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2018/07/17

100年‐大正期‐ベルクソン‐美味の文化。

今から100年前は1918年で、大正7年。この年は、第一次世界大戦が終わった年でもあり、東京や大阪や地方都市に公営の簡易食堂が生まれた年でもある。

簡易食堂は「苦学生」や労働者を主な対象にしたもので、これが設立された背景には、やがて「大衆」という言葉が生まれ、それが昭和の初めには流行語にまでなるような、都市の新しい民衆の急増がある。そして、昭和初期の「大衆食堂」の誕生につながる。

それは明治の日露戦争からのちの都市の工業化と農村の疲弊が、第一次世界大戦でさらに進行したことによる。つまりは、民衆レベルの「近代化」は、この頃が一つの転換点だといえるだろう。大正12年の関東大震災は、東京の江戸の名残りを一掃する破壊力があって、生活や風俗も含めあらゆる面で「近代化」が進行したのだ。

とにかく、「大正」というと「デモクラシー」であり「モダニズム」だ。民衆史としては、明治維新より大正に注目したい。ってことで、去年あたりから、「大正」が気になっている。気になって、いろいろ調べているうちに、いろいろおもしろい発見があるのだった。

松崎天民さんという人がいた。食通史や食文化史に関心がある人ならたいがい知っているだろうが、京阪や東京などの「食べある記」シリーズで有名だが、もともとは新聞記者で、時事や世相について、いろいろ書き残している。

雑誌『新日本』大正4年11月号に「大正世相私観」を寄稿していて、これがおもしろい。大正になってからの新しい動きと、展望についてふれている。「カチューシャの唄」「寄席芸衰退の現象」「活動写真と連鎖劇」「新傾向と新流行」「大正芸妓が生まれた」「出版界の暗遷黙移」「野次馬政治の傾向」「科学方面の新消息」といったぐあいだ。

どれも現代に通じることがあっておもしろいのだが、「カチューシャの唄」で、このようなことを書いている。

「政治家は大正第一次の政変を以て、「大正史」の巻頭を飾るであろう。思想家はオイケンやベルグソンの輸入を以て、「大正史」の第一ページを彩るであろう。法曹界は海軍収賄事件を以て、「大正史」の劈頭に置くであろう。その他、桜島の噴煙と云ひ、秋田の震災と云ひ、桂公の薨去と云ひ、大正に入ってから僅に四年、過ぎ行く月日は短くても、此の四年間には種々の問題や出来事が、私達の日常生活にまでも、非常な勢力で湖の様に漲り寄せて来た」

いま「大正政変」を語る人は少ない。海軍収賄事件、桜島噴火、秋田の震災、いまでも同じようなことが続々と起きているが、対応に改善が見られないのは、やっぱり日本人は忘れるなといいながら忘れやすいのか。

知見の積み重ねは、どこへやら、いつもゼロからのスタート。まあ、だいたい、知見なんか大事にしてないねえ。たかだか自分の好き嫌いは大事にするけど。

それで、「思想家はオイケンやベルグソンの輸入を以て、「大正史」の第一ページを彩るであろう」におどろいた。そうか、ベルクソンは、そうだったのか。この知見、忘れるわけにはいくめえ。

『美食の文化史』(ジャン=フランソワ・ルヴェル著、福永淑子・鈴木晶訳、筑摩書房1989年)には、ベルクソンの著書から巧みな引用がある。

著者は「メニューはどれも修辞学の演習」と述べたりしているのだが、メニューや料理書や文献などに見られる美味の感覚と言葉の機能などに関して述べているところに、それはある。

ベルクソンは、代表的な著作『時間と自由』第二章(1888年)に、「言語が感覚に及ぼす影響は、人々が一般に考えるよりもずっと深い。言語は我々に感覚の不変性を信じさせるのみならず、時折、経験済みの感覚の特性を誤らせもするだろう。かくして、私が美味だと評判の料理を食するとき、人々が表明する称賛に満ちたその名称が私の感覚と意識の間に入りこんでしまいその料理が好きだと思いそうになる。ちょっと注意すれば、その反対であることがわかるであろうに」と書いているのだそうだ。

いやあ、好き嫌い大事な人たちは気をつけよう、ね。

そして、著者は、この引用のあと、こう書いている。

「ベルクソンは、「美味なりと評判の料理」がありふれた味、あるいはいかなる風味もないことさえあるケースをとり上げている。そういうとき、人は仕方なく、その「繊細さ」、「軽さ」を称賛するだろう」

あははは、「繊細」や「軽さ」をほめ言葉と思い込んでいると、とんだことになりそうだ。

で、ここで著者は、「華麗な料理のことばの扉の後にある名もない大衆の料理」を見つけることの難しさや、「普通の料理、「草の根」の料理芸術」にふれながら、こう結ぶ。

「何世紀にもわたって綴られるガストロノミーの連続ドラマの粗筋は、料理上手なおかみさんと、考えるプロの料理人の間の絶えざる闘いだ。この痴話げんかは、よくできた冒険小説と同じく、さんざん仲違いしたあとはめでたく結婚して幕、というわけだ」

この本の邦訳タイトルは『美食の文化史』だけど、おれは「美味の文化史」のほうがよいような気がしている。

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