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2017/12/23

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」62回目は、浦和・いこい食堂。

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12月19日の掲載だった。すでに東京新聞の東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017121502000197.html

今回は、地元のさいたま市浦和の食堂だ。さいたま市の食堂の登場は、大宮のいづみやだけだったから、2軒目ということになる。60回をこえる連載で2軒だから、地元を優遇していることにはならないだろう。

とにかく、ひさしぶりに、ジャンクヘビー級の登場といってよい。

大衆食は、「B級グルメ」などといわれ消費主義の娯楽や趣味の対象となってきたが、もとはといえば労働食であり生活食なのだ。その原点を、店のたたずまいからメニューにいたるまで、ブレることなく真っすぐに貫いている。

浦和駅と県庁を結ぶメインストリートの県庁に近い所にある。あたりは、目下再開発の真っ最中だ。この食堂は、その大きな力に寄り切られそうになりながらも、まだ寄り切られずにいるという感じだ。

メニューについては、本文にも書いたが、ボリュームで攻めている。客たちもボリュームを攻めている。それが、潔い。

食べたのは日替わりサービス、ヤキソバと半チャーハンにみそ汁で550円だ。

小賢しい食べ歩き趣味や娯楽の連中など、寄せ付けないような威力のチャーハン。こういうチャーハンは、初めて見たが、ゴロッとしたたまご焼きなどを、ざっくり混ぜ合せただけの、有無をいわせない力を持っていた。

考えてみれば、チャーハンとはね、とか、エラそうにしているのが、おかしいのだ。そういう風潮を笑い飛ばし蹴散らし、生活は突き進む。

20代30代の男たちが(意外に多かった)、もりもり食う姿に、未来の可能性を感じた。

こういう食堂については、ごたくを述べるほど、自分の浅はかさが浮かんでくるようで、嫌になるからこれぐらいにしておこう。

ジャンクヘビー級に打ちのめされながら、いつも感じることは、大事なのは「おれはおれでちゃんと生きているぜ」ってことであり、時流だの成功だのは小さなミミッチイことなのだ。

それにしても、このコシのある細い麺の焼そばは、チョイとクセになりそうだったな。

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2017/12/21

ライター稼業にとって「丁寧」な仕事とは。

今年は、エッセイではなく「論考」でと頼まれた原稿が二つあって、一つはスペクテイター40号『カレー・カルチャー』に寄稿の「カレーショップは現代の大衆食堂である」で、 もう一つは、今月26日発行予定の、『ユリイカ』2018年1月臨時増刊号「総特集=遠藤賢司」に寄稿の「遠藤賢司と大衆めし 「カレーライス」から」というものだ。

どちらも少しエッセイに逃げているところがあるが、「論考」は「堅めのエッセイ」でも許容範囲のようで、そのへんに甘えた。

やってみて気がついたが、歴史認識や社会認識というのは、たえず学び返していないと、いつのまにか正確さを欠いて、「大河ドラマ」ていどの認識になっているということだ。誰でも世間の風潮に流されやすい環境にある。

今回は、どちらも第一次世界大戦前後からの日本の歴史と社会が関係したので、調べ直しながら、そのあたりを痛感した。

『ユリイカ』の原稿は、本当は、国会図書館まで行って調べたら、さらに興味深いところがわかるはずのことがあったが、時間もなく、もっと日ごろから歴史と社会については積み重ねておくべきだなと、反省もあった。

世間では「丁寧」な仕事が尊ばれている。では、ライター稼業にとって「丁寧」な仕事とは、どういうことか。

人様の丁寧な仕事を取材して書いていれば、自分も丁寧な仕事をしていると錯覚しがちだが、ライターとしての丁寧な仕事とは何かと問われたら、できるだけ正確な歴史認識と社会認識を持ち続け、そこに一つ一つのことを位置づけていく作業だろう。これは「書く」作業以前のことだ。そこに自ずと批評も芽生えていく。その作業を、毎回、毎回、繰り返すしかない。

