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2018/04/23

画家のノート『四月と十月』38号、「理解フノー」連載20回目。

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もう下旬になってしまった、今月は4月なので、美術同人誌『四月と十月』38号が発行になっている。

表紙の作品は、松林誠さんが担当、「『四月と十月』全面を覆うカバーのようなイメージです」とのこと。デザインは毎度の内藤昇さんだ。

おれは同人ではないが「理解フノー」という連載を持っていて、今回は20回目で「「バブル」の頃③ 崩壊」を書いた。

「バブルの頃」は、最初の予告通り、3回で終わりだが、まだまだ書けそうだ。でも、これで最後にする。

昨年末、たまたま出先で見たテレビに、あのバブルを象徴する「戦後最大の経済事件」といわれるイトマン事件の立役者、許永中が出演していて驚いた。あの事件以来、初めてのマスコミ登場だとか、現在は韓国にいるとのこと。刑務所暮らしは7年ぐらいだったらしい。

イトマン事件の全貌はあきらかになっていないが、とにかく絵画を担保に巨額の金が動いた。そのことについても、今回はふれた。おれも当時は、某銀行を舞台にしたアヤシイ金の動きの末端にからんでいたので、もっと書けることがあるのだが、これぐらいでやめておいたほうがよいだろう。

書き出しは「最近会った四〇代後半の経営者が「銀行がね、金を借りてくれっていうんですよ、バブルの頃と同じですね」といった」ことから始まる。

「バブル景気は崩壊したが」「バブルは手を変え品を変え、どこかに出現する。膨らむ「夢」を語りながら」というのが〆だ。

この連載では、いつも写真を一枚つけなくてはならない。写真と文字でコラージュの真似事みたいなことをしてみた。千円札を手に持って宙に浮かして撮影、手の部分をトリミングして、「夢~」の文字を組み合わせた。

ふわふわしたバブルな夢物語はどこへゆく。昨今のバブルは、どういう結末になるのか。繰り返されるループから抜け出す創造力はあるか。

今号から同人に、「家族」が加わった。

内沼文蒔・晋太郎・カンナ(息子・父・母)の家族の「共同制作」だ。2017年生まれの文蒔が絵を担当、晋太郎が文、カンナが制作補助を担当、「アトリエから」に作品が載っている。子供の成長と共に、どうなっていくか、楽しみだ。

新連載も2本スタート。岡崎武志さんの「彫刻」、1回目は「上野・西郷隆盛」。木村衣有子さんの「玩具」、1回目は「東京の郷土玩具・今戸焼」。

連載は、全部で14本になった。

『四月と十月』のサイトはこちら。
http://4-10.sub.jp/

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2018/04/19

土浦+水俣から高円寺、「食」と「開発」と「復興」。

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どんどん日にちがすぎていく。とりあえず、濃い内容の出会いがあった、先週の13日と14日のことを、ちょっとだけメモ。

13日は、土浦へ。18時20分に土浦駅で待ち合わせだったが、ついでに40年ぶりかの土浦をぶらぶらしてみようと早く出かけ、13時半に土浦に着いた。けっこう歩いて一杯やって、待ち合わせ時間に『原発事故と「食」』を出版したばかりの五十嵐泰正さんと合流、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)の著者で久松農園の代表、久松達央さん「主催」の飲み会に参加した。会場は、笹揶、もちろん初めての居酒屋だが、いい居酒屋だった。

おれはひょんなことから五十嵐さんに付いて行ったもので、少し前に久松さんが熊本の水俣を訪ね、そこで知り合った方が久松農園に来園し、この飲み会になったらしいということぐらいしか知らなかった。

水俣からは、水俣食べる通信の諸橋賢一さんと福田農場の福田浩樹さん。久松農園の方のほかに、茨城の有機栽培の農業者、酒蔵の杜氏、茨城の地酒の販売に力を入れている酒屋のサトウさん、都内からコンサルタントやフードコーディネーターの方、などなど13名ほどの多彩な顔ぶれ。

