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2018/09/12

「新しい食堂」と「かけめし」。

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スペクテイター42号「新しい食堂」にからんで、脳ミソがいろいろにスパークしたりシャッフルしている。

おかげで、かつて注目しなくてはならない動きだなと気にしていながら忘れていたことをいろいろ思い出し、以前に本を書いたときの資料などをほじくりかえして見ていると、なかなかおもしろい。

スペクテイター42号「新しい食堂」に登場する店や人たちに共通すること、それと関連することを、忘れないうちにちょろっとメモしておこう。

その一つ。「誌面に登場いただいた方々は、どなたも専門的に料理を勉強されてはおらず、独学でオリジナリティ溢れる料理を、適切と思われる範囲の価格帯で提供して好評を得ています」と「新しい食堂」の特集リードに赤田祐一さんが書いているように、「素人飲食店」の台頭だ。

「素人」が飲食店を始める例は昔からあるから、珍しい現象ではない。ところが、いまの新しい傾向は、自分の「より自由な生き方として」、飲食店経営を選んでいる。「新しい食堂」が指摘するところの、「フィロソフィー」や「ヴィジョン」があっての選択ともいえる。

そういう傾向を、おれが最初に知ったのはいつごろか調べたら、2001年のようだ。この年、「手づくり」がブームになるのだが、それは、料理の手づくり(餃子が流行った)ばかりでなく、ファッションもちろん、「手仕事」としての手づくりばかりでなく、自分流の生き方として自分の店を自分でつくってしまう、「生き方DIY思想」といえそうな、既成の型にはまらない生き方が若者のあいだに広がった。

渋谷の呑兵衛横丁は、当時は廃れる一方だったが、そういところへ20代の若者が出店したりなどがあった。その店は、2001年か02年に一度行ったことがある。検索したらまだあるようだが、食べログでは「店舗の運営状況の確認が出来ておらず、掲載保留」になっている。

「新しい食堂」でも、ちょっとふれられているが、レイモンド マンゴー『就職しないで生きるには』の発売が1998年で、その影響が広がっている最中でもあった。おれはこの本は読んでないのだが、「自由な生き方として」の飲食店経営の選択には、こういう思想の潮流も関係ありそうだ。

とにかく、そのこともあってだろう、店主たちの日常と、店の空間や運営や料理などとの隔たりが小さい状態になっている。

その二。「新しい食堂」に登場の飲食店の料理には、必ず「かけめし」がある。おれとしては、大変おもしろいし愉快なのだ。

拙著『ぶっかけめしの悦楽』と『汁かけめし快食學』には、「かけめし」は「汁かけめし」のことであり、ようするに、「めしに汁や汁気のあるおかずをかけて、ごちょごちょやってたべる」と書いている。

料理的には、めしとおかずを別々の容器に盛り分けてたべる「単品単一型」の美味追求に対し、かけめしの美味追求は「複合融合型」としている。つまり、かけめしは、一つの器による美味追求の料理なのだ。

丼物やカレーライスの皿物などがこれにあたるのだが、1999年発行の『ぶっかけめしの悦楽』では、まだ「ワンプレート・クッキング」という言葉は登場しないが、2004年の『汁かけめし快食學』には登場する。

この「ワンプレート・クッキング」あるいは、「丼物」をカタカナ風にいえば「ワンボール・クッキング」になるものが、「新しい食堂」の料理に必ずあるし、「マリデリ」のメイン「ブッダボウル」はワンボール・クッキングであり「ベジ丼」ともいえそうなものだ。

『ぶっかけめしの悦楽』のあとがきにあたる「かけめしはこれからだ」で、おれは最後にこう書いている。

「かけめしは権威や既成概念からの解放だ。料理の権威や既成概念があるかぎり、一方にかけめしの可能性がある。精神がのびのびと躍動する自由な料理や食事をめざしたい」

「めざしたい」と書いているように、これは、おれの主観的願望でありヴィジョンでもあるのだが、「新しい食堂」に登場する店と「かけめし」は、とても自由であり解放的だ。

この、その1とその2の傾向は、2008年のリーマンショクと2011年の大震災を経て、増大し顕著になっているようだ。

大阪から広がったといってよい「スパイスカレー」がけん引する最近のカレーブームも、そのころからであり、スペクテイター40号で「カレー・カルチャー」を特集しているが、こういう流れと軸は同じと見てよいだろう。

家庭でも、ワンボールやワンプレートが広がっているし、こういう変化は、まだまだ続くだろう。

これはやはり「新しいスタンダード」への流れなのだろうか。

とはいえ、「新しいスタンダード」は、多様性を基本にしているのだから、このカタチが支配的になることはありえないはずだ。その傾向そのものが「新しいスタンダード」といえる。

誰かがエラそうにしている一つや二つの価値観のもとではなく、多様な価値観が共存するようになる流れ。料理や味覚においても。

どれも、多様な展開の一つの位置であり、その相互関係によって全体が成り立つ。料理や味覚の楽しみも広がる。

ま、そうなるには、まだまだ時間がかかるだろうが。

「新しい食堂」での、「結局、食堂って何?」というおれの文章の最後は、「もっと自由で楽しい食事を!」だ。

料理も食事も、もっともっと自由でいい。イマ、そういう動きに活気がある。

世の中全体は抑圧的な方向へ動いているようだけど、大衆的な料理と食事の分野は、自由で多様な方へ向かっている。とにかく、ぶっかけめしみたいに、ごちゃごちゃがちゃがちゃ、おもしろいわけですよ。

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