とかなり近かったのだ。

ところが、IHと電子レンジは、「炎」がない。もっといえば、「火」による加熱ではない。

言い方をかえれば、縄文時代から抜け出したのだ。

しかし、いまだに、IHや電子レンジを「化け物」のようにいう料理の「専門家」がいる。とかく「科学的現象」が理解できないと「化け物」に見えるということもあるようだ。それに、「電磁波」なるものを放射能なみに危険視する人たちもいる。

「炎」が見えないのだから、気持ちはわからんではないが、IHや電子レンジで、料理は、やっと料理の仕組みが理解され、料理が科学として広く認知されるような気がする。そう願いたい。

「秘伝」だの「愛情」だの、あと「誠実」だの「丁寧」だの「真摯」だの、料理を精神や道徳やさまざまな観念の檻にとじこめてきた言論や思想などから、解放されるのだ。

ヤッホー。

という気分なのだが、はたしてどうだろう。とくに職人的な手作業にこだわって、いまや工作機械産業やAIまで遅れをとってしまった日本のことだから、19世紀ぐらいのままの言論と思想の大勢に流されて、ああ、どうなるのだろう。

「火」は文明をもたらした、といわれている。しかし、宗教行事に「炎」の演出がつきまとうように「炎」は「神秘性」と相性がよい。

炎を使う料理は、とかく神秘的に扱われやすく、神秘的なウンチクをかたむけるほどありがたがられた。ありがたがられ「芸術」扱いにされることも多かった。この構造は、陶磁器などのやきものにも通じるが。

「炎」に興奮しても、IHのガラス面に鍋がのっているだけでは、なんの感動もないからなあ。でも、それで加熱が成り立つのだから、感動ものだ。

真実は、見えないところにある。とかね。

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2017/09/08

「書評のメルマガ」の『料理の四面体』。

最近、『料理の四面体』を中公文庫で読み直した。チョイと仕事の関係もあったのだが、ときどき読み返している本だ。

この本のことは、『大衆めし 激動の戦後史』でも紙面をさいているし、以前「書評のメルマガ」で連載した「食の本つまみぐい」の35回目・最終回が、この本だった。

そこには、「連載を始めるときに、最初は江原恵さんの『庖丁文化論』で、最後は本書で締めくくろうと決めていた」と書いている。ま、おれにとって、この2冊は「別格」の価値ある食文化本なのだ。

ついでに、「書評のメルマガ」の最初から、読み返した。このころは「書評」の方法など知らずに書いている。いまでも知らないのだが。「書評」としてはお粗末も多いが、でも、まあ、本のセレクトは、いい。とにかく、いま読んでもおもしろい。

それに、だんだん「書評」らしくなっている。35回やるうちに、少しは「書評」なるものを考えるようになったのだろうか。そういう記憶はないが。

『料理の四面体』は、「書評のメルマガ09年12月11日発行」の掲載だ。あれから、15年以上がすぎている。しかし、この内容に衰えはない。と、おれはおもっている。

このあいだ、ある原稿のために、昭和初期の食に関する本や雑誌の記事を、けっこう読んだ。その内容は、ほとんど陳腐化していても、さまざまな事象についての著述が部分的に役に立つばあいがある。それだけだ。

「書いたものは残る」というが、そうは単純ではない。

「陳腐化」しているものは、その著述が行われた当時から「陳腐」なのだ。安直に、売りやすい、売れるものとして、出版されたのだろう。それが、どんなにかっこうつけて、いまこれを世に問う意味は、テナ能書きが書いてあって、かつ売れたものでも、みえみえなのだ。

昭和の初めは、いまのように飲食本は人気で、というか、この頃が大衆的な飲食本の第一次ブームといえそうなのだが。ブームというのは、安直に走りやすい。

ま、人間のすることの過去は、恥だらけなのだな。いいではないか、人間なんだから。ただ、物書きぐらいで、本を出したぐらいで、エラそうにするから、陳腐さが増幅する。昔は、本を出すのが容易でなかったにせよ、物書きがエラそうにしたらダメですね。いまじゃ、メディア過剰供給時代で、物書きなんて工業社会時代の工場労働者とかわりないのに、エリートのようにエラそうにしているやつが少なくない。

おれは、その著者の必要な著書だけでなく、その当時ほかにどんなものを書いているかも調べ、できうるかぎり読んでいる。すると、その著者が、どういう考えでそれを書いたか、また出版社は、どういう考えで刊行したか、かなり見えてくる。

当時の売れた「ベストセラー作家」で、いま流の言い方では「メジャー」であるが、いまでは名前すら知られていない「作家」は、めずらしくない。こういう人たちの作品を集めてみるのもおもしろいとおもったが、いまだっておなじようなものがあふれている。ま、ニンゲンのやることは、たいして変わっていない。

しかし、ごくまれに、いまでも新鮮な内容のものがある。「鮮度」がいいのだ。

『料理の四面体』は、そういうものとして、残るとおもう。

この本の、これまでの「生き残り方」も、単純ではなかった。その紆余曲折をみると、現代の、にぎやかな飲食関係の出版の「ヤミ」を見るような気もする。

とにかく、1980年に単行本で出た本が、文庫で残っていてよかった。おれの本は絶版続きで、紆余曲折転落状態だが、自分のことのようにうれしい。

ってことで、 玉村豊男『料理の四面体』、書評のメルマガ09年12月11日発行■食の本つまみぐい「(35・最終回)ごまんとある料理の本を無用にする一冊 」は、こちら「ザ大衆食」のサイトでご覧いただけます。
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/syohyou_mailmaga436.htm

