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2018/12/28

おととい、わめぞ忘年会。

会場が例年の池袋駅北口の東京中華街が閉店のため、みちくさ市の打ち上げでおなじみ東池袋のサン浜名だった。

始まりの時間を確認しないで行ったら、18時40分ごろ着いた。誰もいない、19時からだった。5分もすると塩爺があらわれた。年寄りはセッカチだからなあ、とお互いにいいあう。

とにかく、くう、のむ、しゃべる。

堀内恭さんと入谷コピー文庫のことがしばらくネタになっていたな。

まだ体調不全のように見えるピスケンさんと7年前に脳梗塞をやったが憎まれっ子世にはばかる(その割には儲けてないようだが)で生還した塩爺が、身体と病気の話で盛り上がる。おれは身体のぐあいの悪いところがない。病気と子供の話をするようになったら老化だとかいって傍観。

9月のみちくさ市のあと脳卒中で倒れた石丸元章さんが途中で姿をあらわし、まったく後遺症を感じさせない挨拶をし、飲んでいた。大丈夫か?

けっこうハイペースでの飲んで、どんどんまわる。酔った目で店内のかなたを見ると山田参助さんがいた。近くの席に移動。家を出るときは帰りに浦和で降りて宮本くんが餃子を焼いているらしい中華屋に寄ってみようと思っていたが、その宮本くんが店を休んで来ていた。北浦和に居酒屋ちどりがあっていいよな、よかったよなと話していた記憶がある。

そのうち山田参助さんと1968年頃からの「あの時代」を話していた。1975年の荒井由実の「いちご白書をもう一度」でオワリのとどめをさされた、とおれはみている、「あの時代」。

全共闘運動ばかりが注目され騒がれるが、それだけじゃないんだなあ。若い男たちは、平凡パンチなどを片手に、カー、セックス、ファッション、ミュージック、てなこともあったし、いろいろなものが生まれ、戦後からの脱皮の季節として、あるいは脱戦後史の季節として、全体的に見る必要があるだろうと。全共闘運動だって「戦後」に対するカウンターだったとみることもできるだろう。おれの酔った頭の中では、エンケンのカレーライスや、ことし円盤の田口さんのURCレーコドを全部聞く会のおかげで刺激になった曲の数々が、ふわふわしていた。しかし、自分がもう何をしゃべっているかわからない酩酊状態にあることを自覚し、これは帰ったほうがよい。帰ることにした。カネを払ったのは覚えていない。

記憶がいろいろとんでいるが、東大宮に着いて、そのまま帰ればよいものを、コタツに寄ったのがいけなかった。出羽桜がうまかった、ホッケの刺身がうまかった。飲んでいるうちに記憶が無くなった。

どうやって帰ったか覚えていない。目が覚めたら着替えもせずベッドのなか、部屋の明かりも暖房もつけっぱなしの朝、着替えてないのが幸い燃えるゴミの日なので捨てに出て、またもどってそのままベッドに入る。次に目が覚めたら11時過ぎていた。

わめぞ、来年は一月のみちくさ市から。寒くても古本は熱いのか?おれは単なる飲兵衛で、古本好きでも本好きでもないのだが。
https://kmstreet.exblog.jp/

まもなくことしも終わり。来年に延ばせることは来年にしていたら、1月のスケジュールがヤバイことになっている。もう若くないのに。

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