« 「新しい骨董」ボトルキープ100本記念飲み会@浦和ねぎ。 | トップページ | 東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」65回目、新宿・石の家。 »

2018/03/24

鬼子母神通りみちくさ市で「地下アイドル」世界を垣間見る。

前のエントリーの最後に書いたように、去る18日の日曜日は、わめぞ一味が企画運営する鬼子母神通りみちくさ市へ行った。

今回は41回目で、今年2回目の開催だ。1回目は1月27日だったのだが、都合が悪く行けなかった。今年初参加だ。

参加といっても、おれは、古本フリマをながめ、みちくさ市連続トークをのぞき、最後に打上げで飲むだけ。

とくに連続トークを楽しみに行った。

というのも、前回から「談話室たまりあ ~ステージ上の「私事」と「仕事」~」という通しタイトルが始まっているのだが、「たま」とは姫乃たまさんのことで、「りあ」とは小泉りあさんという、おれにとってはイメージだけでほとんど認識のない「アイドル」だの「地下アイドル」だのという世界の人なのだ。

きっと会場は、むさくるしい古本好きの連中じゃなく、アイドルにあこがれアイドルをめざすカワイイお姫様たちばかりなのだろう、と、期待して行った。

ところが、10分ほど遅れて会場の扉を開けると、なんと、会場はむさくるしい若い男たちばかりなのだ。

どういうことなのだ!

とにかく始まっていたトークをきく。今回は、「チーム活動と個人活動」がテーマで、アイドルでもグループで活動するスタイルとソロで活動するスタイルがあり、その長所や短所などを話し合うということなのだ。

なにしろ「アイドル」だろうが「地下アイドル」だろうが、歌とダンスをするチョイとかわいい女の子ぐらいの知識しかないおれだが、話をきくうちに、歌とダンスはショーの部分で、それが大事なのはもちろんだが、「アイドル」が「アイドル」たるゆえんは、ある種の「恋愛ごっこ」といっても性的な意味ではなく、ファンと「あったかい関係」をどう築くかが商売の要らしいことが見えてきた。

自分を、愛されるキャラクターとして商品化する。歌もダンスも、表情から話の内容も話し方まで、その一環なのだ。アニメの作品の中のそれではなく、生身ですぐそばにいて言葉もかわせ握手もできたり、一緒に写真に写ることもできるアイドル。

連続トークは昨年までは、「作品と商品のあいだ」がテーマだったが、今回は生身の人間と商品のあいだという感じで、ようするに「商品化」の問題なのだな、と、おれは考えながらきいた。

しかし、客つまりファンもまた生身の人間だから、めんどうがある。「出禁」という言葉が使われていた。つまりアイドルとファンの関係を維持するために「出禁」も必要になる。そして「いいDNA」を自分のまわりに育てていく。これは自身の商品化と密接に重要なことらしい。

おれはスナックのママと客の関係を思い浮かべたりしたが、アイドルのほうが、ビジネスとしてはもっと洗練されていて、システム化あるいはパッケージ化されている。それは、トークが終わってから目撃することになった。

トークは、いつもより短い時間で終わったのだが、それからが本当の、アイドルとファンの時間だった。会場にいた男性は、たまちゃんとりあちゃんの前に並ぶ。

アイドル側からは「物販」の時間なのだが、インスタントカメラでの撮影がある。ファンはアイドルにポーズをとってもらい撮影したり、アイドルと並んで写真に撮ってもらったりする。1枚500円。言葉をかわし握手したりする。自分を愛されるキャラクターとして商品化した結果は、この売り上げにシビアに反映するわけなのだ。

おれのように初めて見る者にとっては、興味津々の景色だった。

「いいDNA」のファンばかりだったのか、見ていてとても微笑ましいものがあった。

しかし、これ、大変な能力がいるビジネスだ。表現の能力だけではなく、他者との距離や関係をきちんと考えて、こなさなくてはならない。

彼女たちは、広報や宣伝の仕事についたら、いい成果をだすのではないかと思ったりした。

おれもときどきやっている、モノカキたちのエラそうなトークとまったくちがう。

だいたい、あれだ、ナントカという雑誌に書いています、とか、ナントカという新聞で連載しています、なんていうのを「肩書」のように使うようになったら、メディアによりかかり人間としては堕落している証拠だな。彼女たちは、若いのに、自らをメディア化し、自立している。

とにかく、次回のトークも都合つけて行きたい。

18時からは、いつものように、サン浜名で打ち上げがあった。それまで時間があったので、東十条の「天将」で一杯やって時間をつぶしてから参加した。

今回は、おれの前の人とおれの隣に座った人とおれも口をはさんで、「改憲」「反日」をめぐって、けっこう激しい議論になった。もちろん決着はつかないのだけど、もみあいを避けるよりは、はるかによいし、だいたい面白い。人間は、いろいろだ。

小さなもめごとから、大きなもめごとまで、もみあいが次のステージを生む、というのは、利害が対立する国やグループ間などで普通に行われているし、「市民」レベルでも当然だろう。

もめごとといえば、おれたち3人がああだこうだ言っていると、突然、おれの隣の人の隣の女性が泣き出したのだ。それも、みごとな泣きっぷりで、泣きじゃくりながら何かを言っては「わーん」という感じで泣く。以前、知り合いに飲むと泣きだす「泣き上戸」がいたのだが、それと同じような泣き方なのだ。

そのうち、彼女の向こうの隣の男性が、こずいたのかどうかしたのか、彼女は「いつも暴力、もういや、わーん」そのうち「もう我慢ならない、わーん、警察よぶ、わーん」という感じになり、携帯を持ってうずくまり、ボソボソボソ、本当に警察に電話をしていたらしい。

そのころには、もうおれもだいぶ酔っていてよく思い出せない。パトカーが来たらしいが、何事もなく、済んだようだ。ま、長屋のいさかいみたいなものか。

山田参助さんが来ていて、帰りも一緒に東池袋駅まで行った。前にも何度か会っているが、いつも遅く、おれは酔っている時間にあらわれているのではないかと思う。

せっかく会えたのに酔っていて、自分でもわけのわからないことを話しているなと思いながら、それでも、これだけはききたいと思っていたことをきいたのは、覚えている。いや、どうきいたかは思い出せないが、「あれよ星屑」は、自分の近親者の体験談などがもとにあるのか、ということだったと思う。そうではないということだった。それで、なぜか、やっぱり、よかった、と思ったのだった。という記憶はある。

みちくさ市、わめぞ、いつも何かあって、面白い。「多様性」というのは、頭ではわかっていても、本当に人間っていろいろだなということを骨身にまで実感し認識する機会というのは、あまりない。とくに認識が欠けやすい。

たいがい、なんとなくおさまりのよいイメージの範囲に、知らず知らずのうちにセルフコントロールしている。わめぞのみちくさ市へ行くと、そのことに気づく。

今回、おれは、いま考えていることにドンピシャの古本を買った。なんというよいタイミング。その本については、明日書こう。五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)に深く関係する内容なのだ。

当ブログ関連。
2017/11/22
鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。

|

« 「新しい骨董」ボトルキープ100本記念飲み会@浦和ねぎ。 | トップページ | 東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」65回目、新宿・石の家。 »