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2018/12/31

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」75回目、新宿・はやしや。

20181221

今年最後の掲載日は今月21日だった。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018122102000193.html

この連載で初めての、ナイフ、フォーク、ライス付きの食事だ。

本文では、このように書いている。

「ファミリーレストランが進出する1970年代頃から、なんでもありのメニューのデパートの大食堂は姿を変えていったが、はやしやはかつてのそれをしのべる数少ない場所だ。それに、「昭和24年より営業老舗食堂復刻メニュー 昭和のプレート1380円」には、はやしやの前身でこの場所にあった「三平本店」の昭和47年撮影の写真がそえられているのだが、「三平」は筆者が上京した1962年頃には、すでに新宿駅東口界隈(かいわい)に大きな店舗が何軒かあって、いつも大にぎわいだった。大衆食堂としては少し高めだがメニューが豊富でデパートの大食堂の廉価版といったところ、新宿が現在のようにビルに埋もれる前は、「新宿といえば三平」という存在感だったのだ」

つまり現在は「はやしや」という店名だが、もとは食堂の三平から始まっている。それも昭和24年といったら、まだ闇市が残っていた。

三平は戦後から高度成長期、新宿で勢力のあった大衆食堂で、『大衆食堂の研究』にも書いたし、このブログでも何度かふれている。

以前このブログで話題にしたときは、1960年の電話帳で見つけた「味覚の民主化」のキャッチフレーズがある三平の広告も載せている。その画像と文の一部を、もう一度ここに。

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1960年は、まだ「民主化」がショーバイになったのだろうか。いや、当時でも、「民主化」をショーバイにつなげた経営者は、そうはいないだろう。ましてや「味覚の民主化」とは、いやあ、エライ!

この電話帳の発行は60年2月のことだが(電話の局番が3桁になっている)、すでに51年には、日本の支配者GHQ占領軍のマッカーサーは、「民主化」なんぞやめて、戦前の旧体制の推進者の公職追放を次々と解除し、日本の再軍備の必要を説いていた。そして、9月、日米安保条約調印。「民主化」の時代は、わずか数年でおわっていた。しかし、60年といえば、その安保条約をめぐって、改定反対闘争が盛り上がっていた最中ではある。

「味覚の民主化」を掲げた三平は、目先がきいていたのかきいていなかったのか。とにかく、おれが上京した62年、新宿東口のアチコチで、三平は繁盛していた。メニューは、和洋中をそろえたデパートの大食堂の廉価版といったところ。

おれが、たまーに利用したのは、東口の武蔵野館通り、三越裏のへんに2軒ほどあった店だった。『大衆食堂の研究』にも書いたが、三平は、ション横の「つるかめ」などに比べると、やや出費が多くなるので、あまり利用してない。おなじ東口の駅前にあった「じゅらく」なんぞは、上野のじゅらくにしてもそうだったが、三平より「高級」で非日常的な場所で、大衆食堂という認識はなかった。

この広告の三平の本社住所は、新宿区角筈1-1。角筈1丁目は、現在の新宿3丁目。おそらく、三平ストアがあるところだろう。この広告によれば、食堂は、東口周辺に5店のほか、西銀座5丁目、渋谷宇田川町、浅草、神田にも出店していたのだな。

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2010/11/13
古い電話帳から、その3。味覚の民主化。

高田馬場の古本屋の若店主(1972年生まれ)に「はやしや」の話をしたら、子供のころ父親に連れられて行ったといった。まだそういう暮らしがあったのだなあ。

デパートの食堂は、70年代に広がったファミレスに押された感じで変貌していくが、同じように大型の食堂だった三平も変わっていった。「はやしや」は、メニューにしても「三平」がファミレス風に変化した業態と見ることができるが、なぜか「昭和」の気配を感じるから不思議だ。「ファミレス」というより「デパートの大食堂」的気分なのだ。それは昔のデパートの大食堂を知っているせいなのか。でも、昔のデパートの大食堂と比べると、やっぱりファミレス的なのだが(郊外型のそれとはちがう)。

ここでめしを食っていると、「平成」といっても「味覚の民主化」を謳うほどの迫力もなく、「昭和」の尻尾をチャラチャラ貪欲に食いつぶしていたにすぎないのではないかという感慨がわいてくる。

とにかく、この連載の年内分を、年内中の大晦日にアップすることができた。

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