そうしないと、しだいに自分を合理化することが中心になり、認識がズレていく。おれよりはるかに知識もあり、世間的評価も高い人たちが、目と耳を疑うような独善的なことを述べるようになるのは、そんな事情があるようだ。

また、たとえば、五十嵐泰正さんが池波正太郎の作品を取り上げながら、「池波正太郎の「下町」」や「グローバル化の中の「下町」」を書いているが、書かれた小説やエッセイは小説やエッセイとして評価されるだけではなく、いろいろに評価されることになる。

近ごろは、「作品」でなくても一つの「言葉」が、状況や立場や角度によって、いろいろな意味を持ち、そのことから誤解や誤った共感が、たちまち広がる。

そんななかで、ライターとしては、どんな「丁寧」な仕事をすべきかということも課題になっているわけだ。

といったことを、あらためて感じた。

とにかく、というわけで、第一次世界大戦前後からの日本の歴史と社会について、あれこれ調べてオベンキョウをした。ゲップがでるほどだが、これは続くのだ。

「第一次世界大戦前後からの日本の歴史と社会」というが、日本だけのことではすまない。けっきょく、カレーライス一つとっても、世界と日本なのだ。

来年は、ちょうど第一次世界大戦の終結から100年で、日本で「モダン」や「モダニズム」といわれるのは、この大正期から勃興した。

「大衆」の誕生も、この時代が背景になっている。また、いわゆる「郷土料理」をこえる「和洋中」の料理の概念と、茶道や懐石を中心とする「和」思想が権威として再生され力をつけていく。このあたりは、昨今のグローバル化とローカルの関係にも似ている。

日本が「ポストモダン」をうまくやれないで、混迷が続いているのは、日本が戦勝国側に位置した第一次世界大戦にまでさかのぼって検討しなくてはならない問題があるのかもしれない。

そのあたりは、そのうち専門家がやってくれるだろうけど、一介のフリーライターとしては、扱う一つ一つを、なるべく正確に歴史と社会に位置づけられるよう、こつこつ事実を積み上げるしかない。


当ブログ関連
2017/10/28
戦争と機関銃と食品とザ大衆食の更新。

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2017/12/17

せつないめし。

都区内の西側のJRの駅から歩いて10分弱のところに、その食堂はある。かれが入ったのは、午前11時半頃だった。

食堂は、何時開店なのか、とにかく受け入れ準備は十分ではなかったようだ。

かれは、カウンターに座ってすぐに居心地の悪さを感じた、という。

かれは、その日の最初の客にちがいなかったのだが、カウンターはちゃんと拭かれてなく食べ物のカスが残り、脇にあるお茶のポットもかなり汚れていた。そして、店の奥は洗濯機にタンス。暮らしのかけらが満載だった。

この食堂に、おれは3回ほど行っている。

間口が2間半。その間口は、中が丸見えのガラス戸だ。左側の一間が「台所」といったほうがよい厨房、右側の1間半が客席で、カウンター席とテーブルになっているのが、外から見える。

カウンター席は奥へ向かって7名ほど、背中合わせに2人掛けのテーブルが2台。その奥が畳の部屋になっていて、タンスやらいろいろあって、その奥の隅に洗濯機が見える、といったアンバイなのだ。