久松さんと五十嵐さんをのぞいて、初対面の方ばかり。いろいろなことを、たくさん話し合い、たくさん飲んだ。

水俣は、あの水俣病から、いまは3代目が中心の時代だとか。水俣病の事件の最中には、生まれてなかった世代だ。「まだ(自分としては)水俣をこえられてない、まず水俣をこえたい」という諸橋さんから、現在の水俣や水俣に移住した自分の生き方について聞きながら、考えることが多かった。原爆事故のあとの道のりは、水俣と比べても、まだ始まったばかりだ。

振り返ってみると、おれが有機栽培や「自然農法」などの方たちと関わりを持ったのは、1980年代の後半の熊本でだった。福田農場の福田さんと話しているうちに、当時のことが思い出された。当時は、かなり特殊な存在だった「有機」は、やがて「オーガニック」といわれ流行現象を担うようになった。言葉も変わったが、農業全体が変化の最中にある。ま、「多様化」といわれたりもするが。その変化についていけてないのが、アンガイ、情報の中心にいるとカンチガイしている都会の消費者であり中央の風をふかしているメディアと、その周辺の人間たちなのだなという感じがした。

久松さんのおかげで、楽しく有意義な時間をすごせた。久松さん、ありがとうございました。

帰りの電車のことがあるので、22時ごろ早退。こんどは久松さんの農園を訪ね、土浦に泊って、土浦の夜をたっぷり過ごしたい。昼間ぶらぶらしたが、土浦のような規模の旧い町は、なかなか面白い。それに、また熊本や水俣にも行きたくなった。

家に帰りついたのは24時過ぎで、翌日14日は、14時30分から高円寺だった。

「車座ディスカッション:震災からの復興とオリンピック後の東京のコミュニティづくりを考える-『復興に抗する』の執筆者と共に-」というトークイベント。

当ブログ2018/04/11「『原発事故と「食」』と『復興に抗する』。」に書いたように、『原発事故と「食」』と『復興に抗する』は、ほぼ同時期に発売になった。

このふたつの本については、車座ディスカッションで、『復興に抗する』の「第四章 「風評被害」の加害者たち」を執筆した原山浩介さんが、いま読んでいるところだがと『原発事故と「食」』を参加者に見せ、「著者の五十嵐さんとはスタンスは違うけど、結論は同じようで、ようするに、こういうことが(ふりかえって)書けるようになったということでしょう」というようなことを言っていたのが、すべてだろうと思う。

ふりかえり、もう一度、おきたことあったことの自分のことだけではなく全体を見直し、自分の考えや行いはどうだったか検討し、これからをどう生きるか、これからのコミュニティづくりを考える。

ディスカッション参加者(*印は『復興に抗する』執筆者)は、

中田英樹*(社会理論・動態研究所所員)/髙村竜平*(秋田大学准教授)/猪瀬浩平*(NPO法人のらんど代表理事)/友澤悠季*(長崎大学准教授)/原山浩介*(国立歴史民俗博物館准教授)

越川道夫(映画監督。震災後の福島を舞台にした「二十六夜待ち」などの作品がある)/冨原祐子(会社員。2012年4月から岩手県陸前高田市でのボランティア活動を開始。2014年9月には同地へ移住して一般社団法人で働くかたわら、「けんか七夕」の運営にも携わった)/柳島かなた(農文協東北支部職員。2014年から東北支部に所属、農村で農家や農協・役場の人々に書籍販売営業の立場で話を聞き、共感したり、反発したり、励まされたりしている)
狩野俊(「本が育てる街・高円寺」代表。「資本主義から知本主義へ」を合い言葉に、本で人々を繋ぐ新しいコミュニティづくりを高円寺で実践している)/永滝稔(『復興に抗する』の版元である有志舎の編集者)

トークが始まってからわかったのだが、この集まりは「本が育てる街・高円寺」も共催で、代表のコクテイルの狩野俊さんが、出席し発言していた。「本が育てる街・高円寺」のことは知らなかった。この活動は、いわゆる「本好き」の趣味のコミュニティとは違うようで、興味が湧いた。

