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2018/04/02

「食」をめぐる「不安」や「不信」の構図。

タイトルは大きく出たが、きのうの続きのメモだ。

五十嵐泰正『原発事故と「食」』は、第4章「最後に残る課題」で、「差別」についてふれている。

そこに、「福島在住のライター林智裕は、「フクシマの農家は人殺しの加害者だ」「子供を避難させないお前は人殺しだ」などの言葉を、身近な人たちが実際に浴びてきたことを明かしている」とある。

このように「人殺し」よばわりする例は、おれもツイッターで見ているし、しかもおれの知人も、そういうツイートをしていた。かれは、家族と共に西の方へ移住したが、かれが「人殺し」よばわりするのは、東電原発事故以前からのことで、それは喫煙者に向けられていた。

たばこを「毒」といい、たばこを吸って煙をばらまくやつは「人殺し」だと言っていた。ツイートもしていた。そして、東電原発事故のあとは、放射能は「毒」で、それをふりまく福島の農家は「人殺し」となった。

当時、「ゼロリスク志向」ということが言われたが、かれはそういう言葉でくくられるようなことを、東電原発事故以前から盛んに言っていたのだ。かれは、問われたら「反原発」だったかも知れないが、「反原発」を口にしたことはない。政治的には、まったく無関心だった。

円堂都司昭『戦後サブカル年代記』の第3章「一九九〇年代」には、「『買ってはいけない』が再生産した過去」という見出しの節がある。

「週刊金曜日」が一九九六年十二月から連載した「買ってはいけない」をムックにまとめ一九九九年に発売した。記憶にある人も多いだろう。反論本も出て、よく売れた。

『戦後サブカル年代記』の著者は、反論本への反論として「週刊金曜日」編集長(当時)の松尾信之が述べていたことを引用している。

「 水俣病、森永ヒ素ミルク事件なども忘れるわけにはいきません。当時よりも化学物質が氾濫し、複雑な製造過程となっているいま、少しの危険性でも見つけたら消費者やマスコミが警鐘を鳴らし、問題点と解決策を提起することが大切だと思います。杞憂で終わればそれでよし、メーカーが率先して改善してくれればもっとよし。」

「少しの危険性も見つけたら」と、これは「ゼロリスク志向」といえるだろう。

この引用のあと著者は、こう書いている。

以下引用………

 水俣病の昔から公害などの問題では、該当企業が製造工程や商品は悪影響を与えていないと自社に有利なデータや説明を提示するが、後に被害の原因だったと判明するケースが繰り返されてきた。こうした経緯から「杞憂で終わればそれでよし」の発想になるのだが、O157をめぐってカイワレ大根がそうだった通り、「杞憂」の流布が供給者に被害を及ぼすこともある。「終わればそれでよし」とはいかない。

…………引用おわり。

ツイッターでは「杞憂で終わればそれでよし」と同様のツイートも見られたが、これは「ゼロリスク志向」と表裏の関係と言ってよい。

『買ってはいけない』は、一九八三年発行の郡司篤孝『怖い食品1000種』の系譜と見てさしつかえなく、つまり、『買ってはいけない』は過去を再生産したのだった。

『戦後サブカル年代記』ではふれてないが、『買ってはいけない』『怖い食品1000種』の系統としては、船瀬俊介の一連の著作の影響力も忘れてはならない。

「安全派/危険派」は、東電原発事故前から、様々に存在した。その背後には「不安」や「不信」の累積がある。

以前何度か書いたが、食をめぐっての「自然志向」や「職人手作り志向」に典型的にあわられていると思うが、近代との付き合い方がうまくいってないこともある。近代的なシステムに対する不信や不安が根強い。

もともと完璧ではないシステムのなかで生きるためにどうしたらよいか、どう安心や信頼関係を保つかということに、なかなか議論が進まないのだな。

おれが食品のマーケティングに関わった1970年代初頭から、「チクロ」問題から食品添加物問題がくすぶり続け、政府や企業の責任回避の後手後手の対応もあり、食品に対する不安や不信は再生産され拡大するばかりだった。

原発事故と「食」をめぐるあれやこれやは、そういう流れと深い関係があると思う。

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