前の続。「高い志」や「高い精神性」の立身出世欲。
前のエントリー、書き足りなかったこと。
バブルのときにあちこちで露呈した、「貧せざれば鈍す」つまり傲慢だが、「高い志」や「高い精神性」の内容が、実は単なる立身出世欲だったということだ。
だから、小権力や小権威や小金を持ったぐらいで、それで満足するわけではないが、いくらか「世に出た」「人の上に立った」と思い、傲慢になる。
権力や権威や金を持つと、自分の自由裁量権が増える。それ自体は、善悪のことではない。ただそれの「使い方」を知らない。権力や権威や金も道具みたいなものだから、使い方を誤れば、おかしなことになる。
その誤りの一つが、ひとやモノゴトを判断するのに、権力や権威や金を尺度として使い、人をあなどったり見下したりすることだ。
ある従業員100人ばかりの会社の社長は、自分の取引先の大会社の課長と自分を比較し、どちらが偉いか上かを気にしていた。
銀行がどんどん金を貸してくれるから、事業を拡張し社員をどんどん増やし、自己宣伝のためのPR誌を発行したり、文章は書くのが嫌いだからゴーストライターを使って「自著」の本を出したり。自分は高い志や高い精神性を持った経営者であることを絶えず誇示しようとした。そのようなことは大会社の課長にはできない。
おれはバブルのころはライター稼業ではなく、出版業界とは縁がなかったが、そのときのゴーストライター氏は、誰でも知っている有名な雑誌に書いているのを自慢にしていた。酒を飲むと、いまどの雑誌に何を書いているとか、そういう話ばかりだった。
それは、かれの権力であり権威であり金だったわけだが、その先がない。いや、ないわけじゃない、さらに延長線上の「上」があるだけで、「こころざし」だの「精神性」を強調するわりには、その内容が貧困だった。
そしてかれらは、肩で風を切り、どっちが「上」かを気にしているのだった。
バブルの崩壊前夜、金回りは急激に悪化していた。肩で風を切り鼻高々だった社長は、銀行の支店長室で土下座した。立場逆転。金を借りてくれとお願いにあがっていた支店長は、ふんぞりかえって、土下座の社長を見下していた。
あの社長も土下座したんだって、というウワサがいろいろ流れた。
そんな景色がたくさん見られた。
しかし、あいかわらず、「高い志」や「高い精神性」の立身出世欲は続いている。これで犠牲になるのは普通の人の普通の生活なのだ。普通に働き普通に暮らしていたいだけなのに、それが許されない。
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