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2017/12/17

せつないめし。

都区内の西側のJRの駅から歩いて10分弱のところに、その食堂はある。かれが入ったのは、午前11時半頃だった。

食堂は、何時開店なのか、とにかく受け入れ準備は十分ではなかったようだ。

かれは、カウンターに座ってすぐに居心地の悪さを感じた、という。

かれは、その日の最初の客にちがいなかったのだが、カウンターはちゃんと拭かれてなく食べ物のカスが残り、脇にあるお茶のポットもかなり汚れていた。そして、店の奥は洗濯機にタンス。暮らしのかけらが満載だった。

この食堂に、おれは3回ほど行っている。

間口が2間半。その間口は、中が丸見えのガラス戸だ。左側の一間が「台所」といったほうがよい厨房、右側の1間半が客席で、カウンター席とテーブルになっているのが、外から見える。

カウンター席は奥へ向かって7名ほど、背中合わせに2人掛けのテーブルが2台。その奥が畳の部屋になっていて、タンスやらいろいろあって、その奥の隅に洗濯機が見える、といったアンバイなのだ。

さらに、かれの居心地を悪くしたのは、厨房の2人だ。

60歳過ぎの男2人が働いていて、仏頂面した若い方が調理をし、耳の遠い年輩に大きな声で指示を出す。「お茶出して」「重箱とって」「ご飯よそって」。

料理は決してまずくはないのに、せつない気持が舌に移ってしまって…かれは、そういった。

おれはその情景が目に浮かぶ。その2人は父子で、父親のほうは少し老人ぼけのような感じなのだ。初めてのかれはそのことを知らない。おれはその話をする。

たぶん、そう重度の介護ではないにしても、息子は父親を手伝わせたり面倒をみたりしながら、着実に「老老介護」へ向かっている。

その生活の重みが、どことなく場を軋ませる。それが客の舌にまで伝染することがあるだろう。

おれがこの食堂へ初めて行ったのは、10年以上前になる。ある編集者から、この食堂を取材しようとしたが断られたときいて、行ってみた。

そのときといまと、あまり変わってない。

若い方の店主は、とにかく無愛想。ほとんど口をきかない。注文されたものを出すと、そこらへんを片づけたり掃除したり、まるでおれと目をあわせるのを避けているようだった。

だけど、味はまずくない。注文してから作り始め、できたてが出てくる。

最初のときは、ま、愛想がないけど、悪くはないねという感じだった。

5年前に東京新聞で「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の連載を始めてから、いつかここを載せたいと思い、一度、「打診」に行った。はっきり取材を申し込んで断られるとそれでオシマイになりそうなので、それとなく「打診」してみたのだ。

すると、店主は「うちは、ただの定食屋だからね」「こんなところでも食べに来てくれる客がいるんだよ」といって、やはりプイッと目をそらして、おれの前から離れ、何かを始めた。とにかく、取り付く島がない。

それから1年ほどして、また行った。少しずつでも話しができたらと思ったからだ。

店主は、普通の普段の恰好にエプロンをして、くわえたばこをふかしながら、仕事をしている。

父親が姿を見せると、キッとにらむ。父親は、用のないときは引っ込んでいなくてはならないのだろう。2階へ消える。

前のときも、定食をのせたおぼんが、気になっていた。もとは木の手彫りにうるし仕上げだったようだが、いまではうるしも彫も平らになりつつあった。

「年季が入っているね」というと、前と変わらない冷やかな目つきで、「開店のときからだよ、50年だ」といった。

「50年だ」に誇りらしいものを感じたが、すぐ立ち消えて、店主は、おれの前からくわえたばこのまま離れた。

客の相手などせずに掃除やら何やらしているから、厨房といっても業務用の設えではなく、家庭用のガスコンロが2台に家庭用のオーブンレンジが一台並んでいるだけの、そこらへんは、きれいになっている。ダクトのステレンスなどはピカピカだ。

しかし、ピカピカの印象はなく、なんとなくくすんでいるように感じる。

ひとは「男所帯だから」というかもしれない。そういうことじゃないと思うが。

とにかく、街の片隅で、この食堂は50年続いてきた。ここが好きな客たちがいる。近くで暮らしていなくてはわからないことがある。近くで暮らしていてもわからないことも少なくないが。

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