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2018/11/03

「文化」と「カルチャー」。

今日は「文化の日」だそうだ。

もとは明治天皇の誕生日で「明治節」といったものが、戦後の「民主主義の時代」にあわせて「文化の日」になったとか。そうやって戦前も生きのびている。日本料理界にも、天皇家の御威光を笠にきている人がいますな。

「文化」のかわりに「カルチャー」という言い方があって、近ごろは、「カルチャー」がよく出回っている。

おれの体験では、70年前後か、「サブ・カルチャー」や「カウンター・カルチャー」あたりから「カルチャー」を使うようになったが、それ以外で「カルチャー」を使うことはあまりなかった。

70年代ぐらいから、カタカナ語の氾濫がすごくなり、「ビジネス」は普通に流通するようになったし、そのビジネスのステージでは「コンセプト」や「ポリシー」や「クリエイティブ」や「ロイヤルティ」、それから「アイデンティティ」なんてのが広がり始めたし、食品の商品名もカタカナでないと売れないといわれた。多様化が進行する80年代は、さらにすごいことになった。

けっ、カタカナ語なんか使ってかっこつけやがって、と、おれは思いながらも、仕事では、けっこう使っていたね。なにしろマーケティングの手法は、ほとんどアメリカ伝来だから、仕方ないのだ。

でも「文化」については、「文化」で通すことが多かった。

が、しかし、どうも、だんだん、「文化」がエラそうにしているのがハナにつくようになった。「文化の日」の「文化勲章」なんて、その頂点といえるだろう。

まだ、けっ、カタカナ語なんか使ってかっこつけやがって、と思っていたころ、「カタカナ語の氾濫は日本語批判である」という主張を読んだ。たしか、1990年代後半、「一流」といわれる大学の言語学の教授が、そのようなことを言っていたのだ。その言葉が気になったので、メモに残っているが、何に書いてあったかのか、教授の名前もわからない。

とにかく、それを読んで、なるほどねえ、そういう見方もあるのか、知らなかったよと思った。

日本語の漢字は、表意文字だから「音」は犠牲になっている、欠陥言語だというのだ。

そういえば、漢字を使うと、なんだか格調高くエラそうだ。官庁の文章は昔から漢字が多かったぞ。大昔は漢文だったしな。ようするに見栄っぱりのために、身体的な「音」を犠牲にしている。

現代の詩人のなかには、やたらにひらがなを多用する傾向があるが、あれは、エラそうな漢字に対する批判とみれなくもないな。

とか、いろいろ考えて、忘れていたが、近ごろ、「文化」と「カルチャー」をめぐって、このことを思い出した。

とくに、「文化」の「文」が意味を持ちすぎている、やたらエラそうだ。なんでもやたら「文化」をつけて、「貴族」ぶって、「賎民」を見くだしている。おれのような野暮な賎民は、「カルチャー」のほうが、はるかに解放的で民主的でよい。

しかし、2018/10/25「おれの平成食文化誌。」にも書いた「憧れの文化」は、貴族的文化の象徴である天皇の御威光のもと、まだまだ続くのだろうな。

カタカナ語もいいことばかりじゃない。

たとえば、「コンプライアンス」なんてさあ。NHKだの、いい大会社が、「コンプライアンス推進」なんていうけど、ようするに「法令遵守推進」をいわなくてはならないほど腐っているわけだ。それが「コンプライアンス」なんていうと、おれたちかっこよくやっているもんね、なーんていうイメージへのすりかえで腐臭がなくなってしまう、それをねらっているんじゃないの。

とにかく、近代日本食は、漢字とカタカナとひらがなをテキトウに使ってきたから、こうまで多様化したともいえるわけだ。普及には、「ことば」が、ものをいうからね。もう食べ物の名前からして、すごい雑多雑種で、これ「日本文化」というより「日本のカルチャー」ね。というぐあいに、「カルチャー」を、どんどん使おうかナ。

「文化の日」が「カルチャーの日」になったら、おもしれえな。

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