『復興に抗する』は、カバー写真に、友澤悠季さん撮影の陸前高田の復興事業を象徴する、「かさ上げ工事のための土砂を運ぶベルトコンベア」を使用している。その写真を採用するにいたるトークは、生々しく、「第一章 ここはここのやり方しかない 陸前高田市「広田湾問題」をめぐる人びとの記憶」(執筆者、友澤悠季)や、災害と「復興」をめぐり起きていることにたいする理解を深めた。

記憶と記録。

トークは16時半ごろ終わり、コクテイルに移動して、懇親会になった。20人ぐらいの参加だったか。トークのときから、猪瀬浩平さん以外は初対面の方ばかりだった。前日と違うのは、ほとんど「学術系」の方たちだったこと。ただ、フィールドワークの経験が豊富で、本書もそうだが、そこに何があったか、そこに生きる人びとのことを掘り起こしている。というわけで、「コミュニティ」といわれたりする「地域」について、いろいろ考えることが多かった。

面白かったのは、水俣へ行っても、誰の紹介で歩くかによって地域の見え方は違ってくること、震災にしても原発災害にしても、そもそも地域は多様な文脈で成り立っているのだから、どこからどうアプローチするかによって、まったく違って見えることだ。

「反原発」も「原発推進」も地域では単純ではない。「左派」や「右派」といった中央の観念的な分類では、見えないこともある。『復興に抗する』には、そのへんの事情がよく描かれている。

地域に入っていく場合、言葉の使い方ひとつで、地域の人たちに判断され、対応が変わってしまう。といった話もあって、おれも経験していることで『理解フノー』の「「文芸的」問題」にも書いたりしたが、地域とは、なかなか一筋縄ではいかない。なのに、単純に短絡して考えるのが、「中央」なのだ。それで「知った」気になる。

と、大いに飲みながら、コクテイルでは、若い農村社会学者と、「食文化」と「料理文化」、「消費文化」と「生活文化」などについて、けっこう話し込み、前夜の疲れの残りもあり泥酔ヨロヨロ帰宅だった。

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2018/04/13

『dancyu』5月号「美味下町」ではやふね食堂を取材した。

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去る6日発売の『dancyu』5月号は「美味下町」という特集で、おれは森下の「はやふね食堂」を取材して書いている。森下は、もとは深川区だから深川と言ったほうが通りがよいかも。

1991年ごろ初めて行った食堂で、おれの最初の著書95年発行の『大衆食堂の研究』には、はやふね食堂について「昭和の初めのころには、 当時の東京市内の飯屋の一五パーセントは深川にあったのだそうな 。だけど戦争をさかいに、 田舎の世田谷区や杉並区の方に移住するひとも多く、激減。で、 伝統あるこの地で、食堂といえば、ここだね。」と書いてある。

森下3丁目といえば「ドヤ」というイメージは80年代ごろから次第に薄れていったけど、戦前から屈指のドヤ街だった。はやふね食堂の裏はドヤが並び、この界隈には、ほかに3軒ほど食堂があったらしい。いまはその面影もない。住宅と小さな町工場が入り混じってひしめきあっている。

すぐ前に深川小学校があり、はやふねのご主人は昭和19年早生まれで、昭和18年遅生まれのおれとは同学年になるのだけど、ここで生まれた。深川一帯が空襲で焼け野原になったときは、長野へ疎開していて難は逃れた。

その焼け野原にもどってきた一家の母が、焼き芋やかき氷を売る店を始めた。それが食堂へ「進化」した。

築地が近いので魚は築地へ買い出しに行く。「野菜は?」と聞いたら、「引き売りと、近所のスーパー」と。「え、このへんまだ引き売りが来るんですか」と聞くと、「トラックでね」。昔の「引き売り」という言葉をそのまま使っているが、そのトラックは、朝のうちに葛西方面の農家で直接仕入れ、売ってまわるのだそうだ。いかにも東京の東の下町らしい話だ。