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2017/09/03

寿町ならではの水族館劇場、水族館劇場ならではの寿町。

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「うそがまことか、まことがうそか」「夢のようなまぼろしこそ、まことかもしれない」とかなんとかの水族館劇場が、横浜は寿町でブチあげるとあっては行かないわけにはいかない。漂泊の劇団、漂泊の人びとが流れ込み漂う寿町。

9月1日初日の舞台を観るべく、埼玉は大宮の奥からはるばるきたぜ横浜。遠い遠いはるかな道、めったにないことだから、まず芝居の始まりは浅見本店の角打ちだ。「うそがまことか、まことがうそか」ここのおばさん、10年前5年前いつからか、ちっとも老けない。上手に化粧して可愛い角打ち舞台俳優。古い大道具の店も、そのまま健在だ。

021001一杯ひっかけて、つぎなる舞台は大衆食堂の埼玉屋。埼玉から埼玉へ、いい食堂だねえ。「雪印ミネラル牛乳」のコップで飲むビールは格別。勘定してあまりの安さにおどろいて、聞き返した。

さあ前座は上々、いざ本舞台「盗賊たちのるなぱーく」へ。行きつかないうちにふらふら入って行きたくなるまぼろしのような飲み屋横丁を、がまんして通り過ぎた。

18時半着くと同時ぐらいに、まいどの小屋の前でのプロローグが始まった。これまで観たなかで最も広い敷地を使った屋外舞台。街の景色を背景に水族館劇場の大仕掛けのおもしろさ。

じつは、初日を観ることについて危ぶむ声もあった。なにしろプログラムにも「台本+遅れ+総監督:桃山邑」と堂々とあるぐらい、台本が遅れ初日も未完、役者はセリフを覚えるまもなく舞台に立つ。日が重なるにしたがい整い充実していく。おなじ料金なら初日は避けたほうがよい、とおもうのは当然だ。

027001だがしかし、ものは考えよう、初日ならではの不完全さこそ、「うそがまことか、まことがうそか」というものだ。

芝居のお題は「もうひとつの この世のような夢」のあとに小さく「寿町最終未完成版」と、開き直っている。で、その「もうひとつの この世のような夢 寿町最終未完成版」の不完全版を観たわけだ。

いやあ、あいかわらずたのしめた。セリフのとばしぐあい、アドリブの多発、役者の数が足りないようす、不完全の完全はじつにたのしい、この世のような夢さ。

031001今年は、不幸なことに、水族館劇場を観るのは二回目だ。なんとうれしい年だろう、春にも新宿・花園神社で、「この世のような夢」を観ているのだ。今回は、そのバージョンアップ版のはずだが、ストーリーは混迷を深めたというか、あのハナシはどうなったのよ、というところもあり、役者の入れ替わりもあってか、突っ込みどこ満載というのがたのしい。

「この不完全ぐあいがいい」とは、花園での打ち上げのときに、どこかの大学の演劇の専門家だかなんだかがいっていたな。不完全な人間で埋めあって、不完全なこの世はある。

さて、それで、最後がよかった。舞台の最後は、圧巻、まいどのように大量の水が滝のように落ち、背景が割れて終わった。

すると、その向こうの夜景のなかに、クッキリ赤い文字の「居酒屋」の暖簾があるのだ。そこまで計算して舞台設計をしたのか。まさかね。

で、そこがエピローグの舞台になった。小屋を出て、ぐるりまわってその「居酒屋」へ。間口は小さく、10人は、入れそうにない店内。カウンターのなかに猫ちゃん抱えた、若くはないが老けてもいないママ。スナックなかんじのカウンターに男が一人。

この店が芝居の最後に見えた話しをする。窓越しに小屋を見れば、割れた舞台は灯りもそのままで、おれが座っていた階段の座席あたりが見える。「ほら、あそこから見えたんだよ」。ママは、小屋が建ち始めるときから、いったい何が始まるのかと見ていたから、興味津々だったようだ。それでまあ、盛りあがった。

男の客が「よく4800円も出して観るねえ」というのに、「いやあ、芝居なんて、やるアホウと観るアホウですよ」と大笑いしながら、もう一杯、もう一杯。

でも、2時間かけて埼玉まで帰らなくてはならない。外へ出たら、水族館劇場の夜の幕引きにふさわしい風と雨だった。

おれはヘソマガリのせいか、料理にしても、どうだこの完成度を味わえというようなものは、あまり興味がわかない。今夜の水族館劇場の不完全度には脱帽。帰りの電車で、おれも、いつか、堂々と「ナントカカントカ未完成不完全版」というタイトルの本を、全力ふりしぼって書きたいものだとおもった。

桃山さんは、プログラムの挨拶文で、宮澤賢治の「永遠の未完成これ、すなわち完成」であるを引用している。そういってしまってはオシマイというかんじがしないでもないが、完成形なんてツマラナイものだとおもうね。この世の不完全さ未完成さこそ「まこと」だろう。

この公演、9月の5日までと13日から17日までやっています。この劇場体験は、4800円出しても、惜しくはないですよ。さすらい姉妹こと千代治と風兄宇内という、すごい役者もいる。音楽もいいね。舞台美術もこっているね。

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