さらに、かれの居心地を悪くしたのは、厨房の2人だ。

60歳過ぎの男2人が働いていて、仏頂面した若い方が調理をし、耳の遠い年輩に大きな声で指示を出す。「お茶出して」「重箱とって」「ご飯よそって」。

料理は決してまずくはないのに、せつない気持が舌に移ってしまって…かれは、そういった。

おれはその情景が目に浮かぶ。その2人は父子で、父親のほうは少し老人ぼけのような感じなのだ。初めてのかれはそのことを知らない。おれはその話をする。

たぶん、そう重度の介護ではないにしても、息子は父親を手伝わせたり面倒をみたりしながら、着実に「老老介護」へ向かっている。

その生活の重みが、どことなく場を軋ませる。それが客の舌にまで伝染することがあるだろう。

おれがこの食堂へ初めて行ったのは、10年以上前になる。ある編集者から、この食堂を取材しようとしたが断られたときいて、行ってみた。

そのときといまと、あまり変わってない。

若い方の店主は、とにかく無愛想。ほとんど口をきかない。注文されたものを出すと、そこらへんを片づけたり掃除したり、まるでおれと目をあわせるのを避けているようだった。

だけど、味はまずくない。注文してから作り始め、できたてが出てくる。

最初のときは、ま、愛想がないけど、悪くはないねという感じだった。

5年前に東京新聞で「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の連載を始めてから、いつかここを載せたいと思い、一度、「打診」に行った。はっきり取材を申し込んで断られるとそれでオシマイになりそうなので、それとなく「打診」してみたのだ。

すると、店主は「うちは、ただの定食屋だからね」「こんなところでも食べに来てくれる客がいるんだよ」といって、やはりプイッと目をそらして、おれの前から離れ、何かを始めた。とにかく、取り付く島がない。

それから1年ほどして、また行った。少しずつでも話しができたらと思ったからだ。

店主は、普通の普段の恰好にエプロンをして、くわえたばこをふかしながら、仕事をしている。

父親が姿を見せると、キッとにらむ。父親は、用のないときは引っ込んでいなくてはならないのだろう。2階へ消える。

前のときも、定食をのせたおぼんが、気になっていた。もとは木の手彫りにうるし仕上げだったようだが、いまではうるしも彫も平らになりつつあった。

「年季が入っているね」というと、前と変わらない冷やかな目つきで、「開店のときからだよ、50年だ」といった。

「50年だ」に誇りらしいものを感じたが、すぐ立ち消えて、店主は、おれの前からくわえたばこのまま離れた。

客の相手などせずに掃除やら何やらしているから、厨房といっても業務用の設えではなく、家庭用のガスコンロが2台に家庭用のオーブンレンジが一台並んでいるだけの、そこらへんは、きれいになっている。ダクトのステレンスなどはピカピカだ。

しかし、ピカピカの印象はなく、なんとなくくすんでいるように感じる。

ひとは「男所帯だから」というかもしれない。そういうことじゃないと思うが。

とにかく、街の片隅で、この食堂は50年続いてきた。ここが好きな客たちがいる。近くで暮らしていなくてはわからないことがある。近くで暮らしていてもわからないことも少なくないが。

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2017/12/12

61回目、東京新聞「大衆食堂ランチ」は浅草・君塚食堂。

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告知が遅くなってしまった、先月11月の第3金曜日、17日に掲載になったものです。

すでにこちら東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017111702000182.html

何年前だったかな、上野・浅草は国と都によるグローバル・シティ戦略とかのゾーニング政策によって、国際観光都市「下町」という役割を担わされた。

浅草をみていると、そういう政策がまちにおよぼす影響の大きさをマザマザとみる思いがする。ようするに、なんだかんだいっても、まちの発展も衰退も、国や自治体の政策しだいなのだ、ということだね。

この連載では、これまで浅草の食堂を2店紹介している。観光客でにぎわう雷門近くの「ときわ食堂」、観光のメイン浅草寺の西側のブロックで、観光より生活のにおいがただようあたりにあって、浅草に住む人や勤める人や生活的浅草詣を続ける人たちが多い「水口食堂」だ。

今回は、水口食堂と同じブロックだが、「奥山おまいりまち」という参道にあって、しかも真ん前には、浅草が大衆芸能の中心地であった名残りをとどめる、大衆演劇の木馬館と浪曲定席の木馬亭が並んである。

