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2018/12/06

星屑の行方。

『あれよ星屑』の山田参助さんに、ちょろっとお会いしたとき、あの話は、誰か自分の近親者などの体験談がもとになっているのか、というようなことを聞いた。については、2018/03/24「鬼子母神通りみちくさ市で「地下アイドル」世界を垣間見る。」に書いた。…クリック地獄

2巻の帯に、大根仁さんが「こんな話どうやって思いつくんだ?本物中の本物」と書いているのを見て、ヒザをたたいて笑った。まったく、その通りだ。

ちかごろは、たいがいの出版物なるものは、全日本的現象ともいってよい「劣化コピー」の繰り返しで、既視感ありありだし、ようするにオリジナリティはどこへ行ったと思うことが多いなか、ほんと「こんな話どうやって思いつくんだ?」と思っていた。

まだゆるゆる繰り返しながら読み進めているところなのだが、よく戦後の闇市と生活を思い出しては、すすむのが止まってしまう。といっても、もう70年以上前のことだし、おれは『理解フノー』にも書いたように、80年頃から前の写真は一枚もないので、手がかかりが少ない。

写真はなくなったが、覚えている写真は、何枚かある。

一枚は、母の一番上の兄と次の兄が出征する前に、一家で母の実家の前で撮ったものだ。その写真には、まだ1歳になっていないおれが、白い赤ちゃんの正装で、母の一番上の兄に抱かれて写っていた。

当時、母の実家は、現在の調布市つつじヶ丘にあった。父と母は結婚した当初、その近くに住んでいた。昭和16年におれの兄が生まれたのはそこで、その後、父と母と兄は父の実家のある新潟県六日町へ移住した。そして昭和18年に兄が亡くなり、入れ替わるようにおれが生まれた。おれが生まれたのは9月だから、写真はたぶん昭和19年のものだろう。

次の一枚は、リアカーに腰をおろしている、おれと母、それに母のひざの上には赤ん坊の弟がいた。弟は2歳違いの昭和20年生まれ。たしか6月生まれであり、この写真の背景は当時のわが家のサツマイモ畑だったから、芋掘りに行ったときのことだろう。20年秋のことではないかと思う。

この頃のことは、うっすら記憶がある。その畑は町の外にあり、何度も行ったし、サツマイモのほかにジャガイモもつくっていて、それらをよく食べていた。収穫しリヤカーに積んで家まで帰るときの興奮もまだ身体の片隅に残っているような気がする。

町に人影は少なかったが、しだいに国防服を着た男たちが増えた。いわゆる「復員兵」だ。隣の家の主は、復員して町に帰る列車で線路に落ち大怪我をして入院したというような話もあった。あそこのひとが帰ってきた、あそこのひとはダメだったらしい。静かだった町は騒々しくなった。

父は、母と結婚するころに、カメラを買ったと思われる。あるいは結婚する前、母を撮りたくて買ったのかもしれない。とにかく、うちにあったアルバムの最初の頃の写真には、母が一人で写っているものがけっこうあった。小さいころ、「どこか」と聞くと「深大寺だ」と言われたのは覚えている。そのあたりでデートをしていたのだろう。

食べ物の写真がドバッと姿をあらわすのは、戦後だ。ひとつは東京の闇市であり、ひとつは六日町での農作業のあいだのいろいろな人たちの食事風景だ。これらはたくさんあったし、子供心にも「いいなあ」と思う写真が多かったので、よく覚えている。

そう、『あれよ星屑』を見ながら、とくに闇市の写真を思い出していた。

父は自分で現像から焼付までやっていたので、大きな版のものもけっこうあった。闇市の全景、通りや雑踏、店頭の様子、人物や食べ物のアップ、しっかり目に焼き付いている。たしか新宿と新橋の闇市だと言った。

母の実家は、おれが小学校に入る年に、六日町で一緒に住むようになるまで、(当時は「金子」といった)つつじヶ丘にあった。出征した母の長兄と次兄は復員後戦地で罹ったマラリアのため死んだ、母の姉が肺病で死んだり、そういうこともあって父と母はよく上京したし、おれは母の実家に長い間あずけられることもあったし、父はそんなあいまに写真を撮ったのだろう。

そのころ、家族で普段の食事にどんなものを食べていたか、まったく思い出せない。思い出すのは、紙芝居の水あめとか、アイスキャンデー売りのアイスキャンデーとか、配給のパンとバターをトーストして食ったこと、それからどんどん焼。思い出とは、そういうふうになりやすいのだろうか。

写真がすべてなくなって、惜しいと思ったことはなかったが、あの闇市の食べ物アップの写真や、農作業の途中で草の上に重箱やにぎりめしを広げてかぶりついている様子は、「生きる」「食べる」の貴重な記録だったなと近ごろ思うのだった。

というのも、昔の暮らしのことになると、あいかわらず、普通の労働者のことより、作家とか文化人とかが書き残したかれらの暮らしや、彼らの目から見た暮らしの話が多いからだ。もう既視感ありすぎ。

ま、それが出版としてはラクだし売りやすいからだろうけど、もっと膨大な真実が眠っているような気がする。

と、また『あれよ星屑』を読み進めながら、ふりかえるのだった。

当ブログ関連
2015/09/02
新宿東口闇市に幼いころの自分の姿を探す。

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