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2018/03/05

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」64回目、東池袋・サン浜名。

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毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」、2月16日の掲載は東池袋の「サン浜名」だった。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018021602000178.html

ここは、わめぞ一味が企画運営する「鬼子母神通り みちくさ市」の打ち上げで、夜は何度か行っていた。

2017/11/22「鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。」に書いた、ジョッキのチュウハイをかぶったのも、ここ。わめぞ一味と共に、楽しい思いでのあるところ。

貸し切りの飲み会で、飲み放題を思い切り飲めた、いつも大量の料理が出てきた。ここのおやじさんは、大量に作って出すのを楽しんでいるように見えたし、みんながその豪華山盛りに歓喜する姿を、楽しそうに見ていた。

だからランチはどんなアンバイなんだろうと気になっていたのだ。

いやはや、おどろいた、こんなランチは初めてだ。

単なる「デカ盛り」とはちがう。

ただでさえ山盛りのおかずに、「二の膳」がつくのだ。その「二の膳」がこっている。リンゴの小さな一切れがついている。なぜか、うどんとおにぎりまでついている。

この「二の膳」はいつもつくのかとおやじさんに問うと、昼だけのサービスです、と、「どうだ!」という感じなのだ。やっぱり、客にたくさん食わせ、客がよろこんだりおどろいたりする姿を見るのが楽しみにちがいないのだと思った。

おかみさんには、初めて会った。とても気さくで楽しい愉快な人だった。店主夫妻とも、まったく着飾ったところがない。店内も、そう。

客は、いかにも大食いそうな男ばかりが一杯で、おれから2人目ぐらいに入った人は、ごはんが売り切れで断られていた。

サン浜名は、地下鉄東池袋駅そばの高速道路の下にあるのだが、真ん前の東池袋四丁目地域は再開発で以前の姿は空襲にあったように消えてしまった。

かつて1980年代、サンシャインシティの横にはファミリーマートの関東本部があって、仕事でよく行ったし、のちに事務所が東池袋公園の近くにあったことから、東池袋四丁目のへんは好きで、よくウロウロした。

Ikebukuro_asahi大勝軒は、そのころから行列ができる店だった。2度ほど入っただけ。ツケメンは、いまでもそうだが、あまり食う気がしない。都電東池袋四丁目駅そばに、小さな魚屋があって同じ建物で小さな食堂をやっていた。そこは何度か利用した。それから、朝日食堂があって、再開発後も営業していたのだが、どうなったんだろう。サン浜名のほぼ真ん前、東池袋4丁目の方へ入っていく路地の角には、古いインベーダーゲーム付きのテーブルのままの古い喫茶店があって、そこでよく時間をつぶした。そのへんは、まったく景色が変わった。路地だったところまで、もう「路地」とはいえず「道路」だ。

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東池袋4丁目あたりは、もとは「日の出町」であり、あまり大きくない古い住宅が密集するところで、駄菓子屋などがある日の出町商店街(日の出商店街といったかもしれない)があって、夕方そのあたりを歩いていると、銭湯帰りの人が店の人と立ち話しをしている景色も見られた。

わりといろいろなことが思い出される地域なのだ。

以前このブログにアップした、2006年撮影と思われる、東池袋4丁目の商店街と朝日食堂の写真も載せておこう。

日の出町は、巣鴨刑務所などが建つ東京と池袋の「辺境」だったが、巣鴨刑務所はサンシャインシティとなり、東池袋となり再開発で池袋に飲みこまれたようだ。

サン浜名は高速道路の下にあったおかげか、再開発されることなく、池袋に飲みこまれることなく、そのまま残っている。

小沢信男さんは、東池袋に住んでいたことがあり、よくこの近辺のことを書いていた。

2006/09/23
小沢信男「池袋今昔物語」と白っぽい再開発

2006/11/07
池袋辺境徘徊のち西川口いづみや

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