深川で生きた母の手料理が引きつがれている食堂。「特別の食材は使っていないし特別のことはしてないと言う」だけど「ありふれたものをおいしくつくる熟練の味」がある。

この前の見開きページを、山本益博さんが書いている。門前仲町の「ふく庵」の天ぷらだ。山本さんは「私は特価品には興味はなく、いつも心がけていることは特上品の批評である」と、いかにも彼らしいことを述べている。

で、そのページをめくると、「特価品」ではないが「特上品」でもない普通の食事のはやふね食堂になるというわけで、下町の懐の深さを感じますね。

写真は、「料理写真界のキムタク」こと木村拓さん。

また今号の写真には、久しぶりに、久家靖秀さんが登場。浅草の「鮨一新」を撮影している。

ま、手にとって見て下さい。

最後の写真は、はやふね食堂の40年の糠床。

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2018/04/11

『原発事故と「食」』と『復興に抗する』。

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この2冊は少し前後し同じころに発売になった。『原発事故と「食」』(五十嵐泰正、中公文庫)は2月18日の発行、『復興に抗する』(中田英樹/高村竜平・編、有志舎)は2月10日の発行だ。

おれは両方一緒に買ったが、『復興に抗する』は編者も含め5人の方による共著で本文326ページのボリュームということもあって、厚さからしてとっつきやすい『原発事故と「食」』を先に読了し、このブログでああだこうだ書いていた。その間に、『復興に抗する』も読み進めていたのだが、この2冊を読んで、すいぶん展望が開けた気分になっている。

ま、「気分」だけで、十分理解してないかも知れないのだが、展望が開けた気分ってのは、いいもんだし大事だな。

ようするに、福島をめぐっては、『原発事故と「食」』の帯に「今なお問題をこじらせるものは何か」とある通り、遠くから眺めているだけでも辟易するありさまになっている。そのあたりが、この2冊によって、自分なりの整理がついてきた感じなのだ。

しかし、『復興に抗する』ってタイトル、ちょっと誤解されやすいんじゃないかな。おれはタイトルだけ見たとき、復興に抗う人たちの話しかと思ってしまったもの。

サブタイトルには「地域開発の経験と東日本大震災後の日本」とあるのだが、これ、帯にある「私たちは、どのように「開発」や「復興」を生きるのか?」のほうが、内容に沿っている。その帯には「「復興」の名のもとに、戦後日本のなかで繰り返しあらわれる開発主義と、それでもその場所で今日も明日も生き続けようとする人びとの姿を描き出す」という文もある。そういう本なのだ。

『原発事故と「食」』は、序章と終章を除く全4章のうち、3章のなかばまでは、主に「風評」被害と続く「悪い風化」のなかで福島の生産と販売のこれからが中心的な課題になっている。消費者がどうすべきかは、直接的にはふれられていない。

これは本書が「福島県産品のおかれた現状と打開策」を、原発事故がもたらした他の課題から切り離して追求しているからで、「消費者」としてどうすべきだろう?という思いが残るか、もっと積極的に、どうすればいいんだ、と思う読者もいるのではないかと思う。

一方、『復興に抗する』では、「福島県産品のおかれた現状と打開策」が課題ではない。

そして、第4章「「風評被害」の加害者たち」の「3 同調と「信仰」の共同体の克服へ」では、「汚染とそれによる健康被害をめぐって、とりわけ「消費者」の立場に身を置いたとき、最も汚染の深刻な現場に対して、どのような連帯の方法があるだろうか。これは、なにも原発事故に固有の問題ではない。過去の公害においても存在した、古くて新しい問いである」と述べている。

「環境をめぐってそこで仕事をする生産者と消費者が一体性をもって対応する可能性である」と、ホットスポットになった柏での五十嵐さんたちの「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の例なども記されている。

