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2018/07/13

「芥川賞候補作盗作疑惑騒動」ってやつ。

こういうことに、あまり関心はないのだが、ちょっと気になったこと。

先月の18日に、文藝春秋社が主催する『第159回芥川龍之介賞』の候補作として、北条裕子の小説『美しい顔』を選出してから、どうやら、騒ぎになったらしい。

この作品に、「東日本大震災から半年後の2011年11月に出版されたノンフィクション作家・石井光太氏の『遺体 震災、津波の果てに』に似た部分が複数ある」というのだ。

それで、ほかの作品との類似もあるとかないとかの話も湧きだし、「専門家」な人たちがアーダコーダ言って、ま、出版界というのか文学界というのか、そのあたりでにぎやかなことになっている。

おれは、文芸趣味はないし、出版界とはビジネスで付き合いがあるが、それ以上のものはない。この問題で誰かと話し合うようなこともなかった。問題をちゃんと追いかけているわけじゃない。そういう低いレベルでザッと眺めていると、それなりにおもしろいこともある。

ひとつは、東京スポーツのサイトに、7月11日の掲載で、「【芥川賞候補作盗作疑惑騒動】北条裕子さん謝罪も…専門家は「新人賞取り消しだ」 」とあったことだ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/1059466/

見出しから煽っていておもしろいが、いまやスポーツ誌の扱う分野は、芥川賞のようなハイカルチャーにまで及んでいるのかとおもった。

いつごろからか、1990年代になって顕著になってきたような気がするのだが、スポーツ紙と一般紙の境が、とくにスポーツ紙側からの越境で、混ざり合うようになってきた。

スポーツ紙独特の、スキャンダルな視点や野次馬的な切り口は、気取った対象を丸裸にするような勢いがあって、なかなかおもしろい。

そして、今回の問題そのもののおもしろさは、そういうスポーツ紙のネタとしても耐えられるおもしろさがあるということだろう。

まさに「騒動」であって、レベルの高い議論にならない、出版界や文芸界の土壌というものが、誰かがもっともらしいことをいうたびに、あるいは関係する出版社が何かをするたびに、あきらかになっていく。

それぞれ、この問題をネタに出版や文芸あたりの業界内で、いいポジションをとるのに一生懸命という感じが、よく見えてきた。

「小説とは何かを巡る議論へと進展か」なーんて話もあるけど、けっきょくそのレベルの範囲のことなんだな。ようするに日頃から、「オリジナルとは」「クリエィティブとは」とか「真実とは」といったことに対しては、関心が低いのだ。

これは、いわゆる「福島」と「放射能」をめぐる「騒動」にも共通していて、お互いに議論を通して現在のレベルより高いレベルに到達しよう(つまり成熟していこう)という、「意欲」というのかな、たぶん「思想」が、ない。

ただただ業界内的な自分の立場の「正しさ」に拘泥する。その「正しさ」を強化するチャンスでしかない。

ま、おれの印象としては、例外もあるが、大勢は、そんな感じなのだ。東京スポーツが「芥川賞候補作盗作疑惑騒動」とやったのは、わりとトゥルースかもよ、と、ポスト・トゥルースの時代をかみしめる。

そして、やっぱり、ノンフィクションにせよフィクションにせよ、無名の民というのは、普通に生きているうちは「個」として見てもらえず、災害などにあってひどい目にあって初めて、文芸界隈から恰好のネタとして関心を持ってもらえる存在にすぎないのだな、ということを、またまたかみしめるのだった。

弱い立場の「当事者」は、メディアで発言したり本を出版したりできる「特権」を持った人たちの「人質」にとられながら、いいように利用される存在なのだ。

おれに見えてきたのは、そういう景色だった。

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