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2018/07/06

鰯(いわし)の立場。

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一か月前の6月6日に発売の『dancyu』7月号は「本気の昼めし」という特集で、おれは都内の動坂食堂を取材して書いた。

『dancyu』は、いわゆる「グルメ」な雑誌であり、ということは、とにかくモノの味覚が中心であり、それによった話が中心になっている。だけどおれのばあい、あまりモノの味覚を中心にした話は書いてこなかった。それは、テーマにもよるが、「食堂」が対象になることが多かったためでもあるのだな。

この号の動坂食堂ではちがった。「イワシの天ぷら」を全面に押し出し、おれにしてはモノと味覚によったことを書いている。

それは、鰯の立場が、その字のように、あまりにも弱いからであり、冷遇されていることが多いとおもっていたからだ。

書き出しから、「イワシの天ぷらが好きだ」とやった。ほんとうに好きなのだ。好きなんだが、大衆食堂でも、食べられるところは少ない。大衆酒場や居酒屋というところへ行くと、まだある感じだが、でもこれほど安い大衆魚なんだから、もっとあってよいはずだとおもうほど、メニューにあるところは少ない。

イワシの刺身は、天ぷらに比べるとあるようだ。おれがたまにいく回転寿しには、イワシは必ずある。おれは、真っ先にイワシとアジをにぎってもらう。

動坂食堂の「イワシの天ぷら定食」について、書き出しからもっと引用しちゃおう。

 イワシの天ぷらが好きだ。特に定食となると、淡白な米の飯とは対照的な味わいの、イワシ天の個性がものをいう。だけど、その個性は実に微妙で、鮮度に左右されやすい。つくるのも食べるのも、イワシの脂の劣化との競争なのだ。
 動坂食堂のイワシ天は素晴らしい。腹の辺に大葉がからみ、骨はとってあるのだが、活きのよい仕事ぶりをしめすかのように、スックと立ちそうなほど、まっすぐカラッと揚がっている。油の鮮度もよく、いつ食べてもうまい。
 とにかく熱々のうちに食べる。冷めて味が落ちないうちに食べたい。心がはやり、テーブルにおかれると同時に、最初の一尾を、つゆを使わずに大葉が付いている側から頬張る。サクサクサク、大葉の爽快感とイワシの旨味が口中に広がる。はあ~これだよなあ~、と一息ついて、残りの2尾はつゆをちょっとつけ、ごはんと交互に口に運ぶ。味噌汁も丁度よいあんばいだ。

というぐあいだ。これで全原稿量の半分ぐらいを使っているのだから、おれとしては異例だ。

本当は、「腹の辺に大葉がからみ」という揚げ方に、とくに特徴があるのだが、字数の関係でふれられなかったから、ここに書いておこう。。

イワシの天ぷらに大葉は付き物といってよいぐらいだが、たいがい、イワシの身に巻くか、衣に巻いて揚げる。ところが、動坂食堂のものは、たぶん、イワシと大葉を別々に揚げ鍋に入れ、鍋の中でからめるのだろう、イワシと大葉は衣で接続しているだけなのだ。だから、大葉の側から食べると、大葉が香りがサクサクッと口中に広がる。イワシもサクサクだ。

イワシの立場は弱い。肥しや養殖魚のエサだったのであり、だいたい「雑魚」「下魚」といわれる青魚の中でも、サンマのように話題になることもなく、最も弱い立場にあった。

そこには、安物をバカにしたり、安物を食べたり身につけたりする人をバカにする、根強い文化もからんでいる。「高級」がエラそうにしているのだ。

そして、これが旨さのもとでもあり、大きな弱点でもある、皮下脂肪の劣化が早いのだ。そして、その脂は、なんという物質だかすぐ思い出せないが、もともと若干の臭みと雑味というかエグみを含んでいて、それが「下品」と嫌われたりしていた。そして、脂の劣化で、その臭みやエグみが、どんどん増すのだ。

それから、とうぜん、イワシを揚げると、その脂が天ぷら油に溶けだして、油まで臭くなる。

ま、そういうこともあって、扱いにくいクセのあるやつなのだなあ。

だけど、そこが可愛いのよ。

おれは、若干の臭みやエグみは、けっこう好きだ。下品といわれようが、悪趣味といわれようが、けっこう。そういう偏見こそモンダイだとおもっている。

イワシの個性は、それなりの旨さだ。

が、しかし、自分で料理に使うときは、やはりけっこう気にする。イワシの生姜煮や梅煮にしても、骨を残すわけで、生ゴミにすると、そこから昨今の密閉性の高い家中に、臭いが広がる。やせ我慢で、うーん、イワシは臭いまで旨いねえ、と言っていても限界がある。だから、イワシを食べるのは、ゴミ出しの前の晩にしている。

イワシを叩いて、ダンゴにして味噌汁(ツミレ汁ね)にすれば、あとかたもなく腹におさまるのだが、そのばあいでも、内臓ははずすわけで、これがまたキョーレツな臭いのもとになる。

まだ、この臭いに馴れきるほど、おれはイワシを愛していないのだろうかと、おれは悩む。

谷崎潤一郎というやつは、とんでもないやつだ。イワシの天敵だ。やつは、イワシだけを「下魚」といって下等なものにしたわけじゃなく、東京の人間が食べるものを「見るからに侘しい、ヒネクレた、哀れな食ひ物」としたのであり、そこにイワシやサンマも含まれる。

かれは東京生まれ育ちで、関東大震災のあと、関西へ移住し、芦屋あたりに住んだ。

ま、別に東京の食べ物を擁護したいとは思わないが、食べ物について偏見を持った人間というのは、みっともないとおもう。それが仮に「美学」だとしたら、クソクラエだ。

今日は、これぐらいにしておこう。

そうそう、滝田ゆうの『寺島町奇譚』には、一家がツミレ汁を作って食べる場面があるけど、とても旨そうでシアワセそうで平和な、いい景色で、好きだねえ。その暮らしが戦争で焼け野原になる。庶民の暮らしや食べ物を見下す文化と差別や戦争は無関係ではない。

そうそう、それで、『dancyu』の動坂食堂のページだが、おれが原稿を書く段階でのレイアウトでは、イワシの天ぷら定食の写真が右上で、右下は客がたくさんいる店内の写真だった。

出来上がったのを見たら、店内の写真は特集の大扉に使われ、その写真があったところにはミックスフライの写真がおさまっているのだった。こういうのは、ショーガネエことだし、ドーセ文章より写真が大事だからねとおもってはいても、原稿書くときは、写真とのバランスを考えながら書いて、それでコンプリートされるイメージで書いているから、ギャーなんだこれ、ページのクオリティが落ちているじゃないか、と、少しはおもって、スグ忘れた。

そうやって、フリーの仕事も人生も流れて行くのです。それが、たのしいのです。

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