消費者は、「風評被害」の加害者になりやすい。過去の公害や食品をめぐるさまざまなジケンでも、そうだった。福島と水俣の「共通点」をめぐっては、いろいろ議論があって、ここでも石のぶつけあいのようになっているが、カンジンなことは、水俣もそうだしカイワレや牛でも鶏でもあったが、消費社会における消費者は「風評被害」の加害者になりやすいということだ。

なぜそうなってしまうのか。これは「科学的知識」だけの問題ではないだろう。

『原発事故と「食」』では、五十嵐さんは柏の「円卓会議」の活動について、「しっかりと測定を行い、放射能問題に真摯に取り組む地元農業者の姿勢を示すことで、この機にこそ、都市農業地域の柏でかねてより重視されていた生産者と消費者の関係構築が進むのではないか」と話している。

この2冊を読んで思ったのは、「環境をめぐってそこで仕事をする生産者と消費者が一体性をもって対応する可能性」の追求は、まだいろいろあるのじゃないかということだ。

『原発事故と「食」』と『復興に抗する』には、具体例として福島の生産者たちが登場する。汚染された「その場所」で、「放射能問題に真摯に取り組む地元農業者」たちが登場するが、そのようすは、まだ、かなり不十分にしか知られていないし理解もされてない。もともと生産者と消費者の乖離が激しい状況が続いている中で。

そこだ、モンダイは。

と、思ったのだった。

当ブログ関連
2018/04/02
「食」をめぐる「不安」や「不信」の構図。
2018/04/01
「福島」から遠く離れて。
2018/03/16
共生。われわれはみな〈社会的〉に食べている。
2018/03/11
3月11日だから、五十嵐泰正著『原発事故と「食」』(中公新書)を読んで考えた。
2018/02/18
「右と左」。

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2018/04/05

「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。

といっても、ただいま絶賛配布中なので、詳しくはそちらを見ていただくとして、ここでは写真を中心にチラ見ていどだが。

まずは、伊久乃食堂。

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この場所で始めたのが62年前というから、1956年のこと。おれは13歳だから、中学生。あのころの日本は、どんなだったか、どのていど知っています?といっても、ひとの記憶はアヤフヤ。しかし、そのままの姿で続いていることもある。

「一日の始まりに、大きなガスコンロの上に昔の厚くて重い木のふたの羽根釜をのせ、めしを炊く。」

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伊久乃のメニューは、すごくシンプルで合理的だ。開業当初のものから、フライ類を減らしたものらしい。揚げ物を使う定食は、かつ定食600円とかつ丼700円のみ。

「定食15品、丼2品、単品7品、それにビールだけ。豚肉、野菜、魚、豆腐を主材に、過不足ない限界までしぼったような定食中心のメニューだ。/一番高額の定食が鮭焼680円、安いのは450円のもやし炒め。」

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「ニラ玉子とじは、タマネギとニラを煮て玉子でとじるのだ。」「見た目は頼りないニラ玉子とじ、だしもきいてよいおかずだった。」480円。

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伊久乃食堂があるあづま通りには、ほかにも伊久乃と同じぐらい古い「福助」、それから「やなぎや」などの食堂もある。この通りには、古い鮮魚店もある。おれは、昔の鮮魚店が続いている町は暮らしやすいところ、という偏見を持っている。

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2018/04/04

地元で「新しい骨董」ボトルキープ。

129541757_1540536346073034_262130_2もう先月になってしまった。30日に、地元の昭和酒場コタツに「新しい骨董」ボトルキープをする飲みをしたのだった。

