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2017/10/09

スペクテイター40号「カレー・カルチャー」。

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最近発売の『スペクテイターspectator』40号「カレー・カルチャー」(発行=エディトリアル・デパートメント、発売=幻冬社)は、充実した内容で、息をつめて読んだのちためいきが出るほどよかった。

飲食や食べ物をテーマにした雑誌や本がハンランするなかで、ひさしぶりに、いい本と出合った気分だ。

おれも「カレーショップは現代の大衆食堂である」という一文を寄稿しているわけだけど、そのことを抜きに、絶賛したい。だけど、全体の構成のなかで、おれの文章もじつにおさまりがよい働きをしている。

やはり編集力というものが、ちがうのだ。

おれのテーマを担当した編集者は、赤田祐一さんだ。以前、赤田さんが編集長の「dankaiパンチ」に何度か寄稿したことがあるが、直接赤田さんと仕事をやるのは初めてだった。

なにしろ有名な編集者だから、どんな方かと興味津々だったが、確かに、最初の打ち合わせのときから、これまで会ったことのある編集者とちがった。

という話はともかく、おれがこの本を「いい本」というワケは、俯瞰的視野と多角的視点で構成され、「私語り」の語りの形式や言葉でなく、つまり編集者や著者の嗜好や価値観や世界観ではなく、いま「カレー・カルチャー」はこんなアンバイなんだよと対象に肉薄していることだ。しかも、表現が、漫画も盛りこみ、多様。

まさにスペクテイターの見方。スペクテイターならではの、これこそサブカルチャー、というオリジナリティがある。

そうなのだ、ちかごろの飲食や食べ物をテーマにした本や雑誌がツマラナイのは、編集や著者のオリジナリティがなく(オリジナリティは編集手法と表現手法ぐらい)、いつも既視感が漂っていて、ああまたね、だからなのだ。お互いに「ああまたね」のアンシン感で成り立っている。おれが書いたものも、そんな風に読まれているのだろうなあとおもうと、あまり気持のよいものではない。

この本は、食べ物と人、食べ物と人と人の関わりを掘り下げていて、カレー好きでなくても、現代と現代の生き方を知るおもしろさがある。とくに、「分断」がいわれる社会で、それを深めたり固定化するのではなく(たいがいの飲食や食べ物の本は、たこつぼの視野とたこつぼの視点で、こちらに巻き込まれている)、多文化が混ざりあいおもしろいことを生み出していく力を感じる(カレーがまさにそう)。

閉塞から抜け出し、解放的で可能性豊かな人生を考えるのによい。なんだか、カレーは食べたくなるし、カレーを作りたくなるし、カレーを食べたときのように得体のしれないエナジーが身体の芯からわいてくるのだ。

もくじを見よう。

なぜカレーについてこれほど熱くなるのか? ←コラム
カレーの歴史をたどる ←年表
インド&カレーのAtoZ

大阪スパイスカレー誕生秘話 南インド料理こそ「真」のインド料理? ←文・森好宏(宮城県仙台「あちゃーる」店主)漫画:UJT

カレーの国のエクソダス ←取材・撮影・文:三田正明

   タバ・クニタチ(東京都国立市)
   店主・須田竜
   食堂のおっちゃんになりたいんです

   虎子食堂・カレー屋まーくん(東京都渋谷)
   店主・まーくん
   混ぜるな危険!
   当店のカレーはまぜないでください

   妄想カレー ネグラ(東京都杉並区)
   店主・大澤思郎&近藤麻衣子
   カレーは作るのが楽しい人が
   作ればいいと思うんで

潜入「カレー事情聴取」 ←漫画:清本一毅
漂流社、カレー屋はじめました ←漫画:川崎昌平

個性派カレー店主たちは、どんなことを考えているのか? ←取材・撮影・文:編集部(赤田)

   beet eat(東京都世田谷区)
   店主・竹林久仁子
   「ジビエカレーを提案するということ」

   JAY(山形市)
   店主・由利三
   「私はインド料理に生かされているだけ」

   愛のカレー研究所(秋田市)
   店主・村上祐子
   「結局カレーは人に喜んでもらうための手段の一つに過ぎないんです」

博士のカレー ←漫画:関根美有

デリー発、イミズスタン行き 富山カレートリップ ←取材・文:ワダヨシ+和田侑子

カレーショップは現代の大衆食堂である ←文:遠藤哲夫

レトルトカレーは何を食べたらいいか? ←語り手:カレーの島田 聞き手:パリッコ 構成:編集部

いじょう。

赤田さんからの最初の依頼は「カレーショップは現代の大衆食堂である」ではなく、「カレーショップは現代の大衆食堂か?」で、「か?」がついていた。そのまま原稿を書いて送り、見出しはこのようになった。

「論考」にしてくれといわれ、このテーマで論考とは、ずいぶんややこしい難しい注文だなあとおもった。

だけど、このライターにこういう企画やテーマをぶつけてみたら、どんなことを書いてくれるのだろうか、とか、なにか出てくるんではないかという、スリリングな期待での原稿依頼というのは、ほとんどないなかで、これはなかなかおもしろい編集者だし、おもしろい仕事だとおもった。

たいがい、食べ物や店や人や場所などの素材があって、書いている。しかも、このライターならアンシンという、無難でラクな選択ばかりが多いなかだ。取材や書く緊張はあっても、素材あってのことだねで、最初から頼りになる素材が選ばれている。

そういうことにならされた脳ミソは、しばらく悩んだ。しかも、論考で、エッセイに逃げることができない。とはいえ、最後はエッセイ風で締めたのだけどね。

とにかく、テーマがテーマだから、料理論や味覚論から離れ、ぶっかけめし論をやりたくなるのもガマンし、さまざまな資料を用いて、大衆と大衆食といわれるカレーの成立期を食堂史のなかに位置づけることをした。

8000字の原稿。

赤田さんと何度かメールのやりとりがあって、その内容も濃く、ひさしぶりに充実した仕事だった。

しかし、考えてみると、中堅クラスから上の出版社では、こういう仕事はできないし、だいいち赤田さんのような編集者がいる場所もないのだからねえ。

この本、1000円は安い。気取らない着飾らない表現で、ぐいぐい対象に迫る、その力強さとカレーカルチャーの真実にふれてほしい。

登場する方が、求道家のような方から、音楽論のようなカレーと人生、あるいは「食堂のおっちゃんになりたいんです」の須田竜さんなど、みなさんスリリングなカレー人生で、人間宇宙はおもしろいなあ、もっと自由に解放的やろうという気になるのだった。

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