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2018/10/25

おれの平成食文化誌。

「食物誌」じゃなくて「食文化誌」ね。

「平成」は、来年30年でおわる。

ってことで、平成30年を、おれの平成食文化誌風に、ぼんやりふりかえったりしている。

平成元年は1989年だから、そこから30年さかのぼると、1959年で昭和34年だ。昭和34年の春、おれは高校に入学した。高度経済成長の真っ最中。

高度経済成長は1970年代中頃には「安定成長」っていわれるやつになるのだけど、まだ労働者や大衆は健在で、「大衆文化」ってやつを担っていた。「大衆文学」なんていう言葉もあったなあ。

食文化は、この大衆を抜きには語れなかったねえ。「大衆食」という言葉は、たしか1960年代後半ぐらいからだったと思うけど、大衆も大衆食も大衆食堂もイケイケだったね。大衆の中心は、東京だって、労働者だった。

「食文化」という言葉は、1970年前半頃から広がり始めたけど、あまり一般的ではなかった。それに、大勢としては、大衆の食なんか「文化」とみなされていなかったね。

「食は文化だ」とか「食を文化としてみる」なーんていう言い方が、インテリさんのあいだで広まっていったけど、それがどういうことかなんて、たいがいわかっていなかった。ただ、そういう言い方が、いかにも、当時ハヤリだった「学際的」で、かっこよかった、という感じの「食文化」だった。

吉田健一の『私の食物誌』を読むことで、「食文化」になったような。

そう、「文化」という語は、西江雅之さんが数年前に書いているけど、「これは現在の日本のほとんどすべての人びとの頭にこびりついている意味での文化です」「そこでは、特定の時代(すなわち現在)、地球上の特定に地域(すなわち日本)、特定の人びと(すなわち日本の人びと)にとって「憧れの対象」になるものが文化であるとされるのです」

「文化というのは素晴らしいもの、高級なもの、そしてある程度は高価なもので、多くの人びとが憧れているものでなけれならないという先入観に、人びとがすっかり囚われているからです。さらに、現在では、その素晴らしさというものは、先進国、ほとんどの場合は欧米の国々の人びとの評価に合わせてみて恥ずかしくないものでなければならないという、一種の劣等感に支えられたものでもあるのです」

民芸品や工芸品のような食、ミシュランの星がもらえるような料理、平凡社の『太陽』という雑誌(いまは『別冊 太陽』だけだけど)に載るような「文士」や「文化人」の食事や料理、そういうものに対する憧憬、そういうものが「文化」だとする状態が、いまでも続いているのだが。

「生活」や「必要」から遠ざかるほど「よい」とされる文化があるのだ。いま「生活」や「必要」を主に支えているのは、コモディティであり量産品だが、そういうものをつくったり売ったりするのも、そういうものがある生活も、文化とはみなさない文化がある。おしゃれなセレクトショップみたいなの、そこに並べられるようなものが「文化」であるらしいのだ。

そういう流れに対して、主に文化人類学者が主張し始めた「食文化」は、ちがった。

おれがその流れと、江原恵が唱えた「生活料理(生活の中の料理)」と出会ったのは、本に書いたり、あちこちで書いてきたが、1970年代中頃だった。

それから、おれは、「生活料理」の食文化の立場で、憧憬の文化なんかクソクラエでやってきた。

憧憬の文化と、それからは文化とみなされない労働者の食生活を支えていた日本の工業社会は、1970年代後半に行き詰まった。これは先進国の資本主義の行き詰まりとも関係するが、それはメンドウだからおいておこう。

1980年代は、ポスト・インダストリー、ポスト・モダン、「情報社会」と内需拡大であけた。

東京の工場は姿を消していき、大衆は、作業服を着た労働者から、ビジネススーツを着た労働者が中心になった。

1984年『さらば、大衆』1985年『「分衆」の誕生』。大衆は葬り去られ、「消費市民」と化し、消費市場に迎えられた。内需拡大策の結果であり、日本の生産力や技術力の成長と共に大衆も成長したわけじゃない。少し金回りよくなって(ローンも手軽になったし)、着ているものが替った、というていどのこと。

大衆食堂の軒数は頂点に達した。そして「大衆」と「大衆食堂」のたそがれ。「大衆」も「大衆食堂」も「いかがわしい」存在にされた。

内需拡大策に加え金融政策のおかげで超景気「バブル」到来。始まりは1986年ってことになっているね。

この年の11月、「B級グルメ」を先導する文春文庫ヴィジュアル版『スーパーガイド 東京B級グルメ』が発売になった。

こうして、平成が始まった。

平成が始まるまでの30年間、食文化に対する大きなインパクトは「技術革新」、つまり工業と技術の発達による生産・流通・販売・サービスの変容だった。「中流意識」と「豊かさ」は、それに依拠していた。

平成の食文化の変容は、もっと複雑に、いろいろな大きなインパクトが関わっている。

ま、平成が始まるところで、今日はおわり。

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