地元民のチエさんと三平さん、それにサチとおれの4名。おれ以外は勤めの帰りだから、18時半から19時ぐらいまでのあいだにバラバラ集まった。

まずはキンミヤのボトルをとるが、久しぶりなので、話が炸裂。チエさんのハイテンションに引きずられ、あの話この話。

考えてみると、ここ東大宮に引っ越して今年で10年になるが、最初に知り合った地元民がチエさんだった。

三平さんと会うのは今回が初めてだったが、ツイッターではフォローしあっていたし、ちょこっとだがチエさんから話を聞いていたので初めての感じがしない。

とにかく、東日本大震災では三平さんは住んでいた宮城で被災し、骨を何ヶ所か折る重傷を負い、死線をさまよったのち生還した。親戚の方は亡くなったそうだ。

あのときは、チエさんには三平さんという人がいるのを知らなかったから、地震発生の直後からツイッターでチエさんが不可解なツイートと動きをしているので、ナニゴトカと思っていた。ツイートしていることは「狂乱」という感じであり、とにかく交通手段のないなか、北へ向かっているということはわかった。そして、何日かして、重体だった誰かが死地はこえたことがツイートでわかり、とにかくよかったと思った。

話は自然に、震災や原発事故をめぐることになった。知り合い関係には移住した人たちが、けっこういる。放射能問題だけではなく、震災や原発事故から、これからの人生を考え直して移住した人もいる。埼玉には、被災地から避難してきていたが、そのまま定住する人もいる。

おれの知り合いでは、東京から南相馬に移住した直後に原発事故にあい、とりあえず彼の新潟の実家へ避難、その後南相馬にもどったのだが、まもなく突然亡くなった。ほかにも家族と西へ移住した後に亡くなった知人もいる。直線の因果関係は不明でも、大災害は、思わぬ負荷をあちこちにばらまく。それを個人で背負わなくてはならない。

負荷にも大小があって、とかく大きな負荷ばかり話題になりやすいが、大災害がおよぼす影響は、小さなトゲが一人一人の小指の先に刺さったような状態でも続いていることがある。大災害にかぎらず、とかく難儀が多い。

大上段にかまえることなく、そういうことを話し合いながら、トゲをとったりもみほぐしたりする場が、なかなかない。

今回は「新しい骨董」のボトルキープをしようと集まったのだが、そんなことがいいキッカケになったりするのだ。

いいねえ、このボトルキープ。「新しい骨董」のボトルは、誰でも飲めるけど、空けた人は必ず新しいボトルを入れてつなげること。それが新しい可能性につながる。

当ブログ関連
2018/03/22
「新しい骨董」ボトルキープ100本記念飲み会@浦和ねぎ。

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2018/04/02

「食」をめぐる「不安」や「不信」の構図。

タイトルは大きく出たが、きのうの続きのメモだ。

五十嵐泰正『原発事故と「食」』は、第4章「最後に残る課題」で、「差別」についてふれている。

そこに、「福島在住のライター林智裕は、「フクシマの農家は人殺しの加害者だ」「子供を避難させないお前は人殺しだ」などの言葉を、身近な人たちが実際に浴びてきたことを明かしている」とある。

このように「人殺し」よばわりする例は、おれもツイッターで見ているし、しかもおれの知人も、そういうツイートをしていた。かれは、家族と共に西の方へ移住したが、かれが「人殺し」よばわりするのは、東電原発事故以前からのことで、それは喫煙者に向けられていた。

たばこを「毒」といい、たばこを吸って煙をばらまくやつは「人殺し」だと言っていた。ツイートもしていた。そして、東電原発事故のあとは、放射能は「毒」で、それをふりまく福島の農家は「人殺し」となった。

当時、「ゼロリスク志向」ということが言われたが、かれはそういう言葉でくくられるようなことを、東電原発事故以前から盛んに言っていたのだ。かれは、問われたら「反原発」だったかも知れないが、「反原発」を口にしたことはない。政治的には、まったく無関心だった。

円堂都司昭『戦後サブカル年代記』の第3章「一九九〇年代」には、「『買ってはいけない』が再生産した過去」という見出しの節がある。

「週刊金曜日」が一九九六年十二月から連載した「買ってはいけない」をムックにまとめ一九九九年に発売した。記憶にある人も多いだろう。反論本も出て、よく売れた。

『戦後サブカル年代記』の著者は、反論本への反論として「週刊金曜日」編集長(当時)の松尾信之が述べていたことを引用している。

「 水俣病、森永ヒ素ミルク事件なども忘れるわけにはいきません。当時よりも化学物質が氾濫し、複雑な製造過程となっているいま、少しの危険性でも見つけたら消費者やマスコミが警鐘を鳴らし、問題点と解決策を提起することが大切だと思います。杞憂で終わればそれでよし、メーカーが率先して改善してくれればもっとよし。」

