« 「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」の世界からのテイクオフ。 | トップページ | 東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」72回目、小岩・サンゴ亭。 »

2018/09/28

円盤企画「URCレコード全部聴く会」6回目。

きのうは居酒屋ちどり@北浦和で、毎月第4木曜日に開催の、円盤企画「URCレコード全部聴く会」6回目だった。おれは初回を逃しているので5回目ということになる。

繰り返すが、「URC」とは、アングラ・レコード・クラブのことだ。ま、アングラレコードの頒布会のようなもので、1969年2月から配布を始めた。その月は、ミューテーション・ファクトリー「イムジン河」(S盤)、トリン・コーン・ソン「坊や大きくならないで」(S盤)、「高田渡/五つの赤い風船」(L盤)だった。

前回5回目は、1970年6月の、久保田誠「昭和元禄ほげほげ節」(S盤)、全日本フォーク地図「村声一揆 福岡ヴィレッジヴォイス」(E盤)、岡林信康「見るまえに跳べ」(L盤)まで聴いた。

今回は、その6月分で残っていた、西村晃「人間バンザイ」(ガーリック、S盤)と引田天功「音楽催眠術夢幻」(てんぐ、L盤)からだった。

ガーリックやてんぐというのはレーベルで、大きなネットワークを持つURCが流通だけを担当したものだ。このころ、URCは発足して1年半ほどだが、急速に組織が大きくなり、手がけていたイベント「フォークジャンボリー」も大盛況で、スタッフはレコード制作もままならないほど大忙しだったらしい。

西村晃は、あの水戸黄門の人だ。「人間バンザイ」におさまった2曲は、いずれも昔の「かぞえ唄」のようなエロっぽいもので、それを彼がクソマジメに歌う。作曲はいづみたく、ほかにも、「話の特集」あたりの人たちがからみ、とことん遊んでいる。「音楽催眠術夢幻」は引田天功が音楽をバックに何人かいると思われる女性に催眠術をほどこす。これもエロチックなお遊びというかんじ。どちらも、とことん遊んでいる突き抜け感がよい。

あのころは、「カウンターカルチャー」「アングラ」とかいわれるけど、とにかく、自由闊達痛快無比な突き抜け感のあるカルチャーが盛んだったなあ、と思いながら聴いた。

出色は、7月分のマルビナ・レイノルズ「マルビナ・レイノルズ+ヤング・ニュー・フォーク・コンサート」(Century City、L盤)と8月分のはっぴいえんどによる「はっぴいえんど」(L盤)だった。

マルビナ・レイノルズの盤は、輸入盤に、URCで歌詞を日本語に翻訳したものなどをつけて配布した。初めて聴いたが、欲しくなるほど素晴らしかった。日本語の歌詞もいい。声、曲、詞。プロテストソングというのはこういうものだろうと思った。

「はっぴいえんど」は、いまさらながら、すごい。はっぴいえんどの影響が大きかったことも、うなずける。細野晴臣は、けっこうドラッグにはまっていたらしい、あの人の眼はやった人の眼をしているね、ドラッグもいい曲の栄養剤か、てな話をしながら聴くのもまた楽しいのだな。

どちらも、突き抜けていた。

田口さんが作った資料の年表の「できごと」欄には、1970年8月に「第二回全日本フォークジャンボリー」/内田裕也×大滝詠一「新宿プレイマップ」対談があり、そして、9月「ジミー・ヘンドリックス死去、10月「ジャニス・ジョップリン死去」、11月「三島由紀夫自決」、12月「コザ暴動」、71年1月「タイガース解散」、と大ジケンが続き、とどめのように、2月「「フォークリポート」猥褻文書として押収」がある。こうして、一つの波が急速に盛りあがったのち急速にしぼんでいくのだが、そのあたりは次回のことになる。

ただ、この盛り上がりは、単なるブーム的な盛り上がりだったわけではない。そこんとこは、いま一度、よく考えてみる必要がある。

たまたま、きのう知り合いから知らされたのだが、千葉市立美術館では9月19日から「1968年激動の時代の芸術」という展示があるそうだ。

その案内があるサイトを見たら、こんな文章があった。

………………………………

 世界中で近代的な価値がゆらぎはじめ、各地で騒乱が頻発した1968年は、20世紀の転換点ともいうべき激動の年でした。日本でも、全共闘運動やベトナム反戦運動などで社会が騒然とするなか、カウンターカルチャーやアングラのような過激でエキセントリックな動向が隆盛を極めました。近年、この時期に起こった文化現象が様々な分野で注目を集めており、「1968」は国内外で文化史のキーワードとして定着したと言えるでしょう。
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2018/0919/0919.html

………………………………

「68年」をクローズアップしているが、この流れは、1965年~1975年つまり昭和40年代のことで、根底に「世界中で近代的な価値がゆらぎはじめ」たことにある。

このあたりが始まりで、きのうのエントリーに書いたように、80年代には、多様な価値観が求められるようになった。

日本のばあい、メインストリームは経済成長の「成功」に酔ったのか、危機や「不確実性」が話題になっても、近代的な価値のゆらぎについては、きちんと考えることもなく、「過激」を否定しさえすれば成り立つ論理や「ソフトランディング」「ソフトノミックス」だのという用語をふりまわしておしゃべりしているうちに、有効な対策のチャンスを失い、今日まできた。もはや、そのメインストリームの価値観のヒエラルキーは、かなりガタがきている。ということですねえ。

全共闘だの過激派だのといった表面的なことにふりまわされず、70年前後から始まり80年代から大揺れになってきた「ゆらぎ」のなかで生きているということを、しっかり見つめなくては。

江原恵の『庖丁文化論』は1974年、玉村豊男の『料理の四面体』が1980年。この2冊については、『大衆めし激動の戦後史』でもしつこくふれているが、近代的な価値のゆらぎと大いに関係がある。

そりゃそうと、来週の金曜日の10月5日は、高円寺の円盤で、田口史人さんとなぎ食堂の小田晶房さんが隔月でやっているトーク「ぼやき万才」に加わってぼやきをトークをやるのだった。もう来週とは。

もう75歳になったおれ。

当ブログ関連
2018/09/15
都内で久しぶりのトーク。
2018/08/25
2日連続、居酒屋ちどり@北浦和。

|

« 「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」の世界からのテイクオフ。 | トップページ | 東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」72回目、小岩・サンゴ亭。 »