« 円盤企画「URCレコード全部聴く会」。 | トップページ | 汚れ系とルーズ系。 »

2018/08/09

生産性の仕組みと仕組みの生産性。

先月の7月18日に発売の「新潮45」8月号(新潮社)に寄稿の、自民党衆議院議員・杉田水脈議員の文章が問題になり、「炎上」の騒ぎになっていた。まだ波及的に続いているようでもある。

おれはその記事を読んでいないのだが、「LGBTのカップルのために税金を使うことについて賛同が得られるものでしょうか…彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」ということだったらしい。

とにかく、それで「生産性」と「差別」の関係にまで、ざわざわ「炎上」騒ぎになった。

まあ、そのこともあるが、そもそも杉田水脈あたりに書かせた新潮社も哀れだし、出版業界の衰退と泥船状態をあらわしているなあ、またもや、2018/07/13「「芥川賞候補作盗作疑惑騒動」ってやつ。」に書いたような現象も見られ、いやはや状態だった。

それはとにかく、「生産性」が話題になったおかげで、ずいぶん考え方の違いがあるのは、当然なのかもしれないが、興味あることだった。そして、違いはあるけど、杉田の主張に対し批判的であれ同調的であれ、大勢は、80年頃までの工業社会での価値基準による「生産性」だということが面白かった。

このあいだ、「生産性」を考える場面に遭遇した。

おれがときどき行く大衆酒場でのことだ。そこは大きなフロアーを、高齢のおばさんたちが受け持っている。そのおばさんたちが個性それぞれだし、いまどきの「効率第一」のシステムで動いているのではなく、彼女たちが人気でもある。

マイペースだけどせっせとやっており、注文を取りに来るのが遅いことがあったりしても、ゆるい雰囲気を、大方の客はよしとして楽しんでいる。しかし、彼女たちも年々だんだん弱ってきて、おばんさんでも、いくらか若いスタッフもいるようになった。

このあいだ行ったとき、いつものように、おばさんたちはせっせと動いていた。客席は8割方埋まっていたが、おばさんたちはいつもと同じペースで動いていた。客が呼んでいるのに気がつかなかったり、「はいよ」と応えてそのままになったり。おばさんたちはヨロヨロよりは少しましな感じで、せっせと動いていた。それで、それなりにスムーズの回転をしていて、客席もいつものようになごんでいた。

それが、目立って乱れた。のろのろでもスムーズだった動きが、乱れだしたのだ。そのうち、叱る女性の声が聞こえた。のろのろばさんに向かって「叱る」というより、短く鋭く「ののしる」感じだった。この酒場で、そういう声を聞くのは初めてのことだった。にぎやかで気がつかない客が多かったが、おれはその近くにいたのでわかった。

彼女は初めて見る、その時間頃から勤務につくらしい、いくらか若い中年の女性で、フロアーを仕切る立場の人のようだった。身体の動き、話し方からして違う。ほかの前からいるおばさんたちより、20歳以上は若そうに見えた。多くの酒場ではそうであろう、キビキビした動きだった。

もちろんこれまでも、そういう立場の人はいたようだが、「ナントカ長」という感じの「上」を感じさせることはなく、みな一つのフラットでのろのろなシステムで動いていたのだ。そういう光景は、初めてだった。

この「上」を感じさせるいくらか若い女性があらわれてから、ほかのおばさんたちがキンチョーしているのが、はっきり伝わった。

おばさんたちは、彼女のほうに気を使って、のろのろがおどおどな動きになり、スムーズな動きが乱れた。そのために、より注文が通りにくくなったように見えた。すると、そのより若い女性が、ささっと動くのだった。でも、酒場は大きくて、絶対に一人ではカバーできない。

そこでおれは、「生産性の仕組みと仕組みの生産性」ということを思い出したのだった。

個人として生産性の高い人ばかりを集めれば、全体の生産性は高まるか。その生産性は、どのくらいの期間で計算するのが妥当なのか。

個人の生産性の合計としての全体の生産性を計算していたのでは、仕組み=システムの生産性を考える能力は育たない。

子育てだって、同じことがいえる。

ま、子供を産むのを「生産性」で考える頭はどうかしているということはおいといても。

生むのも育てるのも自己責任の「生産性」なら、もうシステム(仕組み)の成長はない。

そもそも人間は社会的に生きているのだからなあ。

|

« 円盤企画「URCレコード全部聴く会」。 | トップページ | 汚れ系とルーズ系。 »