「少しの危険性も見つけたら」と、これは「ゼロリスク志向」といえるだろう。

この引用のあと著者は、こう書いている。

以下引用………

 水俣病の昔から公害などの問題では、該当企業が製造工程や商品は悪影響を与えていないと自社に有利なデータや説明を提示するが、後に被害の原因だったと判明するケースが繰り返されてきた。こうした経緯から「杞憂で終わればそれでよし」の発想になるのだが、O157をめぐってカイワレ大根がそうだった通り、「杞憂」の流布が供給者に被害を及ぼすこともある。「終わればそれでよし」とはいかない。

…………引用おわり。

ツイッターでは「杞憂で終わればそれでよし」と同様のツイートも見られたが、これは「ゼロリスク志向」と表裏の関係と言ってよい。

『買ってはいけない』は、一九八三年発行の郡司篤孝『怖い食品1000種』の系譜と見てさしつかえなく、つまり、『買ってはいけない』は過去を再生産したのだった。

『戦後サブカル年代記』ではふれてないが、『買ってはいけない』『怖い食品1000種』の系統としては、船瀬俊介の一連の著作の影響力も忘れてはならない。

「安全派/危険派」は、東電原発事故前から、様々に存在した。その背後には「不安」や「不信」の累積がある。

以前何度か書いたが、食をめぐっての「自然志向」や「職人手作り志向」に典型的にあわられていると思うが、近代との付き合い方がうまくいってないこともある。近代的なシステムに対する不信や不安が根強い。

もともと完璧ではないシステムのなかで生きるためにどうしたらよいか、どう安心や信頼関係を保つかということに、なかなか議論が進まないのだな。

おれが食品のマーケティングに関わった1970年代初頭から、「チクロ」問題から食品添加物問題がくすぶり続け、政府や企業の責任回避の後手後手の対応もあり、食品に対する不安や不信は再生産され拡大するばかりだった。

原発事故と「食」をめぐるあれやこれやは、そういう流れと深い関係があると思う。

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2018/04/01

「福島」から遠く離れて。

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2018/03/24「鬼子母神通りみちくさ市で「地下アイドル」世界を垣間見る。」に、「今回、おれは、いま考えていることにドンピシャの古本を買った。なんというよいタイミング。その本については、明日書こう。五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)に深く関係する内容なのだ。」と書いたままにしていた。

その本は、みちくさ市の本部の古書現世の棚で見つけた、『戦後サブカル年代記』(円堂都司昭、青土社2015年9月14日発行)なのだ。目次を見ただけで、これは面白いし資料価値も高いと思って買った。厚い割には、値段も1200円という、即物的評価の高さもあった。

本文328ページのほかに、主要参考文献のリスト、関連年表が充実している。

この本には、「日本人が愛した「終末」と「再生」」というサブタイトルがついている。チョイとシニカルな感じがするが、斜に構えているわけじゃない。

「終末」は「スクラップ」を、「再生」は「ビルド」を、意味しているのだが、敗戦後の焼け跡と復興から、2010年代のこの本が発行されるまでの「スクラップ&ビルド」の繰り返しを、時代の反映としてのサブカルを振り返り、評を加えながらまとめている。大変な作業であり労作だ。

1945年の広島・長崎へ原爆の投下と終戦から、「戦後史をふり返れば、似たモチーフが時代を超えて何度も登場したし、私たちは「終末(スクラップ)」と「再生の(ビルド)」のある種のループに閉じ込められているかのようだ」「日本人はいまだにループの外部を上手に思考することができず、過去を反復しようとしてしまう」と、著者は最後の方でまとめのように述べる。