この通りは、近年の浅草国際観光都市化計画にしたがって、ふるい建物は姿を消し大きなホテルが建ち、君塚食堂がある長屋の建物の外壁は「伝統風」なデザインで覆われた。

ここには君塚食堂のほかに前田食堂という古い食堂がある。どちらにしようか迷うところだが、前田食堂は比較的メディア露出が多い感じなので、君塚食堂にした。もともと、こちらを利用することが多かったということもあるのだが。

この通りも観光地化が進んでいるとはいえ、観光客の多い雷門から浅草寺境内のにぎわいに比べると、その1%に満たないのではないかと思われる。

少なくとも、浅草寺境内で目立つ貸衣装らしい和服姿の外国人カップルや団体旅行客、バブリーな観光ファッションは、まったく見かけない。

君塚食堂には、英語のメニューもあって観光客の姿もみかけるが、こういうところが好きな人たちというのは、万国共通の雰囲気があるような気がする。すっかり場にとけこんでいるのだ。

近所の馴染みの勤め人らしい中年男性が、おでんとおにぎりを頼んでいた。「国際観光都市」の伝統風を背負わされた食堂に、そんなテがあるのも、いい。

おれは、以前に、ときどき木馬亭の浪曲のあとに、ここでチキンライスを食べながらビールを飲んでいた。今回は浪曲のあとではないが、またもや、それにした。チキンライスはとくにうまいわけじゃない、普通だ。それがいいのだが、グローバル化の渦中で、普通のもつ力や可能性を考えたりするには、ここでチキンライスを食べるのもいい。

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2017/12/11

1月14日は、下北沢の本屋B&Bでトーク。

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前に簡単に告知した、下北沢の本屋B&Bでの1月14日のトークについて、B&Bのサイトに以下のような告知が掲載されました。予約、よろしくね。

牧野さんとおれが、公開で「表現」について対談するなんて、これが最初で最後でしょう。

これは、四月と十月文庫8『仕事場訪問』牧野伊三夫の刊行を記念して行われるもので、この『仕事場訪問』は、表現を仕事にしている人や表現を志している人は、必読ですね。

もちろん、すべての「表現」は、「詐欺」に通じます。人びとを芸術とカネの前にひざまずかせよ!

http://bookandbeer.com/event/20180114_4gatsu10gatsu/

牧野伊三夫×遠藤哲夫 「四月と十月文庫をおおいに語る」
『仕事場訪問』(港の人・四月と十月文庫)刊行記念
絵や写真による表現、文章による表現、冊子や書籍の表現について。

『四月と十月』は1999年にスタートし、名前の通り毎年4月と10月に刊行される美術同人誌です。表紙から本文までモノクロ印刷を貫き通す頑固で一途な同人誌ではありますが、同人たちの作品からは自由で清々しい風が吹いてきます。
そして、2011年、この同人誌から単行本シリーズが生まれました。それが「四月と十月文庫」です。同人誌での連載をまとめたものや書き下ろしなどから成るこのシリーズは、今年10月に第8巻めである『仕事場訪問』が刊行されました。著者は、この同人誌の中心的存在、画家の牧野伊三夫さんです。
刊行を記念して、牧野さんとライターの遠藤哲夫さんの対談をおこないます。遠藤さんは、このシリーズ第7巻め『理解フノー』の著者。
四月と十月文庫のこれまでのラインナップを振り返りつつ、絵や写真による表現、文章による表現、冊子や書籍の表現についておおいに語り合っていただきます。

牧野伊三夫(まきの・いさお)
1964年北九州市生まれ。画家。1987年多摩美術大学卒業後、広告制作会社サン・アドに就職。1992年退社後、名曲喫茶でんえん(国分寺)、月光荘画材店(銀座)、HBギャラリー(原宿)等での個展を中心に画家としての活動を始める。1999年、美術同人誌『四月と十月』を創刊。著書に『仕事場訪問』『僕は、太陽をのむ』(港の人)『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)。『雲のうえ』(北九州市)、『飛驒』(飛驒産業株式会社)編集委員。

