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2017/09/18

「分断」からの脱却で連夜の酒。

一昨日は、アメ横の大橋タイショーの店で五十嵐さんと会って飲んだ。昨日は、雑司ヶ谷のみちくさ市の日で古本フリマは台風の影響で流れたが、連続講座「作品と商品のあいだ」の最終回総集編だからと出かけて行って、いつものように打ち上げまで飲んだ。

この2日の話題の共通点は、いわゆる「分断状況」に関わるものだった。そこから、どう脱却するか。

連続講座総集編のなかで、企画あんどプロデューサー役の向井さんが使っていた言葉を借りれば、「たこつぼ」「閉塞」から、横の壁を突き破って、どう「混ざり合う状況」を生んでいくか、といえるだろう。

五十嵐さんとの話は、そこに、放射能汚染をめぐる「風評被害」のことがからんでいた。

とくに「福島県」と「福島県産」をめぐっては、いろいろあるわけだけど、これまでおれはそのテの話には、このブログでもツイッターでも、ほとんど加わっていない。ま、おれの考えていることは、ツイッターなどで見られる話から、かけ離れすぎていて、話しに加われなかったといったほうがよいか。そのへん、いまの「福島県」と「福島県産」をめぐる議論には、それぞれのなんらかの事情がからむ「特殊な人たち」による偏りをかんじる。

そのあたりを五十嵐さんと話しあえてよかった。五十嵐さんは、最近、福島県産品の輸入を認めてない台湾、それからチェルノブイリのベラルーシへも行き、これからチェルノブイリ事故の影響が大きかったノルウエーにも行くなど、精力的に動きまわって、調べまくっている。その話もおもしろかったし、参考になった。

いわゆる「分断」は、東日本大震災以前からあったわけで、さかのぼれば、80年代中頃の「たこつぼ」「閉塞」から続いているのだし、深刻化している。それが、放射能汚染問題をめぐって、鋭く噴出した。と考えれば、放射能に関する正確な情報や科学的知識などだけでは片づく問題ではないのだな。

自分の「たこつぼ」の中にいたほうが安全だし安心だとおもっている人が、かなりいる。その「たこつぼ」で、自分が食べて行けたり、成功したりの道があるなら、なおのこと、「たこつぼ」にこだわる。そういう自分の気持ちのおさまりのよさが身についてしまうと、自分の気持ちのおさまりのよいほうへばかりに寄り添っていき、「たこつぼ」の外は自分を不安定にするものであり、なかなか受け入れがたいことになる。

「たこつぼ」には、大きな「業界たこつぼ」もあれば「会社たこつぼ」もあれば、可愛い「自分のたこつぼ」もある。

向井さんは、連続講座を通して、「不安」だか「不安定」に馴れたようなことをいっていた。「不安」や「不安定」を排除することばかりしていては、「多文化共生社会」なんて育たない。

「分断」は、なかなか手ごわい問題だ。

それでも、やはり社会的に食っているのだから、ま、日本の社会は危うい状態にあるにせよ社会は崩壊しきったわけではないから、そこにあるていど「合意形成」が必要になる。コンセンサス、ね。

これがまたメンドウなのだ。「分断」と「コンセンサス」の試練は、まだまだ続く。

「福島県産」について、とりあえず、自分のことだけを書いておこう。

おれはもともと、産地や産地ブランドを気にしたことがない。だから、放射能問題以前も、福島県産を選んで買うこともなかったかわりに、その後も、選ぶ意識も避ける意識もない。そして、「買って応援したいから」福島県産を置くよう、スーパーなどにお願いしたこともない。あるものを買う。

おれは、日本のコモディティなシステムについては、あるていど信頼を置いている。電車を利用するように、安心して利用している。少なくとも、いまの政治家どもよりは、安心して利用できるシステムだ。ま、この安心があるから、いまのお粗末な政治家どもでも務まっているのかもしれない。

つまり、おれは、福島県産と向かい合いながら暮らしているわけではなく、大半はコモディティなシステムと向かい合って暮らしている。

自分では、これが普通なのではないかなとおもっていたので、「風評被害騒動」は、とても奇異に見えていた。

なにか大きなジケンがあれば、食品の需給関係は乱れる。放射能問題であれば、大きく乱れるのは当然だろう。それでも暮らしが維持できるのは、コモディティなシステムへの信頼があるからだろう。これが崩れるようなことを、そのシステムが選ぶはずはない。放射能に関する一般的な無知と不安を考慮に入れれば、「風評被害」というのは言いすぎではないかとおもわれるかんじもあった。

だいたい、東電の責任追及より「風評被害」のほうが大きく問題になるなど、なんだかオカシイかんじもあった。政府の対策より、一人ひとりの被災者への「おもい」の在り方が問われるというのも、違和感があった。

この件に関して発言している人たちは、なんらかのバイアスが加わっている傾向は、ほとんどだったのではないか。

それは、もしかして、「たこつぼ」のバイアスなのかもしれない。政策的な充実や解決ではなく、自分の気持ちのおさまりを求めての。

ま、これぐらいにしておこう。来年の春ごろには、もうちょっとまとまった考えを述べられるはずだ。

みちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ」の最終回総集編は、なかなかおもしろかった。今日は、もう書くのがメンドウになったから、明日か明後日か、その後か、にしよう。

一昨日、16日は、アメ横で二軒はしごして、けっこう酔っ払って帰ったのに、いや、酔っ払って帰ったからだ、東大宮に着いてもう一軒行ったのが失敗だった。このクセを直したいのだが、なにしろ酔ってしまうとわからなくなるのだから、どうしようもない。泥酔記憶喪失帰宅で、17日は二日酔いが残ったまま雑司ヶ谷へ行き、打ち上げでまた飲んで、ヨレヨレ帰宅だった。たのしかったけど。

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