序章が、「一九四五年以後 終末から再生へ」から始まる。その最初の項は「聖火と原爆」であり、「一九六四年東京オリンピック」「原子力的な日光と『ゴジラ』」と節が進み、次が「終わらない「戦後」」だ。

そこで、おれは大発見でもしたかのように、「あっ」と思ったのだ。こう書かれてある。

以下引用………

『ゴジラ』公開の翌年の一九五五年には黒澤明監督『生きものの記録』が公開されていた。同作は、第五福竜丸事件、米ソ二大国の核開発競争といった世相から発想した内容であり、鋳物工場の経営者が、原水爆の放射能から逃れるためブラジルに移住しようといい出す。だが、家族に反対され、狂気に陥るストーリーだった。原爆を落とした相手をどう思うかとは別の話として、核の恐怖をどの程度に見積もるのか、戦後十年ですでに国民の間に埋められない意識の溝が生じていることをとらえた映画だった。

…………引用おわり。

『原発事故と「食」』の五十嵐さんは、まえがきで、「2011年以来の「(事故後の放射線リスクに対する)安全派/危険派」「生産者/消費者」「福島県民(とその支援者)・県外の人」という構図で、ツイッターなどを舞台に一部の人々が相変わらず石を投げ合っている。そんないつまで続く論争を横目に、大多数の人たちが被災地への関心を失ってゆく状況は、健全な姿ではないだろう」と述べている。

「安全派/危険派」については、「戦後十年ですでに国民の間に埋められない意識の溝が生じていること」を、おれは知らなかったといってよい。というか、忘却の彼方だった。これも「風化」といえるか。それで「あっ」と気が付いたのだ。

この構図は、何度も繰り返されている。食品をめぐっても、化学肥料や農薬あるいは食品添加物などについては日常的だし、大きなことでは、水俣があり、O157カイワレがあり鳥インフルや、近年では中国産の冷凍食品をめぐっても、いろいろあった。

「終末」と「再生」のほかに、「関心を失ってゆく状況」つまり「風化」があった。「風化」があって、閉じられた「ループ」が完成しているという感じもある。

「健全な姿ではないだろう」という問題意識は、『原発事故と「食」』のキモだと思う。

健全な姿を求めて。だけど、「風化」は、避けられない。

『原発事故と「食」』の第2章「風化というもう一つの難題」では、風化の実態にふれ、「伝えかた」を検討している。そこに「危険/安全の軸をズラす」ということがある。

これは、けっこう大事なことだと思う。

「ズラす」というのは、「危険/安全」から目をそらさせるような印象があり、なんだか詐欺的な手口のように聞こえそうで、あまりよい表現には思えないが、関心の本当のところを探るということになるだろうか。被写体に対し自分の位置をズラすように、自ら別の見方をしてみることだろう。それは閉じられたループを抜け出す一歩になりそうだ。

しかし、昨今の「福島」と「放射線」をめぐる言説状況は、「福島」や「放射線」に近い人たちばかりの話が中心になっている感じで、われこそは「福島」や「放射線」の実態に近い、を競っているようで、それがさらに風化を進めている感じもある。すでに「当事者」や「当事者に近い人たち」が中心の閉じられたループの中の話という感じだ。

「福島」に執着し、過去何度も繰り返されてきたスクラップ&ビルドから教訓をくみ取ろうという視野が感じられない。つまりは、何度も似たような体験をしている人たちはほったらかしに、「福島」への関心を「軸」にしている。風化を避けるには、その「軸」を「ズラす」ことだろう。

2016/12/20「「他人事」からの出発。」には、「当事者意識を持つことが、他人事意識の解決になるのか。風化や他人事意識は避けられないことを前提にした考えや方法があってもよいはずだ。」と書いた。一年以上が過ぎ、ますますその必要を感じている。

「当事者」に近い人たちだけが着けるテーブルではなく、誰でもが着けるテーブルの模索。「健全な姿」とは、それだろう。

もうちょっと引いたところから、あるいは巨視的に他人事的に考える必要があるんじゃないかな。と、おれは考えているわけなのだ。

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