遠藤哲夫(えんどう・てつお)
1943年新潟県六日町(現・南魚沼市)生まれ。「大衆食堂の詩人」ともいわれ、通称「エンテツ」。著書に『理解フノー』(港の人)、『大衆めし 激動の戦後史』(ちくま新書)ほか。ブログ「ザ大衆食つまみぐい」。

時間 _ 15:00~17:00 (14:30開場)

場所 _ 本屋B&B

東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F

入場料 _ 1500yen + 1 drink order

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2017/12/09

「駄蕎麦」

『TASCマンスリー』12月号が届いた。毎号、表紙は久住昌之さんの切り絵で、表2に、その文がついている。

切り絵のほうは、上海の日本蕎麦居酒屋の店主で、文には、その店主とは関係なく、「駄蕎麦は嗜好品ではないらしい」とのタイトルがついている。こういう文章だ。

 蕎麦は、今や嗜好品と普通の食事に、二極化しているようだ。
 前に頑固親父の手打ち蕎麦屋で、大学生が、
「腹一杯にしてぇんだったら、そこら辺の駄蕎麦を食ってりゃいいんだ」
と言われて小さくなっていた。そこの蕎麦は嗜好品なのだろう。
 駄蕎麦。それは嗜好品ではない。でも、僕は主人にだ蕎麦と言われるであろう、立ち食い蕎麦屋の真っ黒い汁のボソボソ麺も、大好きだ。
 昔は、手打ちではないけど、普通においしくて、丼ものやカレーライスもある町の蕎麦屋がもっとたくさんあった。僕はそういう店が好きなんだけど、都市部ではどんどん消えている。本格手打ちか、チェーンの立ち食い。ちょっとさびしい。

このことは、いろいろな問題をはらんでいると思う。

先日、あるところで打ち合わせの最中に、最近の「いい趣味」をしている本屋やカフェやパン屋などをチヤホヤする風潮はおかしいよねという話があった。本や喫茶やパンは、生活ではないのか、それは店主にとっても客にとってもということで、しばらく話題になった。

ま、おれはそっちのほうじゃないよという態度で耳を傾けながら、飲食をテーマにして書いている身としては、針の上のムシロとまではいかなくても、なんだか落ちつかない気分だった。

もともと日本には、「生活臭」のないものが文化的であると評価される傾向があったが、それだけではない現代のいろいろからんでいる。

簡単にいってしまえば、新自由主義と消費主義が抱き合って生まれたような思想と実態にかこまれている日々のわけだ。「いい趣味」と「駄」の二極化、ともいえるか。

きょうは、こういうツイートを見た。

ジロウ‏ @jiro6663

あるお酒が「とにかく安くて強い」という理由で流行り始めるといよいよ一人前の貧困国というか絶望社会という感じがしてくるが、世界史や国際情勢という遠い話として聞いていたその光景をよもや自国で目にする時がくるとは、という感慨もある。
11:30 - 2017年12月7日
https://twitter.com/jiro6663/status/938596663878344706

これは、「駄酒」の話になるだろう。

いい趣味からは、見下されるか無視される、駄な暮らしの飲食が広く存在する。おれなどは、駄の日々だ。それが普通の日々だ。「いい趣味」をめざす気は、さらさらない。

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2017/12/03

和菓子のこと。

和菓子のことを調べていて思い出したが、和菓子屋の経営が打撃を受けたのは、コンビニがレジまわりにちょっとした大福などの和菓子を置き始めたから、というのはどちらの当事者からも聞いた話だ。

そういう意味では和菓子は生活に根づいたもので、まちの和菓子屋もけっこうあった。生き残ったのは、立地がよかったか、コンビニの商品に負けないものをつくってきた、ということになるのかな。

