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2018/11/04

平成の食文化と「エコロジー」「ファジー」。

バブル真っ盛り平成のしょっぱなに流行っていたのは、ディスコだけじゃない。「エコロジー」と「ファジー」がブームだった。

どちらも、70年代後半ぐらいから、学術業界方面では話題になっていたが、80年代後半には、大手ナショナルブランドの大量生産商品の名前や広告に使われるほどになった。ファッション業界は「エコカラー」のファッションを売り出し、家電業界では「ファジー」な電化製品を開発した。

「エコロジー」と「ファジー」というが、本来の意味以上に、じつにいろいろなことが絡んでふくらみ、食文化への影響も半端じゃなかった。いまでいう「マクロビ」などは、このあたりのことをぬきには考えられないし、いまでも、いわゆる「和洋中」という盤石に見えた近代日本食の大きな構造をゆさぶり続けている。

「食堂が根をはった日常が大きく動いたのは、一九八〇年代だ。それまでは、たいがい収入差はあっても、成長する工業社会のもとで工場のサイレンに合わせるかのように同じリズム同じ方向を維持し、終身雇用年功序列の同じ出世双六ゲームを競っていた。日常もわりとわかりやすかった。「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」の世界だ。」

と、スペクテイター42号「新しい食堂」に書いたのだが、みんなが同じ一つの価値観に向かってイケイケの工業社会は、70年代中ごろからの2回のオイルショックもあって、かなり雲行きがあやしくなっていた。

で、工業社会を支えてきた科学技術の背骨のような思想として、「デカルト主義」その「要素還元主義」が見直されたり批判にさらされる一方で、「エコロジー」や「ファジー」などが、いままでとちがう、これからの価値観として注目され話題になった。それを、大手のマーケティング屋が商売に利用することで、ブームにまでなったのだ。

大手のマーケテイング屋が商売に利用するからには、それなりの目算があってのことだが、マーケティング屋は同時に、従来の一つの価値観に向かったマーケティングも怠りなくやっていた。それは「品質至上主義」ともいえるもので、バブルのころには「いいものをつくれば売れる」という、工業社会の遺訓のようなものを引きついでいた。

「グルメ」の分野でいえば、80年代前半に料理評論家として売り出した山本益博さんに追随するような風潮だ。長いあいだの集団主義は、そうは簡単には変わらない。一つの価値観に向かっての、ステレオタイプや善悪二元論や二項対立といった右往左往は、いまだって続いている。

平成になったからといって、昭和の工業社会の一元的な価値観がいきなり変わるわけじゃないのだな。ましてや、高度成長という成功に酔ったことがある文化だ。それが親から子に伝えられ、平成になってからも「プロジェクトX」なんてのもあったしなあ。

「サザエさん」「ちびまるこちゃん」型の世界観は続いている。それは、個人主義が未成熟で、家族という集団の中の個人主義ていどのものだったことが関係していたようだ。

その個人主義が、しだいにエコロジーやファジーと絡み合い、自立性を獲得していく。そこには、これまでの「和洋中」とはちがう「第三世界」の文化と料理が見られることも多い。「第三世界」の文化と料理は、スーパーの陳列棚まだ変えてしまった。

一方で、工業社会の流れの「いいものつくれば売れる」の教条主義は、本来は対極にあったはずの「エコロジー」や「ファジー」と絡み合い、その品質至上主義はマクロビ食品や純米酒といった先祖がえりのような「本物主義」と仲良くしたり、「フード左翼」でありながら「フード右翼」である複雑な関係が生まれていく。まさに「ファジー」なんだねえ。

乱交状態のようないろいろな絡み合いで平成の食文化は、多様化し複雑化するのだが、その根っ子をさぐると、「エコロジー」と「ファジー」が出てくるというわけなのだ。

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