おれがガキのころは、和菓子というと、いわゆるおやつのほかに、食事の後、必ずゆっくりお茶を飲むのであり、そのとき食べるものだった。これは、デザートともいえるもので、日本の菓子は、少なくともおれがガキのころまでは、食事の一環あるいは補完や代用として位置づいていた。

それが、どのようにして食事の思想から別のものになったかということは、おもしろい現代的なテーマだと思う。

たぶん、「食事のだんらん」というものが普通だった時代と、それが崩れていったことにも関係するだろう。

ところが、和菓子というと、例によって職人技のような、生産サイドの話ばかり多く、生活のなかの文化としてどうだったかの話は、少ない。たぶん書くのも大変だし、書いても売れないからだろう。文化的な装いをした話をしていても、根本は文化的ではなく、産業的であり消費的なのだ。

そうやって、文化の断絶の溝が深まる。

和菓子や和菓子についての話は、生活必需のことからはなれて嗜好品的に消費を刺激する恰好な位置を占めるようになった。それにつれて、食事の文化として語られることがなくなったのだ。

と、いえそうだ。と、今日は考えていた。

おれがガキのころから食べていた、新潟の笹団子を調べていて、そんなことになった。

おれの記憶では、生活からはなれたものとしての菓子は、いつごろだったか、小学校に上がるまえだろう、クリスマスの安っぽいショートケーキあたりから始まったように思う。いや、もしかすると、キャラメルやドロップあたりかもしれない。夏にはキャンデーもあったな。キャンデーは、駄菓子のような、娯楽としての菓子といえるかな。と考えていると、生活のなかの菓子の文化と、そうでない菓子の文化の境目あたりがみえてきそうだ。

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2017/12/02

「四月と十月」大洋印刷感謝会。

昨日は、ひさしぶりに都内へ行った。

おれは同人ではないが、「理解フノー」という理解フノーな連載をしている、美術同人誌『四月と十月』の、毎年恒例の「大洋印刷感謝会」が、水道橋のアンチヘブリンガンであったからだ。

同人のみなさんと、おれのような連載執筆陣が20名ほど集まった。大洋印刷さんからは3名。

たいがいの人は、1年前の四月と十月文庫『理解フノー』の出版記念会以来だった。最新号から連載もふえたのだが、はじめて会う新しい執筆者の方もいた。

いつものようにたのしい会だった。「四月と十月」の人たちと話していると、刺激になる話しが多い。

先日、ミロコマチコさんからの展覧会の案内状に、「絵と向き合う日々です」とあって、彼女は国際的な売れっ子だから毎日忙しく絵を描いているんだろうなあと思ったが、よく考えたら、「絵と向き合う」って、「絵と向き合う」ことなのか「絵と向き合う」ことなのか、たぶん両方だと思うけど、おれの場合は、何と向き合っているのだろうか、いまや原稿用紙ではなくパソコンに向かって文章を作成しているし、「向き合う」の意味がそういう物理的なことではなく、文章と向き合うということや文章を書くということと向き合うということなら、おれは何と向き合っているのだろうか、文章の向こうにある現実やテーマと向き合っているのか、なんだなんだ何と向き合っているのだ、そのあたりは、ミロコさんのばあい、どう考えているのか聞いてみようと思っていた。

ところが、大洋印刷さんに感謝の乾杯をし、飲み食べ、ワサワサしゃべりだしたらすっかり忘れてしまった。

ワサワサの話のなかで、ずっと同じように絵を描いているだけなんだよね、それがたまたまいま気に入られただけで、もしかしたらそんなことにならなかったかもしれない、それはそれで仕方のないことじゃないかな、そのへんは自分から売れるような描き方をしようとか、売れるテーマをみつけようということではなく、ずっと同じように絵を描いている、そういうことを大事にしたいね、というようなことを近ごろメキメキ人気上昇のイラストを描いている同人の方が話して、まわりでもそうだよねえという話しをしていた。

それを聞きながら、それが「絵と向き合う」ことなのかなあとチラっと考えたりしたが、とにかくワサワサ話していたら、そのうち小梅さんの三味線とうたになった。これが素晴らしかった。彼女は、昭和のはじめに流行ったが忘れられた「新民謡」を発掘しているとかで、それを何曲かやってくれたのだ。

同人のみなさんは、『四月と十月』に毎号、制作中のものも含めさまざまな作品と文章を載せるのだが、困ったことに、この文章がよい。ライターの立場がなくなるぐらい。

ところが、話もうまい。みなさんおれよりはるかに若いのに、大洋印刷さんに感謝のことばを一人一人述べるときも、とてもうまくて、うまいなあと感心した。

気のきいたうまいことをしゃべろうということではなく、ごく自然に言葉が出ている。そのへんは絵と向かい合うことの延長なのかもしれない、すべてのものごとに対してそうなのかもしれない。

おれが考える「四月と十月」のよさは、徒党的や派閥的な集まりではないこと、仲間意識によりかかることもない。それは人間として当然のことだろうと思うが、個が自立していて、だれかを頼るような集まりではない。当然、業界の話がないのもいい。

それぞれ絵と向かい合っているのだ。きっと。

いつも自由でのびのびしている、小梅さんの三味線に合わせて踊り出した人たちもいたな。

大洋印刷さんも素晴らしい。250名の会社だから、商売は厳しいだろうと思うが、小部数なのにコストのかかる校正も出してくれて、製本までキチンと仕上げる。やはり美術作品の印刷ということもある。そのあたり、いろいろ話題になった。

『四月と十月』は、あと3号目が、40号になる。2019年の4月号。そのときはカラー印刷にするつもりで進むようだ。

みなさん若いし、まだまだたのしみがある。おれはとりあえず40号まで「理解フノー」の連載が続けられるよう、コツコツ生きよう。

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2017/12/01

今年いちばん難しかった仕事をおえた。

想像もしていなかった、どう考えてもありえない仕事の依頼があって、うーん、やれるかな、ちょいと冒険だなと思いながら引き受けた。

やっぱり苦労したが、なんとか締め切りにまにあい、いまはゲラを待っている。ブログのタイトルに「おえた」と書いたのは原稿のこと。

まだ原稿をどう書こうか考えている最中に、おれにありえない依頼をした版元のサイトに告知が載った。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3114

青土社「ユリイカ2018年1臨時増刊月号 総特集=遠藤賢司」12月26日発売予定。

「論考」のところに、おれの名前があった。

ツイッターでも拡散しているし、あせった。

なにしろ、おれの本棚には2冊ぐらいしかない、ほとんど縁のない「詩と批評」を謳う「ユリイカ」だ。

そのうえ、特集が10月に亡くなったミュージシャン、「エンケン」こと遠藤賢司だ。音楽方面のことは、ちょっとしたからみでも書いたことがない。真っ白だ。

冒険だなと思ったっり、あせったわりには、25枚ほど書いてしまった。

お互いテリトリー意識にしばられない、クロスオーバーのカオスこそおもしろい。冒険だがやってみよう。依頼したほうだって冒険だろう。

今年はもう一本、論考をやっている。

スペクテイター40号「カレー・カルチャー」に「カレーショップは現代の大衆食堂である」を寄稿した。このときは20枚。

なじんでいるフィールドだが、テーマが難く、とまどった。

そのとき、ブログにこう書いた。

「このライターにこういう企画やテーマをぶつけてみたら、どんなことを書いてくれるのだろうか、とか、なにか出てくるんではないかという、スリリングな期待での原稿依頼というのは、ほとんどないなかで、これはなかなかおもしろい編集者だし、おもしろい仕事だとおもった」
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/10/post-026d.html

今回もまた、そうおもった。

とくに多角的な見方が鍛えられる。

でも、こういうのは半年に一本ぐらいでいいね。なにしろトシだから疲れる。

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